剣と魔法と勇者と魔王
@dd55
第1話 序章
夕暮れの城下町はいつも通りの、平和なざわめきに満ちている。
荷車を曳いて家路を急ぐ男たち、店先に積まれた野菜を品定めする女たち、まだ遊び足りずに駆けまわる子供たち。
路地から漂うのは、夕餉のシチューの香りだろうか。大通りには積み荷を満載した隊商の荷馬車が進む。巡回する警備兵のブーツが石畳を打ち、硬質な音を響かせる。そろそろ二人組みの点灯夫がやってきて、街燈の油に火を灯してまわる頃だろう。
そんな暮れなずむ街の片隅。港から噴水広場に続く道を、一人の若者が歩いていた。背を丸め、足を投げ出すように歩く姿は、どこかふてくされているようにも見える。
やがて若者は一軒のパブの前で立ち止まった。それからポケットをまさぐり、取り出した手のひらの上の銅貨を数えて小さくため息をつく。
「仕事終わりの一杯も飲めないよ、これじゃ」
恨めしそうにパブの看板を見上げ、斜向かいの惣菜屋へ足を進める。
「あらタンゴ、おつかれさん。今日もフィッシュサンドでいいかい?」
恰幅の良い女将が若者に気づいて声をかける。満面の笑顔は営業用ではなく、若者への正直な親しみを表しているようにみえた。
「良かないけどしょうがねぇよ。貧乏なんだから」
若者も慣れた調子で返す。女将は言葉に込められた不満を笑顔で聞き流し、揚げた白身魚をトングで掴んで丸いパンに挟み、たっぷりのビネガーをかけた。
「未来ある若者こき使って1日たった20シリングだよ。鬼だよ、あいつ鬼。誰か討伐してくんないかな」
「まあ仕事があるだけいいじゃないか。グレンさんだって悪気があるわけじゃあるまいしね。はいよフィッシュサンド」
女将は港湾組合の長をさりげなく庇って笑うと、紙袋を差し出した。タンゴと呼ばれた若者は肩をすくめ、2枚の銅貨を手渡して包みを受け取る。
「ん?」
手にした袋を見つめ少し首をかしげると、女将に目顔で問う。
「未来ある若者が餓死したら大変だからね。ちょっぴりおまけしておいたよ」
「ありがとう。さすがはハイランドの聖母だ」
そう言ってタンゴは切れ長の目を糸のように細めて笑った。見ている側もつられてしまうような、屈託のない笑顔だった。
「がんばるんだよ」という女将の声に背中で手を振って再び歩き始めるタンゴ。
路上にあふれる人々のなかには顔見知りも多いのだろう。薄い紫色のベールで顔を覆った道端の占い師と会釈を交わす。以前に酔った勢いで占ってもらったことを思い出すタンゴ。占いの結果は、当たり障りのないことだけ。厳かな声で言う「明日は明日の風が吹く」なんて占い師らしからぬ言葉に当時は苦笑を浮かべたが、毎日ここに座っていることをみると、それなりに客は付いているのだろう。
金物屋の店先では、顔なじみのおやじが声を張り上げている。「閉店セール」なんて怒鳴っているものの、これは毎日のお約束。ただその日の閉店時間前という詐欺みたいなものだが、旅行者などは「セール」の言葉につられて買っていくようだ。
同僚の水夫に挨拶し、声をかける子供たちに手を振り、広場への道を進む。夕日に照らされて長く伸びた影が、乾いた石畳の上で揺れている。
タンゴが広場に差し掛かると、噴水前に詰めかけた人だかりが目に入った。噴水を飾る大理石製の古代神像が、夕日を受けて美しいオレンジ色に染まっている。だが、詰めかけた民衆の目当てはその幻想的な光景ではなく、噴水前に掲げられた立て札のようだ。
タンゴも興味を惹かれて背伸びして眺める。幾重にも取り巻く人々に阻まれて文字までは読めず、人をかき分けて前に進もうにも密度が高すぎてうまく進めない。ムキになって肩から無理矢理突っ込もうとしたとき、突然後ろから肩を掴まれた。
「よぉタンゴ、いま帰りか?」
振り向くと鎧に身を包んだ男が立っていた。白銀に輝くプレートメイルは、誇り高き近衛騎士団の象徴だ。平時のため手甲や盾は外されているが、それを差し引いても堂々たる姿にみえる。騎士は金色の髪をさらりとかきあげると、ニコリと笑う。すかした仕草だが、それが嫌味に見えないほど、その姿は洗練されていた。
「ああ、クタクタだよ。そっちは巡回?」
「いや、アレの警備」
騎士は顎で立て札の方向を示す。
「ちょうどよかった。何の騒ぎだよアレ?」
「我らが王のお触れ……というか戯れというか」
「内容は?」
「まあ、見てみな」
そう言うと騎士はタンゴの先に立ち、人並みをかき分けて進む。目立つ金色の髪と銀色の鎧、そして長身。騎士は武人特有の無駄のない身のこなしで、すんなりと立て札の前まで辿り着き、体を開いてタンゴに前を譲る。
『復活を目論む魔王を討伐せんとする勇なる者を求む。委細面談。支給品有り〼』
書かれた文字を丁寧にニ度読みなおして、タンゴは眉根を寄せた。パブの求人募集のような怪しい文言はともかく、その内容はどういうことだ? そんな疑問を隣に立つ騎士に率直に尋ねる。
「なにこれ?」
「だよな。俺もどうかと思うよ」
「騎士団の追加徴兵ってこと?」
「いや、別枠。個人が対象みたいだね」
二人はいまだごった返す立て札の前を離れ、噴水広場の隅に移動した。そこでタンゴは引き続き疑問をぶつける。
「なんでわざわざ募集なの?」
「まあ、いろいろあるんだろうね、思惑が」
「魔王討伐なんて大任を?」
魔王の脅威というのは、なにも戯言ではない。予言による「魔王復活」が目の前まで迫っているというのは、この国の民なら誰もが知るほどの常識だ。
予言自体は難解な散文詩として書かれているため、時期まで明確なわけではない。要約すると「赤い星と白い星が重なる頃、異界の門が開き、この星に害を成す災厄の王が来ちゃうかもよ」という曖昧なものなのだが、確かに空には赤と白の星があり、近年それが近づきつつあるというのだ。
研究者によれば千年ほど前にもこの魔王が降り立ち、いくつもの国が滅ぶほど壊滅的な被害があったらしい。
ただし魔王自体がいったいどんな姿なのかは、誰にもわからない。伝記のなかではときに醜悪な獣として、ときに目を奪うほどの美女として、ときに疫病や災厄そのものといった姿形のない概念として描かれている魔王。だがどんな姿であれ、人間にとって歓迎するべきものでないことは確かなようだ。
事実、ここ数年は火山の噴火や氷河の融解をはじめとした異常気象、魔物の活発化が次々と報告されている。隊商や旅人が襲われる事件も後を絶たない。
人々は少しずつやってくる不穏な空気から目を逸らしながら、まるでカラ元気のように変わらぬ毎日を過ごしているのだ。
そんな事情があるから、国が魔王討伐に本腰を入れるというのは不思議ではない。だが、自慢の騎士団でもお抱えの冒険者でもなく、一般人から募集をするというのはどういうことなのだろう。
そんな疑問をぶつけると、騎士は周囲を見回して声をひそめる。
「実際は教会の圧力みたいだね。予言派の」
「伝説の勇者が世界を救う、ってやつ?」
「そう。それで一応そういう人探しましたよ、っていうポーズというか。騎士団側でもちゃんと人員を選定して対処するはずだよ」
そう、先の予言には続きがある。いわく「勇なる者が使徒を引き連れて、災厄の王に立ち向かうであろう」といった具合。
なるほど、とタンゴは頷く。曖昧な伝説にすがるより、国の強者を選りすぐった騎士団で立ち向かう方がよっぽど現実的ではある。しかしこの国で教会が一定の権力を握っているのも事実。一部の予言派を抑えるために伝説の勇者を探す振りをしつつ、実際の魔王討伐は騎士団が担う、という形だけの募集なのだろう。応募者はまるで道化だが、政治的な意味合いがあるなら仕方ない部分もある。
だがそんなポーズのために支給品をばら撒くとは、なかなか気前が良い話だ。どんなものかはわからないが、国からの支給であれば、それなりの路銀などが配られるのだろう。タンゴはいまだごった返す噴水前を眺め、不敵な笑いを浮かべる。
その時王宮の方からひとりの兵士が走ってきた。
「隊長! トレド隊長!」
タンゴの怪しい笑いにツッコミを入れようとしていた騎士が兵士に気づく。二人の前にやってきた兵士は、一度騎士に向かって敬礼すると話しはじめた。
「王様が、もういいって、言ってるっス」
息を切らせながら話す兵士。
「どうしたの?」
「王様から、伝言、す」
「ゆっくりでいいから、順を追って話して」
「はっ。あの、王様が」
「王様が?」
「希望者いっぱい来すぎて面倒だから、立て札引っこ抜いて噴水にぶち込んどけ、と」
「マジでか!」
思わず声を上げると兵士はタンゴに気付き会釈する。
「あ、どうもス、タンゴさん」
「はいどうも。なに? 募集終わりなの?」
「え? タンゴさん行きたいんですか?」
「おうよ、国のためだ」
「なに!タンゴお前行く気なのか?」
「おうよ、国のためだ」
騎士と兵士は疑わしそうな目でタンゴを見つめている。
「お前が魔王討伐? 支給品目当てじゃないのか?」
遠慮のないトレド隊長。二人の仲の良さを窺わせる、からかうような口調だ。
「世界の一大事のためだ。覚悟しろ、魔王」
棒読みで宣戦布告をするタンゴに、ますます疑惑の目を向ける二人。
「お前なぁ。騎士団から一ヶ月で逃げ出した奴が魔王なんか倒せるわけないだろ?」
「逃げてないですー。休養ですー」
「休養って腰痛だろ? 腰痛持ちの勇者なんて聞いたことないよ、俺は」
「自分もないっス」
「うるせぇ! 腰は快方に向かってるんだよ」
「……お前、本当か?」
「おおよ、最近は痛みも減ってきてるぜ。おいベクター、状況はどんな感じだ?」
「いま玉座の間にすごい行列ができてて。王様が癇癪起こしてるっス」
「よし、いま並べばドサクサに紛れられるだろう! 行くぜ!」
そういうとタンゴは王宮に向けて走りだす。「待ってろよ支給品」という正直な叫びを聞いて、兵士ベクターは苦笑いを浮かべる。
トレド隊長の顔には夕日が影を落とし、その表情を窺うことはできない。
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