零之弐 世界の成り立ち

「文明崩壊から壱阡八百せんはっぴゃく年」


 眼鏡をかけた桜色の着物の女師匠はそう話を切り出した。


「今でこそ私達の文化は潤い、生活水準は歴史上最高の発展を遂げました。ですが皆さん知っての通り、私達の文明は一度滅亡とも言えるほどまで衰退しました。最近の研究で漸く滅亡時期が発覚しましたが、なぜ滅んでしまったのかはいまだ解き明かされていません。一説では巨大地震による大陸沈没が原因と言われていますが、隕石衝突説も有力とされています」


 寺子屋には二十人ほどの筆子が長机を共有して座っていた。筆を取る子、縁側に視線を向ける子、頬杖をつく子と様々でも、師匠とかもめの声のする以外はしんとしていた。


 寺子屋の授業では基本的に文字の読み書きを主軸に教授している。この時代において最低限必須とされる技術がそれだからだ。この街には寺子屋が三箇所あるが、その全てが同じ往来物を頼りにされている。

 だが、往来物が同じとは言え師匠は異なる。つまり授業内容は師匠次第である。ここの師匠は筆子の熱い要望により別け隔てなく算術や歴史も教えていた。寺子屋で学べることなど往来物をなぞるだけで十分だというのに、ここの師匠がそれ以上のことを教えられるだけの知識を有しているということは驚くべきことだった。隣町にはこの街にはない學校があるというから、そこへ勤めればもっと良い収入を得られそうなものなのにと、狐霊は常々思っていた。


 それはそれとして、歴史の話が出るたびに狐霊は目を輝かせた。この世の過去には魅力が詰まっている。そこには築き上げてきた努力があった。発明があった。文明の輝きと泥臭さがあった。つまり浪漫ろまんである。「浪漫とはちょお楽しくてちょお渋くて魅力的なものを指す言葉である!」と狐霊の中では定義されている。なぜならこの世は謎に溢れているからだ。


 明確な記録が残るのはおおよそ参百年前からで、それ以前はほとんど白紙だ。壱阡八百年前にはもっと陸地があって、世界中に沢山の人が住んでいたという。巨大な大地があったり、知らない動物がたくさん生きていたかもしれない。

 稀にその頃の地層からは腐食した書物が発掘されることもある。残念ながら断片的にしか情報を読み取れないため、その書物が何を書き留めているものかもわからないそうだが。


 筆子の一人が元気よく挙手をした。


「ししょー!どうしてそんなに昔ってわかるんですか?」


 師匠はその質問を嬉しそうに受け止めた。


「世界中の壱阡八百年前の地層から多くの人骨が発掘されているの。そこから、人類は大昔三十億人以上も生きていたことが推定されるわ。今の世界人口が約三千万人。さて、一体何倍の人口でしょうか?」


「えっと、百倍!」


「正解です。掛け算はもう隙きがありませんね」


 彼はあまりにも掛け算が苦手だったため、先日特製の問題集を渡されていた子だ。全問正解すれば特別なご褒美がもらえるからと張り切って臨んでいたが、あの様子なら無事ご褒美に至れたことだろう。


「それでは、ここで想像力を膨らませてみましょうか。たくさんの人が繁栄すると生活のために何が必要になるでしょう?ひとりひとつ、何でもいいので思いついたものを理由と一緒に答えてみてください」


 それからは言ったが勝ちの早当て問答。積極的に腕が伸び、聞き入る間もなく言葉が飛び交った。


「はい!はい!食べ物!食べ物!人が増えたら、食べ物も増やさないと足りなくなっちゃう!」


 次々に答えが挙げられていく。きれいな水、服、住むための家、仕事、お金。答えが被ったりするものの、ひとつ挙げられれば連鎖的に答えが繋がっていく。ひとつの問題を解決するために、いくつもの課題が見つかる。ひと通り答えが出揃うと、師匠はひと区切りして話をまとめた。


「みんなが言ってくれたとおり、人が増えると必要なものももっと増えます。昔の人々はそれらの問題をうまく解決していたとすると、現代より発達した技術力があったと想像することも出来ますね。……あら?そういえば御世語くんの答えを聞いたかしら」


 ふと師匠と目が合う。師匠の記憶違いではなく、たしかに狐霊は回答していなかった。

 狐霊の目が泳ぐ。口をもごもごと動かし、最終的にばつが悪そうに言った。


「……えっと……僕も食べ物くらいしか思いつかないなぁ」


 筆子らの視線の集まる中、散々考えてそれかよと男子たちからからかうような野次が飛ぶ。師匠はわかったわと言ってぱんと両手を鳴らした。ちょうどそれに合わせて、狐霊のお腹も鳴る。授業の終わりの合図だ。


「では、今日のところはこのくらいにしておきましょうか。最近地震が頻発していますから、皆さん気をつけて帰ってくださいね。さようなら」


『はーい、さようなら』


 別れの挨拶をするなり子どもたちは蜘蛛の子を散らすように解散していった。このあとは自由時間となっている。家のために働く子もいれば、広場へ遊びに飛び出す子もいる。師匠はそんな生徒たちの背中が見えなくなるまで山門の前で見送った。

 筆を片していると外張が狐霊の席まで寄ってきて言った。


「なあ、このあと予定はあるか?」


「えっ?夕飯のお使いを済ませたらその後は空いてるけど」


 外張はにやりと笑みを浮かべた。


「じゃあ二度目の時の鐘が鳴ったら蓮葉苑はすばえんに集合な。いいか?二度目だぞ、忘れるなよ」


 そう言うと、外張はそのまま外へ向かっていき、待たせていた妹の三春と手をつないで帰っていった。初めて出会った時とは別人のように元気になったなぁと狐霊は思った。


 外張には両親がいない。参年前に病気で亡くしてしまっている。そのため当時は塞ぎ込みがちでいたが、狐霊と出会ってからは少しずつ変わっていった。

 今は身寄りがないにも関わらず、一人で金を稼いで三春の世話もしている。大変なのに思いやりにあふれた男の子だ。狐霊はそんな外張を心底尊敬しているし、自慢の友人であると思っている。お互いが困っていたら助け合う。そういう約束をした仲でもあった。


 ようやく正座を崩した狐霊は、くぐもった声を上げた。


「……~~~~~っ」


 なぜ見えを張って涼しい顔をしていたのか。告げれば面白がってつつかれるに決まっているからである。痺れるとわかっていても、あぐらでは座高が低くてうまく文字が書けないからどうしようもない。気心知れた仲であるとは言え、いやだからこそ悪戯というものは起こりうるわけで。

 その場でしばらく隣の座布団に顔をうずめてもんどり打っていると、山門の方から戻ってきた師匠と鉢合わせた。


「あら、御世語くんまだ帰ってなかったの?」


「……あし、しびれた」


「それは大変ね」


 くすくすと師匠は笑う。教卓上の教材を取り下げながら、師匠は狐霊に問いかけた。


「さっきの答え、ほんとにあれしか思い浮かばなかった?」


「え?」


「御世語くんのことだから、実は他にも思いついてたんじゃないかと思って」


 狐霊は困ったように笑った。師匠にはかなわないと思った。


「思いついてたけど……にひひ、情報化とか法とか宗教とか武力とか、穏やかじゃないのばかりだったから、言うか迷っちゃった」


 この周辺の民族性によるもので、『場の空気を読む』という慣習がある。同調圧力とも言う。言いたいことを言うだけなら自己満足感は得られるけど、空間的幸福度と反比例するなら言わぬが花。狐霊はそれに隷属したに過ぎない。せっかく盛り上がってる中に無粋な言葉で水を指すのも興ざめな話だと思ったと、それだけだ。


 狐霊は生まれつき聡い子供であったし熱心な読書家でもあった。童子向けの寓話書誌のみならず成人向けの教養書も貪欲な知識欲から見境なく手を出した。それが裏目に出て子供だてらに頭でっかちな人格が形成されたのかもしれない。

 足のしびれが治まったので立ち上がる。何事もなかったかのように帰ろうとするのを、「あ、ちょっと待って」と引き止められた。師匠は優しく諭すように言った。


「御世語くんは立派だね。えらいね、その歳で周りのことをそれだけ考えられるなんて、大人にだってなかなかできることじゃないよ。……ああ、そうだ!」


 足音が近づき、狐霊のすぐ近くで止まった。見ると何やら角張っていて重そうなものを差し出している。分厚い装丁、洋書のような外観。先生が教材に使っていた歴史書の上製本だった。


「こ……これ!」


「御世語くんに差し上げます。答えを四つも挙げられたので、ご褒美です」


 口が半開きになり、思わずそれを反射的に手に取る。子供の小遣いではとても手が出だせない高嶺の花。教養がつくとはいえあくまで歴史書。教師や学者以外が手にしたところで生活の足しにはならない、所詮は娯楽書でもある。

 しかしこれこそは最新の技術のひとつである『写真』が掲載された数少ない書籍。知る人ぞ知る垂涎の一冊だ。

 

 こんなものを受け取るのは流石にまずいと我に返った狐霊はかぶりを振り、本を押し付けるようにして手放した。しかし師匠は「私が持ってるより活用してくれそうだから」と言って譲らなかった。

 狐霊は恐る恐る、はらはらとそれを捲った。見たこともない考古学的な筆録に目が釘付けになった。


「君はね、決して邪なわけじゃあないと思うよ。だって君の歴史に対する思いはとても純粋なものだもの。君は沢山の本を階段にして登っただけ。だから周りの子達よりもずっと高いところに視点を持ってるのよ。そしてそれは君が大きくなったあともきっと役に立つものなの。大事にしてね。その本も、その心も」


 狐霊は師匠の目を見つめたまま、歴史書をぎゅうと胸に抱えた。今更返せと言っても遅いとばかりに、守るように背を丸めた。


「ありがと師匠……。これ、大切にするね」


「そうしてくれると嬉しいわ。あと、これはその本にも書いてあることなんだけどね」


 師匠は口元に人差し指を当てて、内緒話をするように少しだけ声を潜めて言った。


「実は、古代の地層から発見された人骨には争った形跡があるものや、正体不明の鉄の塊も一緒に発掘されているそうよ。もしかしたら古代の人々は地震で滅んでしまうよりも先に、鉄の塊を武器に人間同士の戦で滅んでしまったのかも知れないわね。……本当は授業中に言いたかったけど、子供にはまだ物騒な話だったから辞めちゃった。気を遣うわね、大人って」


 師匠はそう言って苦笑した。狐霊もつられて一緒に笑うのだった。

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