第107話 意外な裏口

 アキラが目の前の光景を見てがっくりと項垂うなだれる。集めた遺物の価値は劇的に落ちてしまった。遺物運搬用のリュックサックもボロボロで使えそうにない。残念ながらこの場に捨てていくしかないだろう。


折角せっかく集めたのに……。頑張って運んできたのに……」


 キャロルが怪訝けげんそうに尋ねる。


「えっと、アキラ、無事、なのよね?」


 アキラが相手の神経を疑うように聞き返す。


「こ、これを無事とは呼べないだろう?」


怪我けがは、大丈夫なのよね?」


「ああ。そっちは大丈夫だ。少し血を吐いたが、これぐらいなら問題ない。回復薬もまだあるしな」


 負傷はしたが問題はないのだろう。キャロルはアキラの無事を確認して安心するのと同時に、アキラの意識と態度のずれに少し戸惑いながら礼を言う。


「えっと、助けてくれてありがとう。おかげで死なずに済んだわ」


「ああ。依頼だからな。……あんなに苦労してビルの中に入ったっていうのに」


 アキラがビルの側面を駆け下りてまで無人兵器を倒してビルの中に入った成果だ。それが無残な姿で床にばらまかれている。アキラが受けた衝撃は大きかった。


 キャロルがそのアキラを見て笑いを堪えている。今のアキラはあの事態に速やかに反応して自分をかばいながら敵を撃破したハンターとはちょっと思えない。吐血に動じることもなく回復薬を飲み込んだ図太い少年が、散らばっている遺物の欠片かけらを見て少し弱々しく項垂うなだれている。


 これもハンターのさがか。キャロルはそう思って少しだけ吹き出してしまう。アキラがそれに気付いて不満げな表情で文句を言う。


「笑い事じゃないぞ。俺が頑張ってここまで来た成果がなくなったんだぞ?」


 キャロルがすまなそうに謝りながらも少し笑いながら話す。


「ごめんなさい。悪かったわ。じゃあ、おびってことで、その遺物の補填ほてんは私がやってあげるわ。そうね、4000万オーラムってところかしら。ここから無事に戻った後で支払うわ。それで良い?」


 アキラが驚きの表情で聞き返す。


「い、良いのか?」


「ええ。私をかばった結果でこうなったわけだからね。お前の所為だ、なんて恨まれて見捨てられたら大変だもの」


 アキラが信じられないという思いから再度確認する。


「ほ、本当に良いのか?」


 キャロルが笑って答える。


「本当よ。補填ほてん額の調整が必要なら後で交渉しましょう。でもそれぐらいだと思うわよ? 私は何度もここに旧世界の遺物を収集にきているから大体の買取り額が分かるの。アキラがもっと高いはずだって思っていたとしても、私もそう簡単には額を上げるとは思わないでね」


 アキラが少し戸惑いながら答える。


「い、いや、額は十分だ。えっと、助かる」


「気にしないで……って言うのは早いわね。支払ってほしかったら、ちゃんとまもってちょうだいね」


 アキラが真面目な表情で答える。


「ああ。勿論もちろんだ。依頼を受けた以上、その件とは無関係にしっかりやる」


 キャロルが楽しげにうれしそうに笑って答える。


「期待してるわ。それじゃあ、先を急ぎましょう。……動くとつらいのならちゃんと言ってね?」


「大丈夫だ。高い回復薬を使ったからな。もう痛みはない。本音を言えば回復薬がしっかり効くまで休みたいところだが、そんな場合じゃないからな。急ごう」


 いつまでもこの場にとどまる余裕などない。とどまった分だけモンスターの群れに追いつかれるのだ。アキラ達は先を急いだ。


 40階の移動中にアキラがアルファに話す。


『アルファ。さっきは助かった』


 先ほどの戦闘でのアキラの動きは、そのほとんどがアルファの操作によるものだ。アキラの反応では間に合わなかった。反応が間に合っていたとしても、キャロルをかばい切れたかどうかは分からない。


『気にしないで。アキラのサポートが私の役割よ。それより本当に大丈夫なの?』


『痛みがないのは本当だ。動く時に少し違和感があるけど、気にしている場合じゃない。そんなことより、さっきの被弾で強化服に影響が出たりしていないか? そっちの方が重要だろう?』


『大丈夫よ。強化服の残存エネルギーを少々多めに消費したけどね。強化服の操作に影響が出るような被害はないわ』


『そうか。良かった』


『それにしても、遺物の補填ほてんの当てができてよかったわね』


『全くだ。……ちなみに、あれはもうどうしようもなかったのか?』


 事前に敵を察知していれば、旧世界の遺物を失うことはなかったかもしれない。そう考えたアキラが一応尋ねる。


 アルファが微笑ほほえんで答える。


『現状では階やフロアの区切りでは情報の遮断が強くて索敵が難しいのよ。盾代わりにした遺物の代わりにアキラが正面から銃弾を食らって、前に遺物襲撃犯と戦った時みたいに、ひどい負傷で指一本動かせない体を強化服で無理矢理やり動かすことになっても良いって言うのなら、何とかなったわ』


 アキラが嫌そうな表情で答える。


流石さすがに止めてくれ』


 少なくとも遺物を失ったことに対してアキラはアルファに不信や不満を持っていない。それを確認したアルファが微笑ほほえんで話す。


『負傷も最小にできたし、折角せっかく集めたのに失った遺物の補填ほてんもしてもらえるって話だし、後は何とかして帰るだけね』


『ああ。でも、ビルの上階にある裏口って何だと思う?』


『それはちょっと私にも分からないわ。情報料として500万オーラム要求するのだから、裏口は実在しているのでしょうけれどね。今は彼女を信じて進みましょう』


『そうだな。どうせ下には戻れない以上、進む先は上しかないんだ。期待して進もう』


 アルファの索敵能力の低下も同じフロア内ならばそこまでひどくはない。アキラ達は再び敵と遭遇したが、アルファの索敵で事前に位置を把握できていたため、相手に攻撃の暇を与えずに撃破することができた。


 キャロルが自分達の進行方向から現れた機械系モンスター達を銃撃しながら疑問を口にする。


「それにしてもこいつらはどこから出てきたのかしら? 追い抜かれてはいないはずなんだけど……」


 同じく敵を銃撃しているアキラが答える。


「いるんだから仕方がない。素早く倒して先に進もう。少なくとも後ろから追いかけてくるやつらよりは少ないからな」


「それはそうだけど……」


 アキラ達のすぐ近くにこの階のエレベーターの扉があった。巨大な高層ビルでの人や物資の運搬に対応するために、扉はかなり大きな造りになっている。使用許可のないものは、頑張って階段を上らなければならない。アキラ達が苦労してビルのフロア内を駆け回っている理由だ。


 その扉が音もなく開いた。アキラが即座に反応して銃を構える。キャロルも僅かに遅れて銃を向ける。二人がほぼ同時に引き金を引き、扉の中の存在を銃撃して破壊した。


 アキラとキャロルが驚きながら険しい表情を浮かべる。アキラが視線を鋭くして話す。


「先回りされた理由が分かったな。そういうことか」


 扉の中にあるのはアキラ達の攻撃で粉砕された機械系モンスター達の残骸だ。敵はエレベーターを使用して上階に先回りしていたのだ。


「どういうこと!? ビルの管理人格がモンスターにエレベーターを使用させているの!?」


「らしいな」


「ビルの管理人格まで敵なんて……。いや、今更な話ね」


 このビルにいるハンターは全て不法侵入者だ。確かに今更な話だ。


 キャロルの険しい表情を見て、アキラが一応確認する。


「この状況、俺達が向かっている裏口と関わりがあるのか?」


「ないわ。強いて言えば、私達の移動先が敵に読まれていて、裏口にモンスター達が先回りしている可能性ができたけど、多分大丈夫よ」


「そうか。それなら急ごう。このままだと挟み撃ちにされる」


「そうね。急ぎましょう。全く次から次へと。本当についてないわね。今日は厄日だわ。……アキラ、どうかしたの? やっぱり傷が痛むの?」


 キャロルがアキラの様子に気付いて声を掛けた。微妙な表情を浮かべていたアキラが表情を戻して答える。


「何でもない。大丈夫だ」


 キャロルはアキラの様子が少し気になったが、今はそれどころではない。すぐに先導を再開する。


 アキラの考えを察したアルファが笑って話す。


『大丈夫よ。生きて帰れば問題ないわ。私もサポートするしね。さっさと帰って笑い話にしましょう』


『そうだな』


 仮にアキラの不運にキャロルが巻き込まれたのだとしても、2人とも無事に帰れば何の問題もないのだ。元々ハンター稼業に危険は付きものだ。無事に帰還さえできれば、この出来事もいずれ笑い話になるだろう。


 運も実力のうち。不運を覆して生き残るハンターこそ、実力のあるハンターなのだから。


 アキラ達がキャロルの言う裏口を目指してセランタルビルを進んでいく。既に敵は進行方向にも存在していると知っているため、不意をかれることもなく蹴散らすように撃破しながら進んでいる。そこまでは順調に進めていると言ってもよい。しかしアキラ達の表情は先に進むほど険しくなっていた。


 アキラがその原因を見ながらその原因を口に出す。


「多い!」


「切りがないわね。この様子だと、下は全滅か……」


 アキラ達の背後から迫ってきている機械系モンスターの数が、通路を塞ぎかねないほどに増加していた。恐らく階下のハンター達を殺し終えた機械系モンスター達が、まだ生き残っているアキラ達に殺到しているのだ。小部屋に籠城しているハンター達もいるだろうが、それは少数派だろう。


 アキラが後方の敵をCWH対物突撃銃とDVTSミニガンの火力で押し切り、キャロルが前方の敵を対処している。通路を塞ぐ敵の残骸が、その後ろの敵の盾となってしまっていた。後方の敵が通路を埋める残骸を押しながらじわじわと近付いてきている。


 アキラ達は何とか45階、目的の階まで辿たどり着いた。ここまで登ってきた階段は既に破壊された機械系モンスターで埋まって詰まっている。もう戻ることはできない。


「キャロル。目的地まであとどれぐらいだ? 45階ってことは、この階のどこかなんだろう?」


 キャロルが非常に厳しい表情で答える。


「右手奥の通路の先を、左に曲がった奥の扉の先よ」


 アキラがその方向を見る。通路には既に無視できない数の機械系モンスターが待ち構えていた。ちょうどその時、その先にあるエレベーターが開いて追加の分まで出てきた。アキラとキャロルがげんなりした表情を浮かべる。


 アキラは大きくめ息を吐いた後、真剣な表情で告げる。


「仕方ない。突撃しよう」


 キャロルが驚く。キャロルの判断では困難を超えて無謀に近い敵の数だ。


「……突撃って、あそこを? あの数の中を!?」


「ゆっくり倒して進むなんて悠長なことをしていると、この階の全ての通路が敵で詰まりそうだ。弾薬だってそろそろ厳しい。急いで対処しないと敵の数がどんどん増えて……、ああもう、また増えたぞ」


 エレベーターの扉がまた開いて新手のモンスターが通路に加わっていく。この分だと切りがなさそうだ。


 キャロルもそれを見て覚悟を決めた。


「……分かったわ」


「俺が先行する。援護を頼む」


「良いの?」


「護衛が護衛対象の後ろにいてどうするんだよ」


 気負う様子もなく、嫌がる様子もなく、当たり前のようにそう言ったアキラを見て、キャロルが少しうれしそうに微笑ほほえむ。


「……そうだったわね。頼んだわ」


 アキラは事前に回復薬を飲み込む。更に予備を口に含んでおく。両手に弾倉の交換を済ませたCWH対物突撃銃とDVTSミニガンをそれぞれ持って通路に立つ。準備は整った。


『アルファ』


『いつでも良いわ』


 いつものように笑って答えるアルファに、アキラがふと思ったことを尋ねる。


『機械系モンスターなら戦いやすいってやつ、期待しても良いか?』


勿論もちろんよ。アキラも覚悟をしておいてね?』


 アキラは横目でアルファの笑顔を見る。アルファが微笑ほほえんでいるのならば、問題はない。


『ああ。そっちは俺の仕事だからな』


 アキラは意図的に不敵に笑った後、多数の機械系モンスターが待ち構えている通路に真剣な表情で飛び込んだ。意識を集中して、濃密な体感時間の歪みの中で、通路を塞ぐ機械系モンスター達に両手の銃を向けて、覚悟を決めて引き金を引いた。


 CWH対物突撃銃から発射された専用弾が、機械系モンスターの装甲を貫いて内部の機械部品をき散らす。そのまま基幹部を貫通して後続のモンスターの装甲を食い破る。DVTSミニガンから発射された大量の銃弾が、機械系モンスターの装甲をくぼませ、脚を食いちぎり、銃身をへし折っていく。着弾の衝撃で吹き飛ばされた敵が後続の敵の射線を塞ぎ、倒れた体が敵の移動を阻害し、へし折れた銃身で発砲した敵が爆発する。


 アルファは情報収集機器から得た情報を分析し、計算し、活用し、全ての敵の位置、全ての敵の射線を把握する。同じフロアで敵との距離も近いため、多少精度が低下している情報収集機器から得た情報でも、敵の僅かな動きでさえ察知することができた。


 アルファがアキラの強化服を操作して、視界を拡張して、照準を補正して、アキラに致命傷を与える可能性が最も高い敵から順に撃破していく。同時に敵の攻撃の効率を最悪にし続けるように計算して銃弾をばらまいていく。敵の火器の誘爆が他の敵を巻き込むように、破壊した敵の残骸が敵の動きを阻害するように、敵の射線にアキラとキャロルが入らないように、アルファは一瞬ごとに別物に変化する状況を常に把握し続け、最善の行動を演算し実行し続ける。


 一手間違えれば敵の集中攻撃を受けて殺される状況をアキラが駆け抜けていく。装備している強化服が着用者の影響を死なない程度まで無視した無理な挙動を強いている。骨と筋肉がその多大な負荷に耐えきれず悲鳴を上げ続けている。事前に服用している回復薬の効能がその悲鳴を黙殺して動ける程度に負荷を治した瞬間に、強化服が更なる負荷を強いてくる。


 アキラは敵味方両方の銃弾が飛び交う空間を、濃密な時間の圧縮を感じながら、すぐそばを銃弾が駆け抜けていくひずんだ音を聞きながら、銃弾が押しのけた空気の波を肌で感じながら動き続ける。可能な限りアルファの操作を阻害しないように、可能な限り動きを補えるように、自身の身体を強化服の動きに合わせて酷使して動かし続ける。


 アルファのサポートにより、アキラの拡張された視界にはアキラの次の移動位置、次の行動内容、次の撃破対象が表示されている。膨大な情報と膨大な演算能力から計算されたアルファの予知に近い指示に従って、アキラは必死に動き続ける。


 アキラの拡張された視界には、敵の射線も表示されている。アルファから確実に被弾する位置への移動を指示されることさえある。アキラはそれを理解した上で構わず躊躇ちゅうちょなくその位置に移動する。計算通り被弾したアキラは、体勢を崩さないように食いしばりながら、次の指示に従って移動と攻撃を続ける。


 敵の全ての銃弾を避けるのは不可能だ。ならば被弾しても比較的問題の少ない弾丸を食らうのは生き残るための必要経費と割り切って、アキラは気にせずに戦闘を続ける。


 その被弾は必要なものだった。そのアルファの指示は必要なものだった。アキラはアルファの指示を信じて戦闘を継続する。通路に散らばる破壊した機械系モンスターの残骸の上を駆け抜けていく。


 アキラはアルファのサポートにより、最大の効率で敵を撃破し続け、最悪の効率を敵に押しつけ続けた。


 キャロルはアキラの後方で可能な限りアキラを援護しながら後に続いていた。驚愕きょうがくのために動きが止まりそうな自身の思考と体を叱咤しったし続けながら戦闘を続けていた。


 キャロルはアキラがここまで強いとは思っていなかったのだ。


(……強い! 1人でセランタルビルの警備を突破する実力があるのは知っていたけど、ここまで強いなんて! すごい! 本当にすごいわ!)


 キャロルにはアルファの存在など分からない。そのため今のアキラの動きをアキラの実力だと判断していた。それは厳密にはキャロルの勘違いなのだが、キャロルの目にはアキラの姿がれするほどの実力者に映っていた。


 キャロルが自覚せずに笑う。それはキャロルが客に向ける妖艶な微笑ほほえみとは少し異なる珍しい笑顔だった。


 激戦をくぐり抜けたアキラ達が目的の扉の前まで到着する。経過した時間は5分ほどだ。しかしアキラ達にとっては数時間にも匹敵するほどの濃密な時間だ。アキラの残弾も回復薬の効果も残り僅かだ。


 アキラが扉を背にして通路の奥から迫ってくるモンスター達の相手をしている間に、キャロルが扉まで急いで走り、扉を開けてその先の確認を済ませる。


「大丈夫よ! 急いで!」


 アキラは急いで扉の向こう側に行き、急いで扉を閉めた。扉の反対側に敵が放った無数の銃弾が激突した。分厚い扉越しにその衝撃がアキラに伝わってきた。間一髪だった。


 危機的な状況から脱したアキラが僅かに気を緩める。ようやく周囲の状況を気にする余裕ができた。周りの光景を見たアキラが、意外な光景を見て小さく驚きの声を上げる。


「……外?」


 アキラはビルの外にいた。セランタルビルは段がある構造になっており、その段の上には離着陸場が整備されていたのだ。アキラがいる場所はその一つだ。


 アキラが少し慌てながらキャロルに尋ねる。


「裏口って、ここなのか?」


「そうよ。驚いた?」


「待ってくれ。ここからどうやって脱出するんだ? 俺は空は飛べないし、流石さすがにこの高さから飛び降りるのは御免だぞ」


 高さの差はあれどビルの屋上から駆け下りた経験を持つアキラだったが、流石さすがにこの高さから駆け下りるのは嫌だった。そしてビルの高さは別にしても、アキラは日に二度もビルから駆け下りる経験はしたくなかった。


 キャロルが少し慌てているアキラを見て、楽しそうに笑いながら答える。


「私も空は飛べないし、飛び降り自殺をする気はないわ。少し移動するから、その扉を塞いでおきましょう」


 キャロルは近くにあった何らかの機材を扉まで運び、そう簡単には扉が開かないようにしっかりと塞いだ。機材は相当の重量が有り、それが上手うまく扉に引っかかっているので、向こう側から強引に扉を開けることは難しい。銃撃などで扉が破壊されても、しばらくはこの機材が扉の代わりになるだろう。


 キャロルがアキラを案内する。


「こっちよ。付いてきて」


 アキラはキャロルの後に続いて離着陸場を歩く。ビルの上にある離着陸場にしてはかなり広い。


 実物を見たことはないが、飛行機などと呼ばれるものがここにあって、それで脱出するのではないか。アキラはそう考えて離着陸場を見渡す。しかしそれらしいものは見当たらない。


 少しずつ不安になってきたアキラが、その不安を示す表情で尋ねる。


「キャロル。そろそろ教えてくれ。どこに向かっていて、どうやってこのビルから脱出するんだ?」


「もうすぐよ。見た方が早いわ。アキラが実物を見る前に説明すると、信じてもらえるかどうか微妙なのよね」


「どういうことだ?」


「見れば分かるわ。あった。あれよ」


 キャロルが離着陸場の端を指差す。しかしアキラにはそこに何かあるようには見えなかった。離着陸場の路面しか見えなかった。


「……俺には何も見えないぞ?」


「曇っているから見えにくいか。よく見て。路面にうっすら影が見えるでしょう?」


 アキラがキャロルの指摘を受けて路面を凝視する。確かにそこには何かの影があった。しかしその影を作り出している何かの姿がない。アキラが首をかしげる。


 アキラが不思議がっている間に、キャロルが影のある場所に近付く。するとキャロルの近くの空中の景色が割れ始めた。


 アキラが唖然あぜんとしている間にも裂け目は大きくなり、裂け目の中が見え始めるとようやく開きかけている何かの扉の隙間であることが分かる。開きかけの扉の隙間から何かの内部が見える。扉の中は別の場所に続いているように見える。少なくとも、隙間から見えるものは離着陸場の光景ではなかった。


 驚いているアキラにアルファが微笑ほほえみながら説明する。


『ここまで近付かないと存在を認識できないなんて、相当な迷彩機能ね。アキラ。これは輸送機よ。恐らく旧世界製。見えないのは光学迷彩の所為ね。可視光以外の迷彩機能もしっかり備わっているわ。アキラの情報収集機器の探査でも、かなり近付かないと存在を探知できなかったわ』


 そこにあるのは旧世界の輸送機だった。アキラには空中に輸送機の内部が浮かんでいるようにしか見えない。そこに輸送機が存在していると認識した上で、近付いて目を凝らすと輪郭らしきものが辛うじて見える程度である。


 輸送機の扉が完全に開く。扉はそのまま貨物室に続く足場になった。


 キャロルが足場を通って輸送機の貨物室に入りアキラを呼ぶ。


「アキラも早く乗って。置き去りにされるわよ」


 我に返ったアキラは慌てて輸送機に乗り込んだ。輸送機の扉はアキラが入っても開いたままだったが、しばらくすると独りでに閉じられた。


 輸送機の貨物室は結構広い。しかし荷物は全く積まれていない。キャロルが少し気を緩めるのを見て、アキラも警戒を緩めた。


 休息の体勢に入っているキャロルにアキラが尋ねる。


「キャロル。いろいろ説明してくれ。まず、ここは安全なのか?」


「多分ね」


「多分?」


「セランタルビルの中にモンスターが入ってきた時点で予想外なの。だから絶対大丈夫なんて言えない。ただ、これで駄目ならもうお手上げ。ビルの外壁を頑張って降りるしかないわ」


「……そうか。分かった。それで、この後どうなるんだ?」


「輸送機は出発時刻になったら勝手にここを出発するわ。……ちょっと待ってね」


 キャロルは情報端末を取り出していろいろ確認する。


「後15分ぐらいよ。それまでは待つしかないわ。あ、扉に近付かないでね。開くかもしれないから」


「分かった。それで、裏口ってこの輸送機のことなんだよな?」


「そうよ。定期的にいろんな場所を巡回しているみたいね。この場所がその一つ。今まで通りなら、この後はミハゾノ街遺跡の工場区画にある離着陸場に向かうはずよ。そこで降りて……、そうね、ハンターオフィスの出張所まで送ってくれないかしら。そこまで護衛してくれるとうれしいんだけど」


「分かった。どちらにしろ俺もそこまで戻るからな。そこまで送るよ」


「助かるわ」


 キャロルが微笑ほほえむ。アキラはキャロルの微笑ほほえみに僅かに引っかかるものを覚えた。しかし不穏な感覚を覚えたわけでもなく、ビルの中でキャロルと話していた時の彼女の笑顔とは僅かに違う感じがしただけだったので、アキラは特に気にしなかった。


 アキラは待ち時間の間に銃の弾倉の交換を済ませておく。残弾はもう心もとない量まで減ってしまっていた。予備の弾薬が車の荷台に積んであるが、車はハンターオフィスの出張所の近くの駐車場だ。そこまで弾薬を補給することはできない。もう一度先ほどのような戦闘を行うのは無理だろう。


 アキラはこれ以上何事も起こらないことを願いながら、追加の回復薬を飲み込んだ。アキラにできることは、その何かに対する準備と、それが起こらないことを祈ることだけだ。


 その何かが起こるかどうかは、アキラにはどうしようもないのだ。


 10分ほど経過した時、外の状況に変化が起こった。アキラ達を追ってきた機械系モンスター達が、扉と扉を塞いでいた機材を破壊して離着陸場に出てきたのだ。機械系モンスター達はわらわらと離着陸場に広がっていく。


 アキラは輸送機の小窓から外の様子を見ていた。外の様子が気になることと、輸送機が飛び立った時の外の景色を見たかったからだ。


 離着陸場を徘徊はいかいする機械系モンスターの姿に気付いたアキラが嫌そうに表情をゆがめてつぶやく。


「……勘弁してくれ」


 アキラの様子に気が付いたキャロルも小窓から外の様子を確認する。離着陸場に広がっていく機械系モンスターの姿を見てキャロルも顔色を悪くする。


「……大丈夫。……外からは中は見えない。……そもそもこの輸送機自体が見えない。……それにそろそろ出発時刻。……大丈夫よ」


 キャロルのつぶやきが全て願望であることは、その表情からアキラにもよく分かった。キャロルは平静を保とうとしているが、苦笑いに混ざって浮かぶ冷や汗と僅かな震えが隠しきれない内心を表していた。


 機械系モンスターが輸送機の近くまで来たら格納庫の扉が開くかもしれない。敵にはこの輸送機が見えているかもしれない。そもそも輸送機の周辺に邪魔な機械がある場合、予定の時刻になっても輸送機が発進しないかもしれない。確定している事項は何もないのだ。


 アキラが意識と呼吸を整えるように息を深く吸い、深く吐いてからアルファに尋ねる。


『アルファ。もしモンスター達が輸送機の内まで入ってきたらどうする?』


 アルファは変わらぬ微笑ほほえみでアキラの問いに答える。


『その時は、アキラには覚悟を決めてもらって、人生二度目、本日二度目の経験をしてもらうわ』


 アルファの予想通りの返事を聞いて、アキラは非常に嫌そうな表情を浮かべる。


『……だよなぁ。まあ、まだ生き残る手段が残っているだけましか』


 場合によっては、アキラはもう一度、高層ビルの側面を駆け下りなければならない。飛び降り自殺との差異は、本人に死ぬ気がないことと、一応生き残る可能性があることだ。もう一度あんな真似まねをするのは御免だったが、こちらの都合など敵の知ったことではないのだ。


 キャロルがアキラを見る。非常に嫌そうで、非常に面倒そうで、少々緊張しているアキラの表情を見る。キャロルはアキラの表情から、恐怖と諦めと絶望を感じ取ることはできなかった。


「……アキラ?」


 キャロルが自身でも分からない曖昧な呼びかけをした。


 アキラが外へ続く扉に向けていた顔をキャロルの方に向けて、普通に受け答えを済ませる。


「何だ? ああ、もし敵が来たらこの場を離脱する。キャロルも一応準備はしておいてくれ」


「え、あ、うん。分かったわ」


 キャロルは少し呆然ぼうぜんとしながら答えた。アキラが視線を扉の方へ戻す。キャロルはしばらくアキラの方を見ていたが、何となく可笑おかしくなり軽く笑い始める。


 キャロルの様子に気付いたアキラが少し怪訝けげんそうにする。


「……何だよ」


「何でもないわ。アキラは死ぬ気なんか欠片かけらもないみたいね」


「当たり前だ。キャロルだってそうだろう?」


 余裕を取り戻したキャロルが不敵に笑って答える。


「当然よ」


 キャロルは微笑ほほえみながら銃の弾倉を詰め替えると、万一の場合に援護するためにアキラのそばに立つ。


(……この状況で動揺無し。戦意の喪失も欠片かけらも無し。実力は十分。本当にタイプだわ)


 アキラとキャロルは静かに立ち続ける。輸送機に近付く機械系モンスター達の音が少しずつ大きくなっていく。その音は次第に輸送機の周囲に広まっていく。


 周囲を囲んでいる大量の機械系モンスターの動作音が聞こえてくる。聞く者の精神を削り取る音が響き続ける。並みのハンターなら恐怖から叫びだしそうなその音を聞き続けても、アキラとキャロルは静かに警戒を続けていた。


 しばらくするとアキラ達がいる輸送機が動き始めた。出発時刻になったのだ。輸送機の動作音が機械系モンスター達の動作音をき消した。輸送機は垂直に離陸した後、ミハゾノ街遺跡の工場区画にある離着陸場に向けて飛行した。


 アキラが静かに小窓から外の様子を確認する。セランタルビルの離着陸場を徘徊はいかいする機械系モンスター達の姿が見えた。それはすぐに小さくなり、やがて見えなくなった。


 助かったことを理解したアキラとキャロルから緊張が抜けると、打ち合わせたように同時に盛大に安堵あんどの息を吐いて顔を見合わせた。一瞬の間の後に、キャロルがアキラに抱き付いた。


「やったわ! 助かった! 助かったのよ!」


 キャロルはかなり興奮気味に喜んでいた。二人の体格差もあって、キャロルは自身の胸にアキラの顔を埋もれさせるようにして抱き付いていた。


 アキラは銃を床に落としてキャロルを引きはがそうとする。


「分かった! 分かったから離してくれ!」


「良いじゃない! もっと一緒に喜びましょうよ!」


「良いから離せ! 強化服か身体強化拡張者か知らないけど、その力で抱き締められると痛いんだ!」


 アキラは本気で痛がっていた。キャロルはサラと同じ身体強化拡張者で、機械系モンスターの装甲に対して有効な威力を持つ銃の反動に耐える身体能力の持ち主だった。そのキャロルが着用している防護服は外圧に反応して硬化する種類のものだ。豊満な胸の形をしている固い物体に顔面を押しつけられているようなもので、実際にかなり痛かった。


「おっと。悪かったわ」


 キャロルもアキラが本気で痛がっていることに気付き、すぐにアキラを離した。


 苦痛から解放されたアキラが息を吐く。アキラはキャロルが落ち着きを取り戻したから自分を離したと思っていたが、その考えは外れていた。確かにキャロルは僅かに平静さを取り戻していたが、それでも通常の状態に比べればかなり高い興奮状態のままだった。


 キャロルが首元までしっかり閉じていたファスナーをへその辺りまで一気に下げる。それを見て少し驚いたアキラのすきいて、キャロルが再びアキラを抱き締めた。アキラの顔がキャロルの柔らかで豊満な胸の谷間に埋もれた。


 キャロルが上機嫌で笑いながら話す。


「これなら痛くないでしょう?」


 死地から脱出した興奮はしばらくキャロルの中から抜けきらないようだ。アキラは一応一緒に死地から脱出した相手からの抱擁を力尽くで引きはがす気にもなれず、口でいろいろ言っても無視されそうだったので、しばらく黙って好きにさせていた。


 アルファが揶揄からかうように笑って話す。


『うーん。やっぱり実体があるとアキラの態度も変わるのかしらね』


 アキラがいつもより素っ気なく答える。


『黙ってろ』


 アキラとアルファの会話など分からないキャロルは上機嫌でアキラを抱き締め続けていた。

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