第295話 ある少女

 シロウにB28貨物室の扉を開けてもらうように頼んだアキラは、シロウの実力ならば扉はすぐに開くと思っていた。しかし少し待っても扉は開かない。シロウからの反応も無い。


『……? シロウ。どうした。結構掛かるのか?』


『えっ? あ、ああ、大丈夫だ。今開ける』


 扉が開いていく。これでようやく最前線向けの装備が手に入ると喜んだアキラはそちらに気を取られ、シロウが自分に呼び掛けられて我に返ったことに気付かなかった。


 B28貨物室の中には多数のコンテナが並んでいる。ただでさえ頑丈な貨物室の中にあるのだが、これらのコンテナも非常に頑丈だ。貴重な物資をしっかり守るために、コンテナの開閉にもそれぞれ権限が必要で、しかも車両とは別の管轄となっていた。


 アキラの装備が入ったコンテナは坂下重工の管轄となっており、開閉の認証コードはキバヤシから受け取っている。つまりまた何らかの理由で開けるのに失敗すると、最悪の場合はクガマヤマ都市まで戻って再度認証コードを受け取る羽目になる。それを恐れたアキラは念のためにレベッカには貨物室の扉のそばで待ってもらい、自分の装備があるコンテナまで一人で行くことにした。


 貨物室の中を進むと、シロウから念話が入る。


『アキラ。ちょっと聞きたいんだけど、どういう流れでレベッカと一緒にいるんだ?』


『ああ、どうも仲間とはぐれたらしくて……』


 アキラはレベッカと同行している経緯をシロウに説明した。事情を聞いたシロウが短い言葉を返す。


『……そうか』


 その短いシロウの返事は、他者の機微に疎いところのあるアキラにも分かるほど複雑な感情に満ちていた。


『シロウ? どうかしたのか?』


『……、何でもない』


『いや、でも』


『アキラ。とにかく今はお前の装備だ。そのお前の用事が済んだら、俺の用事を優先してもらう。そういう約束だぞ? 早く装備を手に入れてくれ』


『……そうだな。分かった』


 アキラもごまかされたことぐらいは分かったが、言われたことには同意できた。最前線向けの装備を手に入れるまであと少しだ。これ以上何かが起こる前に手に入れようと、先を急ぐ。


 目的のコンテナに辿たどり着き、慎重に扉を開ける。中には大型のケースが4つ保管されていた。アキラの装備だ。ようやく手に入ったとアキラが顔を綻ばせる。そして中身を見てみようとケースを開けようとした。


 開かなかった。


「えっ……?」


 普通に開けられると思っていたアキラが慌て出す。ケースの開封に認証等が必要とは聞かされていなかった。


 情報収集機器を介してアキラの様子を見ていたシロウが不思議がる。


『アキラ。どうした?』


『いや、装備のケースが開かないんだ』


『そりゃそうだろう。それは確かにアキラの荷物だが、厳密にはアキラての坂下重工の荷物なんだ。輸送の代行の権限しかないアキラに、荷物の開封の権限までは無いよ』


『…………そういうことか』


 アキラはキバヤシとの話を思い返して、そういう意味だったのかと顔をしかめた。


『安心しろ。こっちまで持ってくれば俺が開けてやる』


『そうか。助かる。でもここじゃ駄目なのか? ここの扉も開けられただろ?』


『技術的には可能だけどやりたくない。面倒事が増えかねないからな』


 シロウがそう言ってその理由を補足する。


 都市間輸送車両の車内は基本的に都市の防壁内と同等の管理態勢が敷かれている。それはこのアトラスD2771も同じだ。全域が最低でも中位区画と同等であり、キューブの輸送の兼ね合いで上位区画と同等の部分もある。そのような治安維持が敷かれている場所に、あのアキラの立ち入りを許すなど本来は有り得ない。


 それを可能にしたのは恐らく坂下重工の圧力だ。この最前線向けの装備は、以前にアキラが建国主義者の部隊を撃退したことへの、坂下重工からアキラへの報酬だ。事情が何であれ報酬をいつまでっても渡せないなど、それはそれで坂下重工の威信を傷付ける。その辺りを加味して特別に許可が下りたのだと考えられる。


 それでも出せる許可は車内への立入までだ。装備のケースの開封許可、つまりあのアキラが、防壁内と同等の場所で、最前線向けの装備で武装する許可までは出せない。許可を出せばそれは保証となるからだ。坂下重工も流石さすがにそこまでアキラを優遇する義理も義務も無い。


 そのような状況でケースを開封すると、場合によっては車両の警備部隊が敵に回る恐れがある。リオンズテイル社にすら喧嘩けんかを売る危険人物が、非常に強力な最前線向けの装備で武装している状態を、車両の警備部隊が軽く見てくれるとは思えない。下手をすればキューブを狙う襲撃犯と見做みなされる。


 だから車両内でケースは開けたくない。面倒事は御免だ。シロウはそう説明を締めくくった。


『そ、そうか。分かった』


 アキラもそう言われると納得するしかなかった。そして、あのアキラ、の意味を改めて理解した。


 シロウが軽く付け加える。


『正直に言うと、俺はアキラをアトラスD2771に入れる許可が出てる時点で驚いてる。その手筈てはずを整えたやつ、キバヤシだっけ? リオンズテイル社の時も、ただじゃないとはいえ、あの状況でアキラの装備や弾薬を調達してきたし、相当な手腕だな』


『……そうだな』


 アキラは思わず苦笑を浮かべた。その手腕に助けられたこともあり、その手腕の所為せいで厄介事に関わる羽目になったこともありで、湧いた複雑な感情を表したものだった。


 そしてアキラが今ここにいるのも、そのキバヤシの手腕によるものだ。今回は助けか、それとも厄介事か、あるいはその両方か、アキラは少し迷ったが、気を切り替えて今は気にしないことにした。


 自走機能付きのケースを操作して、自動で同行するように設定する。するとケース下部の4脚が動き出し、足先のタイヤを回転させながら整列、隊列を組んでアキラの後に続くようになった。アキラはその様子を少し面白く思いながら、レベッカが待つ貨物室の扉の所まで戻った。


 アキラの後ろに並ぶ4箱のケースに、レベッカが興味深そうな視線を向ける。


「それがアキラの荷物ね? 何が入ってるの? まさかキューブが入ってるとか言わないわよね?」


 軽い冗談のように笑ってそう言ったレベッカに、アキラも軽く笑って答える。


「そんなんじゃないよ。中身は俺の装備だ」


「アキラの装備! 何かすごそうね。ねえ、ちょっと見ても良い?」


「悪いな。事情があって、ここじゃ開けられないんだ」


「あ、そうなんだ。ふーん。残念。まあ良いわ。じゃあ、早く行きましょう」


 レベッカはその軽いり取りでアキラの言葉にうそは無いと判断すると、話を軽く流した。


 そのレベッカの態度に、アキラは僅かに引っ掛かるものを感じた。だが些細ささいな感覚であり、アルファからも何も言われなかったので、それ以上は気にせずに扉を開けようとする。そしてまたも扉が開かなかったことに、その僅かな違和感など吹き飛んだ。


「……またかよ。どうなってんだ?」


 アキラがめ息を吐いてシロウに呼び掛ける。


『シロウ。扉が開かない。調べてくれ』


『分かった。ちょっと待ってろ。…………これは認証エラーじゃないな。隣接部の危険度上昇による緊急ロックだ』


『どういうことだ?』


『扉の向こう側は、戦闘中だ』


 アキラは思わず扉の方に視線を向けた。




 ゼロスが車両内の通路を走り、交戦しながら襲撃犯達を追う。敵は2人。レオタード型の強化服とドレスのような防護コート、そしてレーザー砲を装備した手練てだれだった。手強てごわいと思う程度には強いが、相手は逃げ続けており、追えないほど強くもない。ならば逃がせないと、ゼロスは果敢に敵を追っていた。


 通路内を実弾と光線が飛び交い、逃げ場を食い尽くすように空間を蹂躙じゅうりんする。そこらのハンターや並のモンスターなど余波で消し飛ぶ弾幕だ。


 だがゼロスも襲撃犯達もそれらを的確に対処する。大部分はかわし、光線の射線上に対エネルギー用の力場障壁フォースフィールドシールドを設置してレーザーをじ曲げ、防護コートの力場装甲フォースフィールドアーマーの出力を一時的に上昇させて実弾を防ぐ。


 攻防の結果はゼロスの優勢で終わった。ゼロスはほぼ無傷。襲撃犯達は片方が銃撃により腕を千切られて片腕を失った。それでも致命傷には程遠い。襲撃犯達は通路の角の向こうに姿を消した。


 ゼロスが思わず顔をしかめる。


(……また逃げられた。もう仲間と大分離されている。まずいな。もしかして釣り出されてるのか?)


 ゼロス達のチームが襲撃犯と遭遇したのは新たな区画の制圧作業中だった。単純な強さではチームの主力以外では手に余る相手であり、しかもその主力以外が襲われたことで、当初は多少の苦戦を強いられた。それでも制圧作業中に設置した簡易防壁などのお陰で防衛に徹すれば優位を崩すこともなく、主力部隊の到着も間に合い、一気に優勢となって撃退に成功。以降は逃げる襲撃者達を主力チームが追っていた。


 しかしゼロス達の優勢も襲撃犯達が別の区画まで逃げた時点で消える。完全に未制圧の区画では敵がどこに潜んでいるか分からない。そして斥候や威力偵察目的だったと思われる多脚機とは異なり、襲撃犯は十分に強い。奇襲を受けないためにも退路を断たれないためにも通路の確保は重要で、人をそちらにも割り当てなければならない。


 これで敵がもう少し強ければゼロスも引き上げを決断した。だがその決断を鈍らせる程度には敵は弱く、ゼロスは襲撃者達を追ってずるずると奥へ進んでしまい、ついには仲間に退路の確保を任せて一人で襲撃者達を追っていた。


 ゼロスが床を見る。そこに転がる襲撃犯の千切れた腕からは緑色の液体が流れていた。


(この血は……、回復薬か? 血液を回復薬に置換すると、治療効果が劇的に上がって戦闘能力も向上するのは確かだ。だが体の方は血を作るように回復薬を生成なんて出来ないから、日常生活を送るのに致命的な支障が出るはず。随分気合いの入ったことをしてるな。まあ、キューブを狙って都市間輸送車両を襲う連中なんだ。それぐらいイカれたことをしていても不思議は無いか……)


 そこに仲間から通信が入る。


『ゼロス。そっちはどうなった?』


『悪い。また逃げられたところだ』


『……加勢した方が良いか?』


『いや、そっちは退路の確保に専念してくれ。制圧作業なんて全く済んでない区画に、俺の判断で長いルートを作っちまったんだ。大変だとは思うが、ヤバくなった時に俺が逃げ込む場所が近くに無いと困る。頼んだぞ?』


『了解だ。無理すんなよ?』


 軽い調子だが互いへの信頼を示すり取りを終えて、ゼロスは再び襲撃犯達を追う。情報収集機器の反応を確認する限り、相手は通路の角の少し先で待ち構えていた。その状況にゼロスが怪訝けげんな顔をする。


(まただ。完全に逃げている訳でもない。だが俺を釣り出すにしては中途半端。俺を迎撃するとしても相手にそこまで有利な地形でもない。他の仲間と合流しようとする様子も無い。こいつら一体……)


 ゼロスの頭に高性能な凡人という不可解な言葉が浮かぶ。そしてその言葉を奇妙に思いながらも、妙な納得も感じていた。それはそれとして通路を駆けて、角の先にいる襲撃犯達を強襲しようとする。


 その時、角の先から板状の物体が十数枚飛び出してきた。ガラスと鏡の中間のような光沢を放つその板を見て、ゼロスが即座に対応する。それらの板を銃撃しながら、発煙筒を角の先に向けて投げ付けた。


 僅かに遅れて襲撃犯達が無数のレーザー砲を撃ち放つ。直進するレーザーを通路の角の先から撃っても本来ならばゼロスに当たることはない。だが光線は先に射出された反射板により折れ曲がり、角を曲がってゼロスに襲い掛かる。


 それを読んでいたゼロスは、破壊が間に合った反射板により生まれたレーザーの嵐の隙間に潜り込んで敵の攻撃を回避した。更に踏み込み、通路の角を曲がり、襲撃犯達を強襲する。当然ながら襲撃犯達の銃口がゼロスを迎えるが、通路の壁にはじかれながら角を曲がって襲撃犯達の近くに先に到達していた発煙筒が、そこで一気に煙を噴出した。


 対エネルギー系の武装用に調整された特殊な煙幕は十分な効果を発揮した。煙幕に入ったレーザーが拡散、減衰して、その威力を著しく低下させる。もはやゼロスに直撃しても、大した負傷は与えられない。


 相手が遠距離にいる時にこの煙幕を使用しても、相手は後ろに下がって距離を取れば良いだけなので、今までは使っても意味が無かった。だが間合いさえ縮めれば効果は絶大だ。効果は煙が充満している僅かな間、ほんの数秒だが、勝負を決めるには十分な時間。ゼロスが勝ちを確信する。


(反射による威力減衰を気にして間合いの管理を誤ったな! これで終わりだ!)


 ゼロスと襲撃犯達が、お互いに相手の攻撃を絶対に避けられない状態で激しく撃ち合う。その結果には圧倒的な差が生まれた。ゼロスはほほの一部が炭化した程度の負傷で済んだ。だが襲撃犯達は原形を失った。血液を高性能な回復薬に置換した人間の治癒力は、もはや再生能力と言っても良いほどに高い。それを知っているゼロスが相手を確実に絶命させるために徹底的に銃撃した結果だ。


 ゼロスが銃を下ろして息を吐く。床には襲撃犯達だったものが、元が何だったのか分からない状態で散らばっていた。


「よーし。片付いた。手間掛けさせやがって」


 ほほを指ではじいて炭化した部分をがし、回復薬を塗って処置を済ませたゼロスは、早速仲間達に撃破の連絡を入れようとした。だがそこで情報収集機器が大きな反応を捉える。


 その位置が通路の先であったなら、ゼロスは強い警戒だけを示していた。しかしゼロスは明らかな驚愕きょうがくを示した。


「馬鹿な……!」


 反応の位置はゼロスの背後の方向であり、通ったばかりの通路の方であり、つい先程曲がった角の先だった。そこに敵などいる訳が無い。その認識がゼロスを驚愕きょうがくさせた。


 それでもゼロスは即座に迎撃の態勢を取る。相手の位置は角の先であり射線は通らない。加えて二人の襲撃者を念入りに銃撃した所為せいで総弾数に不安がある状態。しかも反応はこちらに全力で向かっており弾倉交換の猶予は無い。それならばと、ゼロスは銃を仕舞しまってブレードを抜いた。更に自身も通路の角に向けて勢い良く駆ける。


 これで自分と敵は丁度通路の角でち合う。そのまま敵を両断し、撃破すれば良い。ゼロスはそう想定し、その想定通りに敵と接触した。


「……なっ!?」


 想定通りにブレードを振るおうとしたゼロスの顔が更なる驚愕きょうがくゆがむ。敵は、通路を塞ぎかねないほどに大きな肉食獣だった。反応の大きさから敵を人間だと想定していたところに大型モンスターが突如出現したことで、ゼロスの動きが僅かに鈍る。そのすきくように、巨大な獣はゼロスを食い殺そうと大口を開けた。


 勢い良く閉じられた大口は、通路の空気だけを頬張ほおばった。更にその口が上下にではなく左右に開いていく。ゼロスは獣の攻撃を跳躍してかわすと、そのまま獣を飛び越しながら相手を両断していた。斬り開かれ二分割された巨大な体躯たいくが通路に転がる。


 そしてゼロスはそのまま通路を険しい顔で全力で駆けていく。


(弱い! 見かけ倒し? あの大きさは何だ!? あそこまで大きな反応じゃなかったはず! どうなって……)


 頭の混乱した部分が状況への疑問を次々に並べ立てる中、ハンターとしての冷静な部分がゼロスをかす。


 理由は何であれ、自分の背後、分岐の無い通路に敵がいた。だが敵の出現経路は退路の確保をしている仲間が塞いでいるはずだった。それでも敵が現れたということは、仲間を突破してきたことになる。仲間と連絡を取ったのは、ついさっき。そこからの僅かな時間の間に、自分に助けを求める暇もなく倒されてしまったのかと思いながら、仲間達の無事を願う。突破されただけであれば、仲間が生きている可能性は十分にある。それならば自分が戻れば助けられると、仲間達の下へ急いだ。


 退路の確保を続けていたゼロスの仲間達が、勢い良く駆けてくるゼロスの姿を見て怪訝けげんな顔を浮かべる。ゼロスはそれに気付かずに、到着と同時に叫んだ。


「状況は!?」


「……? 問題無しだ」


「……何?」


「えっ?」


 ゼロスも仲間達も戸惑い困惑していた。


「ゼロス。何があった?」


「……いや、ちょっと待て。……ってことは、だ」


 仲間達は無事だった。そもそも巨獣との戦闘自体発生していない。その事実を理解したゼロスが、それを満たす要素にも同時に気付いたことで顔を一気に険しくする。


「全員に通達。前線をA7貨物室の区画まで下げるぞ」


「えっ? そこまで下げると、制圧済みの区画を捨てることになるぞ? 制圧作業もり直しだ」


「それで良い。区画の制圧作業を済ませたことは忘れろ。未制圧の区画を通る前提で戻れ。説明は後でする。始めろ!」


 ゼロスの仲間達がその表情を一様に真剣なものに変える。指示の理由は不明だが、その指示を出さなければならない何かはあった。ゼロスへの信頼からそう認識して動き出す。


 そしてゼロスは仲間達と共に通路を戻っていった。




 ゼロスに両断されて通路に転がる巨獣の死体が縮んでいく。収縮を終えた時、その死体は両断された腕に変わっていた。ゼロスが襲撃犯から千切り飛ばした腕に。




 開かない扉の前でアキラが頭を抱える。


 倉庫の扉は周囲が戦闘中の所為せいで開かない。恐らく都市間輸送車両側の部隊が襲撃犯達と戦っているのだろう。それは分かる。その戦闘を終わらせるために加勢しても良いのだが、そのためには扉を開けて通路に出なければならない。だが戦闘中なので扉は開かない。どうしようもなかった。


『シロウ。何とかならないか?』


『そう言われてもな。そのロックは単純な認証とは別なんだよ』


 シロウでも無理だと聞かされたアキラはますます頭を抱えた。下手をするとこの倉庫に長時間閉じ込められることになるからだ。め息を吐く。


「参ったな……」


 そこでレベッカが口を開く。


「開かないの?」


「ああ。どうも扉の近くが戦闘中だと開かないらしい」


「そう。……えっとさ、それなら通路に戻るのは諦めて、車両の外に出るってのは駄目? あっちに車両の外壁の扉があったんだけど……」


「いや、それは無理なんじゃないか?」


「あー、無理? オペレーターの人もそう言ってるの?」


 予想外のことを言われたアキラが驚いた顔を見せる。するとレベッカはどこかばつが悪そうな表情を浮かべた。


「あー、ほら、戦闘中だと開かないらしいとか、誰かに教えてもらったようなことを言ってたから、オペレーターと連絡を取ってるのかなって思って。扉の開閉もその人に頼んでるのかなって。……ごめん。隠してたの?」


 アキラはレベッカの態度から、レベッカは自分が誰かと連絡を取っていることに気付いただけで、別に自分が旧領域接続者だと気付いた訳ではないと判断した。旧領域経由の通信に対応した情報端末も存在し、最前線付近のハンターならば持っていても不思議はないと聞いていたこともあり、そういう物を使っているのだろうと思われていると考えて、落ち着きを取り戻す。


「あー、ちょっとあってな。黙っててくれ」


「うん。分かったわ。それで、その、車両の外に出るのは無理そう?」


『シロウ。無理そうか?』


 アキラは試しに聞いてみた。だがシロウは返事を返さない。


『シロウ?』


『…………、そうだな。分かった。やってみよう』


 シロウは随分間を開けてから、そう返事をした。


 アキラ達が車両の外壁の扉の前まで移動する。


『シロウ。こっちは扉の前まで来たぞ』


『こっちはそっちまで移動中だ。もうちょっと待ってろ。……よし。着いた。開けるぞ』


 外壁の扉が開いていく。扉は大きなコンテナなどの搬入用ではなく人の出入り用なので小さいが、それでもアキラの荷物ぐらいなら何とか通れる大きさだ。前に倒れるように開いた扉は、そのまま外壁の足場となった。


 アキラが足場の先に立って両手を前に出す。アキラの後に続いていた多脚付きのケースが跳躍してアキラの手に飛び移り、積み上がっていく。後はケースを持って飛び降りるだけだ。下手なビルを超える高さだが、今のアキラにとっては何の問題も無い。地上を見ると、シロウがアキラの車を既にこの下まで移動させており、地上からこちらを見上げていた。


「レベッカ。一応聞いておくけど自力で降りられるか? 無理なら一緒に運ぶけど」


「大丈夫。問題無いわ」


「そうか。それじゃあお先に」


 アキラはそう言い残して飛び降りた。そして落下中に、シロウと擦れ違う。


「えっ?」


 地面に着いたアキラが思わず見上げる。シロウは強化服の力で、先程アキラが飛び降りた足場まで飛び上がっていた。


 突然現れたシロウを見て、レベッカが驚きをあらわにする。


「……シロウ?」


「ハルカ!」


 アキラにはレベッカと名乗った少女に向けて、シロウはとてもうれしそうに笑った。




 幾ら坂下重工から優遇されているシロウとはいえ、車両の外壁の扉を開けてキューブの防衛網に穴を開けるなど、下手をすれば坂下重工を本当に敵に回しかねない暴挙だ。それでもシロウはそれをした。五大企業を敵に回してでも助けると決めた友達のために。


 間に合った。その思いがシロウを破顔させる。一方ハルカは困惑し、戸惑っていた。


「シロウ。どうしてこんな場所にいるの? 坂下の研究所にいるはずじゃ……」


「ああ、抜け出してきた」


 その意味を理解しているハルカが驚愕きょうがくする。


貴方あなた何やって……!」


「助けに来たんだ」


 そしてその短い言葉を聞いて、自分のためにそこまでしてくれたのだと、衝撃を受けた。


「ハルカこそ何でこんな所にいるんだ? どうやってあそこから抜け出したんだ? いや、そんなことどうでも良い! ここまで来れたなら、後は俺が何とかする。行こう!」


 シロウがハルカに手を差し出す。ハルカは思わず喜びを顔に出してその手をつかもうとした。だがハルカの手は僅かに動いただけで止まった。その表情も苦悩に染まる。


 それをシロウは不安だと解釈した。ハルカに向けて力強く笑う。


「大丈夫だ。こう見えても俺はすごいんだ。絶対俺が何とかする。信じてくれ」


 しかしハルカはシロウの手をつかめなかった。何とか笑顔を浮かべる。


「……シロウ。ありがとう。本当にうれしいの。本当よ」


 そしてその顔が悲痛に染まった。


「……でも、ごめん」


 そう言って、ハルカはシロウを足場から蹴り落とした。


 全てを懸けてでも助けようとした友達に拒絶されたシロウが、悲痛に染まった顔で落下していく。


「ハルカ……。どうして……」


 そしてハルカは、シロウの悲しみと同じぐらい深い悔恨をにじませた表情で、落下していくシロウを見ていた。




 飛び降りたのではなく落とされて、更に自分で着地する様子も見せないシロウを見て、地上のアキラが落下してきたシロウを慌てて受け止める。


「シロウ。何やってんだ?」


 そのアキラの怪訝けげんな声で、絶望で半ば呆然ぼうぜんとしていたシロウが我に返った。まだ間に合うと、感情的にもう一度ハルカの下に行こうとする。だがアキラから強引に下りたところで、理性がそれを押しとどめた。単純な戦闘能力では全く勝ち目が無い。ハルカを説得するために、力尽くで話を聞いてもらうことは出来ない。また蹴り落とされるだけだと、残酷に告げた。


 シロウが自分の無力さに思わず歯をみ締める。だがそこで、それが出来そうな者にすぐに気付いた。


「アキラ! 彼女の所に戻ってくれ!」


「戻れって……、よく分からないけど、あいつはこれから下りてくるだろう」


 そう言ってアキラがハルカの方を見る。ハルカは外壁の足場からシロウを見ていた。だが車内に戻り、更に扉を閉めた。アキラがそれを怪訝けげんに思っていると、地面が揺れる。それは今までまっていた都市間輸送車両が動き出した振動だった。


「どうなってるんだ……?」


 困惑するアキラの肩をシロウが揺さぶる。


「アキラ! 良いから早く行ってくれ! ハルカが行っちまう!」


「ハルカ? あいつはレベッカじゃ……」


「良いから行けって言ってるだろ!? そんなこと説明する時間なんか無いんだよ!」


 余りに必死なシロウの様子にアキラが流されそうになる。だがそこでアルファが真面目な顔で口を挟む。


『アキラ。駄目よ。装備のケースを開けるのが先よ』


 それもそうだと思い、アキラが落ち着きを取り戻す。


「シロウ。まずは装備のケースを開けてくれ。そのためにここまで来たんだからな。あと、いろいろちゃんと説明しろ」


「だからそんなことしてる場合じゃ……」


 アキラが厳しい目をシロウに向ける。


「装備が、先だ」


 それでシロウも慌てるのはやめた。だがアキラに同じように厳しい目を向ける。


「お前の用事が済んだら、俺の用事を優先する。そういう約束だぞ?」


「俺の用事は、装備を手に入れることだ。まだ手に入ってない。お前がここでケースを開けないのなら、俺はケースを開けるために今から都市に戻る。お前の用事はその後だ」


 シロウが思わずアキラをにらみ付ける。だがアキラも引かない。


「あとな、幾らお前の用事を優先するっていっても、俺も何も知らされずに何でもするって訳じゃない。ちゃんとやってほしいのなら、ちゃんと説明しろ」


 この間にも都市間輸送車両は徐々に加速している。その焦りでシロウは折れた。アキラのキャンピングカーがシロウの遠隔操作で走り出す。


「ケースの開封も説明もあれを追いながらだ! 乗れ!」


 アキラ達はすぐに車に飛び乗った。




 都市間輸送車両の中に戻ったハルカは、シロウを拒絶してしまった罪悪感にさいなまれて顔を悲痛に染めていた。だがそれでも自分の役割を思い出して部隊の指揮を執る。


「……予定変更。回収部隊の到着は待たない。出発よ」


 その指示で、今まで停車していた都市間輸送車両が動き出す。それは車両の制御が既にハルカ達に掌握されている証拠だった。


(シロウはどうやって私がここにいることを知ったの? 坂下重工の調査? シロウがそれを入手して駆け付けてきたのなら、じきに坂下重工が軍を動かすはず……)


 ハルカが嘆く。


「シロウ。何でこんな時にこんな場所にいるのよ……」


 それは自分を助けるためだ。ハルカはそれをどうしようもなくうれしく思い、それ以上につらく悲しく思った。

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