第210話 イナベの交渉

 シジマが拠点の自室で休憩を取っている。

 その表情には疲労が色濃く残っていた。

 最近の激務によるものだ。


 スラム街の二大徒党が壊滅したことで発生した空白地の縄張り争いは、残りの徒党間の調整で一応目立った抗争もなく終結した。

 その調整でシェリルはエゾントファミリーの縄張りの半分を得た。

 そしてその全てをシジマ達に管理を委託する形で貸し出した。

 管理代は縄張りが生み出す利益の半分だ。


 つまりシェリル達は縄張りの管理もせずに利益の5割も持っていくことになる。

 この強欲とも思える取引は、他の者達がそれだけアキラとヴィオラを、その2人を後ろ盾にしているシェリルを恐れていることを意味していた。


 シジマ達が経費等をごまかして本来の取り分より多めに懐に入れることも可能ではある。

 実際にやっている。

 ただし露見した場合にシェリル達がどの程度の報復処置を行うかは未知数なので、各自黙認の基準を勝手に決めて恐る恐るやっていた。


 なお管理の統括はシジマの徒党が請け負い、他の徒党はその下に付く形になっていた。

 徒党間の利害調整はシジマの仕事だ。

 エゾントファミリーの縄張りだけあって広く、利益も大きく、徒党間のめ事も比例して大きくなり、シジマはその調整に苦労していた。

 その分だけ実権も得てシジマの徒党の勢力も拡大したが、その分だけシジマの仕事も増えていた。


 部下が部屋に入ってくる。


「ボス。

 ちょっと良いか?」


「休憩中だ。

 急ぎでもねえ下らねえ用件なら後にしろ。

 別の徒党のチンピラ同士が女を取り合って殺し合った程度の話なら、まずはその徒党間で話を付けさせろ。

 一々俺にまで話を持ってくるな」


「いや、シェリルのところでちょっと動きがあった。

 念のため、一応内容を頭に入れてくれ」


 部下の報告を聞いたシジマが表情を険しくしていく。

 都市の幹部と思われる人物が態々わざわざスラム街までやって来てシェリルに会いに来ているという、安易には信じられず、事実ならばかなり重要な話だった。


「……それ、本当か?」


「少なくとも都市の社ひょう付きの車がシェリルの拠点に入っていったことと、高い服を着た男が大層な護衛付きで降りてきたことまでは事実だ。

 シェリルのところに送った連中からの情報だからな。

 そこまでは間違いない」


「……シェリルのところの遺物屋は都市の幹部の息が掛かっている。

 シェリル達は幹部の裏金作りに協力する見返りに、都市から武力を引き出しているってうわさは聞いた。

 ヴィオラが流した語弊混じりのうわさだと思っていたが、事実なのか?」


 シジマが悩ましい表情で軽く頭を抱える。

 上手うまく利用できれば大きな利益を見込めるが、下手に触れば自分達が消し飛びかねない爆弾でもある。

 慎重な扱いが必要だ。


「他の徒党にも同じ情報を流せ。

 この件に関する会議を要求してきたら、日時を調整中とだけ答えておけ。

 開くとしても、俺が先にシェリルから事情を聞いてからだ」


「了解」


 部下が退出した後、シジマが複雑な表情でつぶやく。


「……全く、ちょっと前までガキども集めて弱小徒党をやってただけのやつが、また急に随分と成り上がったもんだな」


 次の騒ぎとその調整に掛かる労力を想像して、シジマは大きくめ息を吐いた。




 シェリルの自室でアキラとイナベが向かい合って座っている。

 イナベの背後にはこれから遺跡奥部にでも向かうような重装の護衛が数名控えている。

 アキラも強化服を着用しSSB複合銃を身に着けてしっかり武装している。

 刀だけは刀身の長さの所為せいで座る邪魔になるので外していた。


 シェリルは場に残るべきかどうか迷っていたのだが、イナベの要望で席を外すことになった。

 アキラ達にコーヒーと茶請けを出した後、一礼して退出していく。


 イナベが話を始める。


「本題に入る前にちょっと聞いておこう。

 こう言っては何だが、こんな場所での交渉を希望したのは君だ。

 態々わざわざここを選んだ理由があるなら聞いても良いかな?」


「遺跡奥部とかの方が良かったのなら今から移動しても良いけど」


「いや、そこまで後ろ暗い話をする気はない。

 ああ、気を使わせてしまったかな?」


「慣れた場所の方が話しやすい。

 それだけだ」


「そうか」


 軽い沈黙を挟んで腹の探り合いを済ませる。

 アキラは軽い疑念を覚える程度だったが、イナベは少々深読みしていた。


 当初はクガマビル上階のレストランで交渉を行う予定だった。

 しかしアキラの希望でシェリルの拠点に変更になった。


 これは都市の幹部のような権力者がハンターオフィスを介さずにハンターとの交渉を希望したことにアキラが警戒心を抱いたことと、以前にキバヤシから忠告された内容、ハンターを慣れない高級店におびき寄せて不利な契約を結ばせる手法への対処だ。

 場所をシェリルの拠点にしたのは、これがシェリルの伝だったから、という程度の理由で、アキラに交渉の場に相応ふさわしい場所を設定する能力が欠けているだけだった。


 イナベがそのアキラの言動から推察する。

 あの遺跡奥部での取引で、裏にいたのが自分だとアキラも知っているのか。

 シェリルの徒党は実際にはアキラの徒党であり、交渉の場を自分の縄張りにして交渉を優位に進めようとしているのか。

 都市の幹部を自身の徒党の拠点に呼び寄せて、他の徒党に都市が後ろ盾だと臭わせて、徒党の勢力拡大を狙っているのか。

 ヴィオラが仮設基地に来てから始まった一連の出来事に、アキラはどこまで関わっているのか。


 それらから推察すると、アキラはハンター稼業以外の面からも金と力を求める野心にあふれたハンターである可能性も出てくる。

 スラム街の徒党などを後ろ暗い活動の隠れみのにするハンターも多いのだ。

 否定する材料も多々あるが、注意する必要は十分にある。

 イナベはそう結論付けた。


「本題に入る前に、一応言っておこう。

 遺跡の奥部で密談しなければならないほど後ろ暗い話ではないが、一応都市の機密に属する話ではある。

 真っ当なハンターとしての守秘義務は守ってもらう。

 違反した場合は相応の代償を覚悟してもらう。

 構わないな?」


「分かった」


「では、本題に入ろう」


 イナベはクズスハラ街遺跡奥部の大規模な遺跡探索を計画している。

 多数のハンターに加えて最近配備が決まった人型兵器まで多数投入する大掛かりなものだ。

 当然ながら桁違いの費用が掛かり、失敗すれば失脚しかねない。

 それでもイナベはこの計画に賭けており、そのための人員確保に奔走していた。


 その話を聞いたアキラが難色を示す。


「……知っているかもしれないけど、俺は最近クズスハラ街遺跡で死にかけたり死にかけたり死にかけたりしてるんだ。

 正直、気が進まない」


「ハンター稼業に危険は付き物だろう。

 それに脅威の大半は人型兵器で対応する。

 ハンターには大まかな排除が終わってからじっくり遺物収集に精を出してもらうつもりだ。

 心配ない。

 防衛隊への配備も検討されている強力な機体が多数随伴するのだ。

 君もよく知っているあの機体の同系機だよ。

 あの機体の性能は君もよく分かっているだろう。

 しかもあの騒ぎの時のような近接装備のみなどという試験目的の武装などではない。

 しっかりと実戦用に武装している。

 戦力に不足はない」


「……そう言われてもな」


 それでも渋るアキラに、イナベが意味ありげに続ける。


「君は、キバヤシという職員と取引して強力な装備の調達を頼んでいるそうだな?

 私はそこにいろいろ関われる立場にいる」


 アキラが表情を変える。


「どういう意味だ?」


 その表情に、視線に、声に、敵対者へ向ける意思がにじみ出ていた。

 イナベの護衛達もそれに応じた動きを見せる。

 場に緊迫した空気が流れ始める。


 イナベは表向き余裕の態度を取りながら内心で少したじろいでいた。

 都市幹部の護衛は実力も装備もそれ相応に高い。

 相手もそれぐらい理解して変な真似まねは慎むだろうと考えていたのだが、アキラの態度からはこの場での戦闘も辞さない空気が流れ出ていた。


 下手な脅しは逆効果で危険すぎる。

 イナベがそう察して交渉の方向性を切り替える。


「勘違いしないでくれ。

 私の頼みを断るのなら、君の装備調達を邪魔してやる、などと言うつもりは毛頭ない。

 むしろ逆だ。

 大いに協力できる。

 そういう意味だよ」


 アキラの気配が徐々に緩み通常の状態に戻っていく。

 イナベが内心で冷や汗をきながら続ける。


「通常の手段では手に入らない強力な装備を求めているのだろう?

 それこそあの報酬の大半をぎ込むほどにだ。

 キバヤシは一介の職員にしては意外な伝の持ち主で、君の期待にもある程度応えるだろうが、それでもやはりただの職員には限度がある。

 だが私は違う。

 強力な伝を提供できる。

 君も知っているあの黒い機体を入手することさえ不可能ではない。

 君が私の頼みを受け入れて遺跡探索で成果を出してくれれば、私も君に大いに協力しようじゃないか。

 どうかな?」


「いや、別に人型兵器が欲しい訳じゃないんだけど」


「私はそれぐらい強力な装備を入手可能な伝を提供できる。

 そういうことだよ。

 強力な装備ほど単純に金を積めば手に入るものではなくなる。

 ハンターランクも重要になってくる。

 低ランクのハンターには高性能な装備の販売に制限を掛けている企業も多い。

 君はその制限を突破するために、分不相応に強力な装備を得るために、キバヤシと取引したのだろう?」


「……まあ、そうだけど」


「それなら何を迷う必要がある。

 私が言うのも何だが、これは遺跡探索としても又とないチャンスだ。

 先に言っておくが、当日は調査区域周辺を封鎖する。

 無関係なハンターに遺物を持っていかれる訳にはいかないからな。

 遺跡探索に参加するだけでも大変で、本来はハンター間でその権利を奪い合うんだ。

 実際にハンター系の徒党やハンターの代理人達が裏で激しい交渉の真っ最中だ。

 その争奪戦を経ずに参加できるんだ。

 迷う必要がどこにある」


 アキラも確かに随分と好条件だと思った。

 だがそれで逆にいぶかしむ。


「話が上手うますぎる気がするんだが、俺をそこまで優遇する理由は?」


 イナベが僅かに間を置いてから、白状するかのように軽く笑う。


「まあ、詳しい選考基準は話せないが、君はこちらが求める基準を超えたから、と答えておこう。

 例えばハンターランクだ。

 実はクズスハラ街遺跡の後方連絡線延長が一時中断中でね。

 その間に他の幹部達も大規模な遺跡探索を計画しているのだよ。

 そのために優秀なハンターの確保に躍起になっている。

 大体だがランク40以上のハンターはこちらが参加してもらう権利を奪い合うがわだ。

 だから君をこうやって労を惜しまずに勧誘している。

 既に多くのランク40超えハンターから快い返事を受け取っているが、優秀なハンターは1人でも多い方が良いのでね」


 アキラはイナベの話に納得しながらも、一応確認を取る。


『アルファ』


うそを吐いている気配はないわね。

 いろいろ隠し事もあるようだけれど』


『企業の利害の裏を全部話すほど相手も善人じゃないか』


『そういうことよ』


 アキラが念のため、真面目な表情でイナベに問う。


「気を悪くしたらすまないが、答えてくれ。

 俺に不利益を与えるつもりは、ないんだよな?」


「何を言い出すかと思えば、そうやって疑ってばかりでは交渉というものは……」


 イナベがアキラの非常に真剣な態度に言葉を止める。

 そして自身も真面目な表情で答える。


「ない」


『アルファ』


うそは言ってないわ』


 アキラが軽く息を吐く。


「分かった。

 引き受ける。

 変な念押しをして悪かった。

 態々わざわざ念押しした理由は、知人にヴィオラってやつがいることから察してくれると助かる」


 イナベが苦笑をこぼす。


「その理由なら納得だ。

 君も彼女には手を焼いているようだな?」


「まあな」


 アキラも苦笑する。

 分かる者には分かる妙な共感が場を和ませていた。




 イナベはアキラとの取引を済ませて、名目上の来訪理由である遺物店の視察も終えると、シェリルと最近の出来事の雑談などを済ませてから拠点を後にした。

 今は車で都市の下位区画を進んでいる。


 イナベが拠点での出来事を思い出して軽く不敵に笑う。


(アキラ。

 シェリル。

 ヴィオラ。

 随分ととがった人間が集まったものだ。

 そんな連中が徒党を作って何をするつもりなんだか。

 アキラが強力な装備を求める理由もそこにあるのかもしれんな。

 まあ、何でも良い。

 私の利益になる内は懇意にさせてもらおう)


 部下から車内通信で連絡が来る。


「イナベ様。

 ドランカムの件ですが、やはり例のハンターは調子が著しく悪く、ドランカム側としては参加を見合わせたいと向こうの交渉役が告げてきました。

 例のハンターとの面会も難しいとのことです」


「構わん。

 予定通り会いに行くと伝えろ。

 今からそっちに向かう。

 渋るようなら軽く脅せ。

 それでも渋るようなら交渉役との通信をこっちに回せ。

 俺が直接話す」


かしこまりました」


 しばらく間が空いた後、再び部下から連絡が来る。


「イナベ様。

 今から向こうの交渉役とつなげます。

 よろしいでしょうか?」


 イナベが苦笑をこぼす。


(ドランカムが都市幹部からの要望を断るのか。

 期待の新鋭とはいえ、ただの若手ハンターに随分と甘い対応だな。

 これもヤナギサワに目を掛けられた恩恵ということかね。

 ……気に入らん)


 ヤナギサワへの対抗意識がイナベの表情を僅かに厳しいものへ変える。


(まあいい。

 それだけの実力を持つハンターだと判断して、今回はその恩恵も含めて利用させてもらおう)


 イナベが表情を交渉用に戻す。


つなげろ」


「……ミズハで御座います。

 イナベ様。

 このたびの申し出、誠に有り難く思っております。

 しかしながら……」


 ミズハの長々とした謝罪の言葉に、イナベが和やかな口調で割り込む。


「まあ聞け。

 そっちのカツヤ君、だったかな?

 理由は分からないが、ハンター稼業にも出られないほど大変な状態だと聞く。

 チームリーダーがそれではチームとしても動きもままならないだろう。

 その状態が続くとヤナギサワからの評価も下がるだろう。

 本当に大変だな」


「はい。

 それでですね……」


「実はその解決方法に少々心当たりがある」


「こ、心当たりとは!?」


 イナベがミズハの少し大袈裟おおげさにも思える反応に笑みを深める。


「悪いことは言わない。

 私と面会させると良い。

 彼は調子を取り戻し、私の機嫌も損ねずに済む。

 今そちらに向かっている最中だ。

 すぐに面会の準備をすると良い。

 ではまた」


 イナベは返事も聞かずに通話を切った。

 聞く必要などなかった。




 カツヤが自室で項垂うなだれている。

 シェリルと別れた後にどうやって戻ってきたか記憶になく、ここ数日の記憶もおぼろげで大分怪しい。

 近くには食べかけの料理が置かれており食欲の無さがうかがえる。

 部屋は明るいが、照明をけたのはカツヤを心配して様子を見にきたユミナ達などで、放置していれば薄暗い部屋の中で一日中項垂うなだれているのは間違いなかった。


 シェリルとの衝撃的な別れは、いまだカツヤの心から抜けていなかった。


 ユミナ達が心配そうな様子で部屋に入ってくる。

 そしてイナベの来訪を告げるが、カツヤの反応は視線を僅かに動かした程度だった。

 ユミナ達は仕方なくカツヤの両腕を左右から自分達の肩に乗せて、カツヤを少々強引に部屋から連れ出した。

 カツヤも抵抗はしなかった。




 ドランカムの応接間でイナベがカツヤと向かい合って座っている。

 カツヤの周りには多数の若手ハンター達が集まっておりミズハまで近くにいる。

 その顔は一様にどことなく暗い。


 イナベはカツヤ達の周りにいる者達にどことなく薄気味悪いものを覚えていた。


(精神的主柱にしている者の落ち込み具合に引きられているのか?

 この手の集団はリーダーの状態に全体の意気や動きが大きく左右される。

 こいつら全員カツヤのチームだろう。

 なるほど。

 この状態ではハンター稼業は無理だな)


 イナベがミズハに視線を向ける。


「彼以外の者には席を外してもらおう」


「いえ、彼がこんな状態ですので私達も……」


「駄目だ。

 都市の利害に絡む事柄や彼のプライベートな部分の話も多いのでね。

 同席者は少ない方が良い。

 部外者には退出願う」


 それでも渋る様子を見せるミズハ達を見て、イナベが軽くめ息を吐いてから威圧するように視線を強める。


「席を外せ」


 ミズハはそれで仕方なく皆と一緒に退出した。

 最後にユミナがイナベにすがるような様子で頭を下げてからドアを閉めた。


(ドランカムの幹部が都市の幹部に対してあの態度とは。

 彼を随分と甘やかしているようだな。

 ヤナギサワの影響力にしては度が過ぎている。

 入れ込みすぎだろう。

 ドランカム全体で彼に賭けているのか?

 分からん)


 イナベは取りあえず疑問を棚上げして気を切り替える。

 そしてカツヤとの交渉に臨むために、まずはカツヤにわらって声を掛ける。


「さて、私の言葉をちゃんと聞いているかどうか分からないが、本題に入る前に軽く話題を振ろう。

 聞いたぞ?

 シェリルに派手に振られたそうだな。

 大変だな」


 気遣うどころか全力で嘲るイナベの態度に、カツヤの中に強い苛立いらだちと憤りが湧き起こる。

 それが気力となり、今までろくに反応を示していなかったカツヤが顔を上げ、にらみ付けるような視線をイナベに向けた。


「……じゃあ何の用だよ。

 お前はシェリルの友人でもなければ、一介のハンターなんかに用は無いんだろう?」


「その通りだ。

 だから、君には用がある」


 カツヤが軽い困惑を見せる。

 イナベは笑顔の質を嘲りから友人へ向けるものへ意図的に切り替えた。


「ど、どういう意味だよ」


「シェリルも企業家として、組織の長として、苦渋の決断をしなければならない時もある。

 そういうことだ」


 何か訳があってほしい。

 何かの間違いであってほしい。

 無意識にそう願っていたカツヤにとって、イナベの言葉は十分すぎる希望となった。


「ちゃんと、ちゃんと説明してくれ」


「それならば、いつまでも項垂うなだれていないでしっかりと身を起こし、姿勢を正したまえ。

 交渉相手への態度ではないぞ?」


 カツヤが慌てて姿勢を正す。

 その様子を見て、イナベは交渉の勝ちを確信した。


「少々不躾ぶしつけな話から入るが、シェリルは借金を抱えている。

 融資と言い換えても良いが、まあ、本質は変わらない」


「借金……」


 カツヤは借金という単語から負債を盾にしてシェリルに言い寄るアキラの姿を想像して、自分が肩代わりすれば何とかなるのではないかと想像を進めた。


「それって、幾ら何だ?」


「正確な額は私にも分からない。

 だが非常に大まかな額なら分かる。

 逆に尋ねよう。

 幾らぐらいだと思う?」


 シェリルが自分を振るほどの金額、苦渋の決断を強いられるほどの大金だと考えて、カツヤが少し悩んだ上で試算する。


「3000万……、いや、5000万オーラムぐらいか?」


 大金だが今の自分なら何とかなるかもしれない。

 カツヤはそう思いながら口に出した。

 だがイナベが首を横に振る。


「残念だが、桁が違う」


「桁が違うって、500万とかじゃないだろうし、5億、なのか?」


「最低でも50億、あるいは100億、場合によってはそれ以上だ」


 カツヤが余りの額に絶句する。

 そして思わず声を荒らげる。


「う、うそだろ!?

 幾ら何でもそんな……」


「立食会に参加できるほどの者が抱える負債だぞ?

 3000万?

 5000万? そんなはした金の訳がないだろう。

 君はあの立食会の価値を全く分かっていなかったようだな。

 あそこは単位の最小基準が億の商談が平然と飛び交う場所だ。

 まあ、彼女の借金か、彼女の会社の負債か、という違いはあるだろうがね」


 カツヤは半ば呆然ぼうぜんとしながら話を聞いていた。


「大規模な企業ほど破綻時の負債も大きくなる。

 そして借金、投資や負債と表現しても良いが、巨額の負債を抱えるのにも才能が必要だ。

 何しろ貸すがわは利子付きで返ってくることを期待して貸す訳だからな。

 彼女にはそれだけの才が有った。

 そして残念ながら失敗した。

 そんなところだろう」


 自分ではどうしようもない領域の話に、カツヤは思わず表情を険しくしていた。


「それでも彼女の才に疑いはない。

 彼女は僅かな資金を元手に再起を試みているのだろう。

 そして再び立食会に参加できるほどになったのだろう。

 そんな彼女だが、今は遺物売買で稼いでいる。

 一度破綻した者の再起手段としては東部ではありふれたものだ。

 このまま順当に成功を続ければ、いずれ彼女なら巨額の負債も返済できるだろう。

 私もそう思っている。

 だから遺物の卸元にもなっている。

 立食会で私が彼女と商談をしていただろう。

 それがそうだ」


 カツヤはシェリルの苦難を想像して驚きながら、助けになれない自分に悔しい思いを抱いていた。


「シェリルは遺物売買のためにも遺物の仕入れが必要だ。

 そのためにも優秀なハンターとの付き合いが不可欠だ。

 そして運良くアキラというハンターとの伝を得た。

 ……さて、自分だってすごく優秀なハンターのはずなのにどうして、と思ったかね?」


「……思った」


「君は確かに非常に優秀なハンターだ。

 ハンターランクも十分に高い。

 私も君の成果を資料で確認した。

 実に素晴らしい内容だった。

 だが、残念ながら君はシェリルが求めるハンターではない。

 なぜなら君は優秀なモンスターハンターだからだ。

 君の成果は基本的にモンスター討伐や都市間輸送の警備などであり、残念ながら遺物収集は凡庸と言わざるを得ない。

 だがアキラは違う。

 彼は遺物収集でも大きな成果を残している。

 トレジャーハンターとしても有能だ」


「そ、それなら俺だって、前に旧世界製の情報端末を見付けたり……」


「一度だけ、偶然に、だろう?

 長期的な成果は期待できない。

 違うかな?」


 カツヤは答えられずに黙ってしまう。


「それにだ。

 それが偶然ではなく君の才能だったとしても、シェリルにとっては大して違いは無いのだ。

 君はドランカム所属のハンターだ。

 遺物の売却先を決めるのはドランカムであり、君ではない。

 君の機嫌を取ってもシェリルに遺物は渡ってこない。

 シェリルがドランカムと交渉しても無駄だ。

 ドランカムは所属ハンターの装備充実のために多額の投資を受けている。

 当然、所属ハンターが見付けた遺物はそちらに優先的に提供される。

 シェリルに遺物が回ってくることはない。

 そしてアキラは珍しく個人で動くハンターだ。

 彼に取り入って寵愛ちょうあいを受ければ、相応の遺物を期待できる」


 カツヤがいろいろ想像して顔をゆがめる。


「……そいつ、そんなにすごい遺物を持ち帰ってくるのか?

 シェリルがあんな真似まねをするほどに?」


「私にも立場がある。

 だから口外してもらっては困る。

 分かったな?

 アキラは最近、旧世界製の自動人形を持ち帰ったらしい。

 まあそれは同行した他のハンター達との報酬分配もあって、シェリルには渡らなかったらしいがね。

 かなりの規模の企業が入手を競って躍起になっていると聞く。

 それがシェリルの手に渡って入ればどれほどの利益を生み出していたことか。

 次を期待しても不思議はない。

 アキラにもっと気に入られれば、それだけ自分に回ってくる可能性も高くなる。

 そう判断しているだろうし、そのための労力も惜しまないはずだ」


 カツヤが更にいろいろ想像してひどく顔をゆがめる。


「シェリルは君達が敵対していたとは知らなかった。

 そして君達の態度からそれを知った。

 二択を強いられた彼女は、企業家として、組織の長として、アキラを選ぶしかなかった。

 そこに私情を挟む余地などなかった。

 苦渋の決断だった。

 まあ、想像だ。

 私は彼女ではないので本心は分からない。

 しかしまあ、立食会での君とシェリルの様子から推察は出来る。

 そういうことだ」


 シェリルの言動には何らかの理由があったはず。

 カツヤはそう期待して、確かにその期待はかなえられた。

 だがその先にあったものは、自分には事態を改善する術がないという更に悪い結果だけだった。


「……俺には、どうしようもないのか」


 悔しそうに表情をゆがませながら再び項垂うなだれていくカツヤに、イナベが希望を与えるように続ける。


「実は私はクズスハラ街遺跡奥部の大規模な遺跡探索を計画していて、そのために非常に有能なハンターを多数募集している。

 該当区域の安全確保のために、モンスター討伐に特化したハンターも多数雇う予定だ。

 成功すれば大量の遺物が手に入るだろう。

 当然だが、私はそれらの遺物の卸先を決める権限を持っている。

 普通は都市と取引のある企業に優先的に流すのだが、君がその遺跡探索で十分な成果を出したのなら、私の一存でシェリルに遺物を流そうじゃないか。

 勿論もちろん、君のおかげだと私からシェリルにしっかり伝えよう。

 シェリルがアキラの他に遺物の大きな入手元を手に入れれば、相対的にアキラの利用価値も下がる。

 苦渋の決断を強いられることも無くなるだろう。

 二択の結果も変わるかもしれない。

 どうかな?」


 イナベはそう言って親しげに笑いかけた。

 そしてカツヤの豹変ひょうへんに驚いて僅かにたじろいだ。

 カツヤは覇気をみなぎらせて力強い表情を浮かべていた。

 そして真剣な態度でイナベに頭を下げる。


「頼む。

 俺をそれに参加させてくれ」


「あ、ああ。

 勿論もちろんだ」


 物理的な圧力すら覚えそうなカツヤの気迫に、イナベは少し面食らっていた。


(これが本来の彼か。

 なるほど。

 ドランカムが贔屓ひいきするのも分かる。

 周りにいた連中もこれにやられた訳か。

 ドランカムで内紛が起きる訳だ)


 イナベがこれ以上調子を狂わされないように、意図的に威厳を見せるように笑う。


「取引成立だな。

 安心しろ。

 約束は守る。

 だが公言してもらっては困る。

 私にも立場というものがあるのでね。

 分かるな?」


「あ、はい」


よろしい。

 まあ他の者には、非常に稼げそうな遺跡探索の話を聞いてやる気を取り戻した、とでも答えておきたまえ。

 黙っていれば何でも良いがね」


「分かりました」


「では、君との話はこれで終わりだ。

 本来の交渉先であるドランカムと話をまとめなければならないのでね。

 これで失礼しよう」


 イナベが立ち上がって部屋から出ようとする。

 カツヤが慌てて立ち上がって頭を下げる。


「あ、その、ありがとう御座いました」


「どう致しまして。

 君の活躍を心から願っているよ」


 イナベが部屋の外に出るとユミナ達が近くに残っていた。

 ミズハまで残っていたので声を掛け、場所を変えての交渉を要請する。


 イナベはミズハ達の態度に違和感を覚えていた。

 ミズハ達は皆一様に明るい表情を浮かべていた。

 席を外す前に見せていた暗い表情などどこにもない。

 カツヤはまだ部屋から出ていないので、カツヤが立ち直ったことは知らないはずなのだ。


(盗聴でもして中の様子を探っていたのか?

 全く、交渉の礼儀がなっていない連中だ)


 イナベはそう考えて辻褄つじつまを合わせると、気を切り替えてそれ以上は気にしなかった。


 ミズハはそのような真似まねはしていなかった。

 ドランカムの幹部として、都市の幹部にそのような真似まねをしない礼儀を心得ており、それをして露見した場合の不利益もよく理解していた。

 ユミナ達にのぞき見などもさせなかった。


 部屋の中ではカツヤがユミナ達に心配を掛けたことを謝っていた。

 謝りながら元気よく笑って、やる気を見せて、遺跡探索への意欲を燃やしていた。


 ユミナ達はカツヤがこの僅かな時間で立ち直ったことを全員喜んでいた。

 だが驚いた者は一人もいなかった。

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