第228話 アキラとヒカル

 大規模遺跡探索の騒ぎからしばらった頃、アキラはキバヤシをクガマビル1階のレストランに呼び出していた。キバヤシがメニューを片手に楽しげに笑う。


「そっちが呼び出したんだ。代金はそっち持ちだよな?」


「ああ」


「そりゃ良かった。ついでに場所をもっと上の店に変えないか?」


「そんな金は無い。ここだって結構高いじゃないか」


 軽く顔をしかめて不満を示すアキラの様子に、キバヤシが苦笑する。


「ハンターランク50のハンターの言葉とは思えねえな。接待するにしろされるにしろ、ランク相応の店ってのがあるもんだろう」


 大規模遺跡探索の騒ぎでは多数のハンターが激戦を繰り広げたが、その死闘に見合う報酬を金で受け取った者はほとんどいなかった。大半の者達が、取得した遺物から報酬を算出する契約を交わしていたからだ。純粋な戦闘要員であっても、制圧時に倒したモンスターの量などからではなく、制圧区域から収集した遺物の総額等から算出する契約になっていた。その算出形式では、報酬など皆無だ。


 だが都市側としても流石さすがにその契約内容を盾にして無報酬にする訳にはいかなかった。しかしハンター間の同士打ちに対して金を支払うのも難しく、そもそも都市側にも金が無かった。都市の人型兵器部隊が壊滅しただけでも桁違いの損害が出ているのだ。大規模遺跡探索に巨額を投資した人や企業も多い。そしてヤナギサワによるツバキとの取引を除けば、遺跡探索は大失敗だ。その所為せいで投資の回収が不可能となった者も多く、下手をすると都市経済が揺らぎかねない状況で、その対応にも追われていた。


 その状況を何とかするために、都市はハンター達への報酬をハンターランクの上昇に集中させた。通常なら金とハンターランクで支払われる報酬を、ハンターランクのみに絞ったのだ。そして資金難に陥ったハンター達に対して上昇後のランクを基準にした融資を行った。その金の出元は他の都市や企業からの投資だ。クガマヤマ都市は短期的には資金難に陥っているが、長期的には莫大な利益を見込めるので、その程度の金は十分に集まった。


 治療や装備の修理などで借金を抱える羽目になったハンター達も、ハンターランクの十分な上昇と低金利での融資は非常に有り難かった。それは都市への不満を抑えるのに十分なものだった。


 これによりアキラのハンターランクは一気に上昇していた。ハンターの部隊を1人でほぼ壊滅させたことや、操縦者が建国主義者と思われる人型兵器を撃破したことが大きかった。同等の依頼の金銭報酬を算出して、それをハンターランク上昇のみで補填したと考えれば妥当でもあった。


 そして、それだけの腕を持ち、それだけ稼ぐハンターの言動と考えれば、確かにアキラの対応は微妙ではあった。


「店をシュテリアーナに変えるなら、キバヤシにおごってもらうからな。嫌なら、俺が進んで接待したくなる人物になってから言ってくれ」


「手厳しいねえ。これでも俺はそこそこお偉いさんがわなんだぞ?」


「何でそんなお偉いさんが荒野で定期巡回の運転手なんかやってるんだよ」


「趣味だ」


「ああ、そう」


 良い笑顔で言い切ったキバヤシに、アキラは軽いあきれを見せた。


 注文を終えて料理がそろった辺りでキバヤシが本題を催促する。


「それで、今日は何の話なんだ? 態々わざわざ呼び出すぐらいなんだ。それなりの話なんだろう?」


「前に頼んだ装備調達の詳細を聞きたい。もう半年以上ってるんだ。手間取っているにしても、進捗とか、後どれぐらい掛かりそうだとか、それぐらいは教えてくれ」


「ああ、あれか。まだまだってところだな。具体的な期間を答えるのもちょっと難しい」


「えー」


 あからさまに不満そうな様子を見せるアキラに対して、キバヤシも少し顔をしかめて反論する。


「言っておくがな、調達が遅れているのはお前の所為せいでもあるんだぞ?」


「何で俺の所為せいになるんだよ」


「お前が途中でイナベのつてじ込んできたからだ。それでその時点までに進んでいた交渉が白紙に戻った。加えて、前提条件が変わったからイナベを交えて装備の要望をもう一度聞き直した時に、お前はイナベのつての活用方法で、調達期間の短縮より、とにかく性能向上を優先してほしいって答えただろう。当たり前だが、高性能な装備ほど、その装備を必要とする場所にあるんだ。つまり東部の東端、最前線に近付くほど、装備も強力になる。そっち側の者達と調達交渉を進めるのはすごく大変なんだぞ?」


 キバヤシがその大変さを態度に強くにじませながら訴えると、アキラも少したじろいだ。


「そ、そうか」


「それにイナベもあの遺跡絡みの利権で結構な地位になっているからな。この件でイナベとのつてを、まあそこを通してのヤナギサワとのつてが欲しいってやつも多い。その調整も大変だ。装備調達には直接関わり合いのないつてまとめて束ねて交換して、もっと高性能な装備を引き寄せる条件を整えて、向こうは向こうでやっている交渉に割り込んで、駆け引きして、誘導してと、頑張ってるんだぞ?」


「そ、そうなのか」


「物自体は手に入れても、今度は輸送の問題もある。都市間輸送とかをやってるところのつて辿たどって、ちょっとこれもついでに運んでほしいと、何度も頼んでここまで運ぶんだ。その流通網の確認、輸送ルートの調整、交渉とやることは山ほどあるんだよ」


「あ、うん。分かった」


 キバヤシの気迫の籠もった畳み掛けるような説明に、アキラは押し流されていた。だがそこでふと思う。


「輸送だけなら、俺が輸送費を追加で支払って個別に運んでもらえば、その分だけ早くなったりしないか?」


「なるが、その場合、最低でも100億オーラムは用意しろよ?」


「そ、そんなに掛かるの!?」


 予想外の高額に驚くアキラに、キバヤシが軽いあきれを見せる。


「あのな、最前線付近のモンスターは、この辺りにいれば即賞金首に指定されるような強力なものばっかりなんだ。そんな地域で活動するハンター達を、お前の装備を運搬するためだけに護衛に雇ってここまで運ぶんだぞ? 高額になるに決まってるだろう。都市間輸送を請け負う企業とかは、その費用を何とか抑えるためにそれはもう様々な手段を使ってるんだ。安全な輸送ルートを長期的に整備したり、物資を一度に大量に輸送したり、ハンター達と長期契約を結んだりな。今回だけ、お前のためだけに輸送すれば、費用は当然跳ね上がるよ」


 言われてみればその通りだと、アキラは納得しつつめ息を吐いた。


「……そうか。確かにそうだな。知り合いに最前線から商品を運んできたって話したやつがいたから、ちょっと勘違いしてた」


「まあ、最前線と言っても危険度に差異はある。それに話を誇張するやつも多い。具体的な証拠でもなければ信じるのは無理だな。現地に行かないと絶対に分からない話とか、運んできた物を実際に見たとか」


「ああ、話は分からないけど、物は見たぞ。ラグナロックって銃だ。エレナさん達と一緒に見たから本物だと思う」


 キバヤシが軽い感心と関心を示して楽しげに笑う。


「へー。そうすると、少なくとも最前線まで続く輸送ルートに関わったのは確かだな。そいつ、どうなったんだ? そんなデカい賭けの結果は、大勝か大敗って相場が決まっている。どっちだ?」


 無謀の果てに栄華をつかんだ話も、逆に破滅した話も、どちらもキバヤシの好物だ。高い興味を示していた。だがアキラが少し考えてから答える。


「……いや、どっちでもないんじゃないか? その後も普通に商売してたようだし」


「おお、意外な結果だな。珍しい。へー。……そいつ、ちょっと俺に紹介しないか? なに、連絡先を教えてくれればそれで良い。仲介に立ち会わせて時間を取らせたりはしねえよ」


「良いけど、ハンターじゃないぞ?」


「無理無茶むちゃ無謀の実行者なら、職業は問わねえよ」


「ああ、そう」


 キバヤシは少しあきれ気味のアキラからカツラギの連絡先を聞き出すと話を戻す。


「そういう訳で、装備の調達には時間が掛かる。まあ、時間が掛かる理由ばっかり話してげんなりさせるのも何だから、少し付け加えておこう。輸送の方は意外にすんなりいって、物の確保さえ済めば、結構あっさり届くかもしれない。今は大流通の時期で、今回はその流通網にクガマヤマ都市も加わっているからな」


 統企連は定期的に大流通と呼ばれる大規模な流通支援を実施している。巨額を投じて東部全体の流通を強引に促し、東部の人、物、金をき混ぜて、東部経済の活性化を図るのだ。


 統企連の支援により、通常ならかなりの費用が掛かる都市間移動も、大流通の時期ならば格安に、場合によっては無料になる。これは移動費用を理由に二の足を踏んでいる者達を奮い立たせ、人を求めている地域に効率的に人を集めて、東部の開拓を推し進めるためでもある。


 後ろ暗い理由もある。スラム街に人が増えすぎて許容量を超えた都市が、他の都市のスラム街に住人を追いるのにも活用される。


 スラム街に対する善意の食糧配給を止めた上で、他の都市ならば配給品が余っているほど潤沢だといううわさを広めても、金も力も無い者がうわさの都市を目指して荒野を自力で渡ることはない。だが無料の移動手段があれば別だ。ここにとどまって飢え死にするよりはましだと、比較的積極的に移ってくれる。都市がスラム街の住人を、人の飽和による危険度を十分に下げるために、主に銃を使用して物理的に減らすよりは比較的倫理的な手段であるとして、黙認されている。


 これは同時に、活動地域の開拓が進んで仕事が無くなったハンター達が金に困って強盗に転職する前に、仕事のある場所に移ってもらう目的も兼ねている。金の無いハンターの寝床は大抵スラム街だからだ。


 また、新たな開拓都市の建設や、都市から離れた位置にある大遺跡の攻略前線基地の建設なども、大抵はこの大流通に合わせて計画される。大量の物資を輸送する必要があるからだ。


 それら様々な理由により、大流通の時期は荒野を大量の輸送車両が走り回る。当然周辺のモンスターを非常に刺激するので大規模な襲撃を誘発するのだが、統企連はこれを金に物を言わせた武力で撃破する。これは統企連の力の誇示であり、同時に東部全域のモンスターの間引きも兼ねている。この大規模な間引きによって、東部経済の動脈である輸送ルートを整備しているのだ。


 アキラは何となく以前の大流通がいつだったか思い出そうとした。だがスラム街での今日の日付も分からない日々もあって、よく分からなかった。


「大流通か。随分久しぶりな気がする」


「大流通自体は毎年開催されているが、クガマヤマ都市の参加は久々だからな。推奨されているとはいえ、各都市の参加は任意だ。統企連の支援があるとはいえ都市側の負担も大きいし、各都市の事情もある。その辺は俺達には分からない経営判断ってやつだ。まあ、今回クガマヤマ都市が参加した理由は簡単に分かるけどな」


「どんな理由なんだ?」


 キバヤシは少し意外そうな顔をした後、その理由の当事者でもある者に苦笑を向けた。


「ハンターの、補充だよ」


 クガマヤマ都市の周辺には結構な数の遺跡が存在しており、その難易度も幅広い。駆け出しハンターでも結構何とかなる低難度の遺跡から、熟練ハンターがしっかり準備を整えて挑む高難度の遺跡まで様々だ。


 加えて都市が実施する定期巡回は、駆け出しハンターが本格的に遺跡に向かう前に装備と実力を身に付けるのに適している。駆け出し未満の者でも最低限の日銭を稼げるので、ハンター稼業を諦めて強盗に転職するのを食い止める滑り止めにもなっている。


 乱立している大小様々なハンター徒党も、チームも組まずに1人で遺跡に飛び込んで死ぬような無謀者を減らしている。問題も多いが利点も多いのだ。


 それらの要因によりクガマヤマ都市はハンターが比較的成り上がりやすい環境を維持している。そのおかげで周辺の都市からもハンター志望者が集まりやすい。駆け出しから順当に実力を身に付けて、更なる成果を求めて活動場所をもっと東に移すまで、長期にわたってとどまる者も多い。


 クガマヤマ都市はそれらを背景に、地方の中堅統治企業にしては多数のハンターを抱える都市として知れ渡っていた。だが、既にそれは崩れていた。


「いろいろあって減ったからなー。遺跡絡みでも、クズスハラ街遺跡関連だけで3回、ミハゾノ街遺跡で1回、計4回もデカい騒ぎがあって、大勢死んでる。スラム街の抗争騒ぎでもそれなりに死んでいる。加えて普通のハンター稼業で普通に死んだやつもいる。ハンター稼業に死は付き物だからって、流石さすがにちょっと死に過ぎだ。だから大流通に参加してハンターを各地から幅広く補充しないと不味まずかったんだろうな」


「……そんなに減ったのか?」


「減ったよ。ああそうか、お前は基本的に1人で活動しているから実感が薄いのか。まあ確かに、全体の何パーセント死んだとか、そういう数字にすればそこまで減ってはいないと思うやつもいるだろうが、体感的には大幅に減ったよ。仲間が死んでハンターを続ける意思が折れたり、しばらく活動を控えたりしているやつも相当出たんだろう。買取所に持ち込まれる遺物の量とか、定期巡回の参加者とか、一時ちょっと不味まずいぐらいに減ってたからな。おっと、これは内緒な? 内部情報だから」


「あ、ああ」


「ヤナギサワが遺跡の管理人格との取引を宣伝材料にしてハンターを広く募集してからは大分盛り返したが、あれが無かったら結構やばかったはずだ。クガマヤマ都市もまたしばらく長い停滞期に入っていただろうな」


 キバヤシは冗談のような苦笑で済ませていたが、実際にクガマヤマ都市の経済が結構危なかったのは事実だった。だからこそ、それを解決したヤナギサワの権限は非常に高まっていた。


 キバヤシがそこで軽く驚いたような様子を見せる。


「ちょっと思ったんだが、お前はさっき言った騒ぎに全部参加してるよな?」


 アキラが何となく視線をらす。


「……俺がハンター稼業を始めたのが、ちょうどその辺りだからな」


「それだけの騒ぎに関わって生き残ったんだ。成り上がるわけだな。俺の観察眼は正しかったわけだ」


 キバヤシは楽しげに笑っていたが、アキラは苦笑いを浮かべていた。それらの騒ぎは自分の所為せいでは無いと思いつつも、顔を少し固くしていた。


 その後もしばらく雑談を続けていると、キバヤシがアキラの今後を聞いてくる。


「そういえば、お前もハンターランク50になったんだし、他の都市への移住を検討してるのか?」


「いや、そんな予定はないけど」


「それは良かった。もうしばらくはお前の無理無茶むちゃ無謀を間近で楽しめるってことだな」


 アキラが不思議そうに顔を浮かべる。


「ハンターランクと移住が何か関係あるのか?」


「まあ、ただのちょっとした目安でな。クガマヤマ都市のハンターは、大体ランク40ぐらいからもっと東の都市への移住を検討し始めるんだよ。そしてランク50かその手前ぐらいで、ほとんどがクガマヤマ都市から出ていく。クガマヤマ都市で稼げるハンターランクは50が上限。そういう認識が広まってるんだ」


「そんな上限があるのか。知らなかった」


 意外そうな顔を浮かべたアキラを見て、キバヤシが補足を入れる。


「勘違いしないように言っておくが、別にハンターオフィス側で制限を掛けている訳じゃない。単純に環境や効率、需要と供給の問題だ。この辺にはランク50以上のハンターなんてほとんどいないから、当然そういうハンター向けの店も全然無い。同等の仲間も探しにくい。装備の調達も手間が掛かる。周囲にそれだけのハンターの実力に見合う遺跡もほとんど無い。その所為せいで、無理に残ってランクを上げようとしても非常に効率が悪い。だから、ランク51を、その先を目指すハンター達にとって、クガマヤマ都市はランク50が上限なんだよ」


 アキラは興味深そうな顔で話を聞いていた。そして一度は納得した顔をしてから、少し怪訝そうな顔を浮かべる。


「へー。ん? でも見合う遺跡が無いって部分は、クズスハラ街遺跡の奥部の、もっと深い部分で稼げば良いんじゃないか?」


 アキラの素朴な疑問に、キバヤシが楽しげに笑う。


「そう言うのなら、お前には是非その無理無茶むちゃ無謀を試してほしい」


 アキラが嫌そうに顔をゆがめる。


「……そんなに大変なのか?」


「都市が巨額を投じて延ばしている後方連絡線の先だぞ? 防備に多数の人型兵器を配備しても、少しずつしか距離を稼げない危険地帯の更に先だ。ランク50程度じゃ死ぬだけだな。ランク60とか70とかの、個人で人型兵器を運用するような連中なら別だろうが、そいつらの武装を十分に整備できるような施設はこの辺には無い。都市の設備なら別だが、防衛隊の分の整備で手一杯だ。その手のハンター達に開放する余裕はない。だから無理だ。あ、一応言っておくが、以前のスラム街の抗争で人型兵器が使われていたからって、あれを同じに考えるなよ? あれはハンターとして人型兵器を真面まともに運用しているとは、あらゆる面でとてもじゃないが言えないからな」


「なるほど。そういうことか」


 それでアキラもしっかりと納得した。しかし逆にキバヤシが少し考え込むような態度で続ける。


「……ただまあ、今後はその状況も変わるかもな。ヤナギサワが後方連絡線の延長を再開したんだが、同時に遺跡奥部攻略のために、その手の高ランクハンターを呼び寄せようとしている。莫大ばくだいな金をぎ込んで、その手のハンター向けの施設を整える手筈てはずも進めている。それで最近は、一度活動場所をもっと東に移したハンター達も結構戻ってきてるんだ。アキラもその手の連中を見てないか?」


「……そういえば、水着の上にコートを羽織ったような格好で歩いていた人を見たな。あれがそうだったのか?」


「そのファッションセンス、間違いなく東端側のハンターだな。アキラ。一応言っておくが、気を付けろよ? 前にも言ったが、都市が大流通に参加したことで各地のハンターが集まってきている。その格好のやつも含めて、前にいた場所の感覚を引きっているやつも多いだろう。生身で戦車を殴り飛ばせるやつが、前の場所の基準では弱かったからって、一見弱そうな態度を取っているかもしれない。その手の連中を相手に、下手に喧嘩けんかを売ったり買ったりすると、死ぬぞ」


「分かった。気を付ける」


 真面目に忠告したキバヤシの態度からその危険性を感じ取り、アキラも気を引き締めて答えた。




 翌日、今度はアキラがキバヤシに呼び出された。待ち合わせ場所であるクガマビル1階のロビーでキバヤシを待っていると、待ち合わせ時刻の前に、防壁の内側の方向から少女が現れる。


 アキラが近付いてきた少女を見て少し不思議そうにする。少女は都市職員の制服を着ており、少し大人びた容姿をしていた。最近背も伸びて体格も良くなっているアキラと同世代に見える。大人と呼ぶには少々としが足りていないが、子供と呼ぶには成熟している。それぐらいの年頃だ。つまり、基本的に大人しかいないはずの都市職員とは思えなかったのだ。


 少女が少し緊張した様子でアキラに愛想良く頭を下げる。


「アキラさんですね。私はキバヤシと同部署の者でヒカルといいます。本日はよろしくお願いします」


「え、あ、はい。あの、キバヤシは?」


「本日は私がアキラさんを担当いたします。では、詳しい話は場所を移して進めましょう」


「あー、ちょ、ちょっと待ってください」


 アキラは情報端末を取り出してキバヤシに連絡を入れた。


「俺だ。どうした?」


「どうした、じゃない。今どこにいるんだ。急用でも出来て誰かに代わってもらったのなら、その連絡ぐらい入れろ」


 アキラが状況をキバヤシに説明する。当然の文句を言ったつもりだったのだが、キバヤシの返事はアキラの予想とは大分異なっていた。


「待ち合わせの場所と時刻に都市の制服を着た者が来て俺の名前を出した。そこで黙って付いていかずに、俺に連絡を入れたのは良い対処だったと言っておこう」


「どういう意味だ?」


「誰かがお前をだまそうとしていたのかもしれないだろう?」


 アキラが思わずヒカルに警戒の視線を向けると、ヒカルは意味が分からず僅かに体を震わせた。


「おっと、誤解するなよ? そうかもしれないってだけの話だ。そのヒカルってやつは間違いなく俺の知り合いだ。そこまでは保証する。そしてそれ以外は、事実がどうであれ、俺は一切保証しない」


 アキラが表情を更に怪訝けげんなものに変える。


「だからどういうことだよ。ちゃんと説明しないなら帰るぞ?」


「それもありだ。交渉の場に信頼できる交渉人がおらず詳しい説明もない。だから話にならないと一蹴する。間違ってはいない。常に正しいかと言えば、それも違うけどな」


 アキラが軽いめ息を吐くと、その様子を察したキバヤシが楽しげな声を返してくる。


「前にも少し言ったが、荒事は得意だが交渉事は不得意ってハンターはいろいろと付け込まれるからな。そいつで少し交渉事ってのを練習しておけ。改めて言っておくが、俺が保証するのはそいつが俺の知り合いってことだけだ。そいつの身元、立場、思想、有能か無能か、信用できるのか、信頼して良いのか、後はお前自身で確かめろ。勿論もちろん、後で俺に確認しても良いが、まずは自分でやってみな。じゃあな」


 通話が切れた後、アルファが軽い困惑を見せているアキラに笑いかける。


『それで、どうするの? 帰る?』


『……まあ、これも練習ってことで、話ぐらいは聞いてみるよ』


 アキラが視線をヒカルに戻す。そこに警戒の意思は無かったのだが、ヒカルは笑顔に焦りをにじませていた。


 アキラ達は場所を1階のレストランに移した。アキラの向かいに座ったヒカルが丁寧に頭を下げる。


「キバヤシから既に話が通っていたと認識していましたが、こちらの手違いであればおびいたします」


「あ、いや、まあ、確かに聞いていなかったんですけど、ヒカルさんの所為せいじゃないと思います」


「ありがとう御座います。あと、私のことはヒカルで結構ですよ。出来れば普通に話してください。交渉事に大切なのは信頼です。礼儀にこだわって意思疎通をおろそかにして、不信と不満を生んでは本末転倒です。ですので、気兼ね無く話をしたいと思っています。……まあ、キバヤシの態度は少し行き過ぎとは思いますけどね」


 ヒカルの苦笑にアキラも軽く笑って返す。


「分かった。じゃあそっちもアキラで良いから普通に話してくれ」


 ヒカルが表面上は軽く迷ってから、内心ではかなり迷ってからそれに乗る。


「分かったわ。じゃあ、普通にね。キバヤシから話を聞いていないようだから、えっと、どこから話そうかな」


 親しみを込めて笑って砕けた口調で話しながら、ヒカルはアキラの機嫌を損ねていないか真剣に探っていた。


「じゃあ俺の方から不躾ぶしつけに聞いても良いか?」


「良いわよ。何でも聞いて。恋人の有無とかスリーサイズとか聞かれても、内緒って答えるけどね」


「ああ、そういうのじゃない。そうだな。ヒカルは本当に都市の職員なのか?」


「あら、意外な質問。勿論もちろんよ。私は間違いなくクガマヤマ都市の職員。所属は広域経営部で、そこだと最年少よ」


「所属している証拠は? って聞いたら?」


 ヒカルはちょっと困ったように微笑ほほえんだ。だがその裏では、対処方法を必死に模索していた。


 アキラはヒカルをキバヤシが用意した交渉事の練習相手だと考えている。大分失礼な質問をしているのも、その練習としてだ。しかしヒカルはその事情を全く知らなかった。そのため、疑われている、あるいは試されていると捉えていた。


「キバヤシの紹介ってだけじゃ、根拠としては足りない?」


「そのキバヤシが、自分の知り合いってこと以外は何も保証しないから、自分で確かめろって言ってたんだ」


 ヒカルが思わず笑顔を少し固くして、内心で毒突く。


(あの野郎……、これも試験ってこと? やってくれるわね)


 アキラと交渉して依頼を引き受けさせ、きっちりと完遂させる。それが今回のヒカルの仕事であり、自身の実力をキバヤシに認めさせる試験だ。


 高ランクハンターとの交渉は都市の職員達にとっても非常に重要な仕事だ。貴重な遺物の確保も、都市周辺の防衛も、そのハンターとの交渉次第で大きく揺らぐ。当然、その者達の信頼を得て、交渉を円滑に運ぶ交渉人の力も高まっていく。


 キバヤシは自身で見いだしたハンター達に成り上がる賭けを提供し、その勝者との縁をもって立場を強めていた。見事成り上がった者のほとんどはクガマヤマ都市を離れて活動の場をもっと東側に移しているが、遠方から貴重な遺物を送ってくれたり、都市の危機では駆け付ける契約を結んでいたりと、今でも都市に強い影響をもたらしている。キバヤシが結構好き勝手に動けるのは、そのハンター達とのつてで他の者達を黙らせているからだ。


 しかしキバヤシもいろいろと忙しく、そのハンター全員との交渉事に関われるわけではない。よって交渉を部下や同僚に代わってもらうことも多い。そして、代わってもらった者は担当したハンターとのつてを得て、同様の力を得るのだ。


 ヒカルは広域経営部で若手ながら才女と認められ、彼女自身もそう自負していた。そして自分ならば問題ないとキバヤシに担当の振り分けを提案した。だがキバヤシの反応は、お前には無理だと言わんばかりの素っ気ないものだった。


 その後、向上心と反骨心で周囲に根回しを行い、キバヤシに条件付きで担当分けを認めさせたのは、ヒカルの才の証明だ。その結果が現在の状況につながっていた。


 ヒカルがアキラの態度からキバヤシの意図を推察する。


(交渉相手のハンターに私の身元を認めさせることも出来ないのなら、交渉なんかとてもじゃないが任せられないってことね。やってやるわよ)


 ヒカルはテーブルの上に情報端末を置くと、自分の身分証をかざして自身の映像付き職員情報を表示させた。


「これは職員が自身の身分を示す際に使用する身分証と、都市の管理下にある情報空間の職員情報よ。この制服は都市の職員以外が着用すると身分詐称で重い処罰を受けるわ。これでどう?」


 納得したようにうなずいたアキラを見て、ヒカルもその反応に満足した。だがアキラは折角せっかくの機会なので、詐欺師にだまされかけている場合の練習として、更にえて続けて難癖を付けてみる。


「身分証も表示ページも偽造したもので、制服は堂々と着ていればバレないだろうって言ったら?」


「そうきたか。それなら一緒にハンターオフィスに行って、私の身分照会をしてもらうってのはどう?」


 アキラが感心したようにうなずく。そして更に続ける。


「ハンターオフィスの職員を抱き込んで偽の照会をされたら?」


「えー。流石さすがにそれは無理があると思うわ。ハンターオフィスの職員を抱き込むなんて、相当よ?」


「いや、ひどい立地のすごく寂れた派出所の職員とかなら、案外何とかなる気がする」


 アキラは自分がハンター登録をした時の出来事をヒカルに話した。ヒカルは防壁外の事情には疎いところもあり、その話を聞いて少し驚いていた。


「……外だと、ハンターオフィスの職員でも質の問題とかあるのね。でも当時のアキラの話よね? あ、でも、ランク50のハンターをだまためにどこまで労を執るかって言われたら、絶対無いって言い切るのも難しいか」


 ヒカルも既にアキラが別に嫌がらせ目的で難癖を付けている訳ではないと気付いているので、軽い気持ちで方向性を変えた。


「そういうすごいハンターだと、むしろ自分で裏取りする人も多いって聞いたわ。アキラならどうする? どうやって調べれば納得するの?」


 中途半端な調べ方だったら逆にこっちが指摘してやろう。ヒカルがそう思って笑いながらアキラをのぞき込むように少し前のめりになる。


「そう言われるとな……」


 疑う目的で疑えば切りなど無い。どこまでも疑える。問題はどこで納得するかだ。それはアキラも分かっている。そこで自分なりに、そこで欺かれたらどうしようも無いという妥協点を考えてみた。


 アルファが少し得意げに微笑ほほえむ。


『まずは私に聞いてみるっていうのはどう?』


『それは真っ先に考えたけど、根拠を聞かれたら勘と言い張るしかないからな。ここでの回答とは、ちょっと違うだろう。でも俺には分からないんだから、誰かに調査や判別を頼むしかないんだよな……』


 アキラが僅かに苦笑いを浮かべる。


「ちゃんと判別してくれそうな人に聞く、かな?」


「なるほど。じゃあ、聞いてみたら?」


 ヒカルが手を軽く前に出して実行を促すような仕草を見せる。アキラは変にしつこく聞き過ぎた所為せいへそを曲げさせてしまったかと思いながら、ヒカルを満足させるためにも実際にやってみることにした。聞く相手として思い付いた者は、キバヤシを除けば2人いた。その片方に情報端末で連絡を取ると、すぐにつながった。


「お前か。そっちから直接連絡を入れるとは珍しいな。何だ?」


「俺の前に、都市の制服を着た自称広域経営部所属の人がいるんだけど、本物かどうかってすぐに判別できる手段があれば教えてほしい」


「……そんなことのために私に連絡したのか?」


 アキラが連絡を取った相手はイナベだった。なお、思い付いたもう片方はヴィオラだ。


 相手の強いあきれを含んだ声と、その後に続いため息を聞いて、アキラも流石さすが不味まずかったかと思った。だがイナベは面倒そうな態度を隠しはしなかったが通話を切りはしなかった。


「ちょっと待ってろ。……対応機種か。……よし、一時的にお前の情報端末とこっちの認証機能を連動させた。そいつに身分証をかざさせろ」


 アキラがヒカルに頼んでやってもらうと、すぐに結果が返ってきた。


「照会した。広域経営部所属サクヤマ・ヒカル。本人だ。これで満足か?」


「どうやって確認したとか聞いても良い?」


「識別技術の詳細は企業機密だ。ハンター証の偽造防止と本人識別技術の応用とだけ答えておこう」


「分かった。十分だ。助かった」


「これは貸しだ。返してもらう。そうだな、シェリルに顔を見せて機嫌を取っておけ。私に世話に成ったと付け加えてだ」


「了解だ」


「あと、その情報端末をそいつに向けろ」


 アキラが言われた通りにすると、情報端末の表示面にイナベが映り、ヒカルに少し厳しい視線を向ける。


「誰だか知らんが、手間をかけさせるな」


 ヒカルもイナベのことはよく知っている。驚きながらも慌てて謝る。


「も、申し訳ございません!」


 だがヒカルが謝罪を始めた直後に、既にイナベは通信を切っていた。少し重苦しい沈黙だけが場に残る。


 アキラが気まずそうに口を開く。


「……その、ごめん」


「い、いいのよ。気にしないで」


 ヒカルは頑張って愛想良く笑った。だが少し無理があった。




 アキラとの話を終えた後、ヒカルはレストランに残ってパフェを食べていた。既にアキラは帰っているので無理に取り繕う必要もない。少し疲れのにじんだ表情で糖分を口に運び、疲労によるものか甘味あまみへの感嘆か判別しにくい小さなうなり声を出していた。


「疲れた……。でも、取りえずは上出来……よね?」


 予想外のことはあったが、当初の目的は達成できたと、ヒカルは自身に言い聞かせるように声に出していた。それでも少々自信が足りていないのは、流石さすがにイナベの件は予想外で、焦って真面まともに対応できなかったからだ。


(悪いことをしたと思ったのか、あの後は話を前向きに聞いてくれたのが救いね。それにしても、アキラがあのイナベさんと直接連絡できるのには驚いた。キバヤシもそんなハンターを私に扱わせるなんて、真面まともに扱えやしないと高をくくっているの? だとしたら、後悔させてやるわ)


 都市の幹部と直通の手段を持つランク50のハンター。アキラの信頼を得て、そのつてをキバヤシから奪ってしまえば、ヒカルの立場はかなり高まる。それを足掛かりに更なる出世も見込める。


(絶対何とかしてやるわ!)


 ヒカルは意気を高めて糖分を口に含み、その甘味あまみと輝かしい展望から年相応の笑顔を浮かべた。


 その期待と意気込みが高すぎてヒカルは忘れている。キバヤシは無理無茶むちゃ無謀の実行者が大好きだ。そしてその結果が栄光でも破滅でも同じように楽しめる人物だ。


 キバヤシはヒカルに機会を与えた。そして結果を楽しみにしていた。

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