詩集

『居所』

街をゆけば焦がれた。

胸をさす痛みに沈み込むように、私は下を向いて歩く。

他人ひとの子のゆく地の遠鳴、雨の跳ねる。

波紋の広がるそれを、聞かされて、私はひとり街をゆく。

帰らねばならなかった。

誰もいない部屋に。


妻と、まだ見ぬ我が子が姿を消して、もうひと月になる。


けして良い繋がりではなかった。

ひと時の戯れに、互いが求め、できた娘だった。

堕ろせばいい。

そう思っていた。

だが彼女のはにかむ顔が、私を狂わせた。

私は、親になろうと決意した。

正しく愚かな選択だった。


寄る辺なく、遮る傘の持つ手も震え、雨の重さに地に落ちる。

萎れた髪につゆの滴り、心地よく。

人の行き交い、触れる声。

切なく、空いた心に埋まる。


私は大学を辞めた。

もう殆ど行っていなかった。

良い機会、そう思えた。

私は小さな工場で働くことにした。

貧しくとも、笑って生きていけると信じた。


赤子の泣声。

止まる足。焦がれるは胸。瞳は向けず。

街をゆく幸せに、私の夢が重なる。

まだ見ぬ我が子の面影を、知らぬ赤子の声に聴く。


その日、彼女は消えた。

生まれたばかりの娘とともに。

三人のために、用意した慎ましい家。狭い部屋。

真新しい家具と、少し古びた匂い。

そこで孤独に、電話で聞いた。

生まれたその日に、別れてくれと、一言置いて、彼女は消えた。


街をゆけば焦がれる。

帰らねばならない。


義母と義父には隠された。

私がいけないのだと言う。

きっとそれは間違いない。

私はロクデナシ。学も金も、優しさもない。

度胸もない。

これはきっと報いと思えた。

どこかから赤子の声がした。

私はその時、はじめて泣いた。

それまでどんな事でも、泣くことはなかった。

指先が震え、声も出ない。

まどろみの中に、あの日描いた家族を見た。

義姉の子の泣いた声だと、私は気づいていた。

しかしそれでも、情けなく私は泣き続けた。


私に向けて、雨が降る。

寂しい私に打ち付ける。

いつかのはにかむ顔を浮かべて、

私はひとり街をゆく。

まだ見ぬ娘の顔を浮かべて、

私はひとり街をゆく。


街をゆけば焦がれる。

帰らねばならない。

夢の残った孤独の部屋に。

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