第209話 二択ではない

 アキラがクガマビルの前で少し浮かれた様子を見せている。

 手に持つスーツケースにはようやく完成した仕立服が入っている。

 今日は前々から予定を立てていたエレナ達との食事の日であり、今はその待ち合わせの最中だった。


 アルファが軽く意図的に苦笑を見せる。


『随分と上機嫌ね』


『そうか?

 まあ良いじゃないか』


 だがアキラは軽く流した。

 普段なら何らかの反応を見せるのだがそれもない。

 自覚以上に浮かれている証拠だ。

 絶対遅れないように待ち合わせ場所にかなり早めに来ていたのも、その浮かれ具合を示していた。


 待ち合わせの時刻の少し前にエレナ達が到着する。

 エレナ達もアキラと同じようにスーツケースを持っている。

 中身はアキラと同じく仕立服だ。


 シズカがアキラの待ち時間を察して軽く笑う。


「余裕を持って来たつもりだったけど、結構待たせちゃったかしら?」


「いえ、大丈夫です」


「そう?

 じゃあ、行きましょうか」


 アキラは適当にごまかしたが、当たり前のように見抜かれていた。

 エレナ達はアキラが自分達との食事をそこまで楽しみにしてくれたことに喜び、笑って一緒にビルの中に入っていった。


 クガマビル上階で営業している高級レストラン、今までも何度か訪れた店に、アキラは少し緊張した様子で中に入る。

 エレナが店員に予約客であることを告げ、一度男女で分かれて更衣室に向かう。

 そこで各自着替えてから、店員の案内で予約席に案内されることになった。


 店の奥側、仕切りの向こうでは、テーブルがかなり広めの間隔で置かれていた。

 客はめかし込んでいる者ばかりで、以前のアキラのように強化服を着た者など全く見当たらない。

 見るからにサイボーグである鋼の肌の持ち主も、タキシードのような服を着て場に相応ふさわしい礼節を示していた。

 高級感の漂う内装が豪華ながらも落ち着きを保った上品な雰囲気を漂わせている。


 そこには東部の雑多で銃弾飛び交う世界から隔離された空間が広がっていた。

 アキラは別世界に入ったような感覚を覚えながら店員の後に続いた。


 予約席に到着すると、先に着いていたエレナ達がアキラを笑って迎え入れた。

 そのエレナ達の姿を見た途端、アキラが軽く見れて動きを止める。


 エレナ達はそれぞれの魅力を存分に引き出しているドレスで着飾っていた。

 方向性は異なるが、どの服も気品を損ねない色香を醸し出しており、大人の女性の美しさを際立たせていた。


 サラは視線を誘う豊艶な体に見事な装飾のドレスで気品を加えて、少し気恥ずかしそうに笑っている。

 エレナは機能美すら感じさせる端麗な肢体にあでやかさを加えるドレスで身を包み、少し自信ありげに笑っている。

 シズカは普段は仕事着で隠している魅惑の身体を今日はきらびやかなドレスで少々あらわにして、少し照れを見せながらも優しげに笑っている。


 エレナが代表してアキラに感想を求める。


「どうかしら?」


「……えっと、す、素晴らしいと、思います」


 ただでさえ語彙に欠けるアキラが照れや動揺などで更に語彙を少なくして、短く簡素な感想を述べた。

 しかし本心での言葉であることとエレナ達への評価の高さは、その表情や態度から十分に伝わっていた。

 エレナ達が表情に満足そうな気持ちと軽い照れを出す。


「ありがとう。

 高い金を出した価値があったわね。

 アキラも似合ってるわよ?」


「ありがとう御座います」


 アキラも少し照れながら答えた。


 アキラは格好だけなら立食会に参加しているどこかの企業の御曹司のようなスーツを着ている。

 普通なら服に着られている子供になるだけなのだが、そこはセレンがアキラの要望に応えるために自身の才能をぎ込んで調整したおかげで、他者に違和感を覚えさせずに落ち着きと格好良さを両立させていた。


 セレンはアキラ達の要望通り、アキラのようなファッションへの反応に極めて乏しい者でも違いの分かる服を全員に仕立てた。

 アキラ達を席に案内した店員も軽く目を見張るほどだった。


 アキラ達が席に着くとすぐに前菜が運ばれてくる。

 コース料理の内容も含めて予約済みだ。

 飲酒を控えているアキラに合わせてアルコール類も今日は無しになっている。

 それでも料理はどれも絶品で、アルコール類なしでも食事を楽しむには十分すぎるものばかりだ。


 アキラはそれらの料理を親しい友人と一緒に談笑しながら口に運んでいく。

 料理の味も、エレナ達の笑顔も、話題の内容も、店の雰囲気も、全てがアキラに幸福を感じさせていた。

 単なる栄養補給とは一線を画する行為、食事を取るという行為の意味を書き換える時間が流れていた。

 エレナ達もアキラの様子に十分に満足して同じ時を楽しんでいた。


 食事の時間が終わるまで、アキラは至福の時を心から堪能し続けた。




 同日、シェリルは再び立食会に参加していた。

 談笑を促す料理にもそろそろ抵抗力を覚え始めたので、少量を皿に取って口に運んでいる。

 役得だと思いながらも、貧弱な舌にも暴力的に美味を伝える絶品への反応を抑えるのが大変で、心から料理を楽しむのは難しい。

 更なる抵抗力を求めて再び少量を皿に取る。


 イナベがその様子を見て少し意外そうな顔をしている。


「随分と食べるのだな」


 シェリルが手を止めて愛想良く微笑ほほえむ。


「……育ち盛りですので」


「なるほど」


 シェリルは皿の残りを片付けると、空になった皿を未練と一緒にテーブルに置いた。

 そして気を取り直す。


「イナベ様。

 先日からイナベ様の御厚意で借り受けている総合支援強化服ですが、御厚意はいつ頃まで期待してもよろしいのでしょうか?」


「ん?

 その辺は機領の都合次第だ。

 私にも分からない。

 まあ、シェリルも今後の予定も分からずに急に戦力を失っても大変だろう。

 余裕を持って伝えるように指示を出しておこう。

 必要なら試験期間を延ばすように働きかけるか、別の戦力を用意してもいい」


「ありがとう御座います」


「……代わりと言っては何だが、一つ頼みがある」


「大変お世話になっております。

 御協力できることでしたら何なりと」


「アキラとの交渉の席を設けたいのだ。

 協力してほしい。

 親しいのだろう?」


 今まで愛想良く受け答えしていたシェリルが、急にその表情に鋭さを見せる。


「参考までに、ハンター相手にハンターオフィスを通さずに交渉を進める意図を伺っても?」


「その程度のこと、説明が必要なものでもないだろう」


「そこらのハンターならともかく、相手がアキラですので。

 私としても万一の事態を避けるために、常識や暗黙の了解での齟齬そごは消しておきたいのです。

 御理解を」


 イナベはシェリルの反応を、明文化されていない慣例を根拠にしてアキラに不利益を起こさせないための念押しと捉えた。

 それは間違ってはいないのだが、実際の理由の大半はその手の知識に欠けていることをごまかすためだった。


「良いだろう。

 答えよう。

 要は、ハンターオフィスに余計な記録を残さないための前処置だ。

 不要な交渉内容が残ると面倒だからな」


 ハンターオフィスを通した正式な依頼は、その依頼内容の記載通りに、依頼元にも依頼先にも非常に強い強制力を与える。

 時には依頼元と依頼先の合意があったとしても、ハンターオフィスが統企連の権力をもって、記載通りの活動や報酬を強いることさえある。

 統企連の名の下に正しい手順で取り交わした契約はそれほどに重いのだ。


 その面倒事を避ける手段としては、依頼の記載内容を柔軟に解釈できる文言にする、そもそも細かい内容を記載しない、などという方法がある。

 記載されていない内容についてはハンターオフィスも基本的に関わらない。

 記載外の約束に詐欺同然の内容が含まれており、それで大きな損害を被ってハンターオフィスに訴えたとしても、基本的に突っ返される。


 そしてハンターオフィス側に余り知られたくない裏合意などを契約書から省くために、依頼元がハンター側と事前に交渉することも多い。

 正式な契約内容にどこまで記載するか。

 その調整は大きな依頼ほど大変で、ハンターが外部の交渉人を雇う要因にもなっていた。


「ヤナギサワがクズスハラ街遺跡の後方連絡線延長の一時停止に合意してね。

 区画の担当者達が、私も含めてだが、周辺の調査や遺物収集のために高ランクハンターの確保に躍起になっている。

 ハンターオフィスを通すとその交渉の進捗具合などが他の担当者に露見しやすくなる。

 同企業での交渉案件だ。

 軽い権限で閲覧できるのだよ。

 その防止などが目的だ。

 説明はこれで良いかな?」


 うそは言っていない。

 しかし全てを話してもいない。

 だが隠している部分が自分やアキラの不利益になる可能性も低い。

 シェリルはそう判断して愛想良く微笑ほほえんだ。


「ありがとう御座いました。

 私の方からアキラにイナベ様の要望を伝えて、御期待に添えるように尽力いたします」


「アキラとの交渉に自信が有るのならば、交渉そのものを君に委託しても構わないが、どうする?」


「……いえ、交渉での慣例内容に不安を覚える若輩者ですので、本交渉でイナベ様の足を引っ張らぬよう辞退させていただきます」


「そうか。

 では交渉の席を設けるところまでを期待しておこう」


 イナベがシェリルの態度から推察する。


(厄介な交渉そのものを請け負って、後ろ盾のハンターの不興を買いたくないというところか。

 つまり、やはりアキラの籠絡には至っていない。

 シェリルを出汁だしにして交渉を優位に進めるのは難しそうだ。

 他の手段を用意しておくか)


 イナベとシェリルが相手の意図を推察し合っていると、同じく立食会に参加していたカツヤがちょうどシェリルを見付けた。


「シェリル!」


 イナベとシェリルが視線をカツヤに移す。


「イナベ様。

 高ランクのハンターを求めているのであれば、彼とは交渉しないのですか?」


「あれはドランカム所属だからな。

 交渉先はドランカムであり彼自身ではない。

 まあ必要ならするが、後回しだ」


 アキラとカツヤ。

 いろいろと逆だったら良かったのに。

 イナベとシェリルはそう似たようなことを考えていた。




 立食会に参加したカツヤは期待を込めてシェリルを探していた。


 以前の立食会でシェリルに悩みを解決してもらった後、カツヤは絶好調が続いていた。

 ハンター稼業では以前の不振がうそのように成果を積み上げた。

 自身の部隊に総合支援強化服が試験的に支給されると、そのおかげなのか部隊行動の連携も著しく上昇した。

 悩みの解決と一緒に運も向いてきたと思っていた。


 少し前のクズスハラ街遺跡での騒ぎでは、後方連絡線の維持に仲間達と一緒に奮戦した。

 非常に苦しい戦いだったが、仲間達とのきずなも大いに深まったと思っている。

 ドランカムでもカツヤ達を軽んじる者達が大幅に減ってきている。

 カツヤは自分達の頑張りがようやく正当に認められたのだと胸を張っていた。


 今後また何か悩むことがあってもシェリルに相談すればすぐに解決する。

 シェリルがそばにいてくれれば何も悩むことなどなく、この絶好調がきっといつまでも続く。

 カツヤはそう無意識に思い始めていた。


 会場でシェリルを見付けて声を掛けると、シェリルは微笑ほほえんで迎え入れてくれた。

 カツヤはおもい人に会えた高揚を感じながらシェリルのそばに向かった。




 シェリルとカツヤが2人で談笑している。

 イナベは気を利かせて席を外した。


 話題の内容は主にカツヤの最近のハンター稼業だ。

 無事に戻って、無事な姿を見せて、また会った時にいろいろ話を聞かせる。

 前回そう約束したお土産を渡すように、カツヤは楽しそうに自分達の活躍を語っていた。


 シェリルはその土産を受け取るように、楽しそうに微笑ほほえみながら聞き手に回っていた。

 そして、その親愛を示す表情を維持しながら、裏では警戒心を強めていた。


(……まただ。

 これ、以前より強くなっているの?)


 シェリルもカツヤの実力を疑ってはいない。

 その実力はハンターとして立食会に参加できるほど高く、ドランカムでも高く評価されており、都市の幹部であるイナベも戦力として確保しようとするほどだ。

 カツヤは素晴らしい実力を持つ若手ハンターだ。

 集めた情報から論理的に導き出した評価でも、印象や直感からの判断でも、同一の高い評価を出していた。


 だが本来ならば普通に納得して気にもめないその結果に、シェリルはひどく違和感を覚えていた。


 シェリルは自分に相手の実力を直感で見抜く才能があるとは思っていない。

 自分にその才能があるのなら、初めからアキラの実力を素早く的確に見抜いて、もっと適した対応を取っていると思っている。

 しかしカツヤに対しては、自分でも不思議なほどにその実力、才能、将来性などを狂いなく見抜いているような感覚を覚えていた。


 談笑しているカツヤの声や表情から、ほぼ間違いなく自分に強い好意を持っていると判断できる。

 しかし表向きの態度からの判断ならば、何らかの誤解や自惚うぬぼれ、あるいは偽っているだけの可能性も考えられる。

 だが直感はその可能性は全くないと、まるで人の心を読めるかのような明確な判断を下している。


 シェリルは以前の経験から、カツヤには自身の評価を大きく揺るがす何かがあると知っていた。

 それが何かは全く分からないが、そういう何かがあると知ることで、その何かへの強い抵抗力を身に着けていた。


(……すきを見せると印象の方にどこまでも引きられそう。

 世の中にはこういう人もいるのね。

 私にはまだまだ知識も経験も足りていないわ。

 気を付けないと)


 シェリルは内心で強く気を引き締めた。


 シェリル達が談笑を続けていると、しばらく席を外していたヴィオラが戻ってくる。


「ボス。

 悪いけど今日はそろそろ御暇おいとましてちょうだい。

 私が別件でもう離れるから何かあってもサポートできないの。

 1階に迎えを用意しておいたわ。

 行けば分かるから大丈夫よ」


「分かりました。

 カツヤ。

 名残惜しいですが、今日はこれで失礼します」


「あ、それならせめて1階まで送るよ」


「ありがとう御座います」


 シェリルがカツヤと一緒に会場を後にする。

 ヴィオラがその後ろ姿を見ながら少し楽しげに笑う。

 それはたちの悪い女と称されるのに相応ふさわしい、どこか意味ありげな笑顔だった。




 アキラはエレナ達との食事を終えてビルの外まで戻っていた。

 服装も強化服に戻っており、銃もしっかり装備し直している。

 夢のような一時ひとときが終わり、再び日常に戻ってきたのだ。


 シズカが優しく微笑ほほえみながら尋ねる。


「アキラ。

 今日はどうだった?

 楽しめた?」


「はい。

 本当に素晴らしい体験でした。

 シズカさん。

 エレナさん。

 サラさん。

 今日は誘っていただいて本当にありがとう御座いました」


 アキラは笑って深々と頭を下げた。

 シズカはそのアキラの様子から、誘った意味は十分にあったと満足した。


「それは良かったわ。

 また何かの機会に一緒に行きましょうか」


「そうですね。

 またいつか。

 是非お願いします。

 ……まあ、すぐって訳にはいきませんけど」


 本心でうれしそうに答えた後、アキラは軽く苦笑した。

 シズカも軽く苦笑をこぼす。


「まあ、そうよね。

 流石さすがに私も少し間を空けてからにしておきたいわ」


 アキラは結局全額自費で参加していた。

 高額の食事代をおごってもらう心苦しさは無くなったが、それだけ費用は掛かった。

 仕立服の代金も含めてかなりの出費だ。

 シズカもアキラに合わせて自費で参加していた。

 いろいろな名目で店の経費に混ぜ込むつもりだが、結構な出費であることに違いはない。


 既に日は落ちている。

 一緒に食事後の夜を楽しむには少し早く、アキラも子供だ。

 無駄に散策するのも折角せっかくの余韻に余計なものを付け加えそうだったので、今日はここで解散となった。

 エレナ達はシズカを送り、アキラは少し用があるので場に残る。


 サラが去り際にアキラの頭を軽くでる。


「それじゃあ、アキラ、またね」


「はい。

 また」


 アキラは笑ってエレナ達を見送った。

 エレナ達の姿が見えなくなると、今まで姿を消していたアルファが現れる。


『私を放置して随分楽しんでいたようね』


『悪かったよ。

 食事中に変な方向に視線を向ける不審者にはなりたくなかったんだ。

 それを下手に意識して食事に集中できないのも嫌だったしな』


『その割には情報端末の操作は私に頼んでいたわよね』


『だから悪かったって』


 少しねているような様子のアルファを、アキラは苦笑しながらなだめた。


『まあ良いわ。

 そろそろ行かないと遅れるかもしれないわよ?』


『おっと、急ぐか』


 アキラがビルの中に戻っていく。

 食事中にヴィオラから連絡があり、近くにいるならシェリルを拠点まで送ってほしいと頼まれたのだ。

 極めて機嫌の良かったアキラは、余り考えずにそれを引き受けていた。


 1階の広間で少し待っているとシェリルが現れる。

 それを見て、アキラは少し意外そうな表情を浮かべた。

 シェリルはカツヤと一緒で、仲むつまじい雰囲気を漂わせていた。




 シェリルがアキラに気付いてうれしそうに笑う。

 アキラを迎えに手配したヴィオラへ珍しく好感を覚えた。

 そして、ヴィオラが善意や御機嫌取りでそんな真似まねをするだろうか、という当然の疑問が頭に浮かび、ヴィオラの意図の解釈に思考を取られている内に、事態が動いた。

 カツヤがシェリルをかばうように前に出てアキラと距離を取って対峙たいじしたのだ。


 カツヤが明確な敵意をアキラに向ける。

 それを受けてアキラも警戒を高める。

 ハンターオフィスの敷地内で戦闘行為に及ぶような真似まねはどちらも慎むつもりだったが、相手も同じだとは信じられなかった。

 場に緊張が漂い始める。


 シェリルは突然の事態に強く困惑していた。

 困惑しながらも状況を少しでも理解しようと視線を彷徨さまよわせる。

 そしてアキラの様子を見て、かつての想像を思い出し、硬直した。

 怪訝けげんな様子で自分を見るアキラの姿は、以前に想像した自分を何の未練もなくあっさり切り捨てようとする最愛の人の姿によく似ていた。


 アキラが僅かに場を去ろうとする動きを見せる。

 それに気付いた途端、シェリルは全ての疑問を放りだして反射的に飛び出すと、走ってアキラに抱き付いた。


「アキラ!

 迎えに来てくれたんですね!

 ありがとう御座います!」


 シェリルは自分でも驚くほどにびた声を出し、焦りをにじませながら自身の立ち位置をしっかりと示すようにうれしそうに笑って、すがって引き留めるように腕に力を込めていた。

 アキラはそのシェリルの勢いに軽く驚き少し困惑していた。


 一方カツヤが受けた衝撃は軽く驚く程度では済まなかった。

 余りの驚きの所為せいで現実を正しく認識できないほどにひどく混乱して狼狽うろたえていた。


「シェ、シェリル?」


 カツヤの内心を強く反映させた短い呼びかけに、シェリルがアキラの腕を取りながら振り向いて答える。


「気安く話しかけないでいただけませんか?

 アキラに誤解されると大変ですので」


 それはまるで別人のような余りにも冷たい表情、冷たい視線、冷たい声だった。

 カツヤはそれでもう声も出せなくなった。


 シェリルが視線をアキラに戻して全力で笑いかける。

 相手に親愛を示す笑顔を死ぬ気で作り、すがるような本心を乗せて気を引こうとする。


「さ、帰りましょう」


 シェリルは軽い困惑を見せたままのアキラと少し強引に腕を組んで寄り添うと、そのままアキラの動きを促して一緒にビルから出て行った。


 その場にはカツヤだけが取り残された。

 ミズハが立食会に戻ってこないカツヤを心配して探しに来るまで、カツヤはずっと立ち尽くしていた。




 シェリルの拠点への帰り道、先ほどは状況を全く理解できていなかったアキラが、歩きながら少しずつ推察を続けて自分なりに解釈した結果をシェリルに伝える。


「……よく分からなかったけど、徒党の運営で他のハンターの伝とかが要るのなら別に邪魔はしないし、ごちゃごちゃ言うつもりもないぞ?」


 シェリルが表情を思わず悲しげに崩す。

 アキラの言葉は自分への執着が極めて薄いことを意味している。

 スラム街での抗争騒ぎでは命懸けで助けに来てくれたはずなのに、他の男と仲むつまじい様子を見ても嫉妬すらしてくれない。

 これは余りにも不自然だ。


 本当に恋人ならば。

 その不自然をたちまち解決する言葉からシェリルは目をらした。


「……恋人にそんなことを言っては駄目です。

 アキラと極めて親しい仲である。

 だから後ろ盾になっている。

 そういうことになっています。

 徒党の運営もその前提でいろいろ優位に進めています。

 無理強いは出来ませんが、出来れば、その前提を崩す真似まねはアキラも控えてくれると助かります」


「ん?

 ああ、そういうことか。

 分かった。

 気を付ける」


 アキラはそれで納得した。

 シェリルはそれで納得してほしくはなかった。


 この仮初めがいつかは本物になると信じて、願って、シェリルは精一杯微笑ほほえんだ。




 シェリルが自室でヴィオラの帰りを待っている。

 時刻を問わず必ず顔を出すように指示を出していた。

 既に時刻は深夜、翌日になっていたが、眠らずに黙って待っていた。

 感情が眠気を容赦なく殺していたので眠気に耐える必要はなかった。


 ドアがノックされ、ヴィオラがキャロルを連れて入ってくる。


「ボス。

 お呼びと聞いたけれど、何かしら?」


 シェリルは黙って先ずヴィオラに拳銃を向けた。

 しかしその程度でヴィオラの微笑ほほえみは崩れない。


「あら、物騒ね。

 どうかしたの?」


「……あれは何の真似まね?」


「あれと言われてもね。

 具体的に言ってもらわないと」


とぼけないで!」


 拳銃を持つ手が内心の激情に呼応して震えている。

 引き金を引く指がぎりぎりのところで堪えている。

 表情には明確な敵意が込められている。

 激しい怒りにまかせて行動するのを理性で抑えるために、シェリルの顔は憤怒より冷酷の色を強く出していた。


 それでもヴィオラはいつも通りに笑っている。


「別にとぼけてなんていないわ。

 駄目よ?

 その手のどうとでも取れる言葉で相手の反応を引き出そうとしても。

 私には通じないわ」


 ヴィオラはシェリルを揶揄からかうようにわざとぼけたような態度を取り続けている。

 シェリルは思わず引き金を引いてしまわないように、冷静さを保つために自己暗示を兼ねて一度大きく呼吸した。


「……クガマビルの1階で、私とアキラとカツヤを鉢合わせさせた理由は?」


「ん?

 折角せっかくアキラと一緒に帰れるように手配したのに、何かあったの?」


 銃声が響いた。

 弾丸はヴィオラの横の壁に命中した。

 シェリルが照準をヴィオラに合わせ直す。

 だがヴィオラは欠片かけらも動じずに、むしろ楽しげな笑みを強くした。


「徒党の利益のために、非常に険悪な仲のアキラとカツヤを貴方あなたの仲介で取り持てるかも、と思ったのだけれど、失敗したようね」


「徒党の利益?

 ふざけないで。

 うそを吐かないで。

 そんなことを考えていた訳じゃないでしょう」


うそなんて吐いてないわ。

 カツヤは非常に優れたハンターで、しかも貴方あなたにべたれ。

 そこに付け込んで上手うまくアキラとの仲を取り持てば、徒党の運営に非常に貢献してくれること間違い無しよ。

 成功すれば徒党にどれだけの利益を生むか。

 貴方あなたにだって分かるでしょう?」


 一応辻褄つじつまは合っている。

 シェリルはそう自身に言い聞かせて落ち着こうと努力した。

 だがヴィオラがその努力を嘲笑あざわらうように続ける。


「まあ、あれで貴方あなたとアキラの仲がこじれれば、貴方あなたを怒らせてもアキラに殺される可能性がぐっと下がるから、そっちの期待もたっぷりしていたけれどね。

 つまりどっちでも良かったのよ。

 成功して徒党の利益になれば良し。

 失敗して私の利益になれば良し。

 まあ、結果は中途半端なもので終わったようね。

 残念だわ」


 ヴィオラはたちの悪い笑顔でそう言い切った。

 シェリルは体を震わせて、ぎりぎりの表情を浮かべている。

 更にヴィオラはシェリルと視線を合わせながら、撃てるものなら撃ってみろと言わんばかりに自分を指差して挑発した。


 しばらくの沈黙の後、シェリルが銃を下ろす。

 ここでヴィオラを殺してしまえば、折角せっかく順調に進んでいる徒党の運営が全て台無しになってしまう。

 徒党はアキラに利益を渡して自分の価値を認めてもらう唯一の手段なのだ。

 絶対に失えない。

 その判断が、ぎりぎりのところでヴィオラへの殺意を抑えた。


「……出て行って」


「そう?

 分かったわ。

 ボス。

 おやすみなさい」


 ヴィオラがキャロルと一緒に部屋から出ようとして、去り際に一言残す。


「暴力に訴えるようじゃ私には勝てないわよ?

 精進しなさい。

 じゃあね。

 ボス」


 シェリルはヴィオラ達が出て行った後、ドアに全弾撃ち尽くしてから拳銃を床にたたき付けた。


「……勝ってやるわ。

 絶対に!」


 シェリルは内心の激情を決意に変えて、改めてヴィオラの排除を誓った。


 部屋の外でキャロルが呆れを見せている。


「相変わらずの性格の悪さね。

 撃てやしないと思って挑発していたんでしょうけど、そんなことを続けているといつか本当に撃たれるわよ?」


「いえ、撃つと思ってたわ」


「えっ?

 そうなの?」


「そうよ。

 だからキャロルを連れてきたんじゃない。

 キャロルなら対処できるでしょう?」


「まあ、そうだけど」


「撃たせて、防いで、その情報を流して後でいろいろするつもりだったのだけど、あそこまで自分を制御できるとはね。

 大したものだわ。

 ちょっと手強てごわくなったわね。

 正直な話、少し見直したわ」


 ヴィオラはかなり楽しげな様子だ。

 キャロルが苦笑をこぼす。


「珍しく真面目に徒党の拡大を手伝っていると思っていたら、今度はここを火遊びの場にするつもりなの?

 飽きないわね」


「これでもアキラ自体は敵に回さないように注意しているのよ?

 キャロルがアキラを抑えてくれるって言うのなら、考えるけど」


「嫌よ」


「残念」


 ヴィオラ達は冗談めいて軽く笑っていた。

 どちらもお互いの性分はよく分かっているのだ。

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