リンクブック~開いた本は異世界への扉~

灰音

第1話

 どこかの本や雑誌で、本を読むと賢くなれるとか、立派な人間になれるとか言っていたけれど、私はそれを軽く読み流していた。

 本を読むことは好きだった。空気を吸うように、ずっとそこに連なる文字ばかりを追いかけ、来る日も来る日も、終わることのない追いかけっこをしていた。

 ただその分岐点でもある一冊の本を、私はちゃんと、正しく読んでいない。なぜなら、読むという行為をしてはいないから。

 それはどういうことか。とか、読んでないってことは、誰かに読んでもらったということか。とか、そういう疑問を投げかける人もいると思う。

 私に踏み出す勇気をくれたのは、その本の中で、生き生きとたくましく生きる、いろいろなキャラクターたち。

 挫折や不幸を味わいながら、キラキラと輝くその瞳は、夜空に瞬く星々が、太陽からの反射でキラメキ、光るのではなく、自身から発光をしているのかと感じる錯覚、それに似ている。

 私が出会ったキャラクターたちも、様々な背景を抱え、世界を生き抜いていた。


 私はそこに、勇気をもらった


 私はそこで、友達を知った。


 私は彼らと、ともに生きた。

 



 学校という場所には、二種類の人間がいる。

 グループに属し、日々をその仲間と共に過ごす人種と、どこにも属さず、孤独に過ごす人種。

 田坂香帆たさかかほ十六才。栗色の、肩まで伸ばした髪をお下げに結って、前髪は少し短めな目立たない少女。香帆はどちらかと言うと後者だった。

 好んで一人で居るわけでも無いけれど、かといってどのグループにも居場所の無さを感じてどこにも属すことが出来なかった。

 クラス内でも少しの日常会話くらいならするが、これといって話が合う友達がいなかった。

 本当は友達も欲しかったし、放課後、どこどこで遊ぼう。とか、日曜日はあそこ集合ね!みたいな会話に憧れていた。けれど、もう出来上がってるグループに、単身突っ込んでいく勇気は、香帆にはなかった。

 だから本が好きな香帆は、特に用事のない、話し相手のいない休み時間は本を読んでいた。持っていた本を読み終えると図書室に行き本を読み、借りて帰った。なので学校に行く時も帰る時も鞄には必ず本が一冊以上は入っていた。

 図書室の本だけではやはり限界があるし偏りもあるので、香帆は近くにある図書館にも時々足を運んでは本を借りて帰ったりしていた。

 今日は久々の図書館。学校で借りた本が長編で、尚且つ学生あるあるなテスト期間中だった為、読むのに時間がかかり、ニ週間も間が空いてしまったのである。

 休日だったこともあり、特に予定のない香帆は一日中居座ることに決め、新しい本を何冊か選び、図書館で読み切れなかった本は借りて帰ることにした。

 図書館へ着き、独特の空気を胸いっぱいに吸い込むと、香帆は新しく読む本の捜索に入った。ゆっくりとズラリと並ぶ本棚を入口辺りの棚から見て回り、三冊を厳選して選び出し、本を抱え端にある読書スペースまで移動しようとしていた時、一冊の分厚い背表紙が目に止まった。

 真紅のような真っ赤な背表紙に、金色の文字で何か書いてあったが横文字だった為、香帆にはちゃんと読めなかった。

『ディオイ…シ…ランド?』

  香帆は心の中で読めるだけの英単語を手繰り寄せて、感覚で読んでみたが、やはりわからなかった。手に取り、そのド派手でキラキラした表紙に驚いた。真っ赤なのは変わらなかったが表紙を裏表囲むように金色の縁取りが施されており、『Daoine Sith Land』という背表紙と同じ文字が、金色のホログラムを思わせるほどに、表紙で輝きまくっていた。裏表紙では、鷹のような刻印が林檎くらいのサイズで刻んであったが、表紙のように特に目立った装丁ではなかった。著者名も英語で書かれてあったので、とりあえず今はスルーして後で調べてみようと思った。パラパラと中をめくり、中身は日本語で翻訳されていたので、試しに読んでみることにした。

 三冊の本を抱えた腕に一冊の分厚い本を加え、香帆は読書スペースで一番端の棚と壁とに囲まれた席につき、本を横に置くと、先ほどの赤い本を手に取り、開いて読み始めた。

 翻訳されている中身には、タイトルの横文字は『Daoine Sith Landディナシーランド』と読むということがルビにより発覚した。挿絵は奥行きのある森の絵以外は、描かれていなかった。

 一ページ目を読み終わり、香帆はこの本を最後まで読んでみることを決意した。本の内容は、大好きなファンタジー要素が盛り込まれているようで面白そうだった。そこからは一気に三、四百ページはあろうかというその本を、夢中になって読み進めていった。

 物語は一人の女の子、妖精族のネイラが主役だった。世間と隔てられた島でひっそりと暮らしていたネイラが、病気で寝込んでしまった母親に代わって、生まれて始めて町へおつかいに行くという流れだった。出掛けに行った町でたまたま買い物に来ていた一人の少年ヤタに出会う。道に迷っているネイラに声をかけ、ヤタは案内を買って出て、二人は少しだけ仲良くなる。ヤタが一人で暮らしていて、狩猟をして生活をし、今は馴染みのお店へ、狩猟用の道具を買い変えに来ていた。ヤタが町を案内しようと、あちこち歩き回っていると、ネイラの被っていた帽子が人にぶつかり落ちた。そしてー。

 ここまで読み終えお気に入りのネコの栞を挟み一旦本を閉じた。もう夕方だった。いつの間にか百ページ程を読み進めており、窓から見える陽はすっかりオレンジ色に変わり果てていた。続きが気になる香帆は、持っていた残り三冊と共に借りて帰ることにした受付でバーコードを通し、重たい本を持っていたエコバッグへ突っ込むと、香帆は並木が続く裏道を速足で通り抜け、帰路に就いた。

 家に着く頃には秋ということもあり、しっかりと闇に包まれていた。持っていた鍵を使って家に入る。

「ただいまー」

 真っ暗な室内に返事はない。予想通りまだ誰も帰っていなかった。玄関に電気をつけ、二階に向かう階段を駆け上がり、足早に部屋へ行き荷物を下ろす。と、親が出先から帰ってきた。急いで部屋へ向かった為、なんとか気づかれなかったが、あと一歩遅ければ大激怒されているところだった。

 晩御飯を食べ、歯を磨いてお風呂に入り、上着を手に部屋へ行き夜の読書タイムに備えた。

「さて、続きを読もうかなー」

 鞄から借りてきた本を全て取り出し、お目当てのあの本を机の真ん前に置いた。

 ネコの栞が挟んでいるページを開き、続きを再開した。

 『帽子が地面に落ち、ネイラの隠れていた先の鋭利な妖精の耳があらわになる』

と、次の瞬間、香帆の意識は本の中に突入していた。体ごとというよりも精神だけ飛んで、物語の中に作者目線のような感じで入り込んでいた。目線はネイラ目線だったり、ヤタ目線だったり、壁から見ているような感じだったりする時もあった。不思議な感じに戸惑っていた香帆だったが、本を閉じることをイメージすると、元の部屋にいる自分に戻れた。

「い、今のは…なに?」

  もう一度体感したであろうページを開き、続きを読もうとすると、またあの感覚になった。やはり、本の中だった。精神だけだったので巻き込まれるということはなく、まるで幽霊になった状態で、物語を読むのではなく体感する。という風になっただけだと言うことに気付いた。いわゆる4Dというやつか。と妙に納得してしまった香帆は、戻るのも勿体ないなとそのまま世界を体感し続けた。

『ネイラの一族、つまり妖精の一族はとても希少な、伝説のような一族だった為、人身売買をする一味に見つかり、ヤタは殴られ、ネイラから無理やり引きはがされると、ネイラは捕らえられてしまう。一旦ははぐれたヤタだったが、なんとかアジトの場所を突き止め、ネイラが小屋みたいな場所に押し込まれる前、扉が開くか開かないかの間に仲間の一人に体当たりをして、混乱している隙に救出をした。

 ネイラは島に逃げ帰ろうとするが、追手が来るかもしれず、それでは住んでいる島民も危ないため諦め、町を飛び出し迂回して違う方法で帰ることにした。

 二人は、ヤタがよく使っていた森の中にある猟師小屋に一晩隠れて、朝早くに町から旅立った』

 香帆はそこで一度現実に戻り、ネコの栞を挟むと本を閉じた。 残りのページはあと三分の一程だったが、時計が日付を跨ぐギリギリだった為、残りは明日にして、香帆は寝床についた。


 翌朝、日曜日だったので香帆は平日よりも遅く起きた。半分寝ぼけた頭で朝食を食べ、部屋へ戻り、パジャマから赤い花柄がついた、薄手な長袖ワンピースの部屋着に着替えると、昼御飯まで部屋にこもろうとイスに座った。昨日の続きが気になって仕方ないし、昨日の出来事が夢だったのか、現実だったのか、一晩明けた朝になると、ハッキリ分からなくなっていたのだ。早く確かめたい。

 ところがあまりにも部屋が散らかりすぎていた為、部屋を掃除しに二階に来た母親に、片付けろと怒られてしまった。ワンピースの下に黄色のジャージを履いて、しばらく掃除機をかけたり片付けにいそしんだ末、やっとのこと本を読むことが出来たのは、昼御飯を食べてからだった。暑苦しいジャージを脱ぎ捨て、ワンピース一枚になり、涼しくなった足をイスに座ってバタバタと揺らすと、

「よし、続き読むぞ」

あらかじめ準備しておいた、飲み物を満たしたコップを置き、あの本をもう一度開いて続きを読み進めた。

 そしてあの感覚にすぐに襲われた。4Dというやつだ。


『ネイラとヤタは小屋から出ると、二人で町から遠ざかった。そしてひたすら道なき道を歩き続けた。町から少し離れた位置にある、山へ向けて道がまっすぐ延びている場所へ出ると、そこからやっと整備された道を二人は歩いた。進むにつれて傾斜が激しくなり坂道がずっと続いた。二人は木陰で休み休み進んで、水の音が聞こえた。というネイラを信じ、道から逸れて進み、やがて小さな川を見つけた、その少し向こうに誰も住んでいないであろう古びた小屋を見つけたので、二人はそこで一晩休むことにした。

 翌朝ー』

「え。。……えーーーーーーー!!」

香帆は叫んだ。そして周りをよくよく見渡した。さっきまで眺めているだけだった風景が目の前に、草の匂いと、心地よい風と感触と共に目の前に広がっていた。

「……んーーー夢?いやいやいや…でもこの木触れるし、足元はちゃんと草だし、森の匂いするし、う~ん。。」

香帆はその場を動かず考えた。服は赤い花柄ワンピースのままだった。考えて考えて考えたけど、やはり夢ではないし全ての感覚が現実であることを物語っていた。

「誰?」

振り向くと小屋の扉の前に、金色の胸まであるストレートな髪をなびかせ、金色の瞳をした少女、ネイラが不信がりながら立ち尽くしていた。

「ね、ね、ネイラ!?」

「な、なんで名前!?」

ネイラは身構えた。帽子を被っていなかった為、さらに硬直して不信感を募らせた。そしてヤタも目を覚ましたようで扉越しに声がした。

「どうしたネイラ?誰かいるのか?」

「そ、それが、知らない変わった服の女の子が…私の名前知ってて」

「追ってか!?」

ヤタは扉を蹴破る勢いで開け、ヤタは扉を蹴破る勢いで開け、アッシュグレーの、男の子にしては少し長めの髪を揺らしながら、エメラルドグリーンの瞳で目いっぱいに威嚇し、ネイラの前へ出て立ち塞がった。

「いや!怪しいものではなくて!いや、怪しいかもなんだけど…でもでもヤタとネイラのことは少しだけ知ってるし、やーでも知ってるってやっぱり怪しいか…ですよね…」

ヤタの顔には不信感がまだ残っていたがそれよりも不思議を見る目全開だった。

「お、俺の名前まで!?君はいったい?服も変わってるし追ってじゃないの…か??」

香帆はコクンコクンと大きく頷いて、同時に何も持ってないことも必死にアピールした。

自分達と同い年くらいの女の子が、追ってである訳が無いことくらい冷静に考えれば分かることなので、ヤタは緊張を解き、

「ネイラ、この子は少し変わってるけど大丈夫そうだよ」

 ひょこっとネイラの顔がヤタの横から出てきた。いつ取りに行ったのかヤタが持って出ていたのか、今度は帽子を被り耳を隠した状態だった。香帆は構わず、

「えーと、始めまして。ネイラちゃんとヤタくん、私は香帆といいます。多分、違う世界からここに来ました。」

場違いな表現も込みの自己紹介をしてしまった。

「違う世界?この国の人じゃないってことか?」

「そーなのかな?多分。国っていうか次元?あれ?世界?かな?この世界が少し覗ける?違う世界って感じかな…」

「それってまるで神様みたい!空から降りてきた人なの?」

「う~んだいぶ違うけど似たようなものかな~、違うけど。」

「すごい!すごいねヤタ!私たち空からの使者様とお話ししてる!」

「違うって言ってるみたいだけど…まぁいっか、一応信じる。そんな派手な服の追っ手なんていないだろうし。で、その…カホは何しにココに来たの?」

「わからない」

「「わからない?」」

二人がハモりながら復唱した。よく考えたけどやっぱり分からないし、本を読んでたら来ちゃった!とも言えないので説明は上手く出来なかった。

「気づいたらここにいて、困ってるの。あの~…よかったら旅に同行してもいい?ダメ…かな…」

「もちろんいいに決まってる!使者様だもの!ね、ヤタもいいよね?」

「まぁ…ネイラがそう言うなら俺は別に問題ないよ。旅ってほどイイモンでもないけど…」

とゆーわけで、二人は香帆を受け入れてくれた。香帆はほっと安心し二人と一緒に行動することにした。

「とりあえず、服をなんとかしなきゃだなー。俺ら一応逃げてる途中だし、その珍しすぎなのは目立ちまくるから」

 ヤタは呟いた。ですよね、あまりにもこの世界の服装とかけ離れてますし赤いもんね…おまけに花柄だし…なので三人は道に戻り、行商人を見つけて服を買おうとした、が、香帆があまりにも珍しい服を着ていた為無償でよいと、白地のワンピースといくつかの衣類と交換してもらった。

高めの茂みの中で新しい服に着替え、着ていたものを商人へ渡した。洋服は上から被る構造になっており、過ごしやすい気温の為半袖タイプだった。長袖を着ていた香帆は暑さからの解放が嬉しかった。なんとかこの世界の洋服を手に入れ溶け込むことに成功し、安堵のため息をもらした。

三人はそのまま山へ向かって道を歩き続けた。

「これから二人はどこに向かう予定なの?」

「この山を越えたところに小さな街があって、そこに港があるんだ」

「そこから出る船に乗って、私の故郷へ帰るのよ」

二人の話によると、どうやらヤタの住む町からではなく、別ルートからネイラの島へ帰る予定みたいだ。

ただ、港からネイラの住む島まではかなり距離があるため、別の島へ一旦寄って、一晩夜を明かしてから目的の島へ行くというスタイルらしい。なんとも遠回りな道のりだが、このルートでないと帰りつく事は出来ないというか、これしか他のルートがわからないらしい。

話ながら山道を登って進んでいると後ろから声をかけられた。

「ちょっとそこのお三方」

振り向くと四人の男たちがいた、一人は長身で横に大きく、よくここまで息切れをせずに登ってこれたなと思わせる大男で、残りの三人はその人よりは十センチは低いがみなガタイのよい、ザ・海の男か山の男!みたいな日焼けをしていた。

「間違いない、あの帽子を被ってるガキだ」

そのうちの一人が呟いた。追っ手だ。

「走れ!!」

ヤタが叫ぶ。ヤタは走り出しながらネイラの手を取り、

「一旦森へ逃げ込むぞこっちだ!」

と、香帆へ叫んだ。道を逸れて走り続けるヤタに、絡まりそうな足を必死で前後に動かし、二人は必死で付いていった。後ろから走りはそこまで早くないが確実に迫っている四つの影が見えた。しばらく無我夢中で走り続け、

「待って、足が、限界…」

ネイラが香帆より先にギブアップの声をあげた。ネイラは外で遊びこそするが、長時間走り続けることには慣れておらず、体力は三人の中で一番なかった。というか無いに等しかった。香帆も走ることは得意ではなかったが、学校の体育の授業や、無駄に長い学校への行き帰り等で、体力はネイラよりあったみたいだった。

「ネイラ、もう少し頑張って。走り続けないとヤツらに追い付かれて捕まってしまう」

「でも、もう…」

泣きそうだった。すぐにでも泣き出しそうな顔をしていた。

「ネイラ、帽子を貸して。私が走るからあなたはどこかへ隠れてて」

「カホ?でももし捕まってしまったら、危険なのよ?何されるか分からない…」

「大丈夫!体力には自信あるの。いつも山登りみたいな道歩いてたし、それにこのままだとあなたは捕まって売られてしまう。捕まっても私なら普通の人間だし、見逃してくれるかもしれない。さ、早く、あそこの茂みへ!」

 ネイラはしぶしぶ帽子を渡したが泣きそうな顔は変わらなかった。

ヤタはネイラを説得し、必ず迎えに来るからと告げて、一番大きな茂みへネイラを押し込んだ。

「ごめん、カホをこんなことに巻き込むつもりはなかったんだ…」

「平気。それにネイラが捕まったら、この物語の意味がないもの」

ヤタは首をかしげたが、すぐに真面目な顔に戻り、二人で森の中を上へ向かって駆け出した。バラバラになると迷子になりそうだったので、香帆は維持でもヤタに付いていった。姿勢を低くして、木立の中に隠れたりしながら進んだが、それでも追っ手は見失うことなく確実に近づいてきていた。

「あっ!」

不意に香帆は何かに躓いた。いや、何かに捕まれた。

振り返って足元をみると地面から人の手が生えていた。

「捕まえたぞぉ~おじょおちゃあん」

気持ち悪い声でその手は足を握りながら、地面から顔をぼこっと覗かせた。まさか地面に穴を掘って潜んで待機していたとは、まんまとあの三人に罠へ追い込まれていたみたいだ。

じわじわと足を引き寄せていく男を見て、

「なん……くそ!」

ヤタは助けに向かおうとしたが、

「ダメ!行って!捕まってはダメ!約束!!」

 香帆は必死で逃げろと何度も叫び、やっと通じたのか、後ろ髪を引かれながらヤタは走り去っていった。

香帆は後ろの男を睨み付け、

「離してよ!この変態!!」

と言いながら、バタバタと足で男の顔を蹴飛ばした。が、男はもう片方の手で蹴りを防ぎ、そのままもう片足も掴んで縛り、思いっきり引き寄せ始めた。

「いったいなぁ~さあぼくとおうちへかえろおかぁ~」

もがいても無駄だった。完全に男の腕の中に捕まり両手も後ろ手に縛られてしまった。

気持ち悪い。男の体は地下にずっと隠れていたからか汗ばんで、泥だらけでおまけに臭かった。

「離してよ!気持ち悪い!!離せ離せ離せ~!!」

「うるさいおじょおちゃんだなぁ~そんなキミには少しお仕置きをしないとだなぁ~へへへへ~」

男はその汗だくの泥まみれの顔で、香帆の背中をじょりじょりと、まるでタオル代わりのようにスリスリしたので、気持ち悪くて香帆は吐きそうになった。ヤバイ!と思った時、

「そこまでにしておけ、ガニバラ」

ガサガサと木の影からさっきの三人が現れた。

香帆は気持ちの悪いスリスリが止んでホッとしたが、新たな仲間の出現に安心は出来なかった。そして、こけた際に横に落ちてしまった帽子を拾い、顔をマジマジと見られた。

「ん?こいつは、違うぞ!ガニバラ、いったいどうゆうことだ?」

「え?いやぁ男の方は合ってたしぃ~?女の方を捕まえればいんだろぉ~?女はこいつしかいなかったしぃ~ぼくのが合ってるよぉ~」

「お前さっき何見てたんだよ女はもう一人いただろ。三人いなかったか?」

「ぼく、すぐに違う方に逸れたじゃないかぁ~詳しく見てないよぉ~二人だけだったしぃ~男は逃がしちまったけどぉ~」

すると後からきた別の一人が香帆の方に向き直り、

「おいガキ、妖精のガキはどこだ」

男は香帆の顎を掴み、顔を向かせた。

「し、知らない。私は何も知らされてない」

これが精一杯。怖くて体がガタガタ震えるし、思考回路がパニックで何も考えることが出来なかった。

男はしばらく香帆を見つめていたが、ぱっと手を離すと

「まぁいい。こいつがヤツらの仲間ならおとりとして使えるかもしれん。このまま連れていくぞ」

「ま、待って、仲間なんかじゃない、出会ったばっかで、たまたま一緒にいただけだし、助けになんか来ないわ」

思わず訴えてしまった。人質になんてなりたくない。その一心だった。本当のことだし、二人に迷惑はかけられない。

「じゃあこの帽子の意味を説明してみるか」

「これはたまたま借りてて…」

嘘は、言っていない。

「助けに来なかったら来なかったでお前を売り飛ばすだけだ。ただの人間だが女だからな、金にはなる。」

ゾッとした。そうだった。人売りには絶対に捕まってはならない。 いろんな本で示してあったはずだ、まさか自分が直面するとは。こんなにも本で読んだことが役に立たないなんて…今まで読んだ本の主人公たちに『気付くの遅い!』と腹立たしたかったことを少し反省した。次からは、それほど切羽詰まってたんだなと思うことにしようも思った。

 男たちは手足を縛った香帆を抱え山を登り始めた。

てっきり山を降りて、ヤタとネイラが出会った町へ行くと思っていた。

「本当にこのまま先の街へ行くんかぁ~?」

香帆を抱えている男が尋ねた。

「このまま行った方が早い。向こうから来るかもしれないしな。お前は黙ってそいつを離さず抱えてろ」

どうやらこのまま次の街へ行くらしい。ネイラたちの目的の街も恐らく同じところだろうと推測が出来たので、こちらも都合がいいような悪いような微妙な感じだ。と、しばらく順調に先頭を歩いていた男がいきなりバタン!と倒れた。

激しいコケ方だなと思っていると、香帆を抱えている男の顔面に石か何かが高速で衝突し、その反動で香帆はドンッと地面に落下した。

手を後ろで縛られていたため受け身が取れず、顎と膝を強打し少し擦りむいた。

「カホ!!」

声のする方へ振り返るよりも早く、足を縛っていた紐が切られ

「走れ!」

腕は縛られたままだし、どの方向へればいいかも分からなかったが 前へ走り出す。

「こっち!」

斜め前の木の影から手招きが見えて急いで方向を変える。

 その間、男たちは倒れた男の足に絡み付いた、紐状の物を解こうと二人がかりで紐にナイフを当てたり引っ張ったりしていた。もう一人の男は、飛んでくる石をひたすら叩き落とすことに応戦していた。

 森の中へ手早く入ると、ネイラが無事でよかったと告げ、走りながら器用に手を縛っていた紐を解いてくれた。

「ヤタは大丈夫なの?」

「大丈夫。後から落ち合うことになってるから、それよりゴメンね、本当ごめん…」

「気にしないで、何もなかったんだし、無事に全員で集まれたらそれだけで充分だよ」

ニカッと笑うと、ネイラも笑顔を返してくれた。

それからは口数も減り、なぜか来ない追っ手に不安を抱きつつも、待ち合わせ場所まで必死に走り続け、山の頂上辺りにある一本だけ突き出た木の下へ身を潜めた。

 その後三十分くらいして、ヤタが背後を振り返り警戒しながらひっそりと現れた。かすり傷だらけで顔も強張っていたが、隠れていた二人が顔を出すといつもの笑顔に戻り、三人は抱き合った。

「よかった!全員無事ね!ヤタ、どうやってあいつらを撒いたの?それに二人ともどうしてあそこが分かったの?罠なんか張って…」

「あーそれ、あいつらの目的地はだいたい分かってたから道を先回りして、罠張ったんだよ。猟するときに使ってた頑丈なツルを見つけたから、それであいつらを引っ掻けたんだ。一人絡まったらそいつを助けようとするやつらも、芋づる式に引っ掻かるように細工してね。なかなか解くのにコツがいるツルだから、逃げる時間も稼げるし」

「すごい!さすが猟師!私、売り飛ばされるかと思って、すごく怖かったから来てくれて嬉しかった」

「ヤタってすごいのね、なんでもできるんだもの!」

「そんなことないよ。今回はたまたまうまくいっただけで…」

「でも私が助かったのは、ヤタのお蔭でしょ?」

「そーよ!もっとヤタは自信もっていいと思うの!」

「て言われても…こっから先、上手くいくとは限らないし…」

「そうなんだけどね、でもカホいなかったら捕まってたの私だし、ヤタいなかったらカホはここにいないわけだし…ね?」

「わ、わかったよ!分かったから誉めすぎるの止めてくれ。なんか恥かしい…」

「なあに?顔染めちゃって!かーわい!」

「ヤタかわい~」

「ね、ネイラまで茶化すなよ!それより、そろそろあいつらも動いてると思うから、少し時間を開けて街に入ろう。朝になれば朝市の商人たちに紛れ込めるし」

てことで、三人はそのまま木の根元で野宿することにした。食料はないからその辺の木の実を食べて、水は地理感のあるヤタが離れた小川まで汲みに行った。気温は丁度いいが芝の上に木の根を枕にして寝るのは体が痛かった、だが疲れていた為寝付くのが早く痛みはすぐに眠りの中に解けていった。

 翌朝、三人は目覚めてすぐ行動を開始した。まずはヤタが街へ続く道へ見回りに行き、昨日の人攫い《さら》がいないかを綿密に確認、そして道に商人が行き来し始めると、目ぼしい一団に目をつけて二人を道沿いへ呼び込んだ。

「あそこの一団に声かけるから、二人は俺に話合わせて、いいね」

「うん」

「ええ」

それからヤタを先頭にその一団へ声をかけた。

「すみません。あのう、この先の街へ行かれますか?実は妹の一人が足を挫いてしまって、よかったら荷馬車の隅にでも乗せてもらえないでしょうか?」

妹?いつの間にか香帆たちは妹設定にされていた。どうやら両親に会いに来た兄妹設定らしい。

 声をかけた商人たちは快く話を聞き入れてくれ、事情を聞いたボスっぽい人の奥さんがかわいそうに。と、即後ろの屋寝付きの馬車に乗せてくれた。足を挫いた設定のネイラだけの予定だったが三人とも馬車に乗せてくれた。

「ネイラ、街で帽子目印にまた見つかるかもしれないからこれ、使って」

香帆は手首に巻いていた蝶々の飾りが付いた髪ゴムを二つネイラに渡した。

「これは?」

「髪を纏めるものよ。耳が少しでも見えないようにまとめるものなの。出来る?」

「ちょっと髪いじるの得意でなくて…」

「じゃあ私がやってあげる」

 長く胸まで足らしていたネイラの綺麗な金色の髪を、耳が見えないように、髪ゴムで二つにまとめてツインテールを作り、ネイラは帽子を馬車に乗り合わせていた、小さな女の子にあげた。

「わぁすごい、耳綺麗に隠れてる!これなら風が吹いても平気だわ!カホ上手!あ、そうだ。これ、かわりにあげる。私が作ったブレスレットなの」

緑と藍色そして、赤の紐で編んだブレスレットを自分の手首から外し、香帆に付けてあげた。そんなやり取りをわいわいとしていると、いつの間にか街の入り口に到着した。関所では何も聞かれることもなく、一段の一員としてすんなりと入ることが出来た。

 商人たちが店を出す場所まで一緒に行き、お礼にと足を挫いた設定のネイラ以外は店を出す手伝いをした。別れ際に深くお辞儀をし、お礼を言うと、リンゴと洋梨の様なものをそれぞれ一つずつお土産にとくれた。

三人は人混みに紛れ込みながらはぐれないように港を目指した。と言ってもお金は大して持っていなかったので貨物船に便乗して目的の島まで行く予定で、船乗りと交渉をしなければ港を出ることは出来ない為ほぼ運任せである。

 港がどこにあるかは何度か商売をしに来たことがあるヤタが心得ていたし、ヤタが知り合いの商人たちを訪ね、情報収集と挨拶を交わしていたので、そこから情報を仕入れて人の良さそうな乗せてくれそうな船に目星をつけた。

「かっぷくのいい、豪快に笑う、肌が黒い青色の船の人。って言われたけど大丈夫かなぁ…何だかどこにでもいそうな感がぷんぷんするし…」

「人多くて私酔っちゃいそう…」

「大丈夫?ネイラ無理しないでね。その人、ヤタの知り合いの人はすぐ分かるよって言ってたから、目立つんじゃないかな?それかすごく有名な人とか?」

「んー…まぁとりあえずなんとかするさ!三人で探せばきっと見つかるだろ」

人混みに紛れ込み、もみくちゃにされながら、地元の人しか通らないような路地を抜けて港へ辿り着いた。

その人はすぐに見つかった。というか港へ着くなり大きな笑い声が三人の耳をつらぬいた。距離はまだあるはずなのだが、それでも聞こえるこの声は絶対に本人だ。すぐに分かると言う理由もこれで判明した。笑い声のする方へ三人は足を進めた。

 わりと人でごった返していた為、人の間をはぐれないように掻き分けながら、声のする方へ突き進んだ。

声の主は言われた通りかっぷくのいい、色黒の人だった。

「あのー!!すみません!ドミノさんですか!!」

ヤタは人の喧騒に負けないように叫ぶようにして尋ねた

「あ?おー!オレだがどうしたボウズ、何か用かな?言っとくがオレの船は客船じゃねーから船違いだぞハハハハ」

「いえ、あのー、タヌさんに言われて、僕たちこの先のリングバー島にどうしても行かなくてはいけなくて、ただお金とか何も持ってなくてあのー…」

「要するに無償で乗せてほしいってことかな?」

「何でもします!隅っこでいいんです!倉庫で全然構いません!だからどうか!!」

「まぁタヌの紹介とあっては聞かないわけにはいかねぇからなぁーダチだしなぁガハハハハついでだ!そこの港に用事もあるし乗ってけよハハハハ」

とてつもなく気さくな、ご機嫌よすぎないいおじさんである。助かった。三人は肩を撫で下ろした。

 そして、荷物の積み込みの手伝いを三人で必死にこなし、どうにか乗船することが出来た。

 ようやく街を抜け出したのだ。ネイラの島へまた一歩近付いた。

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