第290話 アリスの交渉

 ツバキ達はラティスが対滅弾頭をらって倒された光景を見ても大きな反応を示さなかった。それでも物事の区切りは付いたとして、それぞれ動く。


「あれも倒されましたし、そちらのプレゼンテーションはこれで終わりですね。では私はこれで失礼します」


 ツバキはハルカにそう言い残し、返事も待たずに姿を消した。


 次にアリスがオリビアへ笑いかける。


「検証に必要なものはこれぐらいで十分に示したと思うのですが、足りませんか?」


「……散らかしたことでの判断材料はそれなりにそろったとします。あとは、後片付けの結果から判断です。そちらも問題無ければ、取引を前向きに考えると約束しましょう」


「ありがとう御座います。では、細かい話は後日ゆっくりと」


 アリスはそう言ってオリビアに一礼した。そしてハルカに軽く告げる。


「別件がありますのでこれで失礼します。ああ、そちらの成果は倒されてしまいましたが、御心配無く。支援は継続しますよ。では」


 それだけ言い残し、アリスもツバキと同じくハルカの返事を待たずに部下達と一緒に立ち去った。


 ハルカが疲れたようにめ息を吐く。


「……じゃあ、私達も帰りますか」


「ああ、帰れ帰れ」


 そう言って手で追い払うような仕草を見せるヤツバヤシに、ハルカがめ息を深くする。


「同行してください」


 ヤツバヤシは舌打ちを返して同意を示した。そしてハルカ達もその場から立ち去った。




 アキラは突如現れたアリスに半ばにらみ付けるような視線を向けていた。言い換えればそれが限界だった。銃を構えるどころか触れるだけで殺されかねない状況だと理解していた。


 交戦の意志は無いと言う相手の言葉をアキラは疑ってはいない。自分がまだ生きているからだ。


 もっともそれだけでもある。殺す気ならとっくに殺されている。だからうそではない。アキラが信じているのはそこまでで、次の瞬間、相手が非常にどうでも良い理由でその意志を変えることは十分に有り得ることも同様に信じていた。


 だからこそ、アキラなりに穏便に相手の出方をうかがう。


「……、交渉って何だ?」


 交渉の意志を見せたアキラの様子を見てアリスが笑う。そして白いカードを取り出した。


貴方あなたに、このカードに関する全ての権利を放棄して頂きたいのです」


「またそれか……!」


 自分に厄介事を運んできた白いカードの再登場に、アキラは思わずうんざりした顔をした。


「前にも言ったけど、それはもうシオリにあげたんだ。俺のじゃない。だからそういう交渉はそっちとしてくれ」


「このカードに関する全ての権利を放棄する。そう言って頂ければ十分です。既に貴方あなたの私物ではないのであれば、権利の放棄を宣言しても現状の肯定に過ぎません。何も問題無いと思いますが」


 それを聞いたアキラは、一理ある、とは思った。また、自分に何らかの不利益を与える要求ではないことも理解した。そして状況的にもアリスの要求を素直に聞き入れた方が良いとは分かっていた。


 だが、だからといって、アキラが、はい分かりました、と言える人間であれば、そもそも現在の状況になどなっていなかった。


「俺にそっちの頼みを聞く義理でもあると思ってるのか?」


 嫌だね、と、あからさまな拒絶の言葉を返さなかっただけ、アキラは一応落ち着こうとしていた。それでも隣でアルファは頭を抱えていた。


「俺はリオンズテイル社から500億オーラムの賞金を掛けられた上に、その所為せいでクガマヤマ都市からモンスター認定まで受けたんだぞ? それを分かって言ってるのか?」


「厳密には、それらは三区支店が独自に行ったことであり、東部本店の代表としてここにいる私があずかり知るところではないのですがね」


 アキラの態度は東部の一般的な感覚では自殺行為でしかない。それは絶望的な戦力差の中で生殺与奪を握られている状況であることを除いても変わらない。一介のハンターと、リオンズテイル社という東部に名だたる大企業にはそれだけの差が存在していた。


 その上で、アリスはアキラの態度を見ても反応を変えなかった。


「ではこうしましょう。その賞金はこちらで取り下げさせます。モンスター認定の方も取り消させましょう。加えて、その一連の騒動で掛かった経費は全額こちらで補填致します。これでどうですか?」


 その提案にはアキラも面食らった。軽い混乱もあって怪訝けげんな顔で聞き返す。


「……断れば殺す……とか、言わないのか?」


「御希望でしたら付け加えますが」


「い、いや、そんな希望は無いけど」


「では、この条件で」


「えっ? いや、その……」


 自分を一方的に殺せる者がなぜそこまで譲歩するのか、アキラには全く分からなかった。そこから生まれる混乱が、そんな上手うまい話を受け入れるのは不味まずいのではないかという疑念を生み、その答えを考えさせる。そして思い付いたことを一応口に出す。


「こっちに随分と都合の良い条件を出してるけど、それはあれか? だから俺にこれ以上クロエを狙うのはめろってことか?」


 坂下から装備が届いた後だが、自分は今でもクロエを殺すつもりだ。その時にクロエがリオンズテイル社の都市にいたとして、最前線並みの装備を身に着けた自分と交戦した場合に発生する被害額を考えれば、多少多めに金を払ったとしても今の内に和解しておいた方が安く済む。そう考えてのことかもしれない。


 そう思っての言葉だったが、アキラは自分で言っておいて納得できなかった。クロエをまもるのであれば、この場で自分を殺すのが一番確実で手っ取り早いと、アキラ自身分かっているからだ。相手がそちらの手段を選ばない理由を全く思い付けなかった。


 だがそこでアリスは僅かに考えるような様子を見せた。しかしすぐに決断する。


「クロエですか。まあ良いでしょう。少々お待ちを」


 そのままアキラは待たされる。その顔は警戒よりも困惑の方が強くなっていた。


『アルファ……。どうなってるんだと思う?』


『分からないわ。でも、向こうに交戦の意志が無いのは本当なのでしょうね。だからアキラも短気を起こしたり自棄やけになったりせずに落ち着きなさい』


『あ、ああ』


 しばらくするとアリスの直属の部下に連れられてシオリとカナエが現れる。二人とも状況を把握しておらず、アキラと同様に困惑した様子を見せていた。


 そして都市の方向から別のメイド達が空中を飛ぶように走ってくると、そのままアリスの左右に着地して、連れてきた者達をそこに立たせた。それはクロエとレイナだった。二人とも驚いているが、単純に困惑しているレイナとは異なり、クロエはどこか勝ち誇るような笑みを浮かべていた。


 アキラは訳が分からず、ただ混乱していた。




 アキラがラティスを倒した後、エレナ達はすぐにアキラに連絡を入れようとした。しかしつながらない。それを不思議に思ったが、対滅弾頭を使った影響で通信環境が乱れているのだろうと思い、アキラの下に直接向かおうとする。


 その途中、二人のメイドがエレナ達の前に現れて行く手を遮った。


「誠に申し訳御座いません。この先で当社の者が交渉中で御座います。先に進むのは御遠慮願います」


 メイドはそう言ってエレナとサラに丁寧に頭を下げた。


 エレナは強い警戒を示しながらも、相手の雰囲気や装備からその実力を察した。サラに視線で強行突破は無理だと示して、下手に動くなと指示を出す。


「一応聞くけど、貴方あなた達、リオンズテイル社の人よね?」


「はい」


「この先に私達の仲間のアキラってハンターがいるんだけど、貴方あなた達の交渉相手って、アキラ?」


「申し訳御座いません。一切お答えできません」


 エレナが険しい顔で息を吐いた。そして同じリオンズテイル社の者であるシオリ達から何か情報を得られないかとそちらを見る。そのシオリ達はエレナ以上に驚いた表情で険しさと焦りを顔に出していた。


「シオリさん……?」


 呼びかけられたシオリが我に返る。だが表情の険しさは消えていない。


「……失礼。私にも状況は分かりません。ですので、分かることだけ、推測を交えてお伝えします」


 目の前のメイド達はリオンズテイル社東部本店所属の者達であること。自分達など一瞬で皆殺しに出来る実力を持っていること。そのような者が現場に出ている以上、交渉に出ている者はリオンズテイル社でも限られた上位の者であること。それらを伝えた上で、真剣に忠告する。


「軽率な行動は絶対に慎んでください。最悪の場合、本店が敵に回ります」


「……、分かったわ」


 エレナもリオンズテイル社全体を敵に回す意味は十分に理解している。真剣な顔でうなずいた。


 シオリが少し迷ってから一歩前に出る。


「リオンズテイル東部四区支店所属のスズハラ・シオリと申します。私の主であるレイナ・リラルト・ローレンス様がクロエ様と共に本店の保護下にあると伺いました。よろしければ詳しい状況を伺いたいのですが……」


「黙れ」


 メイドの片方が端的にそう答えた。その顔にエレナ達へ向けていた笑顔、社外の者に向ける愛想は欠片かけらも無かった。


「職務の邪魔をするな」


 次は職務上の障害として処理する。そう視線で忠告し、メイドはシオリから視線を外した。


「……大変失礼致しました」


 シオリは深々と頭を下げて一歩下がった。カナエが顔色を悪くして小声で声を掛ける。


あねさん……、これって……」


「多分ね……。どうなってるのよ……」


 本店所属の者にもかかわらず恐らく権限的に交渉の場に同席できずにその周囲の警備に回された者が、軽く声を掛けただけでここまで反応を見せたのだ。それだけの上位者が現場にいることになる。そう考えたシオリとカナエの頭に浮かんだ該当者はアリスぐらいしかいなかった。つまりアリスがアキラとの交渉に直接出ていることになる。それはシオリ達にとって途方も無い異常事態だった。


 そこにもう一人メイドが現れる。先にいた二人のメイドの反応が、より上位の者だと示していた。その者がシオリとカナエに端的に告げる。


「そこの二人、ついて来なさい」


 シオリ達は難しい表情で顔を見合わせたが、大人しくついていくしかなかった。そしてその先にアリスが本当にいたことや、レイナと一緒にクロエまで現れたことに驚きを隠せなかった。




 アキラ達の下に連れてこられたクロエは驚きながらも素早く状況の把握に努めた。そしてアキラと交渉するアリスの姿を見て、笑う。


(勝った……!)


 自分の推察は正しかったのだと、自分は賭けに勝ったのだと、クロエは内心の喜びを思わず顔に出していた。


 アリスはミハゾノ街遺跡でオリビアに自社の現代のリオンズテイル社の情報を渡した。だが旧世界のリオンズテイル社にとっては、自社から切り離された状態の個体から提供された情報に信憑しんぴょう性など欠片かけらも無い。よって内容の検証が必要となる。


 白いカードを巡って始まった一連の騒ぎは、その検証作業の一環でもあった。現代のリオンズテイル社が提供した情報通りの大企業であることを、旧世界のリオンズテイル社に示すためだ。引き起こされた騒ぎが大きければ大きいほど、それだけの力を持っているという根拠に、大企業の力の片鱗へんりんを示す証拠になるからだ。


 アリスはそのために白いカードの取り扱いを含めた対処について、現地の者で対応するように、という曖昧な指示をえて出していた。騒ぎを望まないのであれば、その時点でカードを持っていたシオリに、三区支店の支店長であるベラトラムの指示で動け、と権限と責任の所在を含めた具体的な指示を出していた。


 そしてアリスの期待通りにクロエが暴走した。その騒ぎは連鎖的に膨れ上がり、ついには五大企業である坂下重工の重役がいる都市の防壁に派手な一撃を入れるほどになった。その時点でオリビアは武力的な検証作業は十分に済んだと判断し、あとはその騒ぎを収める力があるかどうかで判断するとアリスに告げたのだ。


 クロエはその全てを知っていた訳ではない。だが近い推察は出来ていた。そしてアリスがアキラとじかに交渉する姿を見て、服従させるにしろ殺すにしろ、今回の騒ぎの起点でもあるアキラをアリスが直々に処理することで、その力を内外に示そうとしているのだと判断した。


(騒ぎの沈静化の局面に入ったのなら、これ以上の騒ぎは不要だってこと! つまり、アリス代表とオリビア様の取引は恐らく無事に済んでいる! その取引が成立したのは、間違いなく私の成果よ! 旧世界のリオンズテイル社との取引を成立させたんだもの! 本店所属になっても不思議は無いわ! 勝った……! 私は賭けに勝った!)


 厳しい局面は何度もあったが、それだけの危険を冒しただけに栄光も輝くのだと、クロエは自身の輝かしい未来に酔いしれていた。


 そのクロエの前でアリスが腕を軽く振るう。発せられた衝撃波を真面まともらったクロエは一瞬にして粉微塵みじんになり、その生涯を終えた。




 クロエを殺したアリスが、突然の事態に混乱しているアキラに向けて、交渉を始めてから全く変わっていない笑顔を向ける。


「これでどうですか?」


 そう声を掛けられてアキラが我に返る。強い混乱は続いているが、その表情には僅かだがアリスを非難するようなものが混ざっていた。


「……そいつ、お前達の身内じゃなかったのか?」


「ですので、こちらで処理しました。余計なめ事を増やさないためにも、そちらへの謝罪としても、こちらで処理する方が適していると思いますが」


 一理ある、とアキラは思った。自分がクロエを殺せばリオンズテイル社への敵対行動だが、アリスが殺せば組織内の話で済む。また、謝罪のために身内を手に掛けたという行為は、確かに自分に対しての十分なびになる。そうは思ったのだが、アキラの中には自分でもよく分からないわだかまりが生まれていた。


 それでアキラの顔がゆがむのを見て、アリスが続ける。


「足りませんか? 一連の騒ぎに貴方あなたを巻き込んだ者という意味では、こちらも必要ですか?」


 アリスはそう言ってレイナ達に手を向けた。


 シオリとカナエが反射的にレイナをかばう位置に立つ。かばったところで一緒に消し飛ばされるだけだと分かっていたが、動かずにはいられなかった。


「まっ、待て!」


 アキラは思わずアリスを止めた。そして視線を自分に向けているが、まだレイナ達に向けて手を伸ばしているアリスを、落ち着かせるように続ける。


「……そっちはいろいろ手伝ってもらった方だ。だから必要無い。もう良い。めろ」


 アリスが手を下ろして微笑ほほえむ。


「要求は以上ですね? では、お願いします」


 アキラはそう言われた後で、自分がアリスの頼みを受け入れる条件を提示し終えたようなことを言ったことに気付いた。しかしアリスを止めた時点で今更ごねたり拒否したりするのも違うと思い、仕方が無いと大きく息を吐く。


「そのカードに関する全ての権利を放棄する。……これで良いか?」


「ありがとう御座います。では、私はこれで失礼致します。機会があれば当社のサービスを是非とも御利用下さい」


 アリスは白いカードを仕舞しまいながらそう言い残すと、迷彩機能を使用して姿を消した。他のメイドや執事達も同様に姿を消していく。アキラの情報収集機器に去っていくアリス達の反応が僅かに残っていたが、それもすぐに消えた。


 アキラが倒れるように横になる。


「何だったんだよ……」


 アキラの胸中から吐き出された心情の詰まったつぶやきに答えられる者はいなかった。




 アリス達が去った後、周辺の封鎖が解かれてすぐにエレナ、サラ、キャロルがアキラの前に現れた。エレナ達はアキラの無事を喜びながら状況を尋ねたが、状況を理解していないのはアキラも同じであり答えられない。取りえず、レイナ達も一緒に全員で拠点に戻る。


 拠点に戻ると一帯は都市の防衛隊に治安維持の名目で制圧されていた。ラティスの攻撃が防壁まで届いたことで、都市側も流石さすがに静観できなくなったのだ。もっともアキラ達を拘束するような真似まねはせず、無闇に拠点の外に出ないように任意で頼むだけだった。事態の沈静化が目的なのにアキラを刺激しては逆効果だからだ。そのお陰でアキラ達は再襲撃の心配も無くゆっくり休むことが出来た。


 アキラとしては風呂に入りたかったのだが、アルファから絶対に溺れ死ぬと止められたので、仕方無くシャワーだけ浴びた。そしてシェリルに部屋を借りてベッドに倒れ込んだ。一度気を緩めてしまえば睡魔に屈するまですぐで、アキラはそのまま深い眠りに就いた。




 クガマヤマ都市の防壁内にある会議室で、イナベがテーブルに拳をたたき付ける。


「あのクソどもが!」


 クガマヤマ都市の幹部としてリオンズテイル社の者が全員退出するまで自制できたのは自賛できる忍耐力だったと、イナベはテーブルを余りに強打した所為せいで出来たへこみで示していた。


 イナベを含めた都市の幹部達はリオンズテイル社から、一連の暴挙、異形の群れを都市のすぐそばに出現させたことや、ラティスが変異した大型巨人が都市の防壁を攻撃したこと、下位区画に甚大な被害を出したことは、故意ではないと説明された。


 同僚を失った所為せいで精神状態の均衡を欠いた従業員の暴走。そして回復薬の事故。それらが合わさった偶発的な出来事であり、あくまでも事故であり、社の意志ではない。それがリオンズテイル社側の釈明だった。


 もっともイナベ達は誰もそれを信じなかった。無理があることは明白であり、意図的なものだと気付いていた。しかしその説明を丸みせざるを得なかった。下手に故意であると追及して、相手がそれを認めてしまえば、その時点で戦争になるからだ。相手はリオンズテイル社東部本店。クガマヤマ都市側に勝ち目など欠片かけらも無い。


 リオンズテイル社は事故の責任を認めて賠償にも応じると都市側に告げてきたが、金でどうとでもなると見做みなされていることに違いはなく、実際にその通りだった。その屈辱がイナベを激怒させていた。


 部下がイナベをなだめる。


「室長。落ち着いてください。対外的にはリオンズテイル社がクガマヤマ都市に対して下手に出たとも解釈できます。またアキラの件もこれで片付きました。表向きとはいえ彼はリオンズテイル社を相手に500億オーラムの賞金を取り下げさせたのです。それだけの人物とのつながりを持つ室長の力も増えたと考えましょう。彼が都市を襲う理由も無くなったことも含めて、彼を支援していた室長の功績でもあります」


「…………、そうだな」


 イナベは意図的に大きく息を吐き、冷静さを取り戻そうとした。


「……全部署に協力を要請して被害額の算出を急げ。防衛隊の出動経費や下位区画の各種保険なども含めろ。請求できそうなものは全部だ」


「直ちに」


 部下が一礼して作業に入る。その姿を見たイナベは、自身の職務を果たすためにも気を切り替えようとした。しかし別の苛立いらだちが残っている所為せいで、その顔はまだ不機嫌かつ不可解そうにゆがんでいた。


「……それにしても、この状況で幹部会を欠席するとは、あの男は何をやっているのだ?」


 クガマヤマ都市を事実上掌握しているほどの重要人物であるにもかかわらず、ヤナギサワはこの場に同席していなかった。




 クガマヤマ都市の上位区画、坂下重工の管理下にある領域の一室で、坂下重工の重役であるスガドメが、リオンズテイル東部三区支店の支店長であるベラトラムから事態の釈明を受けていた。


「……事故であること、把握した。当社としては、そちらとクガマヤマ都市の間で合意が取れているのであれば口出しする気は無い」


「御理解感謝致します」


「それはそれとして、説明で出た回復薬だが、その関連データをこちらに渡して頂きたい。可能であれば、製法や入手経路にかかわらず、その回復薬をそちらが保持していた理由、全てをだ」


 愛想良く受け答えていたベラトラムが、僅かに黙る。


「……、必要ですか?」


「必要だ。そのような深刻な事故を起こす回復薬が、我が社の経済圏に存在するのはとても危険なのでね。更なる事故を防止するためにも、情報の共有が必要だと思わないかね?」


 ベラトラムが再び僅かに黙る。そして断った場合の結果を推察し、社への不利益を考慮して、愛想良く笑った。


「……分かりました。ただ、あのデータは本店の管轄でして、私の権限では即座にお渡しは出来ません。本店への連絡、調整等を含めてしばらくお時間を頂きますが、構いませんか?」


「構わんよ」


「ありがとう御座います。では後日受け渡しを……」


「ああ、データの受け渡しだが、機密情報の取り扱い規約などで我々への提供が難しいのであれば、別のところでも構わない」


「と、言いますと?」


「別件で対再構築機関アンチリビルドの人員を手配していてね。そちらでも良い。統企連の機関であり坂下の人間も所属しているが、あそこの目的は再構築の阻止だ。企業機密を渡しても坂下に情報を流される恐れは無い。五大企業全てで相互に監視しているからな。どうかな?」


 予想外の内容に、ベラトラムは一瞬だけ顔から愛想を消してしまった。だがすぐに取り繕う。


「個人的にはそこまでする必要は無いと思いますが、決めるのは本店です。ですので、本店の方には伝えておきます」


「そうか」


 スガドメとベラトラムはお互いに他社の重役への敬意を顔に出して話を終えた。


 ベラトラムが退室すると、スガドメはすぐにマツバラに連絡を取った。そして真面目な顔で指示を出す。


「私だ。リオンズテイル社のアリス代表がこの地に来訪した理由を至急洗い直せ」


「それは既に旧世界のリオンズテイル社との直接取引のためだと判明していますが……。そのためにクガマヤマ都市を巻き込んだことも含めて裏取りも終わっております。アリス代表が現地入りしなければならない相手という点も含めて、疑う要素は無いかと」


「調べ直せ。その十分に納得できる理由が、別の目的を陰蔽している恐れがある」


かしこまりました。よろしければ、その懸念を抱いた理由を伺ってもよろしいでしょうか?」


「三区支店のトップが対再構築機関アンチリビルドの名に反応した。そして都市襲撃はヒガラカの施設から行われたが、あの施設が建設されたのは今回のカードの騒ぎの前だ」


「……カードの件とは無関係に、以前から都市襲撃の予定があったと?」


「懸念だ」


「すぐに調べ直します」


 その言葉を最後にマツバラとの通信が切れる。その口調は十分に深刻なものであり、事態の共有が出来ていることを示していた。


 スガドメが険しい表情で息を吐く。


杞憂きゆうであれば、良いのだがな」


 対再構築機関アンチリビルドの再構築とは、文明の再構築を指す。そして文明の再構築は前文明の崩壊を前提とする。つまり再構築とは、現在の文明が滅び、敗北し、旧世界にまれることを意味する。それを防ぐのが対再構築機関アンチリビルドの役割だ。部分的に敵対すらしている五大企業が協力する案件だけはあるのだ。


 またアリスが率いるリオンズテイル社は現代の企業であり東部で広く商業活動をしているが、その立ち位置は厳密には旧世界側にある。アリスが、旧世界の存在が率いているからだ。必要であれば、再構築の実行に躊躇ちゅうちょなどしないだろう。スガドメはそう考えていた。


 シロウの脱走も含めて、スガドメの頭の中では事態がつながりつつあった。




 クガマヤマ都市の防壁を出たベラトラムが車内から本店に通信をつないでいる。その拡張視界にはアリスの他に、四区支店の支店長であるフリップの姿が映っていた。


『ベラトラム。フリップ。報告を』


 二人からの報告を聞き終えたアリスが軽くうなずく。


よろしい。坂下に渡すデータはこちらで用意しておきます。対再構築機関アンチリビルドの介入を臭わされたことは、それがブラフであれ警告であれ気にする必要はありません。そのまま業務を続けなさい』


 仮想空間上でベラトラムとフリップはそろって頭を下げた。そして軽く目配せすると、ベラトラムから話を切り出す。


『代表。我々はこの度の案件で、クロエ、レイナ、両名の社への功績は十分に高いと判断しておりました。特にクロエの功績は多大なものかと。しかし代表はクロエを処断しました。我々の判断基準には代表と齟齬そごが生じておりますでしょうか?』


 ベラトラムは三区支店の責任者として、クロエが所属していた派閥の扱いに注意する必要があった。そしてアリスがクロエを処断した以上、その派閥にも影響は出る。アリスの判断と自身の判断が異なっているのであれば、修正する必要があった。


 しかしアリスはベラトラム達の判断を肯定する。


『いえ、両名、十分な働きでした。個人、派閥、共に報いなさい』


 クロエに関しては既に死んでいるので、社への貢献のために死亡した功績者として扱うという意味だ。これによりクロエが所属していた派閥は、その恩恵を受けることになる。


かしこまりました。……僭越せんえつながら、それならば、なぜクロエを処断なされたのですか?』


『その必要があったからです』


 自社の力を、武力をもって示す過程が終わり、後片付けの局面になったことで、アリスは事態の沈静化に更なる武力を使用するのはオリビアからの評価を下げると判断していた。


 アキラからカードの所有権を消したのは、そこが今回の騒ぎの起点となったからであり、事態の沈静化の一環だ。また、自社の者が所有権を持つカードを手にしておきたかったという理由もある。


 所有者からカードの権限が失われた場合、本来は単純に返却となる。しかしアキラがカードをシオリに譲渡し、それをオリビアが変則的ではあるが部分的に認めたことで、アキラがカードの所有権を失った場合、規約上、次の所有者はシオリとなっていた。


 所有権は所有者が死亡しても失われる。アリスがそれを分かった上でアキラを殺さなかったのは、事態の収拾を前提とする状況だったからだ。そうでなければアキラは殺されており、その前提があったからこそ、アキラに権利の放棄をませるために、クロエが死ぬことになった。必要ならばレイナ達も死んでいた。ある意味で、クロエとレイナはそのためにアリスに確保されていた。


 もっともアリスはクロエの生死そのものに興味は無い。仮にクロエが生き延びていれば、または既にアキラが死んでいれば、クロエが今回の功績をもって本店に栄転する可能性はあった。


 しかしアキラは生き延びた。そしてアリスとの交渉でクロエのことを口に出した。その時点で、クロエの命運は尽きた。


 アリスからそれらの説明を受けたベラトラムがうなずく。アリスの判断基準に納得する必要は無い。重要なのは信賞必罰の基準をアリスと同じくすることだからだ。


 クロエはアリスの考えをかなり正確に読んでいた。だが最後の最後で読み間違えた。


 クロエが賭けに勝ったとしても、リオンズテイル社に多大な功績を残したとしても、それはクロエの命を保証しない。生きていれば優遇する。そこまででしかない。アリスにとって旧世界のリオンズテイル社との取引成立は、ローレンス一族の命より価値があるからだ。


 アリスにとって、より重要な方が選択された。それだけだった。

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