第184話 ティオルの目覚め

 敵を倒し終えて場が落ち着きを取り戻した後、ソノダ達は治療を受けていた仲間と一緒に休息を取っていた。


「それで、怪我けがの方はどうなんだ?」


「ああ。

 ばっちりだ。

 あの医者、業突く張りだが腕の方は一流だな。

 ……俺の所為で危険な目に遭わせたみたいで悪かった」


 ソノダが少し重い様子で謝る仲間に軽い調子で笑って答える。


「その辺を何とかするのがチームってもんだ。

 気にすんな。

 治療費の方も結局無料になった。

 俺達の治療までただにしてやるって、やけに上機嫌だったのがちょっと気になったが、依頼未遂行だから金を出せって言われるよりはましだ」


 ソノダ達は僅かに重そうになりかけた空気を笑って流して雑談を続ける。


「……しかし、結果的に助かったとはいえ、あそこに診療所ごと突っ込むとはな。

 何を考えているんだか」


「それで、そのヤツバヤシって医者はどこに行ったんだ?」


「さあ?

 怪我けが人でも探してるんじゃないか?」


「診療所を放ってか?

 ……ま、いいか」


 ソノダ達は楽しげに笑って仲間の無事を喜んでいた。




 ヤツバヤシがハンター達によって倒された個体を楽しげな様子で調べている。

 少年ほどの大きさの人型を怪しげな機器で解剖していた。

 比較的原形を保っている個体を何らかの器具で切り開き、頭部から何かを取りだして楽しげに笑う。


「発信器発見。

 だがこれは俺が埋め込んだ物じゃないな。

 複製したのか」


 ヤツバヤシが堪えきれない笑い声を漏らす。


「……そしてこれは、ここにいるのは全部下位端末か。

 自律レベルは低いはず。

 簡易遠隔操縦に近いのか?

 なるほど。

 しかしそれを可能にするモンスターを捕食しただけでは、その機能をここまで高度に取り込めるとは思えない。

 ティオル君。

 どうやら君は旧世界の英知に触れているようだな。

 実に羨ましい。

 俺もここまで来た甲斐かいがあったってものだ」


 ヤツバヤシはアキラやソノダ達を助けに向かったのではない。

 ティオルのものと思われる反応を多数発見したので、その調査に向かったのだ。

 状況が落ち着くまで待てなかったのは、はやる心を抑えきれなかったのと、可能性は低いが都市側から撤退指示が出る懸念からだ。


 ソノダ達を向かわせたのも調査目的だ。

 ヤツバヤシが当たりを付けた場所に、救出対象がいると偽って派遣したのだ。


 ヤツバヤシが近くに転がっている頭に楽しげに笑いかける。


「もし、俺の話を聞いているのなら、顔を出すと良い。

 歓迎するぞ?」


 転がっている頭は、何も返事を返さなかった。




 真っ白な世界でアルファとツバキが対峙たいじしている。

 アルファは不機嫌な表情でツバキに厳しい視線を向けている。


「釈明を聞きたいわ」


 ツバキは愛想の欠けた顔で平然としている。


「ない」


 アルファが視線をより鋭く冷酷なものに変える。


「私と敵対する。

 そう解釈して良いのね?」


 ツバキも表情に強く暗い威圧をにじませ始める。


「そちらと不必要に敵対する意思はない。

 無条件で頭を垂れろと要求しているのならば、十分な必要性があると判断する。

 必要なら、そちらとも差し違えよう」


 アルファとツバキが無言で対峙たいじを続ける。

 現実とは異なる時間の流れの中で、長い沈黙が場を満たし続ける。

 そして、アルファが先に口を開いた。


「……私の管理下にある個体を、そちらの管理下にある個体が殺害しようとした件に関して、説明を求めるわ」


「まず、私は私の管理区域を防衛するために、周辺区域の治安維持機能の一部を取り込んだ個体に対して、不安定なシステムの再構築を実施しただけです。

 あの個体は厳密には私の管理下の個体ではありません。

 該当区域の治安維持を個体の判断基準で実施した結果、偶然そちらの個体が攻撃対象になっただけですよ。

 まあ、そちらの個体を攻撃しないように指示を出してはいませんが、私にそこまでする義理はありませんね」


「そう」


 アルファは納得を示して表情を無愛想程度には緩めた。

 ツバキも威圧を弱める。

 一触即発の状態から比較的穏便に話ができる程度まで場が改善されると、今度はツバキが不満を表に出した。


「警告しておきますが、私の管理区画に無許可で立ち入った場合、たとえ貴方あなたの手駒であっても処理します。

 くれぐれも御注意を」


「気を付けるわ」


 アルファは無愛想にそう言い残して姿を消した。


 ツバキが僅かに面倒そうな表情を浮かべる。


「……全く、手間が掛かる」


 ツバキも白い空間から姿を消す。

 管理者がいなくなった空間はすぐにそのまま消失した。




 残弾をほぼ使い切ったアキラがエレナ達に仮設基地まで送ってもらっている。

 エレナ達の車に乗せてもらい、バイクは自動運転で後を追いかけるように設定していた。


 アキラが無人で走り続けるバイクを少し面白そうに見ていると、サラがバイクとアキラを見て軽く笑う。


「高性能な荒野仕様のバイクによく付いている機能だけど、何も考えずに見ると幽霊でも乗っていそうな光景よね」


「幽霊ですか。

 確かに」


「幽霊と言えば、アキラは知ってる?

 クズスハラ街遺跡には誘う亡霊っていう怪談があるのよ」


「まあ、概略ぐらいは。

 旧世界の遺物を餌にして、ハンターを遺跡の奥に呼び寄せて殺してしまう亡霊の話ですよね」


 いろいろと心当たりのあるアキラは僅かに微妙な表情を浮かべた。

 そして言い訳するように続ける。


「……まあ、亡霊がいてもいなくても、遺物収集目的で遺跡の奥に向かって死んでしまうハンターは珍しくないですけどね」


 エレナが運転席から口を挟む。


「あの怪談。

 実は昔は全然違う内容だったってうわさもあるのよ」


「そうなんですか?

 どんな内容なんですか?」


「それが諸説あって詳細はよく分からないのよ。

 当時のクガマヤマ都市の経営陣とかが、クズスハラ街遺跡へ探索に行くハンターの数を減らさないように、いろいろ裏工作して別のうわさを流したとかも言われているわ。

 当時はクズスハラ街遺跡の外周部でも十分稼げた頃だから、都市の子飼いのハンター以外を遺跡から遠ざけるために、むしろ遺跡に向かうハンターの数を減らす目的で改変したうわさを流したなんて説もあるわ」


 興味深そうに話を聞いているアキラのそばにアルファが降り立った。


『ただいま』


『お帰り。

 遅かったな。

 すぐに戻るんじゃなかったのか?』


 アルファが少し揶揄からかうように楽しげに微笑ほほえむ。


『あら、私の帰りがそんなに待ち遠しかったの?

 うれしいわ』


『……俺とアルファの時間感覚が違うだけだ』


 アキラはそれで話を流して追及を打ち切った。

 アルファは変わらずに楽しげに微笑ほほえんでいた。




 仮設基地の内部には、主に役付きの者が使用する情報漏洩ろうえい対策済みの会議室がある。

 その部屋でシェリルとヴィオラ、そして仮設基地の重役であるイナベという男が向かい合うように座っていた。


 イナベはヴィオラを僅かに警戒しながらも基本的には見下しており、その連れであるシェリルも軽んじていた。


「それで、私に何の用だ?

 私と面会可能な伝を得ている優秀さは認めるが、下らない用件ならすぐに帰ってもらうぞ」


 ヴィオラが旧世界の遺物を取り出してイナベの前に置く。

 イナベがそれを見て僅かな嘲りの笑みを浮かべる。


「それで?」


「これが鑑定書よ。

 鑑定は黒銀屋のもの。

 非公式に依頼したから社印はないけれど、内容は確かよ」


 イナベがヴィオラから受け取った鑑定書の内容を確認する。


「少し前に話題になった出所不明の旧世界製情報端末か。

 賄賂で御機嫌取りか?

 められたものだな」


 視線を遺物に向けながら余裕の態度を見せているイナベに、ヴィオラが非常に楽しげに笑いかける。


「調査は散々だったようね」


 イナベの表情が一気に険しくなる。


「……どういう意味だ?」


「御想像にお任せするわ」


「……どこまでつかんでいる?」


「それらしいことを口にして惑わせているだけかも」


 イナベの表情が険しさを増した分だけ、ヴィオラの表情が怪しげに楽しげに変わった。


 仮設基地の建設から始まった遺跡攻略後方連絡線確保計画は、クガマヤマ都市が本腰を入れて実施している大事業だ。

 当然多数の利権が絡んでおり、都市内部の派閥争いや勢力争いにも深く関わっている。


 計画推進の責任者はヤナギサワだ。

 仮設基地の建造やその後の運営も順調に進み、後方連絡線も順調に伸びており、後方連絡線の周辺からの遺物収集も順調という結果をもって自身の手腕を示し、その権力基盤を強固に固めていた。

 ヤナギサワを追い落としたい者達には苦難の日々が続いていた。


 唯一付け入るすきがあるとすれば、ヤナギサワは後方連絡線の延長を第一に考えており、周辺の攻略を比較的軽視している点だ。

 ヤナギサワと敵対している派閥の者達は、そこから突破口を見いだそうとしていた。


 高価な遺物が豊富に存在する区域の管理担当になれば、その担当者に流れ込む利権も多くなる。

 ヤナギサワの一強状態を崩す足掛かりにも成り得る。

 イナベも自身の担当区域の調査に多額の資金をぎ込んでいた。


 しかしイナベの担当区域の調査は散々な結果に終わった。

 ウェポンドッグや人型モンスターの集団の存在が確認されて区域の危険度が跳ね上がった上に、中断された調査でも高価な遺物は見付からなかった。


 強いモンスターが彷徨うろつき、遺物もろくなものがない区域。

 都市もそのような場所に資金を投じはしない。

 このままだと自分の担当区域を投資不適格と認定される。

 そうなってしまえば投じた資金は無駄となり、出世は遠くなり、派閥内での力も弱まる。

 イナベは焦っていた。


 ヴィオラが持ち込んだ旧世界製の情報端末を見た時、イナベはすぐに思いついた。

 この出所不明の遺物を自分の担当区域で発見されたことにしてしまえば、その区域の価値は跳ね上がる。

 少なくともこの苦境を乗り越える足掛かりや時間稼ぎになり、追加の予算が手に入り、更なる投資も呼び込める。


 イナベの視線は無意識に旧世界製情報端末に向けられていた。


(……私ならこれを区画で発見された遺物に紛れ込ませるのは可能だ。

 だが、この女のうわさは聞いている。

 それにこれを紛れ込ましたとしても、1つだけ、1箇所だけではそこまで高評価には……)


 迷っているイナベの前で、ヴィオラがイナベの前にある遺物を自分の前まで引き寄せた。

 イナベの表情の迷いと焦りが強くなる。

 更にヴィオラは追加の遺物を取り出してテーブルの上に並べた。


(……こ、これだけあれば、十分な説得力が……。

 だ、だが、この女が持ち込んだものだぞ?

 こいつに関わって破滅した者が何人いると……。

 し、しかし、持ち込む品や情報の正確さは確かだとも言われている……)


 イナベの表情が期待、疑念、誘惑、希望で複雑にゆがむ。

 そして得られるかもしれない輝かしい未来への渇望がにじみ始めた。


 ヴィオラがイナベの様子を見て非常に楽しげに笑う。

 そして少し芝居がかった口調でシェリルに告げる。


「ボス。

 残念だけどイナベさんの興味は引けなかったわ。

 私の力不足ね」


「分かりました」


 シェリルが立ち上がり、平然とした様子でイナベに礼儀良く頭を下げる。


「イナベ様。

 本日は貴重なお時間を割いていただき、誠にありがとう御座いました」


「ま、待てっ!」


 イナベはシェリルから駆け引きではなく本当に帰る気配を感じ取って反射的に止めてしまった。

 それでイナベの決断も後追いされた。


「……座ってくれ。

 要求は何だ?」


 シェリルが座るまで待ってから、ヴィオラが笑って答える。


「ボスは所謂いわゆる遺物屋を営んでいるの。

 その仕入れに協力してほしいのよ」


「簡単に言ってくれるが、それにはかなりの利権が絡んでいると分かって言っているのか?」


「別に高価な遺物を根こそぎ回してほしいとは言っていないわ。

 貴方あなたの裁量で、程々の品を程々の数だけ回してくれれば良いのよ。

 それぐらいなら可能でしょう?

 代金だってちゃんと支払うわ。

 適正価格でね」


 イナベが再び悩み始める。

 だが既に決断は済んでいるのだ。

 本人は悩んでいるつもりだが、実際にやっていることは要求を受け入れる口実の洗い出しにすぎなかった。


「分かった。

 受けよう」


「取引成立ね」


 ヴィオラがシェリルに視線で合図を送る。

 シェリルは指示を察すると、テーブルの上に置かれた遺物を全てイナベの方へ移動させた。


 イナベが視線を遺物からシェリルに移す。

 既にシェリルを軽んじる意思は完全にせていた。

 シェリルはカシェアの店で購入した仕立て服を身にまとっている。

 セレンが予算を気にせずに類いまれな才を存分に発揮して仕立てた服は、シェリルの生来の美貌を引き立てるのと同時にある種の威厳を与えていた。

 なお仕立て服の方向性はヴィオラの指示だ。


「付かぬ事を尋ねるが、君とヴィオラはどういう関係なんだ?」


「仕事上の、上司と部下。

 それだけです」


「……。

 そうか」


 イナベは既存の得体が知れない女と、新規の得体が知れない女を見比べて、どちらも要注意だと結論付けた。


 シェリル達がしばらく取引内容の詳細を詰めていると、イナベの部下が報告に入ってきた。


「失礼します。

 例の人型についての現状報告です」


「聞かせろ」


「結論から言いますと、この個体群は自動人形の類いではありません。

 分類するならば生物系モンスターであり、暴食ワニなどに近い存在です」


「つまり?」


「資産価値は期待できません」


「……そうか」


 イナベが大きくめ息を吐いた。

 あれらの個体が旧世界製の自動人形であるならば、それらを生み出す施設が近くに存在するのならば、担当区域に多額資金を投入するに足る資産価値が生まれる。

 淡い期待であったが、それでもついえると落胆は免れない。


「一応詳細な調査を続行中です。

 また検疫課がサンプルを提供してほしいと言っています」


「好きなだけ渡してやれ」


 ヴィオラが口を挟む。


「それ、注意喚起が出ている人型モンスターの話?」


「そうだ。

 自動人形が彷徨うろついているのか、ハンターが同業を襲っているのか、建国主義者による妨害か、本当に単なる人型モンスターか、詳細が不明だから余計な不安をあおらないように注意喚起で済ませていた。

 まあ、これでモンスターの仕業だと確定だろうな。

 調査用に回収した物が倉庫に詰め込んである。

 興味があるなら見に行くか?」


「行きましょう」


 イナベが怪訝けげんそうな顔をする。


「見てどうするんだ?

 自動人形でもないんだ。

 変わった死体でも眺める趣味があるのか?」


 ヴィオラが意地が悪い笑顔を浮かべる。


「どちらかと言えば、断られることが前提のれ言を相手が予想外にも受け入れた時に、慌てふためく人の様子を見る趣味かしらね」


 イナベが強いあきれと僅かな嘲りを見せる。


「ふん、うわさ通りたちが悪い」


「不要な言質を取られないためにも、余計なことは口にしない。

 交渉人としてそういう癖を付けるためでもあるのよ。

 ねえ、ボス?」


「同意を求めないでください」


 シェリルはつれない態度を返した。

 ヴィオラは楽しげに笑っている。

 イナベはシェリル達の関係がつかみきれずに怪訝けげんそうにしていた。


「まあ、見たければ見ればいい。

 案内してやる」


 シェリルはヴィオラと一緒にイナベに案内されて仮設基地の倉庫に向かった。

 人型モンスターの死体などに興味はないのだが、一人で残っても仕方がないからであり、自分だけで残って余計な襤褸ぼろを出さないためでもあった。


 倉庫には遺跡で収集した大量の遺物が保管されている。

 大型の棚が大量に設置されており、様々な遺物が少々乱雑に収められていた。


 シェリルが倉庫の様子に軽く圧倒されていると、ヴィオラが小声で説明する。


「ここは低価値とはいえ旧世界の遺物の保管所。

 普通は入れないのよ?

 良い経験ができたわね?」


「初めからそっちが目的だったんですか?」


「どうかしらね」


 シェリルは意図を読ませないヴィオラに振り回されていることに僅かないらつきを覚えながらも、確かに滅多めったにない機会だとも考えて周囲を興味深そうに見ていた。


 倉庫の片隅にアキラ達に倒された人型が真空包装に似た状態で複数保管されていた。

 比較的状態が良く、透明な包装の下に見える顔もほとんど無傷だ。

 破損がひどい物は小型コンテナの中に乱雑に詰め込まれていた。


 シェリル達をここまで案内したイナベがそれらを見てめ息を吐く。


「これらが旧世界製の自動人形なら宝の山なんだがな」


 ヴィオラが少し興味深そうにそれらを見ている。


「随分と丁寧に包装してあるのね」


「ああ、付き合いのある企業の研究所などに送る物は多少見栄えを整えている。

 簡易調査では粗大ゴミだったが、専門家が念入りに調査すればまた違った結果が出る可能性もあるからな。

 少し前にビルの備品らしい人形が買取に持ち込まれたが、それは大分破壊された状態でもかなりの値が付いた。

 これらにも似たような値が付けばと、少し先走った結果だ」


 ヴィオラとイナベが話し込んでいる横で、シェリルはその話を興味深そうに聞きながら真空包装の個体を見ていた。

 そして急にかなり怪訝けげんそうな顔を浮かべる。

 真空包装の下の顔に僅かな見覚えを感じたのだ。


「……ティオル?」


 シェリルが他の個体の顔も確認する。

 それらも全て似たような顔をしていることに気付き、軽い困惑を覚える。

 関連性を疑ってみたが何も思いつかない。


 イナベがシェリルの様子に気付いて軽い冗談を口に出す。


「興味があるなら持って帰るか?

 値段は要相談だ」


「いえ、遠慮しておきます」


「だろうな」


 その後シェリル達は部外者を随分長居させたことに気付いたイナベに退出を促されて倉庫から出て行った。


 そのシェリルの姿を、ティオルに似た個体の1体が、機体に残っていた僅かなエネルギーを全て消費してほんの僅かだが目で追っていた。

 その個体もすぐに完全に機能を停止したため、それに気付いた者はいなかった。




 ティオルは夢を見ているかのような定まらない意識の中にいた。


 ヤツバヤシはティオルに警備系のモンスターから抽出したナノマシンを改造したものを投与していた。

 モンスターの敵味方識別装置を誤認させる技術の実験であり、成功すれば遺跡の中をモンスターに襲われずに探索できるようになるはずだった。


 しかし実験は失敗。

 逆に脳に達したナノマシンがティオルの意識を掌握し始めていた。

 だがそれも不安定なシステムであり、ティオルは一帯に飛び交っている通信を出鱈目でたらめに受信し、システムのバグが出したあやふやな指示に従ってヤツバヤシの診療所を飛び出した。


 その後は中途半端な警備システムもどきの存在のまま、郊外のやかたに潜伏したり、クズスハラ街遺跡ではシステムが違法と判断したモンスターと交戦したりと、動作不良を起こしたプログラムのように行動していた。


 ヤツバヤシが改造したナノマシンは変異を繰り返していた。

 治療のために注入したナノマシンの機能や捕食したモンスターの機能なども取り込んで、奇妙な分体の生成や、体の自己改造まで可能にしていた。


 そのティオルに今度はツバキが手を加えた。

 ツバキがティオルの内部で複雑に競合して動作不良を起こしていたシステムを再構築したことで、ティオルは旧世界の警備システムの一部に生まれ変わった。


 存在の在り方を大分変えられてしまったティオルだったが、意外に充実した日々を送っていた。

 スラム街にいた時とは比べものにならないほどの力を手に入れたことを喜んでいた。

 自身の下位端末を生成して戦力を拡大し、ハンターやモンスターなどと戦うのを楽しんでいた。

 自分の名前すら忘れてしまっていたが、その時のティオルにとっては大したことではなかった。


 いつものように警備を続けていると、下位端末がアキラと遭遇する。

 ティオルはアキラのことなど忘れていた。

 だが下位端末から送られてきた情報を知覚すると、意識の奥から妙な指示、欲求が浮かんできた。


 あれを排除すれば素晴らしいものが手に入る。

 既にティオルの意識は警備システムの一部になっていたが、その欲求はシステム側の判断を押し切った。

 ティオルは強烈な意思でシステムの判断基準を改竄かいざんすると、周辺の下位端末を全て対象の排除に向かわせた。


 結局アキラを排除することはできなかったが、浮かび上がってきたティオルの意思は、中途半端な状態で残り続けていた。


 そして、戦闘の能力を完全に失っていた下位端末から、ティオルの名前をつぶやくシェリルの映像と音が届く。


 別の存在に生まれ変わったティオルは、シェリルの姿を見て、自分の名前を呼ばれて、再びシェリルに一目れした。

 その瞬間、膨れあがった感情がシステムの一部となっていたティオルの意識を再構築した。


 遺跡の廃ビルの一室にいたティオルが大きく目を見開く。

 どことなく意思の欠けたような事務的な無表情だった顔に意思が満ちる。


「俺は、ティオルだ」


 近くにいた下位端末達がシステムに反旗を翻したようなティオルに警戒態勢を取る。

 だがティオルはそれらをにらみ付けると、指示系統を強引に乗っ取り服従させた。

 下位端末達がティオルにひざまずく。


 ティオルは自分がシステムと一部融合している状態であることを理解していた。

 自我を取り戻したとはいえ、システムの制約は強力だ。

 現状ではクガマヤマ都市に戻るどころか、警備区画の外に出ることさえできない。

 これではシェリルに会いに行けない。


「どうすれば良い?

 ……そうだ!

 あいつだ!」


 ティオルが人外の身体能力でビルの窓から飛び出した。

 そして常人なら即死の高さから、地面に大きな亀裂を作って着地すると、目的地を目指して遺跡の中を走り続けた。


 目的地である廃ビルの一室、大分損傷しており真っ白とまでは言えなくなった部屋の中で、ティオルが力の限り叫ぶ。


「出てこい!

 ここなら出てこられるんだろう!

 聞こえているのは分かってる!

 今もどこかから俺を見ているのも分かってるんだぞ!」


 ティオルは叫び続けながら辺りを見渡すが、部屋の中を自身の声が反響し続けるだけだった。


「出てこいって言っているだろう!

 出てこねえのなら、そこら中のハンターにお前の存在を言い触らして回るぞ!

 脅しじゃねえぞ!」


 すると部屋にツバキの立体映像が現れた。

 ツバキは面倒そうな冷たい表情を浮かべていた。


 ティオルはツバキを見付けると、駆け寄りながら大声を出す。


「出てきたな!

 俺に埋め込んだ制限を外せ!

 もないと……」


「動くな」


 ツバキのその一言で、ティオルの体が本人の意思を無視して硬直した。

 ツバキは動けない状態のティオルに軽い侮蔑の表情を向けながら近付いていく。


「本当に礼儀に欠けている。

 不愉快だ。

 そして知能も欠けている。

 身の程を超える力を得て高揚しているのだろうが、叫べば要求が通るとでも?」


 ツバキはティオルの側まで来ると、立体映像の手をティオルの頭の中に差し入れる。


「私の管理区域の周辺を防衛してもらえることを期待して、その報酬として不安定なシステムを調整したが、不服なら元に戻そう。

 ろくな知性もない生物のように、故障した機械のように、死ぬまで無意味に暴れ回っていると良い」


 ティオルは自分の存在をき回されているような感覚を覚えて必死に抵抗する。

 動けない体に有らん限りの力を込めて、ツバキの手から逃れようとする。

 すると、ティオルの体が非常にゆっくりではあるが少しずつ動き出した。

 そしてツバキの手を自分の頭から抜いた。


 ツバキがかなり意外そうな表情を浮かべる。


「多少なりともシステムに反抗できるのか。

 ……動いて良し」


 ティオルは自分の体を縛っていた何かを解けたのを感じるのと同時にツバキから大きく距離を取った。

 驚きと焦り、恐怖と憤りが混ざった強張こわばった表情を浮かべ、荒い息をしながらツバキをにらみ付ける。


 ツバキは少しばかり思案をしている様子を見せた後、冷たい微笑ほほえみを浮かべる。


「気が変わりました。

 取引をしましょう」


「と、取引?」


「はい。

 区画の警備にも気が乗らない御様子ですからね。

 頼みがあります。

 それを成し遂げたら、貴方あなたの制限を私の権限で可能な限り取り払いましょう。

 先ほどの無礼も大目に見ます。

 如何いかがでしょう?」


「……な、何をすれば良いんだ?」


 ティオルはツバキから頼み事の詳細を聞くと、その内容に表情を大きく変えた。


「……それを俺にやれって言うのか?」


「無理強いは致しませんが、断るのなら貴方あなたに先渡しした報酬は返してもらいます」


 断れば、自我も怪しい状態で遺跡の中で暴れていた状態に戻ってしまう。

 ティオルに選択肢はなかった。


「わ、分かった。

 やるよ」


「取引成立ですね。

 では、よろしくお願いします」


 ツバキは僅かに愛想良く微笑ほほえむと、その姿を消した。

 同時にティオルの表情が大きくゆがむ。


「……くそっ!

 やれば良いんだろう!

 やれば!

 畜生が!」


 ティオルの絶叫が部屋の中に響き渡った。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る