第8話 信じる
アキラは都市まで無事に戻ると、すぐにハンターオフィスの買取所に向かった。そして前回と同じように買取窓口の列に並ぶ。担当の職員は前と同じノジマという男だった。
ノジマはアキラのことを覚えていた。だがすぐには気付かずに、別の誰かとして対応しようとする。
「ハンター証があるなら出せ……ってお前か」
ノジマはアキラの変わりように少し驚いた。前に見た時は
ハンター登録を済ませただけの自称ハンターではない。まだまだ駆け出しではあるが、そこには確かにハンターが立っていた。
この様子なら
「今回の品は……、微妙だな。前回はただのラッキーか?」
曲がり
「微妙で悪かったな。これでも一応遺跡から持ち帰った旧世界の遺物なんだ。前回分の代金を
アキラが
「すぐに分かる」
ノジマは前回と同じように買取品をトレーごと後ろの棚に置くと、手元の端末を操作した。すると
「前回の買取品の査定済みの分と、今回の前払分、計20万オーラムだ」
アキラはその支払額を聞いて意識を一瞬飛ばしかけた。その後、ゆっくりと封筒を手に取る。そして中身の紙幣を摘まんで取り出し、視覚と感触で実在を実感すると、半ば
ノジマがアキラの反応に満足して楽しげに笑う。
「ここでこんな額を
我に返ったアキラが慌てながら封筒を懐に
アキラは買取所を出てからも動揺が抜けていなかった。一向に落ち着く気配が無い。その様子を見て、アルファが落ち着いた口調で声を掛ける。
『アキラ。落ち着きなさい。その程度の
身に染みついた金銭感覚からはとても考えられないその言葉に、アキラが思わず声を出してしまう。
「は、
アルファがアキラをじっと見詰めながら少し強い口調で断言する。
『いいえ、
「そ、そう言われても……」
『それと、今のアキラは虚空に話し掛ける不審者になっているわ。気を付けなさい』
アキラは慌てて口を閉じた。今の自分は大金を手に入れた
『取り
「そ、そうだな。分かった」
アキラは小声で答える程度の冷静さは取り戻したものの、まだ大分落ち着かない様子でいつもの寝床に向かおうとした。だがアルファに真面目な顔で止められる。
『駄目よ。そっちではないわ』
「えっ? 寝床はこっちだぞ?」
『違うわ。ちゃんと宿に泊まるの。お金ならあるでしょう?』
「そ、そうだけど……」
アキラは染みついた金銭感覚の
『
そう言われてしまうとアキラも断れない。行動とその結果で信頼を積み重ねる。そう互いに約束したのだ。金銭感覚による軽い
「……。分かった」
『ありがとう。それでは、宿に行きましょうか。私が選ぶけれど、良いかしら?』
「ああ、任せる」
『こっちよ』
アルファが笑ってアキラを先導する。宿代は幾らになるのだろうかと、アキラは消すに消せない不安を覚えながら後に付いていった。
ハンター向けの宿は当然ながら銃器等の持ち込みを許可している。対モンスター用の武装は強力なものばかりであり、それらを使用して騒ぎを起こせば宿にも宿泊客にも甚大な被害が出るので、客は行儀の良い行動を求められる。それを守る限りは来る者拒まずが基本だ。
アキラはこの宿では並の価格帯の部屋に泊まることになった。部屋はそれなりに広い。ハンター向けの宿として、装備の整備や持ち帰った遺物を置く場所用に、広めの空間を確保している
アキラもその価値は十分に理解している。それでも普段の寝床とは比較にならない豪華さに舞い上がる様子などはなく、
「1泊2万オーラムか……。信じられねぇ……」
その価値を理解できることと、その対価を
軽く
『いろいろ思うところはあるのでしょうけれど、まずはお風呂にでも入ってゆっくり休んだらどう?』
「……風呂? 風呂か! 入る!」
風呂という言葉を聞いた途端、アキラは急に態度を変えて喜びを
スラム街にも風呂付きの住居ぐらいはある。だがその設備を利用できる者は限られている。その建物を占拠している者達や、彼らに金を払える者などでなければ、基本的に入浴の機会など無い。アキラのような路地裏を住み
もう
浴槽に湯を
全身をしっかり洗い終えて、浴槽に湯が
『湯加減はどう?』
アキラが大分緩んでいる意識で声の方に顔を向ける。そこではアルファが一緒に湯船に
無論、実体の無いアルファが湯に
アキラがぼんやりしながら答える。
「……最高だ。……何で裸なんだ?」
アルファが僅かに上気した顔で
『服を着てお風呂には入らないでしょう?』
「……確かに」
アキラは納得したように僅かに
アルファは表向きは変わらずに
『アキラ。今の私の姿を見て、何か言うことはない?』
アキラは不思議そうに少し首を
「……? ……確か、……コンピュータグラフィックスとかいうやつで、……作りもの……何だっけ?」
『あっているわ。確かにそれであっているけれど、そういう話ではないわ。今の私の姿に対する思いとか、造形に対する感想とか、率直に思ったこととか、何かこう、あるでしょう?』
アキラが再度首を
「……胸が、……大きい?」
アルファが苦笑いを浮かべる。
『確かにそういう話を、私の体に対する評価とか、好みとか、興味とか、そういうことを聞きたかったのだけれど……、今はどうでも良さそうね』
年頃の少年が視覚だけとはいえ全裸の美女と一緒に入浴しているにも
アキラの意識が湯船に溶けきって深い眠りに誘われる前に、アルファが苦笑しながら注意する。
『そのまま寝ると溺れ死ぬわよ?』
「……こんなところで、……死んで
『お風呂から上がって、ちゃんと体を拭いて、服を着て、ベッドで寝なさい』
「……分かった」
アキラがふらつきながら立ち上がり、ゆっくりと浴槽から出る。そのまま風呂場を出て、体を拭き、備え付けの部屋着を着て、ベッドに倒れこんだ。するとすぐに耐えきれない睡魔に襲われる。
『おやすみなさい』
「おや……すみ……」
いつものように優しく
翌日、アキラは
目を覚ました後も、いつもとは何かが違う感覚に困惑しながらも、その心地良さに流されて少しぼんやりしていた。するとアルファに笑顔で声を掛けられる。
『おはよう。アキラ。よく眠れたようね』
「……おはよう。アルファ。……? 待て! ここどこだ!?」
声を掛けられて意識がもう少し目覚めた途端、アキラは見知らぬ場所にいる驚きに飛び起きた。そして慌てて周囲を見渡した。路地裏ならば致命的な挙動の遅れだ。既に死んでいても不思議は無く、その分だけ慌てようも
アルファがアキラを落ち着かせようと優しい口調で答える。
『ここは昨日泊まった宿の部屋よ。忘れたの?』
アキラはそれで
「……そうだった。宿に泊まったんだった」
アルファが冷蔵庫を指差す。
『取り
中身の食料品は宿代に含まれている。残しても返金など無い。並ばずとも手に入る食事に、アキラは少し上機嫌で朝食の準備を始めた。
冷凍食品を調理器具で温める。飲用水は冷えている。それだけで配給の食事とは別物だ。それを個室という自分だけの空間で、他者に奪われる危険など無い環境で食べる。その昨日までとはまるで違う食事を堪能すると自然に顔も緩んでくる。
(2万オーラムも払った
そのアキラの内心を読んだかのように、アルファが得意げに笑いかけてくる。
『ちゃんと宿に泊まって良かったでしょう?』
「……。ああ。良かった」
アキラの中の
『食事の間に今後の予定を話すわね。基本的に週1で遺跡探索、残りは全て訓練と勉強に割り当てるわ。もっと遺物収集の機会を増やして稼ぎたいとか思ったとしても、そこは文句を言わないでね』
「分かった」
『あら、随分素直ね』
先ほどの
「その辺のことはアルファを信じるって決めたからな」
信じる。アキラは深く考えずにその言葉を口にした。だがそれはアルファには重要な意味を持つ言葉だった。
『そう。食べ終わったら、早速始めるわ。ゆっくり食べなさい』
アキラが軽く
食事後、アルファがアキラの前で真剣な表情を浮かべた。
『アキラ。今からとても大事なことを話すから、真剣に聞いてね』
アキラも真剣な表情で
アルファもしっかりと
アキラが少し
「アルファ?」
アルファはその呼び掛けに反応を示さず、浮かべている表情に見合った事務的な口調で話し始める。
『アキラに対するより高度なサポートの実施を円滑に行う
アキラはアルファの様子と話の内容の両方に戸惑っていた。
「つまり……どういうこと?」
『口頭説明による規則内容、及び個別概要の把握に要する推定時間は約120年になります。詳細内容認識までに要する時間は現状算出不可能です。優先提示項目の優先順位決定方法は条例認識算出手法A887による偏向回避法により規定されています。該当項目の口頭説明による規則内容、及び個別概要の把握に要する推定時間は……』
「……えっと、意味がよく分からないんだけど、はい、って言っておけば良いのか?」
『概要に反しない詳細項目に対し、全て同意したものと
アキラは説明の内容を全く理解できなかった。それでも何とか理解しようと、軽く混乱しながら途中で口を挟んで質問を繰り返す。だがアルファは事務的な態度を変えずに、より長く難解な説明を返してくる。その結果、アキラは説明の理解を諦めてしまった。
内容は分からないが、アルファは自分に何らかの許可を求めている。アルファの指示に逆らうと、死ぬ危険性が飛躍的に増す。アルファを信じて信頼を積み重ねると決めている。それらの判断、経験、決意から、アキラは悩んだ末に結論を出すと、真面目な表情を浮かべた。
「最初の質問に対する答えは、はい、だ」
『再確認します。アキラに対するより高度なサポートの実施を円滑に行う
「はい」
アキラがそう言い切ると、アルファの態度から事務的な雰囲気が消える。そして
『ありがとう。大丈夫。悪いようにはしないから安心して』
アキラはアルファの様子が戻ったことに
「初めからそう言えば良かったんじゃないか?」
『いろいろ面倒なことがあって、そう話す
意味深に
「な、何で急にそんなことを聞くんだ?」
『昨日アキラに私の裸の感想を尋ねたら、胸が大きいって答えたからよ』
「……そんなこと、言ったっけ?」
『言ったわ。聞かれたことを答えただけ。そんな感じだったけれどね。でもあれだけ
アルファは楽しげに少し挑発的に
「……いや、無理なんだろ?」
『今はね。ただアキラが望むなら、私の指定する遺跡の攻略後なら可能よ。どう? 興味が湧いた? 触ってみたい?』
「遺跡を攻略すると何で触れるようになるんだ?」
『その辺の説明はややこしいのよ。それでどう? 触ってみたい?』
アルファの少ししつこい態度に、アキラも
「……さっきから一体何が言いたいんだ?」
アルファが楽しげに
『分かり
「つまり、色仕掛けか」
『そういうことよ。どうもアキラに視覚に訴えるのは効果が薄いようだから、触覚に訴えてみようかと思って。私の裸を間近で見たのにちょっと照れるだけって、相当な鈍さよ?』
湧いた疑問に対する少し馬鹿馬鹿しい答えに、アキラは盛大に
「そういうのは、俺がもっと大きくなってからやってくれ。大きくなったら、たっぷり見るしたっぷり触るよ。それで良いか?」
『そうね。アキラとは長い付き合いになる予定だから、その時はたっぷり楽しんでちょうだいね』
アルファは自信満々な態度で答えた。それで場に区切りが付き、アキラもそれ以上深くは気にしなかったので、先ほどの事務的な
チェックアウトは午前10時までに行う必要がある。何だかんだと時間が過ぎた
「これで今日も風呂に
その言葉は、アキラが20万オーラムの内、既に4万オーラムも消費してしまった葛藤をごまかす
アルファはその様子を見て軽く笑っていたが、気を取り直したように表情を引き締めた。
『それでは、訓練を始めましょう。準備は良い?』
アキラもすぐに気を切り替えると、真面目な態度で
「大丈夫だ」
アルファも満足そうに
『まず、アキラには念話を覚えてもらうわ』
「念話?」
『取り
アキラはどんな訓練でも文句を言わずにしっかり受けるつもりだった。だが予想外の内容に
「そう言われてもな。具体的に、どうすれば良いんだ?」
『具体的な方法を口頭で説明するのは難しいのよ。個人差も大きいしね。耳で聞き、口で話すのではなく、脳で聞き、脳で話す。その感覚を自分で
アキラは戸惑いながらも言われた通りに訓練を開始した。
そして1時間ほど経過した頃、契機が生まれた。右を向けと必死に呼び掛け続けていたアキラの前で、アルファが右を向いたのだ。アキラが驚き、アルファが笑う。
『そうそう。そういう感じよ。続けましょう』
『あ、ああ』
アキラは無意識に念話で返事をしたことにも気付かずに、そのまま訓練を続けた。一度成功した後は再現も比較的容易になっていた。念話を繰り返してその精度を上げていく。
『なかなか良くなってきているわね。アキラも私の声を念話としてしっかり聞き取れるようになっているわ。これでどんな
『ああ、なるほど。それは確かに便利だな』
『そうでしょう? これも戦闘訓練の一環なのよ』
『でもこれ、宿に泊まらずに外でやっても良かったんじゃないか?』
『虚空に必死に呼び掛けている不審者そのものの姿を、
『……確かに』
笑ってそう答えたアルファに、アキラは苦笑いを返した。
『口頭レベルの言語的な通信は十分ね。次は意図や意思、イメージのようなあやふやなものであっても正しく送信できるようになってもらうわ。百聞は一見に
アキラは言われた通りにアルファの服装を思い浮かべると、それを念話で送信した。するとアルファの服が変化する。だがその服は様々な布切れを適当に縫い合わせたような
慌てるアキラの前で、アルファがその裸体を
『失敗ね。服のイメージがちゃんと伝わってきていないわ。それとも、私の裸を見たかったの?』
「ち、違う! 早く何か着てくれ!」
『駄目。これも訓練よ。私に服を着てほしいのなら、ちゃんとしたイメージを送れるように頑張りなさい』
アキラが慌ててイメージの再送を試みる。アルファの裸体が再びあやふやな服らしきものに覆われる。だが慌てた分だけ精度が落ちており、すぐに全裸に戻った。
アキラの試行錯誤は続く。アルファは得体の知れない何かを身に
その後もアキラは失敗を続けた。
『今日はこんなところね。初日にしては良い成績だと思うわ』
「何か、部屋から一歩も出ていないのに、
『それなら、お風呂に入ってゆっくり休みなさい』
「そうする……」
精神的に疲れているとはいえ、昨日のような疲労はない。アキラはゆっくり風呂に入って十分に休息を取った。そして風呂から出るとそのままベッドに入り、睡魔に身を任せてそのまま眠りに就いた。アルファは昨日と同じように、だが昨日は無かった許可を手に入れて、アキラを
今日、アルファは許可を求め、アキラはその内容も分からずに、アルファを信じてその許可を出した。
アルファは
自分は何を許可したのか。疲れて眠ってしまったアキラに、その疑問が浮かぶことはなかった。
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