第271話 キャロルの過去

 自分に賞金を懸けたリオンズテイル社の者から交渉を持ち掛けられたことにかなり驚いたアキラだったが、そのリオンズテイル社の者であるフリップからクロエの殺害を依頼された驚きにはかなわなかった。


「待ってくれ。真面目に言ってるのか? 俺にそんな依頼を本気で出すつもりなのか?」


「可能性の話だ。まずは君がそのような依頼を受ける人物なのか確認している。俺はハンターで殺し屋ではないと断る者も多い。だがそう言っておきながら賞金首なら人でも殺す者もいる。私としては金の受け取り方が違うだけで、やっていることは同じだと思うのだがね。まあ、その辺りの判断基準は人それぞれだ。私の考えを押し付ける気は無い。で、どうだろうか」


「いや、そう言われても」


「繰り返すが、まだ依頼は出していない。君がその手の依頼を受け付ける者であれば、その情報を社に持ち帰り、他の者達と相談して実際に依頼を出すかどうか決める。その後、君と報酬等を交渉し、合意に至らず流れることもあるだろう。今はその前段階だ。割に合わないとか、そういう理由で渋っているのであれば、割に合うように交渉すれば良いだけの話だ。この時点で断る理由にはならないと思うぞ?」


 言っていることは正しい。アキラはそう思いながらも僅かに悩んだ。そして悩む理由に気付くと、首を横に振った。


「断る」


「なぜ? 君は既にクロエを何度も殺そうとしている。これからもそうだろう。そこは依頼を受けても受けなくとも変わらないはずだ。依頼を受ければ報酬として我々の支援も受けられる。他のハンター達から個人対リオンズテイル社という構図に見られている状況も、リオンズテイル社支店間の抗争と判断される。そうなれば他の交渉にも有益だろう。君にはメリットしかないはずだ」


「そうかもな。でも断る」


「どうしてだ? メリットしかない依頼など、話がうますぎると考えているのか? それは依頼を受けた場合のデメリット、つまりクロエと敵対したことに因って生じる被害を君が既に負っているだけだ。本来あるはずのデメリットが、既に500億オーラムの賞金首となっており、クガマヤマ都市からモンスター認定を受けているという状況にき消されているに過ぎない。そのような特異な状況により、メリットだけ享受できるんだぞ?」


 アキラはそれでも首を横に振った。フリップが軽く息を吐く。


「……まあ、変則的ではあるが、殺しの依頼なのだ。無理強いはできない。しかし理由ぐらいは教えてもらえないか? 今更殺しに忌諱きいを抱いている訳でもないだろう」


「まあな。その辺は今更だ。ただ……」


「ただ?」


「俺は俺の意志であいつを殺す。そこに他人の意志を混ぜたくない。それだけだ」


 アキラはそうはっきりと言い切った。アキラにとっては非常に重要で、それだけで十分な理由だった。


 だが納得していない様子のフリップを見て、もう少し理由を付け足す。


「後は、依頼を受けると俺だけで決められなくなるからな。これから何かあって、あいつを殺さない、あるいは殺せない状況になった時に、依頼を受けた所為せいで困った事態になるかもしれない。だから依頼にはしない」


「あれだけ彼女を殺そうとしたにもかかわらず、気が変わる可能性があると? そんなことが有り得ると?」


「俺もいろいろあってな。想像もしなかった事態に遭遇するのは慣れてるんだ。だから、有り得ないなんて有り得ないって考えておくことにしてるんだよ」


 フリップがどこか意味有り気に笑う。


「そうか。まあ、そういうことにしておこう」


うそは言ってないんだけどな」


「私も支店長ともなると、いろいろあってね。気にしないでくれ」


 フリップは軽く笑って話を流した。


 交渉を終えたアキラはキャロルと一緒にバイクにまたがった。それを笑って見送ろうとしていたフリップが声を掛ける。


「交渉自体は不調に終わってしまったが、それでも君との縁が出来たのだ。上出来としよう。もう一度言っておくが、我々は君と敵対するつもりはない。つまり、君が当社のサービスを希望するのであれば受け付ける。賞金首の上に三区支店と敵対関係にある以上、料金は要相談となるがね」


 商売熱心だと、アキラが苦笑を返す。


「気が向いたらな」


 アキラはそれだけ言い残してバイクを走らせると、そのまま荒野に消えていった。




 アキラが去った後、フリップの表情から客向けの愛想が消えた。代わりに支店を預かる者の顔が現れる。


「お前達、彼の実力をどう見る?」


 フリップの側近でもある執事の男の顔は少々険しいものだった。


「警戒に値する実力は十分にあるかと。しかし報告書にあった機械化兵隊蜂を倒せる程かと問われると、私の見立てでは難しいかと」


 メイド服の女性も難しい顔を浮かべている。


「同意見です。しかし先程の隠形は見事でした。彼のハンターとしての実力がどうであれ、フリップ様の護衛を任されている身としては近付けたくありませんね」


「そうか。ではやはり、敵対しないと宣言できただけでも交渉の価値はあったな」


 その後、車両に戻ったフリップは部下達からアキラとの交渉について改めて説明を求められた。後部座席に座ってそれを話す。


 賞金首となったアキラはリオンズテイル社全体をひどく恨んでいる恐れがある。そしてあの手の者は敵と見做みなした者に容赦が無い。四区支店の地域に逃げ延びた場合、もう敵対しているのだからとリオンズテイル社の施設を襲う存在になる恐れがある。そこでまずはその防止として四区支店は敵ではないと認識させた。クロエの殺害依頼はそれを補強するためでもあった。


 そしてクロエを殺せれば、三区支店にある程度混乱を与えられるとも考えた。アリス代表が態々わざわざ訪れるという事態にクロエが何らかの形で関わっているのは確実。よってそのクロエが死ねば三区支店の飛躍を抑えられる可能性がある。三区支店が躍進し、四区支店がみ込まれる危険は出来る限り下げておきたかった。


 執事服の男がそれを聞いて懸念を示す。


「しかし支店長。代表が来訪されるという今この時に、三区支店に手を出すのは危険では?」


「問題無い。それが問題となる場合はアリス代表から三区支店には手出し不要との通達が必ず来る。しかし来ていない。つまりアリス代表は我々が三区支店を妨害することを許可している。……まあ、推奨か黙認かは分からないがな」


 フリップはそう言った後で大きなめ息を吐いた。


「……しかしアリス代表はなぜ来訪の目的を周知されないのか。他支店にも戸惑いが見える。これでは騒ぎが広がるばかりではないか……」


 フリップの護衛役として経営にはやや疎いメイド服の女性が余り考えずに口を挟む。


「本社に確認はしていないのですか?」


「した。具体的な返事は来ていない。知る必要は無いとすら言われていない。不明なままだ。彼が依頼を引き受けてくれれば、報酬の名目でこちらの人員を送り込んで多少は情報収集も出来たのだが……、ままならんな」


 アリスの来訪という一大事を前に、フリップの苦悩は絶えなかった。




 アキラ達がフリップとの交渉場所にバイクで向かったのは、万一戦闘になった場合にキャンピングカーを巻き込まないためだ。都市に戻れないアキラにとって、キャンピングカーは寝床としても弾薬等の保管場所としても重要になっている。十分に離れた位置にめていた。


 それでもバイクを勢い良く走らせ宙を駆ければすぐに到着するのだが、目立たないように地上をゆっくり進んでいる。帰路も運転をキャロルに任せて、アキラはその後ろにつかまっていた。


「キャロルはさっきの話をどう思う?」


「うーん。そうね、アキラの敵の範囲が思ったより狭いと分かったのは良かったと思うわ」


 ローレンス一族の者を殺そうとしたのにもかかわらず、リオンズテイル社そのものがアキラの敵に回った訳ではないと確認できた。あの様子であれば、三区支店と軋轢あつれきがある支店の領域に避難すれば500億オーラムの賞金すら無効化できる可能性がある。三区支店によって賞金首になった者を殺せば、三区支店と敵対している支店への敵対行動と見做みなされるかもしれないからだ。


 それらの話を聞いたアキラは納得しながらも意外そうな顔を見せた。


「成る程。そういう考えも有りか」


 その様子にキャロルが苦笑をこぼす。


「アキラ。そういう考えも無しで交渉に行ったの?」


 アキラはキャロルの後ろにいるのだが、ごまかすように視線をずらした。すると楽しげに微笑ほほえむアルファと目が合ったので、更に逆方向に視線をずらした。


「あと、これは私の個人的な感想になるけど、アキラの考え方が分かって良かったわ」


「ん? 何かあったか?」


「ほら、殺しの依頼をちゃんと断ったでしょう? 殺しに忌諱きいが無いとしても、だから気兼ねなく強盗にも殺し屋にもなれる、と、だから気兼ねなくそれらを返り討ちに出来る、は、まるで違うわ。アキラは後者よ。どんな理由であれ、殺しを請け負ったら前者になってしまうわ。やろうと思えば出来てしまうからこそ、それをする、あるいはしない理由は大切よ」


「そういうものか」


「そうよ。だから、万一の時には、私をまもって、敵をちゃんと返り討ちにしてちょうだいね」


 キャロルはそう言ってどこか誘うように笑った。


「了解だ」


 アキラも笑って返した。そしてふと思う。


「それで、その敵って一体何なんだ?」


 キャロルがどこか堅い口調で聞き返す。


「……それ、答えないと駄目?」


「無理には聞かない。ただ、まあ、今の俺とキャロルは一蓮托生いちれんたくしょうな部分があるから教えておくけど、俺には強力な装備が手に入る予定があるんだ。だからキャロルが警戒している何かが襲ってくるなら、それはその装備を手に入れた後の方が都合が良いんだ。それで、相手が分かればその辺の予想も出来るかなって思っただけだ」


「その装備っていつ頃手に入るの?」


「早ければ1週間後ぐらいで、遅ければ3ヶ月後ぐらいだ」


「随分期間に間があるのね」


「まあ、その辺はいろいろあってな」


 無理に聞き出すつもりは本当に無いこと。そして装備の調達時期という場合によっては致命的にもなりかねない情報を伝える程度には気を許されていると感じて、キャロルが口調を大いに緩める。


「ごめんなさい。前にも言ったけどアキラに護衛を頼んでいるのは用心のためで、私の取り越し苦労かもしれないの。だから、いつ襲ってくるかなんて私にも全く分からないわ。そもそも何も起こらない可能性も高いしね」


「そうか。それなら俺は楽で良いけど」


 アキラにとっては別に重要な話でもないので、その話はそれで流れた。


 そのままキャンピングカーまで戻ってきたアキラ達がバイクをめる。本来ならそのまま後部扉を開けてバイクごと中に入るのだが、それをアキラが止めた。


「アキラ。どうしたの?」


「いや、ちょっとな」


 アキラはバイクから降りた後、片手に銃を握り、キャロルを背にしながらゆっくりと車両に近付いていく。キャロルもアキラの様子から警戒を高めて銃を構える。


 車両の後部扉を開けてバイクを仕舞しまう。そのままバイクを盾にしてしばらく車内を警戒する。何も起こらないことを確認してから、ゆっくりと先に進む。そしてリビングルームに入ると、見覚えのある顔がアキラ達を待っていた。


「久しぶり。お邪魔してるぞ」


 シロウはアキラ達を笑って迎えた。


 相手は銃を握っておらず、戦意も見せておらず、加えて坂下重工の人間だ。その判断から、アキラ達はシロウに向けていた銃口を下ろした。それでも警戒は緩めなかった。


 キャロルが厳しい視線をシロウに向ける。


「……どうやって中に入ったの?」


「ドアを開けて入った。そうにらむなよ。勝手に入ったのは悪かったけど、俺が外でうろちょろして目立つのは、そっちにとってももっと悪いだろう?」


 この車のセキュリティー程度、自分にとっては無いも同然。シロウは暗にそう告げて余裕の笑みを浮かべた。そこにアキラが口を挟む。


「それでも事前に連絡ぐらい入れたらどうだ? 俺に交渉してきたやつもそれぐらいはしたぞ?」


「悪いな。そんな真似まねをすると俺の居場所が割れる恐れがあるんだ。今日だって、会えなかったら置き手紙でも残して帰ろうかと思ったぐらいなんだ」


 ミハゾノ街遺跡でヤナギサワに見付かってしまったこともあり、シロウはその辺に関して極めて慎重になっていた。


「まあ急に来たのも勝手に入ったのも悪かったよ。お互い事情のある身なんだ。そこは見逃してくれ。今日は話があって来たんだ」


 キャロルが焦りをにじませてあからさまにいぶかしむ。


「話って、何?」


 そう問われたシロウが、アキラ達を見ながら自身の優位を示すように余裕を見せて笑う。


「ああ。旧領域接続者同士、取引をしたいんだ」


 アキラが思わず僅かに反応してしまう。自分でもそれに気付き、不味まずいと思ってしまった所為せいで更に大きな反応を示してしまいそうになった時、別の者の反応がそれをき消した。


「違うわ!」


 キャロルが声を荒らげていた。露見した動揺を抑えきれず、おびえ、焦り、震えて表情をゆがめるその姿には、自身が発した言葉への説得力など欠片かけらも無く、むしろ白状しているのに等しかった。


 そちらへの驚きがアキラの反応をごまかす中、シロウも相手の過度な反応に少し怪訝けげんな顔を見せる。だがアキラ達にそれに気付ける余裕は無かった。


「そんなに驚かなくても良いじゃないか。そっちも俺が態々わざわざじかに会いに来た時点で予想はしてただろう?」


 敵意は無いとえて余裕を見せるシロウ。荒い息をしながらおびえた顔で後退あとずさりまでしているキャロル。その二人を見てアキラは意識を切り替えた。キャロルをかばうように前に立ち、シロウに再び銃口を向ける。


「キャロル。こいつは敵で良いのか?」


 事情は分からないが、護衛対象がおびえた様子を見せている時点で、たとえ相手が坂下重工の者であろうとも、アキラには銃口を向ける理由になった。後はキャロルが敵だと答えれば、引き金を引く理由になる。


 シロウもそれに気付いて顔を険しくする。キャロルの様子から何を言い出しても不思議は無いと考えて、失敗したと思いながらゆっくりと後退していく。


「分かった。真面まともに話せそうにないし、取引の話はまたにするよ。今日は帰る。じゃあな」


 シロウはそのままアキラに背を向けずに下がっていき、リビングルームから出た。そして車両の他のドアを開けて出ていった。アキラはそれを止めるべきか少し迷っていたが、キャロルの様子からまずは護衛を優先し、シロウをそのまま逃がした。


『アルファ』


『大丈夫よ。彼はもう消えたわ』


 アキラが大きく息を吐き、警戒を解いて銃を下ろす。そしてキャロルを見る。


 キャロルはおびえた様子でうずくまっていた。




 キャンピングカーのリビングルームでアキラとキャロルが黙って座っている、既にシロウが去ってから随分っており、アキラがキャロルの前に置いた飲み物もぬるくなっている。カップには一度も手を付けられていない。


 アキラはキャロルの向かいに座り、それ以上のことはしなかった。時折キャロルの様子を見るように視線を動かすだけだ。声も掛けずに黙って座っていた。


 時間が流れていく。重苦しい沈黙も、何も起こらずに流れ続ければ、声の無い静かな時間となる。ひど狼狽ろうばいしていたキャロルだったが、突然の事態という意味での驚きは少しずつ薄れていき、徐々に落ち着きを取り戻していった。


 そして口を開ける程度には回復したキャロルがつぶやくような声でアキラに尋ねる。


「……聞かないの?」


「無理には聞かない」


「…………どうして?」


「詳しい事情は話せないって言ったのはキャロルだろ? 俺はその上で護衛を引き受けたんだ。だから聞かない。そういう条件での依頼だからな」


「…………、そう」


 それで一度会話が途切れた。再び黙るキャロルの様子を見て、アキラはまた返答を間違ったかと思い、少し付け足す。


「まあ、興味はあるから、聞いて良いなら聞きたいけどな」


「…………、そう」


 キャロルはまたそれだけ答えた。アキラはまた間違えたかと思ったが、少し間を開けてから、キャロルが項垂うなだれていた姿勢を正した。


「話すわ」


 知られたくはなかった。だが知られてしまった以上、もっと知ってもらいたかった。


「違うって言ったのは本当よ。少なくとも、私はそう思ってるわ。私は旧領域接続者、だったの。今はもう違うはずよ。……多分、だけどね」


 誰かに話せば、誰かに知られれば破滅すると思い、ずっと黙っていたことを、心のどこかで誰かに打ち明けて楽になりたいと思っていたことを、キャロルはゆっくりと話し始めた。




 キャロルがまだキャロルとは名乗っていなかった頃、ただのありふれたハンターだったキャロルはミハゾノ街遺跡を探索中にある建物の中で激しい頭痛に襲われて気絶した。その直前、視界は様々な拡張現実の表示でき乱され、ろくに前も見えないほどグチャグチャになっていた。


 目を覚ましたのは数日後、気絶した場所だった。遺跡の中で数日間も意識を失っていたのに死んでいない。そのことを怪訝けげんに思いながらも、まずは痛む頭を抱えながら帰ろうとする。そして建物から出たキャロルは、余りの光景に声を失った。真夜中なのにもかかわらず、視界は様々な表示の光で埋め尽くされていた。


 ビルは光の看板で装飾され、道には道案内の線が縦横無尽に広がり空まで伸びている。建物や通りの名前を示す文字が宙に浮かび、瓦礫がれきの山と化している廃墟はいきょの跡には、再建築後の姿が重ねて表示されている。立入禁止区域を示す壁が浮かび、様々な標識が空中に表示され、警備装置の巡回ルートらしきものまで表示されていた。


 そしてそれらを見たキャロルを再び激しい頭痛が襲う。しかも今回は堪えがたいが痛みの余り気絶する程ではなく、激痛に苦しむことになった。それでもこの状態で遺跡にいるのは不味まずいと判断し、何とか帰ろうとする。しかしすぐに耐えきれなくなり、すぐに建物の中に戻った。拡張表示の少ない場所では頭痛も軽く、何とか息を吐く。


 その後、キャロルは更に数日をその建物の中で過ごした。何とか帰ろうと、外に出ても頭痛の軽い場所を探そうとして、建物の他の出入り口から出るなどを試したのだが、全て無駄に終わった。どこから出ても、頭痛は耐えきれないほどに強かったのだ。


 そしてある日、何か手段は無いかと、疲労と睡眠不足のまま建物内を探索していたキャロルは、ある部屋で人影のようなものを見て激痛と共に気絶した。何か聞かれ、何か答えたような気もしたが、痛みでそれどころではないキャロルの記憶には残らなかった。


 キャロルが再び気絶から目覚めると頭痛はほぼ消えており、建物の外を見ても拡張表示は見えなかった。キャロルは訳が分からない困惑を覚えつつも安堵あんどし、疲労で限界を迎えつつある体で何とか遺跡から脱出した。


 その後キャロルは自身に何が起こったのか自分なりに調べ上げた。そして一時的に旧領域接続者になっていたと結論付けた。遺跡で見たものは旧領域接続者なら見えるという遺跡の拡張現実機能であり、既に見えなくなっている以上、あれは一時的なもので、もう旧領域接続者ではなくなったと判断した。


 一応、イイダ商業区画遺跡など、遺跡の拡張機能が今も生きていると広く知れ渡っている遺跡に何度か足を運んで変なものが見えるかどうか試してみた。そして拡張機能対応の情報収集機器越しなら見えるものが裸眼では見えないことを何度も確認して安心した。本当に旧領域接続者ではなくなったことを確かめるために、もう一度ミハゾノ街遺跡に行くのは少々気後れしたこともあり、それで良しとした。


 旧領域接続者であると誤解されただけで調べ上げられさらわれるといううわさを何度も聞いていたが、自分はもう旧領域接続者ではないのだから大丈夫だろう。キャロルはそう思っていた。だがある日突然再び旧領域接続者になるのではないかという不安も僅かだが感じていた。


 そしてある日、キャロルは足を運ぶのを控えていたミハゾノ街遺跡に、知り合いのハンターとの付き合いで立ち寄った。そして驚愕きょうがくした。頭痛こそ無いが、裸眼では見えないはずの拡張現実表示が見えたのだ。以前のように視界を埋め尽くす程ではなく、部分的に、僅かな範囲ではあるが、肉眼では見えないはずのものが確かに見えていた。


 ひどく動揺したキャロルは、その自分を見て怪訝けげんな様子を見せる同行者達を何とかごまかすと、その場で仕事を切り上げた。


 そしてその後、時間を掛けて自分の状態を再度調査したキャロルは、自分はミハゾノ街遺跡に限って旧領域接続者に近い状態になると判断した。限定的ではあるが、遺跡の拡張情報を通して案内パネルから様々な情報を取得できることも分かった。


 その状態は旧領域接続者を欲する者達が自分を探すのに十分な理由になる。少なくとも、見付かってしまったら、知られてしまったら、うわさに聞く末路を迎えるのに十分な状態だ。明確な旧領域接続者ではない所為せいで、よりひどい結果になる恐れすらあるだろう。そう考えたキャロルはそれを恐れ、その秘密を守るために自分の過去を捨てた。過去の何でもない行動からでも自身の状態を探られるのではないかと恐れ、一切を切り捨てた。


 名前を変えた。顔も変えた。身体強化拡張者になる名目で体型まで変えた。ハンターとしての実績も捨てて、別人として登録もり直した。何の信用も無い紙切れより軽い身分に成り下がる分には容易たやすく、スラム街の外れにある派出所で登録したこともあって疑われもしなかった。


 秘密を抱えたまま生きるのには金が掛かる。万一の場合に逃げる時にも金が要る。その金を得るために、新たなハンター稼業では地図屋も始めた。


 有能な地図屋は旧領域接続者だと疑われることさえある。だがそれは逆に旧領域接続者でなくとも遺跡の情報を入手する技術があるということでもある。自身の状態を活用して遺跡から得た情報を基に高精度の地図を作製して販売し、旧領域接続者ではない者が自身の地図作成技術を誇るためにその振りをしているように装った。


 副業として体も売り始めた。そして徐々に売値を高額にして、金の代わりに情報を引き出すような真似まねも始めた。旧領域接続者でないと知り得ない情報を知っていると露見しても、他のハンターから聞いたとごまかすためだ。


 悪いうわさを知りながらもヴィオラのような者とも関わり始めた。普通は知らないことでも、ヴィオラの友人なら知っているかもしれない。そういう立場を得るためだ。もっともヴィオラとは意外に気が合い、互いに影響を受け合って、悪女と呼ばれるようにもなった。


 そしてそれらの日々はキャロルを大いにゆがませた。秘密を隠し通すために様々な手段に手を染めるようになった。


 同時に、きっといつか露見するという不安と恐怖が無意識にそこからの解放を願い、キャロルに破滅的なスリルを望ませるようにもなった。抱えている破滅の大きさがそれに釣り合う程の者、寄り添える誰かを望み、自らの血と命を金に換える者と体を重ね、その者が破滅すれば自分の身代わりになったのだと、安堵あんどと愉悦を覚えるようにもなった。


 秘密を病的に隠す反面、時にそれを台無しにするようなこともやった。誰かと秘密を共有したいとも思うようにもなった。


 キャロルが副業で初めははした金で体を売り、自身の体にどっぷりとまらせた上で、その後に料金を指数的に上げ、支払い切れなくなった者に金の代わりに情報を求めるようになったのも、ある意味でそのゆがみの所為せいだ。


 自分の秘密を信用できる誰かに話したい。そう無意識に望むキャロルの男の趣味は、自分が体で迫っても口を割らない程に口の堅い者となった。その誰かを求めて多くの男を惑わした。


 だがキャロルの副業における著しく高い能力の所為せいで望んだ者は現れない。勝手に期待して相手に尽くし、自分で口を割らせて失望し、見切って破滅させてしまうということが続き、キャロルの悪女としての悪名を高めていった。


 そのような日々を過ごしていたキャロルは、ある日、自分の体に興味をまるで示さない珍しい者と出会った。アキラだ。どんなに誘惑しても全く反応を示さず、変に頑固なところがあり、時に頭のおかしい判断をして、受けた依頼には妙に忠実という変わった少年だった。


 これほどの変わり者であれば、あるいは。キャロルは無自覚にそう思い、アキラに興味を持っていた。


 だがそれを確かめる前に、巨大な組織がクガマヤマ都市の周辺で旧領域接続者を探しているという情報がキャロルに入ってくる。自分を探している訳ではないと分かっていたが、自分もその調査網の巻き添えとなり露見する恐れはあった。


 そこでキャロルはアキラに護衛を依頼した。アキラならば、一度引き受けた依頼であれば、旧領域接続者の捕獲部隊を相手にしても退かずに戦ってくれるのではないかと考えたのだ。そしてその予想は正しく、アキラはミハゾノ街遺跡でシロウを捕まえにきた者達の戦闘を見ても、護衛を降りるような真似まねはしないと言ってくれた。


 その後、アキラに一度護衛を辞められたが、それはアキラの都合に自分を巻き込まないためであり、ある意味で護衛として護衛対象を危険にさらさないための判断だった。そしてその後の再交渉で護衛の継続も請け負ってもらえた。


 キャロルはアキラが自身の意地を優先してクロエを殺そうとしたことも好意的に解釈できた。リオンズテイル社のような大企業を相手にしても引かずに敵対する者であれば、相手が坂下重工の部隊であっても臆さずに自分をまもってくれる可能性があるからだ。


 500億オーラムの賞金首になったことも、考えようによっては都合が良かった。そのような状況ならば、自分のことが露見しても、自分と一緒に逃げてくれるかもしれないからだ。キャンピングカーも、元々は万一の場合に東部中を逃げ回る移動手段として用意したものだ。その点でも都合が良かった。


 キャロルはアキラをだましてはいない。うそも吐いていない。しかし、利用しようとはした。


 それをキャロルはアキラに話した。流石さすがに男の趣味など自分でも分かっていない部分などまで全部正確に話した訳ではない。しかし自身が抱えている護衛依頼の裏事情は、全て話し終えた。


 もう、隠し事は、無い。

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