第270話 意外な依頼

 スガドメからクロエを殺すと言われたラティス達は、その言葉に冗談は欠片かけらも無いと即座に理解し、主を守るために動こうとした。だが既に手遅れだった。その考えが浮かんだ瞬間、つい先程までスガドメの隣にいたはずのハーマーズに顔をつかまれていた。


 動けば殺す。殺す気ならば既に殺している。いつでも殺せる。ハーマーズはその意志を両手に力を込めてラティス達に伝え、動かないことが最善であることを理解させていた。


 クロエがわざとらしく大きく息を吐く。それはスガドメに余裕を見せ付けるためでもあるが、それ以上に自身を落ち着かせるためだった。


「スガドメ様。坂下重工の幹部ともあろうお方が、防壁の内側を血で汚すのは如何いかがなものでしょう」


 防壁の内側で暮らす者達は、その者が善良ではないとしても、基本的にある程度の倫理は持ち合わせている。殺しは壁の外で、という認識もその一つだ。防壁の内側でモンスターに襲われる恐れが無いとしても、住人同士で殺し合っては外側と変わらない。それでは内側に住む意味が無い。そのような認識から殺しを慎む傾向があり、防壁内の治安維持に一役買っている。


 その手本となるべき五大企業の幹部の言葉とは思えない。クロエはそう暗に非難して、相手の自尊心などからスガドメを止めようとした。


 だがスガドメの態度は欠片かけらも変わらなかった。


「その言葉、理解は出来る」


「で、では……」


「だが私はこれでも坂下重工の者として、東部全体の秩序の維持に貢献する立場であると自負している。そして君が持つカードの危険性も理解している。その上で、それほど危険な遺物を建国主義者に流すと示唆する者を見逃すほど、私は無責任ではない。ここは壁の内側であるという制約と、君がローレンスの一族の者であるという制約を加えても、この場で君を殺せない理由にはならない、と私は判断する」


 そう告げるスガドメの口調にも変化は無い。それは自分を殺すことなど普段の業務と何ら変わりはなく、他の業務と同じように処理するだけのことなのだと、クロエに正しく理解させた。


「君を殺した後、リオンズテイル社には建国主義者の支援者を殺したと連絡しておく。み消すつもりはない。遺言が必要なら今から連絡すると良い。それぐらいは待つ」


 既にクロエの顔に笑みは無い。険しく硬い表情で状況の改善策を必死に思案していた。命乞いに意味は無く、何らかの論理を持って相手の判断を変えなければならないと理解しており、余りに深く考えたことで時間のゆがみすら覚えながら突破口を見いだそうとしていた。


 だがクロエの頭から有効な案は生まれなかった。少々の時間を挟み、スガドメが時間切れを告げる。


「遺言は不要か。では……」


 クロエの顔が強張こわばる。ラティス達もここまでかと顔をゆがめた。


「……先程の言葉が建国主義者に理解を示す君の思想からでは無く、君の無能から出た誤解を招く言葉であったのならば訂正すると良い」


 クロエは予想外の話に驚いたが、我に返るとすぐにスガドメの言葉に乗る。


「カードの価値を強調したいがために最悪の事態を例として上げたまでです。建国主義者にカードを流す意志は全く御座いません。誤解を招く発言を訂正し、謝罪致します」


 再び沈黙が流れる。これでは駄目だったかと、クロエが顔を再び過度な緊張で堅くしていく。


 そしてスガドメが態度も口調も変えずに告げる。


「良いだろう」


 緊張から解放されたクロエは思わず安堵あんどの息を強く吐き、そのまま荒い呼吸を繰り返した。ハーマーズから手を離されたラティス達も息を吐き、どこかよろよろと姿勢を正していく。ハーマーズはスガドメの横に普通に戻っていった。


「私や君は身体的には戦闘能力など無い普通の人間だ。だが並外れた戦闘能力を持つ者達を動かせる権力を持っている。言うなれば、口先だけで人を殺せる者なのだ。だからこそ、その口先、発言にはくれぐれも気を付けたまえ」


「……御忠告、承りました」


 クロエは何とか息を整えると、そう短く答えた。


「さて、私も誤解を解いておくためにもう少し説明しておこう。君は私がそのカードの価値を下らない駆け引きを持ち出す程度に軽んじていると判断したのだろうが、そのような意図は無い。私もそのカードの価値は十分に理解している。2枚目を得るためにリオンズテイル社と取引する必要性を感じないだけだ」


 スガドメはそう言って白いカード、クロエが持っているものと全く同じものを取り出した。それを見たクロエ達の表情に驚きが満ちる。そしてクロエが驚きを残しながらもその表情に疑心を浮かべ、混乱と困惑までにじませ始めた。


(……本物? 本物ならどうやって手に入れたの? 偽物? 偽物ならどうしてそんなものを用意していたの? いえ、本物だとしても2枚あって困るものでは無いはず。譲渡交渉を蹴る理由には……)


「君がこれを偽物だと疑うのは理解できる。そう易々やすやすと手に入るものではないからな」


「い、いえ、そのような……」


「では証拠を見せよう……、と言う前に、君に会わせたい者がいるので少し待ってくれ」


 一体誰だと怪訝けげんな様子を見せるクロエの前で、スガドメが連絡を入れる。するとクロエの少し前、部屋の立体映像表示装置の上にシロウが現れた。


「忙しいってのに人を待たせてまで呼び出して何の用だよ……げぇ!?」


 ハーマーズに気付いたシロウが思わず声を出し、ハーマーズはシロウに凶悪な笑みを向けた。笑ってごまかそうとしているシロウへ、スガドメが指示を出す。


「シロウ。彼女のことは知っているだろう。君が先日彼女に迷惑を掛けたことは分かっている。謝りたまえ」


「そんなことのために俺を呼んだのか? あ、いや、すみませんでした」


 シロウは不思議そうな顔を浮かべたが、スガドメから厳しい視線を受けるとクロエに慌てて謝った。


「……え? あ、はい。お気になさらず」


 クロエもどこか混乱しながら謝罪を受け入れた。スガドメの意図が読めずに困惑しているシロウとクロエが顔を合わせていると、スガドメがカードを机の上に置く。


「では話を戻そう。このカードが本物である証拠を見せる」


 次の瞬間、シロウの横にオリビアが現れた。机の読み取り装置を介してオリビアに連絡を入れたのだ。


「リオンズテイルのオリビアで御座います。御指名での御連絡、誠にありがとう御座います」


 オリビアはそう言ってスガドメに丁寧に礼をした後、視線をクロエに向けた。次は無いと警告されていたクロエがあからさまにたじろぐ。警告に従い、自分からオリビアに連絡を取るような真似まねは二度としないと決めていたが、これが次に当たるかどうか、クロエには確証が持てなかった。


 そこにスガドメが口を挟む。


「彼女は私の客です。お気になさらず」


 そう言われたオリビアはクロエ達をじっと見た後、視線をスガドメに戻した。助かったと思い、クロエ達が安堵あんどの息を吐く。


 スガドメがオリビアへ愛想の良い笑顔を向けながらカードをハーマーズに渡す。


「初めまして。私はスガドメと申します。仕事の話に入りたいのですが、よろしいですかな?」


 オリビアが視線をハーマーズに移す。ハーマーズは問題無いという意図を乗せてしっかりとうなずいた。次に視線をシロウに移す。シロウは自分は呼んでいないという意味で首を横に振った。その上でオリビアは視線をスガドメに戻し、愛想良く微笑ほほえむ。


勿論もちろんで御座います」


「それは良かった。では詳しい話に入りましょう。ああ、失礼、その前に……」


 スガドメが視線をクロエに向けて告げる。


「申し訳無いが、君達はここまでだ。お引き取り願おう」


 クロエの顔が一瞬だけ強張こわばる。シロウを呼び、オリビアを呼び出し、その上で何らかの交渉をするという、非常に興味深い情報まで与えられた上で追い出される状況に強い不満を覚えたが、拒否は出来ないことも理解していた。


「……かしこまりました。これで失礼致します」


 スガドメに丁寧に頭を下げて、クロエはラティス達と共に部屋を出た。




 クロエ達は行きの時と同じ案内役の職員に連れられて坂下重工の管理領域の外に向かっていた。その間、クロエはスガドメの部屋での出来事を何度も思い返していた。


(……分からないわ。オリビア様を私の前で態々わざわざ呼び出したことには絶対に何らかの意味があったはず……。坂下重工もオリビア様と接触できることをリオンズテイル社に伝えるメッセージ? それだけ? それは態々わざわざ伝えないといけないこと? 違うような……)


 悩みに悩み、仮定に仮定を重ねても、あるいは、もしかして、という程度の予測も思い付かないことに、クロエは胸中の困惑を顔に出していた。僅かな焦りすら浮かべていた。


(カードを坂下重工に渡すことも出来なかった。これでは何のために危険を冒して交渉に出たのやら。上手うまくいかないわね)


 思案に暮れながら歩いていると、職員に声を掛けられる。


「クロエ様。私はここまでで御座います」


「え? ……はい。ありがとう御座いました」


 ウダジマと合流する場所まではあと少しだ。もう自力で行ける距離ではあるが、普通はそこまで案内するものであり、随分中途半端な場所で先導を止めるものだと、クロエは少し怪訝けげんに思った。しかし相手は案内役とはいえ坂下重工の職員。失礼があってはならないと笑顔で礼を言った。


 その職員がクロエに告げる。


「スガドメからクロエ様への言付けを預かっております」


 先程別れたばかりなのに何を態々わざわざ伝えるのだろうかと、クロエは怪訝けげんに思いながらもうなずいた。


「伺います」


「騒ぎを大きくするのは勝手だが、その騒ぎに坂下重工を巻き込むのはお勧めしない。クズスハラ街遺跡を巻き込むのは非常にお勧めしない。騒ぎの収拾はそちらでするのだろうが、万一、後片付けが出来ない場合はこちらに連絡を、と彼女に伝えてくれ。以上になります」


 その言付けを聞いてスガドメの意図を理解したクロエは余りの驚愕きょうがくで固まった。そのクロエの様子にラティス達が慌てて声を掛けたが、それにも反応できないほどだった。


「クロエ様。スガドメに言付けが御座いましたら承りますが、何か御座いますか?」


「…………御忠告感謝致します、とだけお伝えください」


かしこまりました。では、失礼致します」


 職員はそう告げて頭を下げると、特に慌てた様子も無く戻っていった。


 信じられないほどの衝撃、そして職員が立ち去って身内だけになったことから生まれた僅かな安堵あんど、その余りの落差からクロエが蹌踉よろけた。そのまま倒れそうになるクロエをパメラが慌てて支える。


「お嬢様!?」


「……読まれていた。……全部読まれていた。……私の前でオリビア様を呼んだのも、確認のためだった……。そんなことって……」


 カードを受け取らなかったのは、坂下重工を騒ぎに巻き込ませないため。オリビアを自分と会わせたのは、今回の騒ぎを本当に黙認しているのか確認するため。気付きが更なる驚きを生み、そこまで読まれていたという畏怖に変わっていく。


 その後、衝撃から何とか回復したクロエはどこかよろよろと先に進み、再びウダジマと合流した。ひどく疲労したようにも見えるクロエをウダジマが気遣う。


「体調が良くないようだが、何があった?」


「……坂下重工の幹部と交渉したのよ? 疲れもするわ」


「そうか。それなら部屋に戻って休むと良い。詳細は後で聞こう」


「悪いけど、そうさせてもらうわ」


 クロエはそう言った後、ウダジマを見て何かに気付いた様子を見せた。ウダジマもそれに気付く。


「どうした?」


「……何でもないわ。申し訳無いけれど本当に疲れているの。至急の用件で無ければしばらく休ませて」


 クロエはそう言い残し、ウダジマを置いて軟禁場所である部屋に戻る。その途中、クロエは顔を更に険しくさせていた。


(支店長のコネを得たとはいえ、クガマヤマ都市の閑職に追い込まれていた者が坂下重工の幹部との謁見を成立させた時点で、裏を疑うべきだったわ。私としたことが、駄目で元々と頼んだことが予想外に上手うまくいって浮かれていたのね。そしてリオンズテイル東部三区支店のコネの力を過大評価していたわ。私もまだまだってことね……)


 クロエのスガドメとの交渉は当初の評価基準では失敗かつ失態で終わった。だが元々後の無い立場だ。これでは終われないと、クロエはこれを更に奇貨として積み上げるべく様々な視点で思考し判断し直す。そして気付く。


(スガドメは私の考えを正しく推測していた。その上で自分達を巻き込まないのであれば容認するとも解釈できる言付けを残した。これは坂下重工の容認を取ったとも言えるわ。オリビア様も私を殺さなかった。これも容認と解釈できるわ。これは私が推察したアリス様の意図に間違いが無かった証拠に成り得るはず。……それを確認できて良かったとしましょう。支店長達もこれで私に付くはず……)


 この賭けは降りても負けても破滅なのだ。ならば勝つしかない。まだ負けていない。まだ終わっていない。クロエがそう意気込み、自身に言い聞かせる。


「そうよ……、勝つのよ! 何をしてでも!」


 クロエが笑う。再び自らのかせを外し、今回の件から自らの解釈で新たに産み出した奇貨を、更に賭け金に上乗せした。




 スガドメの部屋からクロエ達が出た後、シロウが状況を更にいぶかしみ、怪訝けげんな顔をスガドメに向ける。


「なあ、俺を呼んだのはあいつへ謝らせるためだったのか? だったらもう帰って良いか? 忙しいんだ」


「駄目だ。勝手に帰った場合、坂下から明確に逃亡したと見做みなす」


「何の用だよ……。早く済ませてくれ」


「ではそうしよう」


 スガドメがオリビアへ愛想良く笑う。


「オリビアさん。私は貴方あなたに彼の護衛を依頼したいのです。御願いできますか?」


「えっ?」


 思わずそう軽く声を出したシロウへ、スガドメが真面目な顔を向ける。


「君は以前、自身の護衛の人選に付いて文句を言っていたが、彼女であれば問題無いだろう。何しろ一度は君自身が雇った者なのだ。文句は言わせない」


 シロウの顔に僅かな焦りが浮かぶ。


「いや、それはちょっと、ほら、俺には彼女を雇う金なんかもう無いし」


「安心して良い。全額こちらで負担する。それで、オリビアさん。彼の護衛は可能でしょうか?」


「護衛対象本人から承諾さえ頂ければ、今すぐに対応致します」


「それは頼もしい限りです。ではシロウ君。オリビアさんに承諾を告げてくれ」


 シロウは焦りで顔をゆがませながら口を閉ざした。


「先に伝えておく。君の仕事の進捗状況にかかわらず、君が1ヶ月以内に戻らなかった場合、他企業への亡命の意志有りと判断して回収部隊を派遣する。だがその時に護衛が付いていた場合は帰還済みと見做みなそう」


 具体的な残り時間を告げられたシロウの顔に更なる焦りが加わる。


「護衛を受けるのであれば定期報告も免除する。1ヶ月後にまとめて報告すれば良い。ハーマーズが君を探すのも止めよう。彼女が護衛に付いているのであれば問題無い。仕事の期限も緩めよう。残り1ヶ月、十分に観光してから取りかかれば良い」


 ハーマーズが不服そうに僅かに顔をしかめた。だがその顔も、これほどの好条件を提示されても緊張の余り震えすら見せているシロウの様子を見て、怪訝けげんな表情に上書きされた。


 シロウは黙り続けている。その様子に、スガドメが顔を僅かに険しくして告げる。


「警告する。それ以上の沈黙は坂下重工への背信と見做みなす。答えたまえ」


 シロウは追い詰められていた。だが覚悟を決めた。口を開くのも難しいとでも言わんばかりにゆっくりと口を開け、声を絞り出す。


「護衛は……」


 震えでゆがんだ顔に、僅かな笑みを貼り付けて答える。


「……断る」


 驚愕きょうがくゆがむハーマーズの顔が、それが本来どれだけ有り得ない返事であるかを示していた。


 スガドメがシロウをじっと見る。シロウは死刑宣告を受けたかのように固まりながら、それでもじっと見詰め返していた。


「……、そうか」


 スガドメの口から出た、たったそれだけの言葉が、シロウを大きく震わせ、ハーマーズさえたじろがせた。


 そしてスガドメが場の緊張を流すように態度を緩め、申し訳なさそうな様子でオリビアに頭を下げる。


「オリビアさん。申し訳御座いません。本人がどうしても嫌だと言っておりますので、こちらがお呼びした身で恐縮ですが、依頼は又の機会とさせて頂けませんか?」


「お気になさらず。またお気軽にお呼びください。当社の御利用を心からお待ちしております」


 オリビアは全く気にした様子を見せずに笑ってそう答えると、丁寧に頭を下げて姿を消した。


 それを見届けたスガドメが愛想を消してシロウに告げる。


「君も帰ってよろしい。定期報告を忘れないように」


 シロウがたどたどしい様子で頭を下げる。そしてそのまま回線を切り、姿を消した。


 ハーマーズは困惑を顔に出したまま、詳しい事情をスガドメに尋ねて良いものかどうか迷っていた。そしてその迷いが、聞くだけ聞いてみるか、という判断に至った時、逆に声を掛けられる。


「君への指示を修正する。今まで通りシロウ君の捜索を続けるが、発見した場合、実際に確保に移る前に、私に必ず連絡を取り指示を求めること。連絡が付かない場合はシロウ君の命に関わる状況でない限り手出しを禁ずる。以上だ。席を外してくれ」


 余計なことを聞くのは得策ではない。ハーマーズはスガドメの様子からそう考え直し、黙って一礼して退出した。


 その後、部屋に一人残ったスガドメは少し険しい表情でしばらく思案を続けた。




 スガドメとの通信を切ったシロウが隠れ家で荒い息を繰り返している。その顔は非常に険しい。


「……まずい、まずいぞ」


 具体的な残り時間を決められてしまったことも厳しい事態なのだが、シロウをそれ以上に追い詰めていた懸念は別にあった。


「もしかして、バレたか……?」


 思わず口にした不安を無理矢理やり振り払うように、シロウが首を大きく横に振る。


「……いや、バレたのなら即座に俺の拘束に動くはずだ。だからあれは俺の身を案じての提案のはず。あのスガドメの態度は、変な意地を張ったガキへの不満のはずだ。幹部の気遣いを無下にした馬鹿にはどんな制裁が適しているか考えているだけだ。バレては、いないはずだ……」


 そうであって欲しいという願望が多分に混ざっていると理解しながらも、シロウは絶望しないために今はえて楽観視を強くした。


「……急ごう。もう、なり振り構っていられるか」


 下手をすると坂下重工を本格的に敵に回す恐れがある。だがそれを恐れて手段を選んではいられない。追い詰められたシロウはそう判断し、よりギリギリの手段を取るために覚悟を決めて動き出した。




 自室で一人思案に暮れていたスガドメが、大きく息を吐いて結論を出した。


「あの条件を蹴ったのだ。やはりほぼ確定と考えて良いだろう。少なくとも、備えておくには十分な理由か」


 結論を口に出し、自身で推察した内容の再確認を済ませて軽くうなずく。


 観光。観光地。遺跡。遺跡巡り。既知の遺跡に張った網に引っ掛からなかったことから、恐らく未発見の遺跡。順当ではないので見付かっていない。護衛を断るのは情報漏洩ろうえいを防ぐため。オリビアによる護衛と定期報告の免除という利益を捨ててでも、坂下重工に知られてはまずいこと。それらの連想を満たす何か。


 その結論を出し、妥当性の再確認を終えたスガドメが坂下重工の本社に連絡を入れる。


「……ええ。……はい。そうです。念のため、ですがね。……あくまでも懸念。最優先にする必要は無いですが、それなりの優先順位で調整を。……ええ、場合によっては本社の軍を派遣して頂きたい。……いえ、そこは調査結果次第です。まずはその調査のための人員を寄こして欲しいということです。その結果が杞憂きゆうに終わっても、軍はクズスハラ街遺跡への備えとすれば問題無いでしょう」


 本社の者と話をまとめたスガドメが真面目な顔で告げる。


「では、対再構築機関アンチリビルドの人員要請、お願い致します。それでは」


 通話を切ったスガドメが大きく息を吐く。


杞憂きゆうであれば、良いのだがな」


 その顔は、部下には見せられないほど険しかった。




 賞金首生活を続けているアキラにハンターコード経由で再び秘匿回線への接続コードが届いた。その通知元を確認したアキラは驚きよりも困惑を強くしたが、安易に交渉を蹴るなというキバヤシの忠告と、予想外の者からの連絡という点に興味を持ち通信をつないだ。そして相手と実際に会って話すことになった。


 アキラはバイクで自分だけで行くつもりだったのだが、それをキャロルに伝えると、同行すると返された。


わなの恐れもあるし、キャロルはここに残ってた方が安全だと思うぞ?」


「駄目よ。護衛が護衛対象から離れてどうするの。それに何かあったら私も一緒に戦うって言ったでしょ?」


 そう言って当然のことのように笑うキャロルに、アキラも軽く笑って返す。


「そうか。じゃあ、準備を済ませて出発だ」


 アキラはどこか上機嫌にキャロルと一緒に準備を始めた。




 荒野のある場所で、背広を着た男が車両から降りてアキラの到着を待っていた。男のそばには執事服の男性とメイド服の女性が控えるように立っている。


 背広の男がいぶかしむように時間を確認する。


「そろそろ時間なのだが……」


 交渉場所を危険な荒野にした上で交渉時刻に遅れるなど普通は認められない。相手をめきって交渉を蹴ったと判断されても不思議は無い。


 だがアキラは賞金首だ。ハンターに襲われている最中という事情も十分に考えられる。そして自分達がアキラをおびき寄せわなめたと誤解される恐れを考慮すると、立ち去るのは早計だった。


 時間を過ぎてもどの程度待つべきか。それを思案し始めた男が視界の奥から向かってくるバイクに気付き、ちゃんと来たと安堵あんどする。だがバイクを運転している者が女性であり、他に誰も乗っていない様子を見て怪訝けげんな顔を浮かべた。


 バイクが男のそばまり、運転していたキャロルが降りる。


貴方あなたがアキラの交渉相手?」


「そうだが、本人は? 君は案内役で、移動が必要なのか? それならもう少し早く来て欲しいのだがね」


 敵襲を恐れて交渉場所を動的に変更することは珍しくない。男はそれには理解を示したが、その移動時間を考慮していないと考えて不満をこぼした。


 そこにアキラの声が響く。


「いや、ここでやる」


 アキラがキャロルの背後から出てくる。強化服の防護コートの迷彩機能を使って隠れていたのだ。


 迷彩機能を使用しても、強力な情報収集機器を使用されれば隠蔽には限度がある。男達は実際に非常に高性能な情報収集機器を使用して周囲を警戒しており、アキラの存在は普通なら露見していた。


 しかし迷彩機能により、誰かいる、を、誰もいない、にするのは難しくとも、何人か分からない、誰か分からない、ぐらいにするのは比較的容易たやすい。アキラはアルファのサポートを得た迷彩機能によって、自身の気配をキャロルに紛れ込ませていた。


 それによりアキラの存在に気付けなかった男達が驚く。特に男の護衛としてここにいる執事とメイドは驚きをあらわにしていた。しかし男は少し驚いた程度だった。


「時間通りで何よりだ。先の通話でも伝えたが、改めて自己紹介をしよう。私はリオンズテイル東部四区支店長、フリップ・コベット・ローレンスだ。本日はよろしく」


「アキラだ」


 自身を表す文字数に随分と差がある自己紹介を済ませたアキラ達が本題に入る。


「さて、まずは私達の立場を伝えておこう。リオンズテイル東部四区支店は君と敵対する意思は無い。この前提を基に話を進めたい」


 アキラがあからさまにいぶかしむ様子を見せる。


「リオンズテイル社が俺に賞金を懸けたのにか?」


「そこがまず誤解だ。君を賞金首にしたのは三区支店であり、我々四区支店ではない。そして君が敵視しているのはリオンズテイル東部三区支店であり、リオンズテイル社ではない。これは重要なことだ」


 リオンズテイル社の各支店は東部本店の下に連携し、リオンズテイル社という巨大な組織を構築している。だが各支店はそれぞれの地域で商売する競合他社のような間柄だ。協力もするが反発もする。隣接する地域で支店の管轄区域を巡って他支店と熾烈しれつな商戦を行ったりもしている。


 アキラがリオンズテイル社そのものとも言える東部本店と敵対しているのならば話は別だが、そうではない限り、所詮は支店規模のめ事だ。敵対組織の範囲を無意味に広げないためにも、そこはしっかりと区切りを付けた方が良い。それらの説明を、アキラは意外に思いながらも興味深く聞いていた。


「付け加えれば、君は三区支店を敵だと思っているのだろうが、そう断定するのも早計だ。確かに君に賞金を懸けたのは三区支店だが、実際にそれをやったのはクロエという者だ。三区支店長の指示の下、支店全体で動いた訳ではない。私が得た情報ではあるが、三区支店にはクロエの行動を問題視し処罰する動きがあった」


 予想外のことを聞かされたアキラが驚く。


「そうなのか?」


「そうだ。ただ、実際に処罰が下ったという情報は得ていない。三区支店内部も今回のことをどう扱うかでめているのだろう」


 フリップはアキラの様子を見て、リオンズテイル社の関係者だからという理由で自分達を警戒していた部分が大分薄れたのを確認すると、話を次に進めようとする。


「さて、私達は敵ではないという前提条件に納得してもらえたのなら、本題に入りたい。構わないかな?」


「まあ、分かった」


 アキラもフリップの話を完全に信じた訳ではない。だが欠片かけらも信じられないと話も聞かないほど強固な不信は無かった。フリップもそれを分かった上で、本題に入る。


「では、君に尋ねたい。クロエ・レベラント・ローレンスの殺害を君に依頼することは可能か?」


 車両の秘匿回線で話した時に、非常に重要な内容なのでじかに会って交渉したいと言われた時から、アキラも何の話だろうかと事前にいろいろ考えていた。だがこれは流石さすがに予想外だった。

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