第167話 業の帳尻合わせ

 ナーシャがアキラの後に付いていく。

 アキラの少し後ろでその背を見ながらスラム街を歩いている。

 アキラは振り返らずに進んでいる。


 このすきに逃げてしまえば良いかもしれない。

 そんな考えがナーシャの頭に過ぎったが、実行する気にはなれなかった。

 アキラは部屋で振り返らずに自分が付いていこうとしなかったことに気付いていたのだ。

 今も自分がちゃんと付いてきているかどうかぐらい分かるのだろう。

 だから逃げるだけ無駄だ。

 そう思っていたのだ。


 ナーシャは既に諦めてしまっていた。

 そのため抵抗する気力も乏しく、無言でアキラの後に続いていた。


 アキラが近くにめていた車に乗り込む。


「乗れ」


 ナーシャは大人しく助手席に座った。

 2人を乗せた車はそのままスラム街から荒野に出て行った。


 アキラ達が都市を出てからしばらく過ぎた。

 アキラは無言で、しかし不機嫌な様子もなく運転を続けている。

 ナーシャはそのアキラを見て再び困惑していた。


 人を殺すなら荒野で。

 そういうハンターの価値観で自分を荒野に連れ出したのだろうか。

 ナーシャは初めの内はそう思っていた。

 だがもう随分都市から離れている。

 殺して死体を荒野に捨てるためならば、既に十分離れている。

 ナーシャは疑問を抑えきれなくなった。


「どこまで行くんですか?」


「ああ、ナラハガカ都市まで行く」


「ナラハガカ都市?」


「知らないか?

 クガマヤマ都市の西にある都市だ。

 クガマヤマ都市ほどじゃないがそれなりに大きな都市で、防壁に囲まれた部分もあって、まあ、クガマヤマ都市を小規模にしたようなところ……らしい。

 知らないか、とか言ったけど、実は俺も知ったのは最近なんだ。

 だから詳しく知っているわけじゃない。

 そっちは?」


「な、名前ぐらいは知ってますけど……」


「そうか」


 アキラはそれで会話を止めた。

 ナーシャは困惑を強めて会話を止めてしまった。

 2人の間に再び沈黙が流れる。

 時間の流れがナーシャの混乱と困惑を再び質問できる程度まで癒やした。


「そこに私を連れて行ってどうする気なんですか?」


「どうもしない。

 違うな。

 連れて行って、置き去りにする」


「置き去りって……」


「俺はナーシャをナラハガカ都市で降ろしたらすぐに帰る。

 別の都市とはいえ、土地鑑のない場所に置き去りにされるなんていい迷惑だろうが、そこは悪いがこっちの都合だ。

 俺とそれなりにめたやつを近場に放置しておくと、後で面倒事に発展するかもしれないんだ。

 というより、一度発展したんだ」


 アキラが無造作に置かれているリュックサックを指差す。


「何も見知らぬ土地でえて死ねって意味じゃない。

 当座の金と、銃と、ちょっとした着替えぐらいは渡す。

 そこのリュックサックに入ってるから持っていけ。

 俺がするのはそこまでだ。

 後は勝手にしてくれ。

 悪いが自分で頑張ってくれ」


 ナーシャがリュックサックを開いて中を見る。

 ハンター向けの服と銃が入っているのは確認できた。


「後は勝手にしろと言ったけど、クガマヤマ都市に戻ってくるのはお勧めしない。

 シェリル達にも体面がある。

 ナーシャを見掛けたら放置はできないだろう。

 俺もそれを止めたりしない。

 俺が見逃したんだから手出しするな。

 そうシェリル達に指示を出すなんてことはないと思ってくれ」


 ナーシャは驚きながら困惑していた。

 アキラとリュックサックの中身に視線を何度も彷徨さまよわせてから、信じられないという表情を浮かべる。


「私を、見逃すの?

 どうして?」


 アキラが少し躊躇ためら誤魔化ごまかすように答える。


「……まあ、良いじゃないか。

 何となくだよ」


 ナーシャがどこか思い詰めた表情でかたくなに尋ね続ける。


「教えてください」


「それ、重要か?」


「教えてください」


「変なやつが妙な判断で気紛きまぐれを起こした。

 それで良いだろう?」


「教えてください」


 アキラがナーシャと視線を合わせて少しすごむ。


「……無理に聞きだそうとすると、俺の気が変わるかもしれない」


 ナーシャがアキラの目を見ながら答える。


「……構いません。

 教えてください」


 暗にこれ以上聞けば殺すと脅されてもナーシャは答えを欲した。

 その意思にアキラが僅かにたじろぐ。

 そして無視できないものを感じて軽いめ息を吐くと、どことなく自供するように口を開いた。


「帳尻合わせだ」


 ナーシャが予想外の言葉を不思議に思い僅かに首をかしげる。


「どういう意味ですか?」


「俺はお前の親友を殺した。

 その代わりにお前を見逃して、帳尻を合わせようとしている」


 ナーシャの表情が凍り付く。

 口から震える声が出る。


「アルナを、殺したの?」


「ああ、殺した」


 ナーシャの中に激しい感情が渦巻いていく。

 親友を殺され、親友を殺した男から情けを掛けられている。

 それが膨れあがる感情に一層拍車を掛けていた。


「アルナを殺したことを悪いと思っている。

 あれは仕方がなかった。

 だから代わりにお前を見逃してやる。

 そう言いたいの?

 帳尻合わせって、そういうことなの?」


「違う。

 俺は明確な殺意を持って彼女を殺した。

 そしてその罪悪感からお前を見逃そうとしているとか、そういう意図はない」


「じゃあ、どういう意味なのよ!」


 ナーシャは激情に駆られて叫んだ。

 親友のかたきへ憎悪の視線を向けるが、その相手は慌ても驚きもせずに落ち着きを保っている。

 その様子がナーシャの心をよりき乱す。


 乱れた心を映し出すように視線を彷徨さまよわせたナーシャの視界に先ほど確認した銃が映る。

 ナーシャは反射的にその銃をつかんだ。

 そしてアキラを見ながら銃の安全装置を外した。


 それでもアキラは平静を保ったままだった。


「親友を殺されたんだ。

 復讐ふくしゅうするなとは言わない。

 でも俺も黙って殺される気はない。

 分かりきった結果を試すつもりなら、覚悟しろ」


 アキラとナーシャの隔絶した実力差が状況の推移を止めていた。

 だがそれも次の言葉で揺らぐ。


「……あと、俺がこんなことを言うのもなんだけど、お前がそこまでしてかたきを取ろうとするのは、そのアルナの望むことなのか?」


 ナーシャが更に激情を高める。

 アキラに銃を向ける手前、ほぼ限界の状態で叫ぶ。


貴方あなたに、貴方あなたにアルナの何が分かるって言うのよ!」


「分からない。

 だから、一番よく知っていそうなやつに聞いている。

 親友、なんだろう?」


 アキラはナーシャの憎悪の視線にしっかり目を合わせ、真剣な表情で真面目に尋ねていた。

 ナーシャの表情が大きく揺らぐ。

 問いの衝撃がナーシャの表情から憎悪を吹き飛ばしていた。

 少女はひど狼狽ろうばいしたまま戸惑い震え続けていた。

 アキラはそれを黙って見ていた。


 共に過ごした記憶を基に、ナーシャの頭にアルナの姿が形作られる。

 そのアルナが少し寂しそうに笑って何かをナーシャに告げた。


 ナーシャの震えが止まる。

 そして、悲痛な表情で銃をアキラに向けた。


 荒野に銃声が響いた。

 銃弾は荒野に消えていった。

 発砲の直前にアキラが銃を手で横に押して射線をずらしたからだ。


 ナーシャが僅かに笑う。

 どこか安堵あんどを感じさせる笑顔だった。

 だがアキラが表情を変えずにそのまま何もしないでいると、ナーシャの表情から笑みが消え、困惑に変わり、悲痛な激情がこぼれだす。


「……殺しなさいよ。

 ……殺しなさいよ!

 貴方あなたを撃ったのよ!?

 これでもう私を見逃せないんでしょう!?」


 アキラは静かに首を横に振った。


「悪いが、俺もそれなりに強くなったんだ。

 だから、俺を殺そうとしているのか、俺に殺されようとしているのかぐらいは分かる。

 自殺ぐらいは自分でやってくれ。

 それで死に損なったら、止めぐらいは刺してやる」


 ナーシャが崩れ落ちる。

 自分では結局親友を助けられず、同じように死んであげることもできないと知って、様々なものが入り交じった胸中をさらけ出すように、怒りも悲しみもわだかまりも吐き出すように、声を上げて泣き始めた。


 そのまましばらく時が流れた。

 まだナラハガカ都市には到着していない。

 ナーシャは泣き疲れるまで泣き続けた。

 入り交じった感情を涙で流して、泣き疲れるまで出し続けて、ようやく落ち着きを取り戻した後は静かに助手席に座っていた。


 ナーシャが再び視線をアキラに向ける。

 そしてつぶやくような小さな声で再度尋ねる。


「……帳尻って、何ですか?」


「それに答える前に、一応確認だ。

 アルナは、お前の親友は、たとえそれが無謀でも、自分のかたきを取ってくれと言うやつなのか?」


 ナーシャは静かに首を横に振った。


「……いいえ。

 私が勝手にやりました。

 アルナなら、自分のことはもう良いから、とか言うと思います。

 多分ですけど。

 私がやったことを知ったら、多分怒ると思います」


「そうか。

 良いやつだな」


「……。

 はい」


 お互いに静かな落ち着いた口調で会話が続いていく。


「帳尻合わせの意味か。

 要は、げん担ぎみたいなものなんだ」


げん担ぎ?」


「ああ、どうも俺は運が悪いみたいで、いろいろあったんだ」


 アキラがどこか達観したような表情と口調で続ける。


「俺がアルナを殺した時の話だ。

 アルナはすごい強いやつに守られていた。

 そいつは良いやつだった。

 そしてアルナを命懸けで守っていた。

 報酬なんか出ないのに、別に借りがあったりもしないのに、必死に守ろうとしていたよ。

 そいつがそこまでするんだ。

 そいつが守っているやつも良いやつかもしれない。

 でも殺した。

 ……良いやつを殺すと、何となくだけど運が悪くなる気がする。

 多分俺の運はその所為で非常に悪くなっている気がする。

 実際にかなり大変な目に遭った。

 本当に大変だった。

 もっともそこには俺がアルナを殺すのを諦めれば回避できたことも含まれている。

 まあ、自業自得だな」


 ナーシャは誰かがそこまで必死に親友を守ろうとしてくれたことをうれしく思った。

 そしてそれでも殺したいという思いを抱かせてしまうほどの因果をアルナが背負ってしまっていたことをかなしく思った。


「……それなら、私を見逃したように、アルナを見逃すことはできなかったんですか?」


 糾弾ではなく、純粋な問い。

 アキラはナーシャからそれを感じて、正直に答える。


「……できなかった。

 それは俺の性根とかの問題だ。

 どうしてできないんだと言われても、ナーシャが納得できそうな答えは返せない」


「……そうですか」


「運が悪ければどんなやつでも死ぬ。

 俺はそう思っている。

 ナーシャを見逃したのは、アルナを、良いやつを殺したことで悪くなった俺の運勢を、少しでも上向きにできないかってだけだ。

 つまり俺の都合だ。

 帳尻合わせと言ったけど、まあ、帳尻は合っていないだろう。

 でもやらないよりはましだろう。

 そういうことだ。

 別に何か深い理由があるわけじゃない」


 暴論ではあるが、アルナが死んだのは運が悪かったからであり、ナーシャが生きているのは運が良かったからだ。

 それはある意味において正しいのだが、ナーシャはそこに世の不条理を感じた。


「……アルナは、もうどうしようもなかったんですか?

 どうしても助からなかったんですか?」


「さっきも言った通り、俺の性根がもう少しましならって言われても困る」


「いえ、そうではなく、その、何というか、いろんな意味でです。

 何か、ほんのちょっとしたことがあれば、アルナは助かったのかもしれない。

 そういう、何かです」


「……そうだな。

 例えば……」


 アキラはアルナが助かったかもしれない可能性を思いつく限り挙げてみた。


 あの日アルナがアキラを狙わなければ。

 アキラが油断していなければ。

 スリを成功しなければ。

 逃げた先にカツヤ達がいなければ。

 カツヤ達がアルナをかばい、アキラが引き下がったことで因縁が生まれていなければ。

 その失態を元にしてアキラの評価を落とすうわさが流れていなければ。

 そのうわさを聞いた強盗達がシェリル達の拠点を襲わなければ。

 アルナがエゾントファミリーに身柄を押さえられていなければ。

 カツヤが先にアルナを救出していれば。


 アキラはアルナとの縁を順に思い返しながら一通り話し終えた。

 聞き終えたナーシャがかなしげに微笑ほほえむ。


「助かったかもしれない何かが、それだけあっても駄目だったのね……。

 アルナの運の悪さも相当だわ。

 ……知ってました?

 アルナにはスリの才能があったんです」


「いや」


「物すごい才能があるって、天性の才があるって言われていました。

 いろんな人からその才能に目を付けられて、脅されて無理矢理やりやらされたこともあって、アルナも大変だったんです。

 でも、大勢の人からお金を盗んだことに違いはないんですよね。

 ……悪いことをたくさんしたから、アルナの運が悪くなっていたのかな。

 ……私がもっと前にアルナを止めていれば、運も少しは上向いていて、もしかしたら、何とかなっていたのかな……」


 自分の無力を悔いたナーシャの目から、泣き疲れて枯れたはずの涙が僅かだがこぼれていく。


 そうかもしれない。

 そんなことはない。

 アキラはどちらの言葉も掛けることができず、ただ黙っていた。




 アキラ達は夕暮れ近くにナラハガカ都市に到着した。

 防壁に比較的近い場所にあるハンターオフィスの前で車をめてナーシャを降ろす。


 ナーシャは既にアキラが用意した服に着替えていた。

 ハンター向けの服で適度に薄汚れている。

 ハンターオフィスに用がある人間の格好としてはまあまあの服装だ。

 スラム街の住人にしては上等。

 着替える前のその程度の服よりは見掛けで侮られることもない。


「それじゃあ、まあ、俺が言うのもなんだが、元気でな」


「はい。

 アキラさんもお元気で」


 社交辞令のような別れの挨拶を済ませた後、ナーシャが真面目な表情でしっかりとアキラを見る。


「私、多分貴方あなたが嫌いです。

 アルナを殺されたこと、まだどこかで恨んでいると思います」


 アルナに事情があるように、アキラにも事情がある。

 ハンターが虚仮にされればその話が広がって評価が下がり、結果として命に関わることもある。

 それを拭うために譲れないこともある。

 ナーシャにもそれは分かっていた。


 そしてナーシャも不本意とはいえアキラを虚仮にしたがわの人間だ。

 アキラから盗まれた金でシェリル達の徒党に潜り込み、アルナを逃がすために情報を流したのだ。

 本来ならば程度はあっても報復を受けてもおかしくはない。

 しかし見逃された。


「それでも、見逃してくれてありがとう御座いました」


 撃って、泣いて、話して、ナーシャは親友の死を良い意味で割り切ることができた。

 親友を殺されたわだかまりが完全に消えたわけではない。

 それでもしっかり前を向くことができるぐらいには立ち直っていた。

 見逃してもらえた感謝も含めて、深々とアキラに頭を下げた。


 アキラは礼を言われるとは思っておらずかなり意外そうな表情を浮かべる。

 その後でどことなく寂しげに軽く笑う。


「ナーシャは、やっぱり良いやつだな」


「そうですか?

 私は貴方あなたを撃ったんですけど」


「良いやつにも事情がある。

 その事情があるからって、盗まれたり撃たれたり殺されたりするわけにはいかない。

 それだけの話だ」


「アルナを殺した理由もそれですか?」


「半分は、そうだな」


「それなら残りの半分は?」


「アルナを見逃せなかった俺の器の狭さとか、臆病さとか、実力不足を含めた弱さとかだよ。

 俺がいろんな意味で十分に強ければ、まあ、蹴飛ばすぐらいで済ませていたかもな。

 じゃあな」


 車を動かそうとするアキラをナーシャが呼び止める。


「最後にシェリルさんに伝言だけお願いしても良いでしょうか?

 信頼を裏切ってしまって本当に御免なさい。

 そう言っていたと。

 もう会う機会もないでしょうから」


「分かった。

 伝えておく」


「ありがとう御座います」


 ナーシャは視界からアキラの車が消えるまで見送った後、しっかりとした足取りで歩き出した。




 シェリルが自室でアキラと情報端末越しに話している。


「……そうですか。

 ナーシャをナラハガカ都市に……」


「ああ。

 俺の都合で勝手に決めて悪かった。

 シェリル達にも徒党の体面とか、けじめの付け方とかいろいろあるんだろうが、まあ、見逃してやってくれ」


「いえ、アキラがそれで良いのなら私達は全く構いません。

 気にしないでください」


 シェリルは本心でそう答えながら安堵あんどしていた。

 アキラから連絡を受ける前も、受けて話を聞いた後も、戦々恐々としていたのだ。


 ナーシャがアキラとどんなり取りをしたのかは分からないが、通話越しの口調から察するに、非常に穏便に事を済ませたようだ。

 ナーシャに好印象すら抱いているように感じられる。

 この様子なら自分達への悪影響もないだろう。

 シェリルはそう判断してナーシャに感謝すらしていた。


「あとナーシャからシェリルに伝言だ。

 信頼を裏切ってしまって本当に御免なさい、だそうだ。

 ちゃんと伝えたぞ。

 俺が言うのもなんだが、大目に見てやってくれ」


「はい。

 アキラがそう言うのでしたら、全く問題ありません」


 シェリルの力強い返事に、アキラが少し引き気味な声を返す。


「そ、そうか。

 まあ、それ以上はシェリル達の都合に合わせて好きにしてくれ。

 徒党の引き締めとかの問題で無罪放免だと都合が悪いのなら、俺がナーシャを殺して荒野に捨ててきたとでも好きに言ってくれ。

 その辺は任せるよ。

 その辺の調整なんか俺には分からないからな。

 また何かあったら連絡してくれ。

 その内また顔を出すよ。

 じゃあな」


「待ってます。

 あ、最後に一つ聞いても良いですか?

 どうしてナーシャとアルナが親友だって知っていたんですか?」


「ん?

 昼間にシェリルから通話が来た少し前に、先にヴィオラから連絡があって、そこでいろいろ情報を提供されたんだ」


 シェリルが盛大に吹き出した。

 その音がアキラにも伝わり、苦笑気味の声が返ってくる。


「あいつ、私があれだけ言ってもシェリル達がこの件を隠そうとしたらちょっと扱いを変えた方が良い、とか言ってたけど、大丈夫だったな」


「も、勿論もちろんです!」


「そうだな。

 じゃあな」


 アキラとの通話が切れた。

 シェリルは思わず大声を上げようとする自分を必死に抑えていた。


 今回の件で、シェリルはアキラの非情で、容赦がなく、問答無用な部分を多く見てきた。

 そのアキラがナーシャを見逃したと知って、アキラの優しさを垣間かいま見たようでうれしく思っていた。


 シェリルはそれで非常に上機嫌になっていたのだが、最後のヴィオラの話で吹っ飛んだ。


 それなら昼間のアキラが自分の話を落ち着いて聞いていた理由も付く。

 既にアキラは全てを知っていたのだ。

 そしてちゃんと自分が連絡してきたので、それ以上不機嫌にならなかったのだ。


(……危なかった!

 先手を譲るってそういう意味!?

 確かにこっちで対処すればアキラに話さないとは言っていなかった!

 あの女、何てたちが悪いの!?)


 シェリルは大きく深呼吸して何とか気を落ち着かせると、エリオとアリシアにナーシャの件を伝えることにする。

 随分心配していたからちゃんと教えた方が良いだろう。

 アキラを過剰に恐れさせないためにもその方が良い。

 そう判断してエリオ達を呼び出す。

 ついでにヴィオラのたちの悪さについてしっかり教え込んでおこう。

 そう心に決めながら。




 アキラがクガマヤマ都市への帰路に就いている。

 既に夜だが都市へはまだ遠い。

 レンタル車を気遣ってモンスターと遭遇する可能性が高い地帯を大幅に迂回うかいして進んでいるからだ。


 シェリルとの話を終えた後で、アキラが自分をじっと見ているアルファに気付く。


『何だよ』


『アキラとの付き合いも結構長くなってきたと思っているけれど、相変わらずアキラの基準はよく分からないと思っていたのよ。

 ナーシャの対応は、本当にあれで良かったの?』


『見逃したのが不満なのか?

 まあ、確かに後でナーシャの気が変わって俺を殺しに来る可能性はあるけど、もしそうなったらその時は対処しよう』


 付け加えれば、ナーシャを殺しておかなければ生き残れないほど自分はまだ弱いのか、そこまで無力なのか、その確認のためでもあった。

 自覚は薄いが、良いやつならば見逃しても大丈夫だろう、という打算もあった。


『そういう意味ではないわ。

 ヴィオラも一応見逃して、ナーシャはわざわざナラハガカ都市まで送ってまで見逃したのなら、アルナを見逃すのも妥当なはず。

 そうすれば人型兵器と交戦するような面倒事に遭わずにすんだのに。

 その辺の判断基準はどうなっているのやら。

 そういう意味よ』


 アキラが苦笑する。

 ばつが悪そうに口元をゆがめる。


『悪かった。

 俺もあそこまで面倒な事になるとは思ってなかったんだ。

 ……エレナさん達の忠告が今更ながら身に染みるな。

 いや、流石さすがにエレナさん達もあそこまでの事態は予想してなかったと思うけど』


 あの時のアキラにとって、アルナは無能な自分の証拠であり、失敗を繰り返して再びスラム街に戻るかもしれないという恐怖の象徴でもあった。

 アキラがアルナに向けた殺意には、それを打ち消そうとする思いも含まれていた。

 そしてその象徴であるアルナを殺したことで、アキラはある意味で我に返っていた。


折角せっかく忠告してくれたのに、エレナさん達に随分失礼な態度を取っちゃったな』


 アキラが少し意気を落としてめ息を吐く。

 忠告は正しく、それを無視したのだ。

 非礼をびるにしても何の面下げて、という気持ちもあった。


 アルファがアキラを気遣うように微笑ほほえむ。


『反省したのなら、次からもう少し自重しなさい。

 そうすれば誰かにいろいろと心配を掛けることも減るでしょう。

 勿論もちろん、私も含めてよ?』


『了解だ』


 念を押すように微笑ほほえむアルファにアキラは苦笑を返した。


『ところで、カツヤはどう扱うつもりなの?』


『カツヤ?

 あいつが何か関係あるのか?』


『あの時に一応殺し合ったでしょう。

 自重するのなら、アキラの更なる面倒事を防ぐためにも、気が進まないとしても見逃してほしいわ』


 アキラは納得したように表情を変えてから、どうでも良さそうな表情に変える。


『そういうことか。

 あいつに関しては見逃すって言うか、どうでもいい。

 あいつと交戦したのはアルナを殺す障害だったからであって、別にあいつに個人的な恨みがあるわけでも殺す理由があるわけでもないしな。

 向こうの出方次第だ。

 こっちからどうこうする気はない』


 そこまで言ってから、アキラが表情を真面目なものに変える。


『もし向こうから襲ってきたら、アルナのかたきを取るとかで俺を殺す気なら、その時は仕方ない。

 殺そう』


 アルファがアキラの少し張り詰めた空気を散らすように微笑ほほえむ。


『そう。

 それなら念のため向こうのやる気をぐためにも、もっと強くなっておきましょうか。

 アキラが十分強ければ、向こうも襲う気なんてなくなるでしょうからね。

 もっと良い装備もしっかりそろえましょう』


 アキラも軽く笑って先ほどの空気を散らす。


『もう4億オーラム近い装備をそろえたっていうのに、足りないのか。

 大変だな』


『少なくとも私の依頼を達成できるほどではないわね。

 そっちの目的のためにも、これからも頑張ってね?』


『先は長そうだな。

 了解だ』


 アキラは軽く笑って夜の荒野を進んでいく。

 スラム街の路地裏から抜け出して、危険な荒野を進めるほどに強くなった。

 だがそこまで強くなってもまだまだ足りていない。

 一体どれほどの強さがいるのか。

 アキラには見当も付かなかった。




 ヤナギサワが自室で空中に視線を向けている。

 そこには何もないが、ヤナギサワには拡張現実機能により表示されている情報が見えている。

 大勢のハンターの顔が一覧表示されているのだ。


 ヤナギサワがハンターの一人に注目する。

 するとそのハンターに関する詳細な情報が少し手前に表示された。


「君かな?」


 ヤナギサワはそうつぶやいてから、それを肯定する要素を思い浮かべていき、その後で今度はそれを否定する要素を思い浮かべていく。

 そして総合的に判断して結論を出す。


「……違うな」


 前面に出していたハンターの詳細情報を消した後で、別のハンターの詳細情報を表示する。


「君かな?」


 先ほどと同じように肯定し、否定し、結論を出す。


「……違うな」


 ヤナギサワはそれを繰り返していた。

 老若男女のハンターを、生身や義体やサイボーグのハンターを、同じように検討し続けていた。


「君かな?」


 今までと同じように対象のハンターの情報が表示される。

 それはアキラだった。


(スラム街出身の子供のハンター。

 君が旧領域接続者だとする。

 近場の遺跡であるクズスハラ街遺跡に向かい、そこであいつらと出会って契約したとする。

 そしてあいつらの助力を得て、旧世界の遺物を発見し、売り払い、装備を整えて、ハンターとして成功していく。

 君が十分な装備と実力を身に着けたら、あいつらが君をあの場所に誘導する。

 誘う亡霊。

 俺があいつらを発見しやすいように流したうわさそのままに。

 君はこの短期間でハンターとして著しい成長をした。

 全てはあいつらとの契約のおかげ。

 辻褄つじつまは合っている)


 ヤナギサワは肯定する要素をそれまでと比べて少し多めに思い浮かべた。

 それにより表情を少し真剣なものに変えた。


(しかしだ。

 多少強くなったと言っても、あの場所に行く基準にはほど遠い。

 あいつらがそんな弱いやつと契約するか?

 折角せっかく見つけたのだからと契約したとする。

 だが君は何度も死にかけている。

 カツラギという商人が出した緊急依頼。

 遺物襲撃犯との遭遇。

 賞金首もどきに車両ごと食われたこともある。

 あのセランタルビルへの突入にも参加し、先日の抗争にも巻き込まれている。

 どれも死んでも不思議はない事態だ。

 もしあいつらが君と契約していたのなら、貴重な契約者を死なせないために、偶発的な事態以外にはそもそも関わらせないはず。

 こんなに何度も死にかけたりはしない。

 食い違う。

 ……類いまれな才能の持ち主が、子供の内にその才能を開花させて、旧世界の遺物を見付ける運にも恵まれて、ハンターとして大成する。

 成り上がったハンターの成功例。

 まれにあることだ。

 どちらかと言えばそっちか?)


 ヤナギサワが肯定要素と否定要素から検討して結論を出す。


「……違う、かな?」


 ここで決めつけるには弱い。

 ヤナギサワはそう判断して、取りあえずアキラの名前を候補者リストに入れるだけにとどめておく。

 リストには既にそれなりの人数が記載されている。

 そして次のハンターの検討に移る。


「君かな?」


 ヤナギサワがそのハンターの情報を注意深く読み取る。

 表示されている情報はカツヤのものだ。


(ドランカム所属のハンター。

 以前から徒党内で高い評価を得ていたが、最近更に急激に評価を伸ばしている。

 都市に上がる報告でも以前は少々徒党での身贔屓びいきとも思える評価だったが、今は都市の職員もその確かな実力を確認している。

 単純な数値上での比較では、突如別人とも呼べる実力を身に着けたようにも感じられる。

 君が旧領域接続者であり、あいつらと契約して助力を得た結果だとしたら、その実力の急激な上昇にも辻褄つじつまが合う)


 ヤナギサワが肯定要素の検討を終えてから、今までと同じように否定要素の検討に入る。


(しかしだ。

 君が突然強くなったのはミハゾノ街遺跡での活動の後だ。

 いや、セランタルビル及びその周辺での戦闘中か?

 どちらにしてもクズスハラ街遺跡ではない。

 あいつらはミハゾノ街遺跡にはいないはず。

 少なくとも過去の記録を確認する限りは、あいつらはクズスハラ街遺跡でしか勧誘をしていない。

 記録を盲信するのは悪手だが、無視もできない。

 それに実力もあの場所に行く基準にはほど遠い。

 君はセランタルビルでの戦闘で何らかの切っ掛けをつかみ、本人も認識していないスランプから脱した。

 ハンターが何らかの切っ掛けで見違えるように実力を向上させる。

 それは大成するハンターによくあることだ。

 そっちか?)


 ヤナギサワが結論を出そうとした時、ある引っかかりを覚えて思考をそちらにずらした。


(……セランタルビル、この日付、俺がセランタルビルに行った日に君もここに来ている。

 俺の予約は取り消されていた。

 あいつらは普段はクズスハラ街遺跡にいるが、俺の予約を妨害するために一時的にあの場にいたとしたら?

 そして君と契約を結び……、いや、待て、無理矢理やり辻褄つじつまを合わせようとするな。

 一度決めつけてしまえばその判断に引きられる。

 そもそも君が旧領域接続者であるという仮定での話だ。

 仮定は仮定だ。

 判断材料にするのは構わないが、まずは事実を優先させろ)


 ヤナギサワが更に思考を続けようとした時、外部から通話要求が届く。

 思考を中断させられたことに少々顔をゆがめたが、無視できない相手であることを確認すると、気を取り直していつもの楽しげな笑みを浮かべる。

 そして通話要求を受け入れた。


「……えっと、まだネルゴで良いんだっけ?

 それともそろそろ名前を変えちゃった?」


「大義に名をささげる神聖な行為。

 それはそう頻繁に行うものではない」


「あっそ。

 じゃあ当面はネルゴなんだ。

 それで、何の用?」


 ヤナギサワの軽い口調とは対照的な、ネルゴの真面目な声が返ってくる。


「ドランカムに所属しているカツヤというハンターを知っているか?」


 ヤナギサワがカツヤの情報に視線を向けながらとぼけるように答える。


「カツヤ?

 えーっと、ああ、えー、そう、あいつだろ?

 最近ドランカムで頑張っている若手ハンターだ。

 頑張りすぎてドランカムで内紛が起きているとか。

 そいつだろ?」


「そうだ。

 そのカツヤの扱いについて、同志に確認を取りたい。

 いや、許可と言うべきか」


「許可?

 何の?」


「彼を我々の方で確保したい」


 ヤナギサワがネルゴの少々意外な要求に少し驚きながらも、軽くふざけたような口調で答える。


「あー、何だ、俺も君達に協力しているけどさ、一応都市側の人間なんだ。

 あるハンターをさらって良いかと聞かれたら、駄目だよって答えないといけない立場なんだけど。

 そもそも何でそんなことを一々俺に聞くんだ?」


「同志と今後も友好的な付き合いをするためだ」


「それって、どういうこと?」


「そのカツヤが、同志が探している人物の可能性があるからだ。

 探しているのだろう?

 クズスハラ街遺跡にいた旧領域接続者を」


 ヤナギサワの表情から笑みが消える。

 ネルゴはそれに気づけないまま断言する。


「カツヤは旧領域接続者だ」


「……へぇ!」


 ヤナギサワの表情に再び笑みが戻る。

 作り笑いではない、非常に楽しげな笑みだった。

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