第125話 籠城者達

 エレナはサラが2体目の敵を破壊した後も広間の光景を見ながら思案し続けていた。ハンターの死体。粉砕された敵の残骸。機能停止状態で比較的原形をとどめて床に転がっている機体。それらを見ながら推察をまとめていた。この場に待機し続ける時間が、有益な情報収集とその情報の解析の為の必要経費から、時間の浪費に切り替わるまでは残り僅かだ。


(敵の行動から判断すると、敵に私達の位置を常時把握されている可能性は低い。破壊した機体と同系機の探知能力や個体間の通信能力も、私達の情報収集機器と同様に低下している可能性は無視できない。通信障害で応援を呼べないとしたら、他の個体との連携は同じ階、いえ、同じフロアが限界? ビルの管理人格が私達の敵に回っているとして、あれらの機体が私達と同様に索敵能力低下の影響を受けている理由は? ビル側とあの機械系モンスターは情報等を連携していないの? 何らかの仕様の所為? 機体の故障によるもの? あるいはビル側の管理下ではない個体なの? そう見せかけているだけ?)


 エレナの視界に収集した情報の解析処理が終了した通知が表示される。エレナはそれで思考を切り上げた。


(敵の機体の解析は終わった。別種の機械系モンスターとの類似性の割り出しも終わった。これで私達の索敵能力の精度もある程度ましになったはず。増援の気配も無し。この場にとどまるのもこの辺りが限界ね。これ以上は時間の浪費。行きましょう)


 エレナがアキラ達に指示を出す。


「移動を再開するわ。移動時の指針は今までと同じよ。索敵の状況を簡易マップに表示しているけど、敵の反応がないからって油断しないで。敵の対処は私達の移動の障害にならない程度にして。無理をして敵を倒すよりも、移動速度を優先させて。勿論もちろん、安全を保った上でね。以上よ。行きましょう」


 アキラ達が素早く配置に付く。そしてエレナの移動開始の指示に従って、19階までとは様相を変えたビルの中を再び進んでいく。


 床の血まりに機械部品が浮かんでいた。機械系モンスターの残骸の上にハンターが横たわっていた。破壊した機体をバリケードにしていた跡が有り、部屋の中になだれ込んできたモンスターに必死に応戦した跡があった。残骸の山から突き出ているハンターの手が今も銃をつかみ続けていた。残骸の山が通路を塞いでおり、その山を築いた人物の死体が転がっていた。


 この場で交戦していたハンター達は死に絶えた。そして、今も稼働中の機械群が新たな敵を新たな死体に加える為にアキラ達に襲いかかる。


 アルファが移動中のアキラに指示を出す。


『アキラ。右よ』


『了解』


 走っていたアキラが右前方の通路の前で急停止する。同時に通路の奥へ銃を構える。


 アキラは意識を集中し、体感時間の圧縮した状態で、視界内には存在していない敵の出現に備える。そして通路の先にある十字路の右側から甲A24式が飛び出してくるのに合わせて引き金を引く。


 アキラの視界には敵機体の制御装置の位置と、制御装置を一撃で破壊するのに適した着弾位置が表示されていた。構えたCWH対物突撃銃の銃口からは弾道予測の線が延びていた。


 CWH対物突撃銃から発射された徹甲弾が目標の弱点に着弾する。徹甲弾が敵の外部装甲を貫通し、内部の制御装置を一撃で破壊する。頭脳を失った機体が即座に機能を停止して、通路から飛び出てきた慣性のまま勢いよく転倒しながら床の上を転がっていく。


『良し』


 アキラが軽くうなずいて先を急ぐ。そして通路を走りながら隣を併走しているアルファに尋ねる。


『今のはどうだった?』


 アルファが微笑ほほえんで駄目出しする。


『私が補正しないと左に1メートルほどずれていたわ。もっと慌てずに焦らずに速やかに狙わないと駄目ね』


『……。そうか』


 アキラが僅かに気落ちした。先ほどの射撃に少し自信を持っていたのだが、所詮はアルファのサポートによるものだったからだ。


 落ち込んでいる暇などないとアキラが気を切り替える。そして射撃の難易度を上げている要因について文句を言う。


『それにしてもひどい有様だな。この階も下の階みたいに掃除してくれればよかったのに』


 激しい戦闘の所為でアキラ達が通っている通路はひどい状況だ。床に散らばった機械部品の残骸。機体から流れ出ているオイルやハンターの血などが混ざった液体。それらがアキラ達の素早い移動を阻害している。崩れやすい足場や滑りやすい床が、ただでさえ難しい精密射撃の難易度を引き上げていた。


 アルファが答える。


『掃除を試みた清掃機械が別の機械系モンスターに破壊されたのかもしれないわ』


『……同じビルの設備なのにか?』


『交戦中の機械系モンスター達が、このビルの管理下にあると決まったわけではないわ。何らかの理由でセランタルビルに入り込んだ別の集団かもしれない。勿論もちろん、これも推測にすぎないわ』


 アキラは困惑気味の表情を浮かべていたが、急に表情を元に戻した。


『ややこしい事態にでもなっていて、ミハゾノ街遺跡の異変に関係があるのかもしれないけど、まあ、俺には関係ないか。その理由が分かれば100億オーラム手に入るかもしれないけど、そんな場合じゃないしな』


 アルファが笑って話す。


『そういうことよ。アキラは自分の意思でエレナ達に同行しているのだから、そっちに集中しなさい。エレナ達に付き合うのが嫌になったのならいつでも言って。すぐにアキラ単独で脱出する手段を検討するわ』


 アキラが少しむっとしてアルファを見る。だがアルファは気にせずに微笑ほほえんでいた。


 ある意味でアルファをないがしろにして、自分の我がままを通してエレナ達に同行しているのだ。この程度の当てこすりは仕方ないだろう。アキラはそう思って気を切り替えた。




 シカラベが障害物の向こうにいる敵へ銃を構えて引き金を引く。貫通力を重視した徹甲弾が障害物を突き抜けて敵の胴体を貫いていく。一撃で基幹部品を破壊された目標が機能を停止した。


 シカラベは敵の位置をエレナから送られている索敵結果からつかんでいた。


(俺の情報収集機器の精度がここまで低下しているのにもかかわらずにこの索敵精度か。大したもんだ。楽でいい。アラベが実績作りにエレナ達の加入を実現しようと頑張るわけだ。まあ、無駄に終わったがな)


 シカラベはエレナ達の実力を称賛しつつ、友人の努力が水泡に帰したことに苦笑した。


 キャロルが大型の拳銃で敵を銃撃して派手に吹き飛ばした。銃弾は機体の胴体が一撃で分かれるほどの威力だ。分かりにくい場所に潜んでいた敵をいち早く発見できたのもエレナの索敵のおかげだ。


(エレナのこの索敵能力、大したものね。サラもエレナをしっかりまもりながら適切に動いている。アキラに慕われているだけの実力はあるってことか。アキラに私のハンターとしての腕前を見せつけるのは大変そうね。ま、頑張りますか)


 キャロルはエレナ達の実力を称賛しつつ、比較対象の実力を認識して自分のハンターとしての実力をアキラに見せつける機会をうかがっていた。




 トガミは格上達の移動速度に追いつくために必死だった。泣き言を飲み込み、自分の実力を自他共に示す機会に全力を尽くしていた。


 高性能な装備がトガミの意思を後押しする。過酷な状況を切り開く道を自力で切り開こうとする。だがシカラベ達に並んで進むには足りていない。シカラベ達が敵を撃破した後に続くのが精一杯だった。


 トガミが戦いながら他の者達の様子を確認する。シカラベ達は見えないはずの敵を目で追っていたアキラのように、視野外、遮蔽物の先にいる敵にも反応して的確に対処していた。


 エレナの索敵情報はトガミにも送信されている。しかしその情報を活用して戦闘に反映するには相応の技量が要る。


 トガミが険しい表情を浮かべる。


(あれぐらい、シカラベ達にはできて当然ってことか! 俺には、できない……。今は、だ! 俺にもすぐにできるようになってやる! すぐにだ!)


 過度な賞賛がかつてのトガミを増長させていた。だが今は気概と気骨がトガミを支えていた。かつての己を認め、無様を認め、それにあらがうようにトガミは自身を叱咤しったしながら全力を尽くしていた。




 エレナは周囲の情報を探りながら先に進んでいる。索敵は当然として、救出対象の位置を絞り込む情報を見落とさないように注意する。同時にチーム全体の安全を考慮して移動ルートを判断して、簡易マップに表示している。


 サラはチームの司令塔であるエレナをまもりながら周囲の敵を蹴散らしている。サラの視界にはエレナが収集して解析した各種の情報が表示されている。それを基に多数の障害物が散らばっている通路を効率的に移動し、素早く移動経路を制圧し、出現する敵を破壊し続けている。


 エレナとサラは基本的に2人で組んでハンター稼業をしている。受けた依頼の内容によっては、集団の一員として行動することも、集団を率いて行動することもあるが、それでも2人で組む体制を崩すことはない。互いへの理解と信頼から、それが最も効率的であると理解し、信じているからだ。


 サラが通信機を介してエレナに尋ねる。


「エレナ。私達が助けようとしている相手ってどういう人物だと思う? そもそもこんな状況下で脱出に失敗したハンターがまだ生きていると思う?」


「多分ね。生存している可能性は十分現実的なほど高い。少なくともシカラベはそう判断しているわ。シカラベも死体や所持品の回収とかが目的なら別の手段を模索するはずよ。だから嫌々ながらも対象の救出を提案したのよ」


 サラは余り納得できなかった。周囲の光景を、周辺に散らばっている機械系モンスターの残骸などを見ながら話す。


「こいつらと戦ったのって、多分あのドランカムの緊急依頼の応援要請を受けてセランタルビルに入ったハンター達よね? つまりその時にミハゾノ街遺跡にいたハンターが大半。手持ちの消耗品の量なんか、日帰り感覚のハンターが多かったはずよ。ちょっと多めに弾薬を用意していたハンターがいたとしても、この量の機械系モンスター達を相手にどれだけ粘れたか。それを実力でひっくり返せるほどのハンターなら、とっくに自力で脱出しているんじゃない?」


 ミハゾノ街遺跡で活動するハンター達の平均的な実力。応援要請を受けたハンター達の状態。現場の戦闘の痕跡。サラがそれらを判断材料にして自身のハンターとしての経験から推測すると、救出対象は既に死んでいるとしか思えない。


 エレナもサラの意見には同感だ。ただしその上で対象が生存している可能性は高いと判断している。エレナはその理由をシカラベが守秘義務で話せないと答えた部分にあると考えていた。


「サラが言っていることは正しいわ。その上で、シカラベは相手が生きていると判断しているんでしょうね。弾薬等を比較的消費しない近接戦闘に秀でた人物とか、何らかの理由で念入りに準備を済ませていた部隊とか、部隊員の実力に雲泥の差がある部隊で、相対的に力量の劣る人物を生還させるためにえて籠城を選択したとか。そういう理由なら、まだ生存している可能性は十分有るわ。無理がない程度には現実的な理由だと思わない?」


「確かに、ドランカムもあの緊急依頼で結構な数のハンターをセランタルビルに送ったらしいし、そういうハンターが混ざっていても不思議はないか」


 サラはエレナの予想を聞いてある程度納得をした。だがそう答えたエレナは僅かな気懸かりを覚えていた。


 シカラベが明確に表情をゆがめた何か。少なくともシカラベには間違いなく厄介ごとで、対象の生存を前提とした行動を取らざるを得ない何か。その何かがエレナ達にどの程度の影響をもたらすかは未知数だ。


 エレナが探りを入れるようにシカラベに尋ねる。


「シカラベ。そっちの守秘義務の範疇はんちゅうだと思って聞かなかったけれど、一応聞いておくわ。助ける相手の人数とか名前とかは言えないの?」


 シカラベが僅かに表情を曇らせる。


「厳密には、守秘義務の範疇はんちゅうではない。ただし、その誰かが既に死亡していた場合、あるいは救出に失敗した場合、それが誰だったか知らない方が良い。これは善意だ。それを理解した上でどうしても知りたいのなら、話しても良い」


「止めておくわ。それと、そういうことなら、この後でその誰かとの交渉が必要になった場合、その交渉はシカラベに担当してもらうわ」


「了解した。ドランカム内の事情もある。その方が良いだろう」


 エレナはシカラベの返事を聞いて理解する。少なくともシカラベは見知らぬ誰かではなく、明確な誰かを助けようとしている。そしてその誰かは、シカラベが暗号通信の把握した時に浮かべていた苛立いらだちと焦りの表情の原因に、それだけの面倒事に関わっている。


 この件とは早めに縁を切った方が良さそうだ。そのためにも早めに対象を救出して、急いでここから脱出した方が良い。エレナはそう判断した。




 レイナ達はセランタルビルの30階の部屋の中で籠城していた。


 部屋の出入り口はしっかり封鎖している。破壊した機械系モンスター達の残骸。持ち込んだ小型簡易防壁。室内にあった各種備品。それを組み合わせて念入りに塞がれている。レイナ達自身も部屋から脱出しにくいという問題は、敵の侵入というより大きな問題に対処するために無視されていた。


 シオリが機械系モンスターの残骸を椅子と台の代わりにして武器の整備をしている。その機械系モンスターは縦に両断されていた。残骸の切断面は光沢が出ているほどに滑らかだ。シオリが腰の刀で一刀両断したのだ。


 刀は黒いさやに収められている。刀身もさやも旧世界の技術を応用した一品で、刀身は並の装甲など抵抗も感じさせないほどに容易たやすく切り裂く性能を持ち、さやは刀身の刃こぼれや劣化を自動的に修復する機能を保持している。シオリの装備品の中で最も高価な装備でもある。


 カナエが手頃な機械系モンスターの残骸を椅子代わりにしてシオリの隣に座る。


 破壊された機体の表面には大きな陥没が存在していた。カナエが敵を殴り飛ばして破壊した跡だ。着用している強化服の性能と両手の籠手こての性能、そして鍛え上げた格闘技術を十全に活用した一撃で、並の弾丸ぐらいはじき返す機械系モンスターの装甲を大きくへこませた上で、内部の部品を粉砕したのだ。


 シオリとカナエが座っている物は、彼女たちが部屋を制圧した際に自分で排除した敵の残骸だ。座り心地は決して良いとは言えないが、着用している強化服の性能のおかげで長時間座っていても特に問題は無い。なお、部屋の中にあった柔らかな素材の物は、全てレイナの敷物となっていた。


 カナエがシオリに笑って話しかける。


「いやー、それにしても、念入りに準備しておいて良かったっすね! おかげで生き延びているっすよ! 食料も弾薬もまだまだ残っているっす! 当分は余裕っすね!」


 シオリが作業の手を止めて冷ややかな目でカナエを見る。カナエは和やかに笑っている。


「しっかし、あれっすね。アキラ少年の言っていたこと、全部的中したっすね。情報端末は急に圏外になってろくに連絡も取れなくなるし、情報収集機器の性能が急に低下するし、その上、大量の機械系モンスターに囲まれているっす。ん? ああ、ビルの設備がどうこうってのは残っているっすね。確認できていないだけで、何かあったりするんすかね?」


 シオリはいつもより冷ややかな目でカナエを見ている。カナエは全く気にせずに微笑ほほえんでいる。


「いやーそれにしても、あねさんがアキラ少年にお嬢の護衛を依頼していなかったら、今頃どうなっていたっすかね。多分あれで運命が変わったっす。セランタルビルの簡易マップを買おうとしたのも、あれが切っ掛けっすから。おかげで頑丈で逃げ込みやすい部屋の位置も事前に分かったっすからね。ちょっとぼったくりの値段設定だったっすけど、買った価値はあったっす」


 シオリはより冷ややかな目でカナエを見ていたが、軽くめ息を吐いてから面倒そうに話す。


「それで、カナエはその話題を何度繰り返せば気が済むの?」


 既にカナエはこの話題を何度もシオリに振っていた。シオリのカナエに対する冷ややかな目が、より冷ややかになっている理由だ。


 カナエが平然と答える。


「話題が気に入らないのなら、あねさんの方から何か話題を振ってほしいっす。この際、あねさんのお嬢自慢でも付き合うっすよ。暇なんすよ」


シオリが不満と非難を表情に出して答える。


「嫌よ。私がその話をすると、カナエが一々反論してそのまま口論になるじゃない」


「一々って、あれはあねさんの度の過ぎた過保護な部分と、お嬢の我がままを聞き過ぎる部分を指摘しただけじゃないっすか」


「私とお嬢様の関係に口を挟むのは100年早いわ」


「いや、時には第三者の客観的な意見がっすね……」


 閉鎖環境に長時間滞在していることによる疲労がシオリ達のたがを僅かに緩めているのか、シオリ達は普段ならしないような妙な会話を繰り広げていた。


 暇潰しを兼ねた話題に飽きが出始めた頃、カナエが真面目な表情でシオリに尋ねる。


「……で、あねさん、まだ待機っすか?」


 シオリも真剣な表情で重い口を開く。


「……まだよ」


「そうっすか。その辺の判断はあねさんに任せているっすから、私はそれに従うだけっすけど、私達はも角、お嬢はそろそろ危ないんじゃないっすか?」


 カナエはそう答えると、横になっているレイナの方を見た。


 レイナは戦闘中に少々負傷したが、用意していた回復薬で既に完治している。水と食料の量も限りが有るとはいえ今のところは問題ない。レイナの健康を損なう理由にはなっていない。


 カナエが指摘しているのは、主にレイナの気力の面での限界だ。既にレイナ達がこの部屋に逃げ込んでから3日目だ。


 レイナもハンターとして旧世界の遺跡の中に数日滞在することはある。しかしそれは十分な安全を保った上での話だ。十分な人数の仲間と交代で休息と見張りを行い、安全を維持した上で危険ならすぐに撤退できる状態を保った上での話だ。大量の機械系モンスターに襲われて、他のハンターの怒号と悲鳴が響き渡る中、辛うじて比較的安全な場所に逃げ込んだ場合の話ではない。


 しかも外部との通信は取れず、情報収集機器も不調なために部屋の外の様子も確認できず、部屋の中に侵入しようとしてくる機械系モンスターの数から考えて、部屋の周囲は今も包囲されている。飽きもせず、侮りもせず、機械的に自分達を殺そうとしている存在に囲まれ続けているのだ。


 そのような状況が続けば、当然ながら精神力と体力を消耗し続けることになる。レイナは今のところはまだ持ちこたえている。だがいずれは限界を迎える。戦闘どころか真面まともに動くことさえ困難になる。


 レイナの状態がそこまで悪化した場合、シオリとカナエはその足手まといをまもりながら、大量の機械系モンスターの包囲を突破して、ビルからの脱出を試みなければならなくなる。


 レイナの状態の悪化はそのまま全員の命に関わるのだ。そしてこの場にとどまり続ける限り、レイナの状態が改善することはないのだ。


 シオリはレイナがまだ動ける内に、この部屋から、そしてセランタルビルからの脱出を決断しなければならない。シオリもそれは分かっている。その上でシオリは真剣で、どこか悲痛な表情でカナエに答える。


「……分かってるわ。でもまだよ。まだ早いわ」


 救援が来る可能性はある。最終的な被害がどの程度の規模になったかは分からないが、ドランカム所属のハンターを含む多数の死傷者や未帰還者が発生したならば、ドランカムは徒党の威信に懸けて何らかの対処を取るだろう。二次被害を理解した上で追加の救出部隊を派遣する可能性はあるのだ。


 あの大量の機械系モンスター達がここから立ち去る可能性もある。セランタルビルに入ったハンターの人数に応じて機械系モンスターが現れたのならば、ハンターが死亡、若しくは撤退して数を減らせば、その分だけ機械系モンスターの量も減る可能性もある。そもそも一時的な増援にすぎないのならば、時間経過で帰還する可能性もあるのだ。


 全ては可能性だ。楽観的な妄想にすぎないのかもしれない。しかし可能性がある以上、シオリはそれを考慮に入れて判断しなければならない。とどまるのか、脱出するのかを。


 シオリが判断を誤れば恐らくレイナは死ぬ。シオリの判断の誤りがレイナを殺すのだ。それがシオリの決断を鈍らせていた。


 カナエはシオリの苦悩を何となく察しながら思う。


あねさんはお嬢に入れ込みすぎなんすよね。仕事に私情を挟むと、大抵はろくなことにならないんすけどね。大丈夫っすかね)


 シオリが私情で判断を狂わすのならば、カナエはカナエで決断しなければならない。つまり、まだ自分が十全に動ける内に、レイナを連れて力尽くで脱出を試みなければならない。場合によってはシオリを排除してでも。運が良ければ脱出できるだろう。どの程度の幸運が必要になるかは全く分からないが。


 シオリもその程度のことは理解しているはずだ。だからその前に決断するだろう。カナエはその程度にはシオリを信頼しているが、一応くぎを刺しておくことにする。


「お嬢をまもって死ぬのも私の仕事の内っすけど、犬死にも無駄死にもする気は無いっすよ?」


「分かっているわ」


 シオリのどこか冷たい声の返事を聞いて、カナエは一応伝わったと思い込むことにした。


 レイナが目を覚ました。正確には、ずっと浅い睡眠と目覚めを繰り返している中で、無理に眠ろうとする努力を止めたのだ。


 身を起こしたレイナが、自分の体調が少しずつ悪化していることを自覚してめ息を吐く。


 レイナは自分が足手まといになっていることを自覚している。現状でレイナがするべきことは、現状のレイナでも辛うじてできることは、可能な限り自分の体調を保つことだ。ここから脱出する契機が訪れた時に、不測の事態が発生した時に、速やかに対処するための気力と体力を残しておくことだ。


 レイナはそれすら難しくなってきていることを自覚して、表情に影を落とした。その影のある表情に自暴自棄にも似た自身への嘲笑の色がないことが救いだろう。


 レイナが大きく深呼吸をして、内心の不安やどんよりした感情を吐き出す息と一緒に吐き出した。気を切り替えて笑顔を作る。気が滅入めいる表情のままでは心身に良くないし、シオリとカナエにも心配を掛ける。


(……良し。大丈夫)


 レイナは自身に強くそう言い聞かせて、しっかりと笑った。


 レイナがシオリ達のもとに行くと、カナエがレイナに気付いて声を掛けてくる。


「お嬢、おはようっす。交代にはまだ早いっすよ」


「大丈夫よ。ちょっと寝付けなくて、目も覚めちゃったし、横になるのも飽きたわ」


「そっすか。じゃあちょっと早いっすけど、交代ってことで」


 カナエが立ち上がって寝床に向かう。そしてレイナ達に背を向けてから表情をやや険しくさせた。


真面まともに寝るのも覚束おぼつか無くなったっすか。そろそろ本格的に危ないっすね)


 カナエもシオリもレイナも、各々が覚悟を決める時間は近付いてきている。カナエはそんなことを思いながら横になった。

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