第165話 ヴィオラとの交渉

 朝日が昇り始めた頃、エゾントファミリーの拠点に新たな一団が到着する。

 ドランカムの者達だ。

 昨晩の騒ぎはクガマヤマ都市も下位区画のスラム街に近い場所での出来事とはいえ流石さすがに無視できず、いろいろと調査することになったのだ。

 そして取りあえず現場の様子を把握するためにドランカムを派遣したのだ。


 またドランカムにも別の理由でこの場に来る用事があった。

 ドランカム保有の車両がここで破壊されたからだ。

 車の制御装置がドランカムに破壊時の記録を送信していたのだ。

 都市から今回の騒ぎとドランカムの関係性を下手に疑われる前に、ドランカムとしても独自の調査を進めたかったのだ。


 現場に到着したシカラベが庭の状況を見て顔をしかめる。


「酷えな」


 朝日を浴びて闇の覆いを剥がされた庭の光景は軽い地獄絵図だった。

 死体がそこら中に散乱しており、死体から流れ出た血が池を造り、その池に原形をとどめていない肉片の一部が浮かんでいた。


 ヤマノベが少しあきれ気味の表情を浮かべる。


「これは……、軽く3桁は死んでるな。

 向こうのやかたの中の状況次第では4桁いくか?

 モンスターらしき死体やら残骸やらは見当たらない。

 純粋に対人戦か。

 荒野にモンスターがうじゃうじゃしているこの東部で、わざわざ人間同士で殺し合わなくても良いだろうに」


 パルガが庭に散らばっている戦闘車両や人型兵器の残骸を見てうなっている。


「……こんなものまで持ち込んでり合ってたのかよ。

 随分と景気の良い連中だな。

 これ、10億や20億のはした金じゃすまねえだろう。

 この運用費用だけでも最低100億オーラムは軽く吹っ飛んでるんじゃねえか?」


 シカラベ達は三者三様に状況のひどさを語った後で当面の目的を片付けるために動き出した。

 庭を捜索してドランカムの車両を探し出す。

 両断された車両を見つけた後は少々強引に内部部品を取り出した。

 それは一種の記録装置だ。

 車が破壊されるまでの内容が記録されているのだ。


 シカラベがその装置の破損状態を確認する。


「まあ、多分大丈夫だろう。

 駄目でも俺らの所為じゃねえ」


 パルガが両断された車体の破損状況を見ている。


「デカい刃物で一刀両断か?

 人型兵器の近接装備にでも斬られたのか?

 こいつに乗ってたやつは一体何をやってたんだ?

 シカラベ、何か知らないか?」


「さあな。

 正確な状況はこの記録装置の中を調べないと分からん。

 これに誰が乗っていたのかも不明だ。

 事前申請無しで使ったらしいからな。

 まあ、ここまでぶっ壊したんだ。

 保険にも限度がある。

 徒党から幾ら請求されるか知らんが、使ったやつが生きていれば、御愁傷様ってとこだな」


 最低限の、そして最優先の目的を済ませたシカラベ達がドランカムに連絡を取る。

 すると記録装置を持ち帰ってすぐに拠点まで帰還するように指示が返ってきた。

 シカラベがヤマノベ達にそれを伝えようとした時、何となくやかたの方を見ていたヤマノベがユミナ達の姿に気付いた。

 ユミナとアイリを中心にした10名ほどでやかたの内部に突入しようとしていた。


 ヤマノベが怪訝けげんそうにする。


「あれはカツヤの連中か。

 ん?

 そのカツヤがいねえな」


 パルガもユミナ達に気付いて注目する。

 そして別のことに気付いた。


「あれは……ネルゴか?

 あいつらに混ざって何をやってるんだ?」


 シカラベが嫌そうに不機嫌そうに口を挟む。


「知るか。

 放っておけよ。

 俺達には関係ねえ」


 ヤマノベ達がカツヤという単語が出た時点で機嫌を悪くしたシカラベを見て苦笑した。

 この話題を続けてシカラベの機嫌を悪くする必要もないので、話を打ち切って全員でその場から立ち去った。




 カツヤが1人でここに乗り込んだ可能性がある。

 ユミナ達はミズハからその話を聞いてカツヤの捜索を進めていた。


 やかたの中もひどい状態だった。

 至る所が死体であふれていた。

 モンスターとの戦闘にはもう慣れているユミナ達だったが、ここまで凄惨な対人戦の跡を見た経験などなく、大半の者が表情を青ざめさせながら怖々と進んでいた。

 平然としているのはネルゴだけだ。

 ほとんどが少女のハンターで構成された部隊の中で、1人だけ明確な戦闘用サイボーグのネルゴは異質で少し目立っていた。


 ネルゴは四本の腕にそれぞれ銃を持ち、ユミナ達の前に立って安全確認をしている。

 ユミナは少し申し訳なさそうな表情を浮かべていた。


「すみません。

 ミズハさんからの頼みとはいえ、こんな危険なことを手伝っていただいて……」


 ネルゴが明るい声を返す。


「なに、構わない。

 カツヤ君には前に助けてもらった恩もある。

 私で良ければ喜んで協力させてもらうよ」


 そう答えながらネルゴが皆の様子を見た。

 感謝の意を示す者、その程度は当然のことだと態度で示す者、そもそも反応を示さない者、それらの様子をしっかり観察していた。


「ところで、君達にこんなことを言うのも何だが、私一人で探索しても良いのだよ?

 ハンターとはいえ、年端もいかない君達にこの光景は酷だ。

 何かあれば連絡する。

 君達はやかたの外で連絡を待っていれば良い」


 ユミナはネルゴの言葉を自分達への気遣いだと判断した。

 カツヤが本当にここにいるのならば、館内部の惨状から考えて死亡している可能性も、更には死体が真面まともな状態で残っていない可能性もある。

 ユミナ達にその状態のカツヤを会わせるのは酷だと、それを防ぐための言葉だと解釈した。


 ユミナもその可能性には気付いていた。

 それでもしっかりと答える。


「いえ、流石さすがにそれは、大丈夫です」


「……そうか。

 君は強いな」


 ネルゴもそれ以上は言わずに探索に戻った。


(対象が生存していれば問題ない。

 だが既に死亡していた場合は遺体を我々で確保しておきたいのだが……。

 ドランカムでの立場もある。

 この場での短慮独断専行は控えるべきだな)


 ネルゴは思考をにじませない金属の顔の裏で、そう別の判断をしていた。


 ユミナ達がやかたの探索を進めていく。

 そこでカツヤの情報端末らしい反応を見つけて連絡を試みる。

 だが返事は返ってこなかった。

 最悪の事態を覚悟しながらその反応の元に移動する。

 反応の場所に到着したユミナ達が見たものは、部屋の中で床に腰を落とし項垂うなだれているカツヤの姿だった。


 少女達がすぐにカツヤの周りに群がって声を掛ける。

 だがカツヤは返事を返さずに暗い顔で項垂うなだれたままだ。

 ただユミナ、アイリ、ネルゴの3人は一歩引いて周囲の状況確認を続けていた。


 ユミナが部屋の状況を見て顔をしかめる。

 この部屋にも多数の死体が転がっており、流れ出た血が床をひどく汚している。

 アイリが死体の数を軽く数えて少し驚いている。


すごい数。

 カツヤが?」


「全部そうかは分からないけど、それよりも……」


 ユミナが周囲の死体の中から毛色の違う死体に気付いてかなしそうな表情を浮かべた。

 カツヤに近い場所に静かに横たわっている少女の遺体。

 アルナだ。


 ユミナはそれを見てある程度事情を把握した。

 カツヤはアルナを助けに来て、そして失敗した。

 それがカツヤの心に強い影を落としているのだと。


 ユミナがカツヤを囲んでいる少女達に割って入る。

 そしてカツヤの前でかがんで静かに声を掛ける。


「カツヤ。

 帰ろう」


 カツヤはうつむいたまま返事を返さなかった。


「アルナを連れて帰ってあげないと。

 ね?」


 カツヤが顔を上げた。

 しかし返事は返さなかった。

 ユミナはそれが今のカツヤの精一杯だと理解して、カツヤに肩を貸して無理矢理やり立たせた。

 カツヤも抵抗しなかった。


 ユミナがアイリに視線を送る。

 アイリがうなずいてアルナの遺体を指差しながら他の少女達に指示を出す。


「連れ帰る。

 手伝って」


 アルナの遺体は血まみれだ。

 顔は綺麗きれいに拭かれていたが、他の箇所はアルナ本人のものと、恐らく近くで殺された男達から飛び散った血でひどく汚れていた。

 少女達が少し嫌そうな態度を見せる。

 アイリの視線が厳しくなり、少女達が軽くたじろいだ。

 そこにネルゴが割って入る。


「いいよ。

 私がやろう」


 ネルゴは手持ちの荷物から死体袋を取り出してアルナの遺体を丁寧に収納していく。

 場合によっては血まみれの遺体を担いで運ぼうと思っていたアイリが短い礼を言う。


「助かる」


「なに、前にも言った通り、気にすることはない」


 ハンターが死体袋を常備していること自体は別に不自然なことではない。

 そのためアイリはネルゴが事前に死体袋を用意していたことを不思議には思わなかった。


 丁寧に仕舞しまわれたアルナを見て、カツヤが少し泣きながら小さな声を出す。


「……守れなかった」


 それを聞いたユミナがかなしくも優しく声を掛ける


「……カツヤだけでも無事で良かったわ」


 カツヤがユミナに支えられながら部屋から出て行く。

 アイリがアルナの遺体を両手で丁寧に運びながら後に続く。

 少女達がその後に続く。


 最後に残ったネルゴが部屋を出ようとして、部屋の中をもう一度ちらっと見る。


(これは恐らく彼の仕業。

 一人でこの戦闘力か。

 彼の高評価はあの影響によるものだと判断していたが、これは修正するべきか?

 ……まあいい。

 そうだとしても大まかな予定は変わらない。

 同志に確認を取る必要もあるのだ。

 保留で良いだろう)


 ネルゴはそう判断し直して部屋から出て行った。


 カツヤ達はそのままやかたを出ると、外にめていた装甲兵員輸送車に乗ってドランカムの拠点まで戻っていった。


 カツヤが車両内部の長椅子にユミナとアイリに挟まれて座っている。

 その表情は暗いままだが、戦地から離れたことで僅かに気力を取り戻していた。

 だがその気力が思考の余裕を生み出し、カツヤの脳裏にある言葉を繰り返させた。

 その言葉を振り払おうとしても、脳裏にこびり付いてしまっており、より強く意識してしまうだけだった。

 カツヤがささやきにも満たない声にもならない声を出す。


(……ちくしょう)


 その約束は守れない。

 そのアキラの言葉が、カツヤの頭からどうしても離れなかった。




 アキラは自宅のベッドで死んだように眠っていた。

 あれから家に帰った後、重い銃器類を適当に床に捨てるように置き、強化服と防護コートを何とか格納棚に仕舞しまい、疲労と眠気の所為で溺れそうになるのを堪えながら風呂に入って、回復薬を飲んでからベッドに倒れ込んだのだ。

 流石さすがにアキラも限界で、アルファも銃器類の整備を済ませてから寝ろとは言わなかった。


 そのアキラが目を覚ました。

 部屋の中は真っ暗だ。

 寝ている間にまた日が沈んだのだ。

 ただしアルファの姿だけははっきりと見えていた。


『おはよう。

 アキラ。

 と言っても、もう夜だけどね』


 アキラはぼんやりとした頭で二度寝を検討していた。


『また寝るのは構わないけれど、アキラが寝ている間にエリオとキャロルから通話要求があったわ。

 テキストメッセージを残しているから、気になるなら確認してね』


 エリオから連絡が来るとは珍しい。

 アキラはそう意外に思い、軽い興味を覚えて眠気を散らした。

 身を起こして軽く伸びをしてから情報端末を手に取り、メッセージを確認する。


 アキラが不思議そうな表情を浮かべる。

 エリオからの連絡はシェリルの消息を尋ねるものだった。

 しかもメッセージを残した時間を確認すると、アキラがキャロルにシェリルを託した後だ。


「……拠点に戻ってないのか?」


 続けてキャロルのメッセージを確認する。

 まだキャロルがシェリルを預かっているという説明に加えて、なるべく早く連絡が欲しい旨が書かれていた。


 アキラはそのまま情報端末を操作してキャロルに通話要求を投げる。

 すぐにつながった。


「やっと連絡してくれたのね?

 ちょっと遅いわよ?」


「悪い。

 あれからいろいろあったんだ。

 それで、シェリルは一緒なのか?」


「ええ。

 まだ預かっているわ」


「拠点に帰さなかったのか?」


「それも少し考えたけど、アキラから受けた依頼はシェリルの安全のためなんでしょう?

 確かにあそこから脱出させたのだから依頼は済んだとも考えられるけど、シェリルをあの余波でまだまだごたごたしているスラム街の拠点に返して、その後の偶発的な戦闘でシェリルが死傷したら、後で絶対めると思ったのよ。

 私としてはアキラにシェリルを引き渡して依頼の完了としたいの。

 だからシェリルを引き留めさせてもらったわ」


「ああ、そういうことか。

 確かにそうだな」


「それで、できれば早めに迎えに来てほしいのだけど、そっちの都合は大丈夫?

 まあ、そのままもうしばらく預かっていてほしいのならそれでも構わないけど、延びた期間の分だけ報酬を期待させてもらうから、そのつもりでいてね?」


 アキラがキャロルの楽しげな声を聞いて苦笑する。


「分かったよ。

 今からいく。

 どこに行けば良いんだ?」


「場所を今から送るわね。

 待ってるわ」


 キャロルの誘うような声を残して通話が切れた。


 アキラが軽いめ息を吐いて少し項垂うなだれる。

 起きた後で少しぼんやりしていた意識が戻るにつれて、いろいろなことが頭に浮かんできたのだ。


「……キャロルへの報酬、幾らぐらいになるんだ?」


『アキラはどの程度が妥当だと思っているの?』


「相場なんか分からないけど、俺なら5000万オーラムであそこに行くのはお断りだな」


 キャロルに支払う報酬は要相談となっているが、経費込みで5000万オーラムが上限だと事前に決めている。

 つまり、既にアキラの感覚では報酬を上限一杯支払ったとしても、キャロルは割に合わない仕事を引き受けたことになる。


『頼まれもしないのに好き好んで行った人の言葉とは思えないわね。

 でもまあ、考えなしに突っ込んで、終わった後で割に合わなかったと嘆く人の言葉としては妥当かしら?

 報酬に上限を決めておいて良かったわね?』


「全くだ」


 少し揶揄からかううように楽しげに笑うアルファに、アキラは苦笑を返した。


 アキラがキャロルに指定された場所は、都市の下位区画にある少々寂れ気味の雑居ビルだった。

 前にミハゾノ街遺跡に行った時にキャロルと合流した辺りとはかなり離れた場所だ。


 キャロルの自宅かその近く。

 あるいはどこかの安宿。

 又はどこかの飲食店。

 その辺りだろうと考えていたアキラは、少々意外な場所を指定されたことを不思議に思いながらも出発する準備を始めた。


 格納棚から強化服と防護コートを取り出して着用する。

 そこでアキラは防護コートの穴が塞がっていることに気付いた。


すごい。

 直っている」


『格納棚に搭載されている修復機能よ。

 正確には私がそれを少々改造した機能だけれどね。

 強化服の方も細かいメンテナンスを済ませているわ』


「アルファはそんなことまでしたのか。

 便利だな」


『その代わり、初期に付属していた修復用資材カートリッジを大分使用したから補給が必要よ。

 後で買っておかないと駄目ね』


「そうか。

 幾らぐらいするんだ?」


『1000万オーラムぐらいよ』


 アキラの動きが固まる。


『弾薬、回復薬、エネルギーパックに加えて、これからはそれも消耗品の購入費に加わるわ。

 忘れないでね』


「……金が、飛んでいくな」


 アキラはキャロルが強化服を高性能なものとそうではないもので使い分けていたことを思い出した。

 少々運用費用がかさむとしても、高性能な強化服を使い続けた方が安全で良いのではないか。

 今までそう思っていたのだが、今それは覆された。


 アキラが出発する準備を終える。

 AAH突撃銃とA2D突撃銃、それにCWH対物突撃銃を装備して、一応しっかり弾倉を装填する。


 向かう先は都市の下位区画だ。

 CWH対物突撃銃は不要かもしれない。

 アキラは一度そう判断したが、ある懸念を覚えて一応装備する。

 DVTSミニガンとA4WM自動擲弾銃は置いていくことにした。

 その懸念の確率を無駄に上げないために。


『強化服の制御装置の書き換えは終わっているから、私のサポートを存分に受けられる状態よ。

 まあ、最悪の場合は走って逃げましょう』


「……。

 そうだな」


 聞かれてもいない懸念の内容に答えたアルファに、アキラはそれだけ答えて出発した。




 都市の下位区画の雑居ビルにあるヴィオラの事務所に、キャロルとシェリル、そしてヴィオラがいた。


 ヴィオラの事務所は他にも複数存在している。

 スラム街にも、防壁の近くにも、分かりやすい場所にも、分かりにくい場所にも、用途に合わせて点在している。

 キャロルはシェリルを連れて一度ヴィオラと合流していた。

 その後、ヴィオラの勧めでここに移動したのだ。


 キャロルがアキラとの連絡を済ませて、その内容をシェリルとヴィオラに伝えた。

 シェリルはアキラの無事を知って分かりやす安堵あんどして、不安げだった表情をほころばせた。


 ヴィオラは客用の椅子に座っているシェリルから少し離れた場所にある仕事用の机に肘をついて座っている。

 アキラが来るという話を聞いても、その前から浮かべている楽しげな表情のままだ。


 キャロルがヴィオラの近くまで行って意味深に問う。


「ヴィオラはここにいてもいいの?」


「ええ」


 ヴィオラは問いの意味も聞かずにいつも通りの笑顔で簡素に答えた。


「そう」


 キャロルはアキラにヴィオラもここにいることを意図的に伝えなかった。

 ヴィオラはそれに気付いており、その意味にも気付いており、その上でこの場にいる。

 キャロルはそう判断して、それならば自分が口を出す問題ではないとも判断して、それ以上口を出すのを止めた。




 アキラが事務所の前に到着する。

 雑居ビルやその周辺の様子を軽く観察して、まあ大丈夫だろうと判断し、そのままビルの中に入った。


 事務所の中に入ったアキラをキャロルとシェリルが出迎える。

 キャロルは贔屓ひいきの客を出迎えるように愛想良く笑っている。

 シェリルはアキラとの再会を喜んでうれしそうに笑っている。

 そしてアキラはキャロル達に愛想を返す前にヴィオラの姿を見つけたことで、少しだけ表情を険しいものにしていた。


「キャロル。

 悪い。

 報酬の交渉の前にちょっと別の用事を済ませて良いか?」


「それは構わないけど、何かあるの?」


「ああ。

 ちょっとな」


 シェリルは自分を置いて事務所の奥に進むアキラを見て少し不思議そうにしていた。

 だがヴィオラの方に進んでいるのを見て、軽い苦笑を浮かべながらも僅かな喜びを覚えた。


 自分もロゲルト達に捕まっていろいろ大変だったのだ。

 アキラもその原因となったヴィオラに文句の一つも言いたくなるだろう。

 自分もここにいる間に一応皮肉を交えて文句を言ったのだが、ヴィオラは浅い謝罪の言葉を軽く笑いながら言って流しただけだった。

 アキラから文句を言われれば、流石さすがにヴィオラも多少はこたえるはずだ。

 これでまっていた不満も少しは解消できる。

 シェリルはそう思って、シェリルにしては珍しく、少し意地の悪そうな表情をしていた。


 シェリルの考えの方向性に誤りはない。

 だが程度の方には大幅な誤りがあった。

 そしてキャロルはより正確に事態を把握しており、その違いがキャロルとシェリルの表情の差に強く表れていた。

 キャロルは笑みを全く浮かべていない。


 アキラがヴィオラの前まで来る。

 ヴィオラはいつも通りの笑みを浮かべている。


「えっと、ヴィオラさん……だったっけ?」


「そうよ。

 ヴィオラで構わないわ」


「そうか。

 あのスリとシェリルの居場所の情報は助かった。

 それは礼を言っておく」


「どういたしまして。

 私の情報がお役にたったのなら幸いよ」


 笑顔のヴィオラと、少し真顔のアキラ。

 2人の間に僅かに沈黙が流れる。


「……それで、だ。

 聞きたいことがある。

 今回の件で、その今回の件ってのがどれぐらい前から続いているのかは俺にも分からないけど、邪推かもしれないけど、俺はヴィオラの都合の良いようにずっと動かされていた気がする」


「うーん。

 それは誤解よ。

 アキラがどんなことからそう誤解したのかは分からないけど、教えてくれればちゃんと答えるわ。

 聞きたいのはそのこと?」


「いや、多分だけど、俺がそれを聞いても、何となくだけど、辻褄つじつまの合う納得のできる答えが返ってくると思う。

 そしてそれがうそでも俺には見抜けたりしないと思う。

 良いように誤魔化ごまかされて終わる気がする。

 だからその辺のことを聞くのは止める。

 その代わりに一つ答えてくれ」


「何かしら?」


 アキラがヴィオラに銃を突きつける。


「ヴィオラが俺の立場だったら、ヴィオラを殺した方が良いと思うか?」


 突然の事態にシェリルが驚きを見せる。

 キャロルは表情を変えていない。


 そしてヴィオラは突然銃を突きつけられても全く動じていなかった。

 笑顔を崩さずに、軽い質問に答えるように返答する。


「思わないわ」


「その理由は?」


「いろいろあるけれど、そうね、アキラは死後報復依頼プログラムって知ってる?」


「ああ」


「それなら話が早いわ。

 私を殺すと、私を殺した個人や組織に賞金が懸かるようになっているの。

 私の全財産でね。

 これでも結構小金持ちなの。

 賞金額が10億や20億オーラム程度の小銭で済むとは思わないでね?

 加えて言えば、その手の依頼の斡旋あっせん業者を介するから、そこらのチンピラからそれなりに大きな組織まで、幅広い相手から狙われることになるわよ?」


「他には?」


 ほぼ即答。

 悩む間もなくそう答えたアキラを見て、ヴィオラは少し意外そうな表情を浮かべたものの、すぐに余裕のある笑みに戻した。


「あら、この答えはお気に召さなかった?

 そうね、それなら、貴方あなたの恋人の隣に、私の友人が立っている……ってのはどう?」


「そうか」


 銃声が響いた。

 ヴィオラの胸に背中まで続く穴が開く。

 ヴィオラは驚きの表情を浮かべたまま、椅子からゆっくり転げ落ちた。

 床に倒れた体から血が広がっていく。


 アキラは銃を下ろすと振り向いてキャロルを見る。


「それで、俺は今からキャロルと殺し合わないといけないのか?」


 アキラの表情は平然としたものだ。

 敵意など強い感情は全く見られない。

 だがそこにこの後の殺し合いを否定する要素がないことも事実だった。

 突然の事態に驚き慌てているシェリルの横で、キャロルは軽い笑みを浮かべるほどに余裕を保っていた。


「確かに私はヴィオラの護衛も請け負っているわ。

 だから黙って見過ごすわけにはいかないのよね」


「そうか」


 アキラはそれだけ答えて体勢をしっかりキャロル側に向け直した。

 アキラの意識が臨戦から戦闘に切り替わる前にキャロルが口を挟む。


「でもアキラとり合うほどの報酬はもらってないの。

 だから個人的にはそれは避けたいわ。

 まあそうは言っても、一応報酬をもらっている以上、何にもしないってのも沽券こけんに関わるのよ。

 だから、アキラと敵対しない前提で、ヴィオラからもらった報酬分は働いておきたいのだけど、良いかしら?」


 アキラが少し思案する。

 アキラもキャロルの実力は知っているつもりだ。

 キャロルが何をする気なのかは分からないが、敵対せずに済むのならそれに越したことはない。


「好きにしてくれ」


「ありがと。

 助かるわ」


 キャロルは笑ってそう答えると、そのままヴィオラの近くまで行き、近くの棚を開けて何かを探し始めた。


「確かこの辺に……、あった!」


 キャロルは棚から半球に近い形の機械のような物を複数取り出すと、横たわっているヴィオラの近くにそれを持ってしゃがんだ。

 そしてヴィオラの服を軽く脱がして銃弾による負傷箇所をあらわにさせると、そこに先ほどの機械を取り付け始めた。

 胸と背中に機械の平べったいがわを押し当てる。

 貫通した穴の両側に穴を塞ぐように取り付けられた。


 アキラがキャロルに近付いて興味深そうにそれを見ている。


「何をやってるんだ?」


「応急処置よ。

 自動治療キットを取り付けているの。

 ハンターとかが体をもう義体に換装するしかないぐらいの大怪我けがをした時に、換装処理を終えるまでの生命維持を少々強引に続ける時とかにも使うわ。

 これ、結構高いのよ?」


 キャロルは更にヴィオラの首筋に同様の機械を取り付ける。

 機械の平面部から細い管のようなものが延びて首に刺さり体の中に入っていく。

 そして10秒ほどすると、ヴィオラが盛大に吐血しながら大きく目を見開いた。


 アキラは殺したと思った相手があっさり目を覚ましたことにかなり驚いていた。


『あの負傷でも、こんなにあっさりと何とかなるものなんだ』


 アルファが笑って補足する。


『事前の処置や治療手段にもるわ。

 クズスハラ街遺跡でも似たようなことはあったでしょう?

 戦闘で下半身を吹き飛ばされた人を治療可能な重傷者として扱っていた人がいたわ。

 あれがその程度の扱いで済むのなら、1発撃たれた程度なら軽傷の範疇はんちゅうかもね』


『ああ、そんなこともあったな。

 ハンターの軽傷と一般人の軽傷を同じように考えるなとも言われたけど』


 人間死ぬ時は死ぬ。

 しかし手遅れの程度には大幅な差が存在する。

 アキラはそれを目の辺りにして少し複雑な気持ちになった。


 ヴィオラはき込んでいた状態から回復すると、周囲を軽く見渡して状況の把握を済ませた。


「……キャロル。

 もうちょっと何とかならなかったの?」


 ヴィオラは敵の排除済みを期待していたことを匂わせる発言をしながら、少し非難気味の視線をキャロルに向けた。


 キャロルが気にした様子もなく素っ気なく答える。


「ヴィオラが交渉をしくじった結果を私が取り消してあげたのよ。

 報酬分は働いたわ。

 後は自分で何とかしなさい」


 アキラが再びヴィオラに銃を向ける。

 今度はしっかり頭に向けて、再度尋ねる。


「質問は省略する。

 他には?」


 ヴィオラが引きつり気味の笑みを浮かべる。

 多分に焦りの色が含まれている表情だ。

 何かを思案するような間を少し空けてから、余裕のようにも虚勢のようにも見える笑みを浮かべる。


「……アキラがどういう意図でシェリル達に大金をぎ込んでいるのかは知らないけど、その投資、回収の見込みは全く立っていないでしょう。

 それを私が何とかしてあげるわ。

 徒党の顧問として口を出したり、資金やコネを出したりしてね。

 シェリル達が十分稼げる徒党になればアキラの利益にもなるでしょう。

 ……これでどう?」


 アキラがヴィオラの顔をじっと見る。


「質問を追加だ。

 今回の件で、ヴィオラは俺を殺そうとしたか?

 誰かにそう依頼や指示を出す。

 あるいは俺を殺した方が好都合だと誰かを唆す。

 その手の類いのことも含めてだ」


「いいえ。

 してないわ」


『アルファ』


うそを吐いている様子は読み取れないわね。

 うそを吐いていないだけかもしれないけれど』


 アキラがヴィオラとアルファの返答から再度思案する。

 そしてヴィオラに銃を突きつけたまま答える。


「……良いだろう。

 ヴィオラを生かしておいて良かった。

 俺にそう思わせてくれ。

 殺しておけば良かった。

 そう判断し直した時点で殺しに行く。

 また俺に余計なことをしても同じだ。

 分かったな?」


 ヴィオラがめ息を吐く。


「了解。

 私も死にたくないし、頑張らせてもらうわ」


『アルファ』


『同じよ』


 アキラはようやく銃を下ろした。

 それを見てキャロルが軽く笑う。


「交渉は終わった?

 それじゃあようやく私とアキラの用事に移りますか。

 アキラ。

 現時点でシェリルの引き渡しは済んだと判断させてもらうわ。

 依頼は完了。

 良いわね?」


「ああ」


「それじゃあ私はヴィオラを病院に連れて行くわ。

 アキラ。

 またね」


 キャロルは軽く笑ってそれだけ言うと、ヴィオラに肩を貸して強引に立たせた。

 そしてヴィオラを軽く引きずりながら事務所を出て行こうとする。


 アキラが軽い戸惑いを見せる。


「キャロル。

 俺との報酬の交渉はまた後で良いのか?」


「ああ、それなら要らないわ。

 というより、その報酬はヴィオラから取り立てるから、アキラは気にしなくて良いわよ」


 ヴィオラが嫌そうな声を出す。


「えぇー。

 それは別の案件だと思うわ」


「元はと言えばヴィオラがいた種でしょう?

 これからシェリル達に協力するって話だし、御機嫌取りも兼ねてそれぐらいは払っておきなさい」


「全く、仕方ないわね。

 分かったわ」


 アキラがキャロル達の随分と軽い様子にまた軽い戸惑いを見せる。


「えっと、それで良いのか?」


「良いのよ。

 報酬の未払いをアキラの方が気にするのなら、その分のお金で私を誘ってちょうだい。

 遺跡探索の誘いでその費用でも、私の副業の方でその代金でも、どっちでも大歓迎よ。

 連絡、待ってるわ」


 キャロルは誘うような口調と笑みでそう言い残すと、ヴィオラと一緒に事務所から出て行った。


 アキラは少し唖然あぜんとしながらキャロル達を見送っていた。

 つい先ほど撃たれた上に脅迫まがいの要求を飲まされた者。

 友人を撃たれた上に交戦手前になった者。

 その者達の余りに軽い態度に少し面らっていた。


 それはシェリルも同じだった。

 いろいろと急変した事態に戸惑いを隠せていなかった。


 少し場の流れに取り残されていたアキラとシェリルの視線が合う。

 妙な気まずさがそこにあった。


「……えっと、取りあえず、帰るか。

 拠点まで送るよ」


「え、あ、はい。

 ありがとう御座います」


 アキラとシェリルも戸惑いを残しながら事務所から出て行く。

 ヴィオラのがわに付いたキャロルがシェリルを人質に取って何らかの行動を起こすかもしれない。

 そのアキラの懸念は外れたのだが、キャロル達の態度も含めて少々予想外のことが起こったことだけは合っていた。

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