私の備忘録

もおち

第1話 2016年4月1日~2017年2月28日

 2016年4月1日(金曜日)。私が新社会人となった日。

 新しいフレッシャーズ・スーツを着て、私はある会社に入社した。

 硬いパンプスは、私の踵を少しずつ痛めつけ、否が応でも私を緊張させた。

 

 緊張。そして、未来への期待で、胸も頭もいっぱいいっぱいだった。

 

 形式ばった入社式を終え、私を含めた新入社員と先輩社員との和やかな食事が始まる。

 談笑。目標宣言。エトセトラ。食べたり、何かを言ったりしていた。

 先輩社員の雰囲気、とても穏やかだった。

 

 よおし、頑張って仕事するぞお。

 

 不安はあった。でも、未来への期待と謎の自信でそんな不安は埋まってしまった。


 会社は小さなIT系だった。

 私の大学の専攻は農業。冗談抜きで、畑違いもいいところ。

 だから、初めのうちは、上手くいくわけがなかった。


 プログラミングの参考書類を読んだ。読み込んだ。

 それでもわからない。わからなすぎた。


 泣いてしまった。業務中、人前で、なんの恥じらいもなく、無様に、惨めに。

 泣いたって、何かが解決するわけではなかったのに。それはわかっていたのに、泣いてしまった。 

 

 泣いて、泣いて、涙をぬぐって、参考書やパソコンをにらみつけるように見た。

 

 負けたくなかった。何に? 課題に。何より自分に。自分がこの道を選んだことが間違いだったと認めたくなかった。

 

 ああ、そうだ。認めたく、なかったんだ。

 

 私は4月に入る少し前から、一人暮らしを始めていた。

 家族からは反対された。一人暮らし以前に、IT系会社に入社することに。

 家族に反対されたことに反発して、意固地になって、一度決めたことを曲げなかった。

 初めての一人暮らし、とてもわくわくした。楽しかった。 


 うまくいかない仕事。一人ぼっちの部屋。

 

 気づいたら、 

 手首に、

 カミソリを、

 あてていた。


 いくつもの傷ができた。体に。心に。

 治りきらない傷に、さらに傷をつけた。

 痛くて、辛くて、吐いた。

 

 5月に、産業医面談を受けた。その後毎月のように、受けた。毎回のように、泣いた。

 

 傷ついた私を見かねたのか、はたまた戦力にならないお荷物だと認識されたのか、人事部から退職勧告をされた。秋だった。 

 人事部から転職を勧められ、会社公認で転職活動をした。やり方がよくわからずうまくできなかった。怒られた。泣いた。

 

 12月会社の株主総会があった。私と同じ新入社員だった人たちを含め、全員そのことを知っていた。

 私だけ知らなかった。私だけ、教えてもらえていなかった。

 寂しくて、辛くて、私がいなくても全然よくて、泣いた。 


 会社の忘年会。それぞれの部署の出し物。どこにも所属していない私。

 つまらなかった。寂しかった。気持ち悪くて、トイレで吐いた。


 水中毒になろうと思って、給水機の水を全部飲もうとしてやった。

 

 毎日、会社でできるのは、コーヒーを入れる仕事だけ。たったそれだけ。


 毎日毎日毎日、会社に行くのが怖かった。日曜日が、憂鬱だった。

 役に立たない私が何でここにいるんだろう。

 なんで私、この世に生きているんだろう。


 2月上旬、精神科に初めて行った。

 適応障害と診断。診断書をもらう。

 これで楽になれると思った。

 翌日、人事部に提出した。退職願の書き方を教わった。退職願を提出した。

 2月27日まで会社に来なくていいと言われた。28日に、書類を書くから来てほしいと言われた。

 27日まで泣いてばかりいた。ベッドの上で。喫茶店で。いろんなところで泣いていた。お風呂にまともに入れなかった。部屋の掃除もできなかった。

 手首の傷は、増え続けていた。

 28日、退職の書類を書いた。入社式でもらった、名刺とピンバッジを返却した。迷惑をかけ続けた先輩たちに挨拶をして、初めての会社を、退職した。


 その時の私は救われた。一時的に。就職先も決まっていない状態だったのに、それでもやっと救われたと、思った。

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