第12話 殺しの理由

 アキラが遺跡の瓦礫がれきの影に潜みながら男達を銃撃する。色無しの霧の影響を考慮した上での絶妙な位置からの銃撃は、男達にアキラの位置を全くつかませなかった。エレナ達を襲った男達の悲鳴が響く。


「アルファ。あと何人だ?」


『3人死んだわ。残りは5人よ。ちなみにアキラが殺したのは1人だけ。後の2人は彼女達が殺したわ』


「あの状況で、自力で2人も何とかしたのか。すごいな」


『そうね』


 アルファの反応に、アキラは表情を少し硬くしていた。アルファは不機嫌な態度を隠しもせずに、その不機嫌さに応じた表情と口調で話していた。


「……えっと、彼女達を助けるのがそんなに嫌だったのか?」


 アキラは珍しく、相手の機嫌をこれ以上損ねないように、どこか下手に出ているような態度を取っていた。それに対し、アルファは微笑ほほえみながらもアキラを遠回しに非難するような、どこかねた表情と口調を返す。


『そんなことはないわよ? 私も人助けは良いことだと思うわ。ただ、私からの依頼を引き受けたアキラが、大して強い訳でもないのに、私の依頼を完遂するまで死ぬ訳にはいかないのに、会ったことも話したこともない赤の他人のために、自分の命を危険にさらしてまで、絶対にしないといけないことなのかなって、ちょっと疑問に思っただけよ。私はアキラに死なれたら困るの。ちゃんと、そう、伝えたはずよね?』


 アルファのサポートは無償ではない。アルファの依頼の報酬、その前払分だ。自分がその依頼とは無関係なことで死んでしまえば、アルファにとっては前金だけ持ち逃げされたのと変わらない。それが不機嫌な理由だろう。そう判断したアキラは少し負い目を感じてたじろぐと、軽く言い訳する。


「いや、それはほら、アルファのすごいサポートがあればそれぐらい余裕だって、サポートの質とかをすごく信用している証拠だとでも思ってもらえれば……」


『私のサポートをそこまで信頼してもらえるなんて、本当にうれしいわ。本当よ?』


 アキラはアルファの力強い微笑ほほえみに威圧感を覚えて僅かにたじろぐと、ごまかすように軽く笑った。




 男達に誘導されていたモンスターがまだ大分離れた場所にいた頃、アルファは既にその存在を探知していた。また、そのモンスターがアキラには手に負えないことも把握していた。そのため、万一の場合にはエレナ達に対処を押し付けようと、アキラにエレナ達と一定の距離を保たせていた。


 そしてその状況をアキラにも伝えていた。事前に知らせておくことで、戦闘発生時に速やかに移動させて、アキラを巻き込ませないようにするためだ。


 だがそこでアキラはアルファには予想外の行動を取った。早めに避難するどころか、エレナ達との距離を縮めてまで様子を探り始めたのだ。


 そしてエレナ達の状況が致命的に悪化した時、アキラはかなり不機嫌な様子で、どこか思い詰めた表情で、アルファには更に予想外なことを言い始めた。


「アルファ。アルファのサポートがあれば、俺があの連中を皆殺しにすることは可能か?」


『彼女達を助けるつもりなの?』


「無理か?」


 可能ならば実行する。アルファがその意図を読み取って少し怪訝けげんそうに答える。


『可能か不可能かという話なら、可能よ。でも危険なことに変わりはないわ。無理に関わる必要はないと思うわよ?』


「アルファのすごいサポートがあっても、俺は高確率で殺されるのか?」


『状況にもるけれど、アキラの生存を優先して行動すれば死ぬ危険性は十分低くなるわ。でも一番安全なのはそもそも関わらないことよ』


「つまり、何とかなるんだな?」


 否定に類する答えを返せばサポートの質を疑われる。それは差し障るので肯定するしかない。アルファはそう判断した上で、アキラがやけに固執する理由を推測できず、怪訝けげんそうに聞き返す。


『なるわ。でもそうする理由ぐらいは話してもらえる? その理由に適した具体的な行動指針を決める必要があるの』


 アキラが黙る。その理由を口に出すのを躊躇ためらっていた。


 アルファはアキラの表情などからその不機嫌、苛立いらだち、不快感、嫌悪、怒気を確認したものの、その理由までは推測できなかった。


 しかもその負の感情は、以前にアキラが遺跡で襲撃された時よりも強い。前回のようにアキラ自身が襲われている訳でもない。襲われている者も別に知人でもない。それにもかかわらず、より強い負の感情を抱いている。前の時は装備も実力も乏しく、生き残るのに必死でその手の感情を抱く余裕などなかった可能性もある。今は比較的安全であり、更に装備も実力も前回より向上している。その余裕の差が今の感情を誘発しているのかもしれない。アルファもそこまでは推測した。


 だが現在のアキラの精神状態を、そこまで強い負の感情を誘発する理由としては弱い。アルファはそう結論付けた。


 沈黙が流れる。アキラはそれを、答えない限り手伝わないという意味に捉えると、少し考えてそれらしい理由を口にする。


「……ああいうやつらが遺跡にいたら、また俺が襲われるかもしれないだろう。これから何度もここに来るんだ。ああいう連中は今のうちに殺しておいた方が良いじゃないか。……それに、ほら、俺に幸運はもう残ってないって言ってただろう? 彼女達を助ければちょっとは運が良くなるかもしれない。運っていうのは日頃の行いで良くなったりするものなんだろう? ちょうど良いじゃないか」


 アルファがその返答を聞いて思案する。


 アキラが述べた理由は建前だ。男達の皆殺しが前提として存在し、それを実行するための理由を述べているにすぎない。アキラは彼女達を助ける理由ではなく、彼らを殺す理由を探している。彼女達を助けるために彼らを殺すのではない。彼らを殺すために彼女達を助けようとしている。


 恐らくアキラの中には自分でもよく分かっていない何らかの基準が存在している。そしてその基準で判断した結果、彼らは殺すべき人間に分類されたのだ。アルファはそこまで推測したが、やはりその基準までは推測できなかった。


 またしばらくお互いに黙っていると、アキラが表情にやや失望に近い色を含ませた。


「アルファの物すごいサポートがあっても難しいって言うなら諦めるけど……」


 これ以上問答を続けると、今アキラが抱いている感情が、僅かとはいえ自分にも向けられる恐れがある。更に自分のサポートに対する信頼を大いに損ねる危険性もある。アルファはそう判断した。


 アルファにとって、彼らの命など全く重要ではない。アキラへの御機嫌取りのために、アルファは彼らに死んでもらうことにした。内心の冷徹な判断など微塵みじんも表に出さず、アキラの言葉に少し向きになって反論するように答える。


『何を言っているのよ。私のサポートがあれば余裕よ。簡単だわ』


「そうか。それなら頼むよ」


『良いわよ。さっさと済ませましょう。まずは移動するわ。こっちよ』


 アルファはアキラの頼みを引き受けた。これにより本来エレナ達ともブバハ達とも何の関係もないところでブバハ達の命運は尽きた。




 アキラはアルファのサポートを十全に受けてブバハ達を奇襲した。安全な狙撃位置からブバハの眉間に弾道予測の線を合わせ、何の躊躇ちゅうちょもなく引き金を引いた。その後は銃撃を続けてエレナ達の退避を手助けした。エレナ達がビルの中に逃げ込んだのを確認しても、安堵あんどのような感情は抱かなかった。表向きの理由を達成できたと思っただけだ。


『アキラ。移動よ』


「了解」


 指示通りに遺跡の路地を抜け、ビルを通り抜けて、瓦礫がれきに身を潜めて次の狙撃位置に移動する。そして自分を襲った訳でもない男に向けて銃を構える。頭部に照準を合わせると、冷淡な表情の中に僅かな不快感を乗せて引き金を引く。狙撃対象を見るアキラの目には、憎悪よりも嫌悪に近い感情が籠もっていた。


 撃ち出された弾丸が男の頭部に命中する。強靱きょうじんな生命力を持つモンスターを倒すために製造された弾丸は、モンスターより比較的もろい人間の頭部をむごたらしく破壊した。


『アキラ。移動よ』


「了解」


 アキラは他の男達に自身の位置を割り出される前に次の狙撃位置に移動し続ける。アルファの指示は絶妙で、男達にアキラの位置を欠片かけらつかませなかった。その移動途中に、ふと思った疑問を何となく口に出す。


「……それにしても、結構近い距離から狙っているのに、気付かれないものなんだな」


『見付かりにくい場所から狙撃しているからね。優位な地理的条件を的確に選択し続けることが出来れば難しいことではないわ。しかも今は色無しの霧の影響でアキラの発見が難しくなっているのよ』


「色無しの霧の所為せいなら、条件は俺達と同じだろう?」


『全然違うわ。クズスハラ街遺跡での私の索敵能力は、彼らの安物の情報収集機器とは雲泥の差があるの。向こうだけ目隠しして戦っているようなものよ。それぐらいの差がないとアキラの実力で彼らに勝つのは不可能よ。だからこの状況を自分の実力だと勘違いしないでね。彼らは別に弱い訳ではないの。あの程度の相手なら楽勝だ。そんな勘違いは絶対にめてね』


「分かってる」


 アルファが力強く微笑ほほえんでくぎを刺す。


『それなら良いわ。……本当に、めてね?』


「わ、分かってる」


 アキラは少し焦りながら答えた。本心で答えたのだが、調子に乗っているとでも思われたかもしれないと思い直して、気を引き締めて先を急いだ。


 アルファはそれを分かった上でくぎを刺していた。




 男は恐怖で震えていた。既に生き残りは彼だけになっていた。仲間達は全員死体となって遺跡に転がっている。このままだと自分もそれに加わることになる。その理解が、男の恐怖をあおっていた。


「……ち、畜生……、どうなってやがる。この色無しの霧の中で、何であんなに的確に狙えるんだ? そんな凄腕すごうでが何でこんな場所にいやがるんだ? おかしいだろうが……」


 クズスハラ街遺跡は既に寂れている遺跡のはずだった。外周部は粗方遺物を収集され、奥部はモンスターの強さから割に合わないと判断されて、今回のうわさでもないと熟練のハンターは寄りつかない遺跡のはずだった。少なくとも、外周部は自分達を容易たやすく殺せるような実力者が来るような場所ではないはずだった。


「ブバハの野郎、ここにいるのは落ち目のハンターぐらいだ、だと? 適当なことを言いやがって。あいつの所為せいだ。あいつの所為せいだ! クソッ!」


 ブバハの誘いに乗って他のハンターの襲撃に荷担したのは彼自身の意思だ。それを棚に上げて呪詛じゅそを吐いていた。


 色無しの霧は大分晴れ始めている。だが男にはそれが自分の状況を好転させるものには思えなかった。自分達を狙う誰かは、あの色無しの霧の影響下でもあれだけの腕前を見せたのだ。霧が晴れれば、より精密に的確に自分を狙うだろう。そうとしか考えられなかった。


 色無しの霧の影響が薄れたため、男の情報収集機器にはアキラの反応が示されていた。だがそれを頼りにしてアキラを殺しにいくことなど出来なかった。仲間を殺された怒りは、自分も殺されるという恐怖にき消されていた。既に男の心は折れていた。


 このままだと殺される。男もそれぐらいは分かっていた。男は悩みに悩み、生き残るために苦渋の決断を下した。表情をゆがめて武器を捨てると、身を潜めていた瓦礫がれきから出る。そして両手を挙げて大声で呼び掛ける。


「俺の負けだ! 降伏する! だから助けてくれ!」


 男は遮蔽物のない路上に出て、両手を挙げたまま周囲を見渡す。


「お、俺はあいつに、ブバハの野郎に無理矢理やり協力させられてたんだ! 断ったら殺すと脅されてたんだ! 本意じゃなかった! 仕方無かったんだ!」


 男は落ち着かない様子で周囲を見渡している。


「わ、悪かった! もう二度とこんな真似まねはしない! か、金なら少しはある! あいつらの分も含めて全部やるよ! 貯金だってちょっとはある! それもやる! お、俺を殺したらそれは手に入らないぞ!?」


 男が恐怖で引きつった表情を浮かべながら相手の反応を待つ。声も姿も銃弾も、反応は何も返ってこなかった。


「本当だ! うそじゃない! ……う、撃たないってことは、迷ってるんだろう? 何を疑ってるんだ? 俺が武器を隠し持っているって考えているのか? それとも強化服なら素手でも危険だって考えているのか? 分かった! 脱げば良いんだな! 脱ぐって! だから撃つなよ!」


 男が安価な強化服を脱ぐ。すると路地の影からアキラが出てきた。


 男がアキラを見て驚く。相手が子供だとは思っていなかったのだ。そして同時に安堵あんどする。姿を現したということは、交渉の余地はあるのだろう。そう考えたのだ。死の恐怖が薄れ、その表情が緩む。


(た、助かった。取りえず命は助かった。後はあのガキと何とか交渉して……)


 次の瞬間、男はアキラに撃たれた。弾丸は男の胴体の真ん中に命中していた。


 訳が分からず混乱している男の頭に、少し前に見た似たような光景が浮かんだ。ブバハに撃たれたサラの姿だ。自分もナノマシン系の身体能力強化拡張者だと勘違いされたのだろうか。消えかける意識の中で浮かんだその考えが、その意識と命ごと消えていく。


「お……、俺は……、違……う……」


 男は最後に見当違いなことをつぶやいて絶命した。


 アキラが男を見ながらアルファに確認する。


「これで全員だよな?」


『そうよ。これでおしまい。ところで、何で撃ったの?』


 アキラが不思議そうな表情を浮かべたので、アルファが質問の補足をする。


『殺す気ならもっと早く撃てばよかったでしょう? でもアキラがなかなか撃たなかったから、彼を助ける気でもあったのかと思ったのよ。それをめた理由を聞いているの』


「ああ。そういうことか。初めから殺す気だった。でも黙って待っていればもっと安全に殺せそうだったから待っていただけだ。あいつらは弱い訳じゃない。勘違いするな。そう言ったのはアルファだろう?」


『確かにそう言ったわ。なるほど。納得したわ。慎重なのは良いことよ。でも、相手に時間を与えると危険なこともあるから、その点は注意してね』


「分かった」


 アキラは素直にうなずいた。


 アキラ。エレナ達。ブバハ達。この場には運の悪い者が集まっていた。い上がろうとする者が集まっていた。自分を取り巻く苦境を覆すために、賭けに出て、無理をした者が集まっていた。


 そして賭けに負け、無理がたたり、最も選択を誤った者達が、全員の賭けと無理と選択の誤りの代償を支払った。遺跡に散らばる男達の死体は、東部で飽きることなく繰り返されている光景の一部であり、ありふれた結果の例だった。




 エレナ達がビルに立て籠もってしばらつと、散発的に響いていた銃声がんだ。もうしばらっても再開する様子はなかった。


 サラが警戒を僅かに緩める。


「終わった……のかしら?」


 エレナが情報収集機器の反応を確認する。


「周辺の反応はほぼ消えたわ。残っている反応は、私達以外は一つだけ。多分あいつらと戦っていた誰かの反応よ」


 情報収集機器は色無しの霧の影響から大分回復している。この状態ならば自分達を襲った者達とそれ以外の反応を見間違えることはない。しかし、残りの反応が味方である保証はない。


「エレナ。その誰かの反応は、こっちに来そう?」


「その様子はないみたいだけど……。結局何だったと思う?」


「楽観的に考えるなら、偶然近くにいた誰かが私達を助けてくれたってことになるわね。8対3、いや、私達を除けば8対1なのにもかかわらずに。よほどのお人し……だと良いんだけど」


 サラは希望的観測の方を口に出し、懸念の方は口に出さずに仕舞しまっておいた。


(お人しにも限度というものはあるわ。助けてくれたことには感謝するけど、見返りに何を求めてくるか分かったものじゃない。もし相手が男で、私達の体を要求してくるのなら、エレナは反対するでしょうけど、何とか私だけで我慢してもらえないかしらね)


 エレナは情報収集機器に表示されている誰かの反応を確認していた。そしてその反応が遠ざかっていくことに気が付いた。


(こっちに来る気はなしか。……助けた報酬を求めるつもりなら、すぐにこっちに来ても良いはず。助けた相手の様子を確認しようとする様子もないのは、余計なめ事を避けるためか、単純に興味を失ったのか、連中の所持品の入手を優先したのか……)


 考えている間にも反応は遠ざかっていく。エレナは少し迷ったが、その反応を追いかけることにした。


「ちょっと行ってくる。サラはここで待ってて」


「大丈夫なの?」


「色無しの霧は大分晴れたし、反応からは敵対する様子もないし、大丈夫よ。無理はしないわ。助けてもらった礼ぐらいは言っておかないとね」


 エレナは少し心配そうなサラを笑って安心させると、手早く準備を済ませて1人でビルから出ていった。既に情報収集機器による索敵は済ませている。敵もいないので走ってアキラを追った。


 エレナがアキラにある程度近付くと、情報収集機器に表示されている反応の移動速度が急に上がった。アキラが急いで離れようとしているのだ。


 エレナはアキラの位置を既につかんでいる。その位置は遮蔽物の向こう側だった。声は届くが姿は見えない。慌てて大きめの声で呼び止める。


「ちょっと待って! 助けてくれた人でしょう!? お礼も言いたいし、ちょっと話したいこともあるの! こっちに来てくれない?」


 するとアキラの方向から何かが飛んできた。それは丸められた紙で、空中に放物線を描いてエレナの足下に転がった。


 エレナがそれを拾って紙を広げると、中には弾丸が入っていた。紙には汚い文字で、こっちに来るな、と簡潔に書かれていた。


 紙に包まれた弾丸は、単に紙を投げやすくするために使っただけなのか。あるいは警告を兼ねているのか。エレナには判断が付かない。取りえず、理由は不明だが、自分達の命の恩人は、自分が近付くことを望んでいないようだ。そう判断してそれ以上近付くのをめる。代わりに呼び掛ける声を大きくする。


「仲間が撃たれて動けないの! 外周部の近くに車をめてあるから、そこまで仲間の運搬と護衛を頼みたいの! さっきのお礼とは別に報酬は払うわ! 助けてもらった身で虫が良い話だけど、もう少しだけ助けてもらえないかしら!」


 もっともエレナにその報酬の当てはない。特に金に関しては全くない。そもそも金を稼ぎにここに来ているのだ。サラのナノマシンの代金も必要だ。報酬として何を支払うかも含めて交渉が必要だろう。エレナはそう考えて、報酬に自分の体を含める程度のことは覚悟していた。


 すると再び何かが飛んできた。今度は何かの箱だった。拾って確認すると、箱には紙が挟まっていた。箱は表面の印刷内容から回復薬だと分かる。紙には汚い字で使用方法が書かれていた。


 この回復薬で仲間の負傷を治せ。そういう意味だろうとエレナは判断した。同時に相手には自分達の護衛を引き受けるつもりは無いことも理解した。


 エレナはサラのもとに戻ることにする。引き上げる前に、投げられた紙に少々追記して地面に置いた。


「分かったわ! 回復薬をありがとう! 私は戻るわ! 私のハンターコードを紙に書いておいたから、良かったら連絡してね!」


 エレナはアキラがいる方向へ軽く頭を下げた。そしてサラのもとへ戻っていった。




 アキラはエレナが十分離れるのを待ってからエレナが残した紙を拾いにいった。紙には何らかの文字列が追記されていた。それはエレナのハンターコードなのだが、アキラにはよく分からなかった。


「……ハンターコードって何だ?」


『アキラが情報端末を持ち歩くようになるまでは余り関係ないものよ。今は相手のハンターコードを知っているとハンター同士で連絡を取る時にいろいろ便利だってぐらいに考えて』


「そういうのがあるんだ。俺にもそんなのあったりするのか?」


『ないわ。確か情報端末を買った後にハンターオフィスで手続きをすれば手に入るはずよ。それよりもアキラ、本当にあれで良かったの?』


「ああ。良いんだ。別に態々わざわざ会う必要はないだろう。早く帰ろう」


『あいつらの装備を持って帰ったりはしないの?』


「放っとくよ。あいつらは別に俺を襲った訳じゃないからな」


『そう』


 アキラは以前自分を襲った2人組の所持品をしっかり持ち帰っていた。アルファには前回の者達と今回の者達の違いなど分からない。だがアキラなりの基準があるのだろうと判断した。


 報酬も無しに態々わざわざ危険を冒して助けた。貴重な回復薬まで渡した。だがその後のことなど知らないように、護衛は断り、助けた相手に会おうともしない。どのような行動原理を持てば、このような行動になるのか。今後もアキラの行動を管理誘導するために、アルファは推測を続けていく。本人に尋ねても無駄なのは、エレナ達を助けると決めた時の反応で理解した。そのため、今は何も聞かなかった。


 アキラ達はそのまま足早にクズスハラ街遺跡を出た。




 サラは戻ってきたエレナから話を聞くと、微妙な笑顔を浮かべた。


「関係ないのに助けてくれて、命の恩人で、回復薬までくれて、報酬も要求せずに、名も名乗らずに去っていく。良い部分だけ抜き出すと、れても不思議はないと言いたくなるところだけど……」


 そこまでならとても好感の持てる人物像だ。サラが苦笑を浮かべて続ける。


「……姿を見せない。声も聞かせない。近付かせない。書かれている文字も汚い。これは筆跡等を調べられないように意図的に汚く書いたのかしら。……急に不審者になったわね」


 途端に怪しくなった人物像に、エレナも苦笑を浮かべる。


もらった回復薬を使うのはめておく? しばらく待てば回復するんでしょう?」


 エレナも命の恩人を悪く捉えたくはないが、実際に使用するのはサラだ。無理強いする気はなかった。


 サラが軽く首を横に振る。


「いえ、使うわ。負傷したままだと不味まずいことに違いはないからね」


 実際に使うのは自分でエレナではない。サラは口には出さなかったがそう考えて使用を決めた。回復薬の箱からカプセル剤を取り出しててのひらに乗せる。そのまま服用するのが通常の使用方法だ。


 サラはてのひらのカプセル剤を凝視しながら、回復薬の使い方が書かれていた紙の内容を頭に浮かべていた。箱に附属している説明書ではなく、安っぽい紙に汚い字で書かれていたものだ。


 緊急を要する場合、又は効能の即時性を求める場合、服用せずに内容物を直接患部に投与すること。激痛注意。紙には汚い字でそう書かれていた。本来の使い方ではない。最悪、治療どころか傷が悪化する危険性も考えられる。サラはかなり迷ったが、紙に書かれている使用方法を採ることにした。


 複数のカプセル剤を開き、内容物を両脚の負傷部位に直接投与する。事前の警告通り、かなりの傷みがサラを襲った。何かが傷口を強引に修復している感覚が痛みと一緒に伝わってくる。苦悶くもんの表情を浮かべるサラをエレナが心配そうに見ている。


 次第に傷みが引いていく。1分ほどつと痛みはほぼ消えた。立ち上がろうとすると、僅かな傷みを覚えたものの、問題なく立ち上がることが出来た。それを見てエレナが少し驚いていた。


「サラ、立ち上がっても大丈夫なの?」


「大丈夫。よく効いたみたいね。問題なく戦える程度には治ったわ。エレナも少し使っておいたら?」


 サラが追加のカプセル剤を口に含む。緊急を要する場合、又は効能の即時性を求める場合ではなくなったので、正式な使用方法を選択した。


 サラの勧めに従ってエレナも回復薬を使用する。エレナにも大きな怪我けがこそないが負傷はある。疲労も大きい。体調を整える必要性はサラと同じだ。回復薬を服用してしばらくすると、頭部の痛みが急速に引いていくのを感じた。エレナは自身のハンター稼業の経験から、単純な鎮痛作用だけではなく頭部の怪我けがの治療が実際に急速に進んでいるのだと理解した。


 回復薬の効果により、エレナ達のアキラに対する評価は、命の恩人である不審者から、何らかの事情がある命の恩人にまで上昇した。お互いの顔を見て、必要なこととはいえ恩人を疑ったことに苦笑いを浮かべる。


 サラが気を切り替えるように笑う。


「取りえず、助けてくれた人がすごく良い人だってことは分かったわね。どこの製品の回復薬か知らないけど、ここまでよく効くってことは、これ、結構高いでしょう? ここまで世話になって、礼も言えないってのは考え物ね」


「私のハンターコードを書いておいたけど、そもそも読んでくれたかどうかも分からないし、向こうが私達と連絡を取る気があるかどうか……」


「そこは向こう次第でしょうけど、私達は連絡が取れたら恩返しが出来るように、これからも頑張りましょうか」


 エレナも気を切り替えるように笑う。


「それもそうね。今は気にしても仕方無いか。じゃあ早速、その恩返しの下準備としてこれから頑張るためにも、あの連中の装備でも剥がしますか。私達の恩人は連中の所持品に興味がないようだし、売り払ってサラのナノマシンの代金に充てましょう」


「全く、名前も知らない相手に今日は世話になりっぱなしね」


「全くだわ」


 エレナとサラはそう言って笑い合った。


 その後、エレナ達は男達の所持品を根こそぎ回収して無事に都市に帰還した。今回の遺跡探索は、不明確なうわさを基に遺跡探索に向かうという賭けだった。それは不注意により、命と、それ以上のものを失いかねない賭けになっていた。だが男達の所持品を売り払った代金は、落ち目だったエレナ達の流れを好転させるのに十分な額になった。


 エレナ達は賭けに勝ったのだ。

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