漫才のネタ逢瀬をしよう

伊藤テル

01 はじまり

・【はじまり】


『二〇一九年 二月十一日(月曜日) 建国記念の日』

 三連休の最後の日、きっとお隣さんに住んでいる波留も家の中にいるだろう。

 中学三年生は受験生だから……というわけではないだろう、何故なら俺も波留も推薦入学が決まり、もう勉強をしなくてもいい生活になっているから。

 でも周りは受験生だ、外に遊びに行くのはやはり気が引けるし、もしそこで病原体をもらってしまい、学校で他の受験生に移してしまったら、と、仮定すると、身震いしてしまう。

 だからきっと波留も家の中でゴロゴロ何もせず、暇を持て余しているのだろう。

 俺は近くの進学校への入学が決まり、家から通うが、波留はスポーツ推薦で、来年から寮生活だ。

 幼馴染だった俺たちもついに離れ離れだ、感慨深いものだ、感慨深く感じるようになってしまった。

 今さら気付いてしまったんだ、どうしようもなくて、何だか泣けてくる。

 多少のオシッコは漏れても致し方ないし、寝汗かオシッコか分からないモノを股から出した日がたとえあったとしても、それは本当にしょうがないことだ。

 あくまで”たとえ”だ。あくまで”たとえ”なのだ、まあ実際にあったんだけども。

 この今年最大級の寒波の余波があった季節に果たして寝汗なんてかくのか、と、思ったが、現に股のあたりから寝汗をかいていたので、まあかいたのだろうな。

 これは寝汗だと仮定するし、これは寝汗だと断定しているから、あまりにも寒くて股から寝汗をかいたのだろう。

 本当に寒い、心も寒い。

 気付いてしまったんだ、おねしょしたことに。

 あまりにも嫌なことがあって、嫌なことがあったことに気付いてしまって、炭酸飲料をがぶ飲みし、そのせいで、おねしょをしてしまったんだ。

 知ってる、これは寝汗じゃない、進学校へ推薦入学が決まった俺が気付かないわけがない。

 これは寝汗じゃない、マジのオシッコだ。

 皆、同級生は深夜遅くまで勉強している中、俺は悠々自適に眠っておねしょをしたんだ。

 気付いてしまったんだ、俺は馬鹿だって。

 精神的には誰よりも馬鹿だって、馬鹿だな、本当に馬鹿だな。

 あぁ、何で気付いてしまったんだろう、俺は何で今さら波留のことが好きだって気付いてしまったんだろう。

 ――俺は何で今さら波留のことが好きだって気付いてしまったんだろう。


 これは今日の朝の話だ。

 波留は朝の、誰もいない時間帯にランニングをし、病原体を移されないようにしている。立派だ。

 そして俺は朝の、誰もいない時間帯に濡れたシーツを乾かそうと、ちょうど日差しが出ていたこともあり、外に出した。

 シーツの濡れた箇所を団扇で仰ぎ、必死に乾かそうとしている俺は何か視線を感じ、オシッコの良い香りに野良犬でも集まってきたかな、と、思い、視線の方角を見ると、そこには波留がいた。

 ランニング帰りと見られ、こんな寒波の余波がある朝なのに、ショートカットの髪先から汗が伝って零れ落ち、息が上がり、やたら吐息が麗しい波留がこう言った。

「何してんの?」

 一瞬硬直してしまった俺、なんて言おうか、まだシーツは濡れている、心の枕は既に濡れていた。

「こんな朝にどうしたの?」

 誰もいない時間帯×誰もいない時間帯は、誰かいる時間帯だったのだ。

 俺は地頭の良さをフルに生かし、即興でこの言葉が見つかった。

「花瓶、ベッドにこぼしちゃって」

 何が地頭の良さだ、ベッドに花瓶持ち込むヤツいないだろ、どんな趣向の持ち主だよ。

 机に花瓶置かれて死んだ生徒なら分かるが、ベッドに花瓶置かれたヤツはどういうヤツなんだよ。

 花の香りがアロマオイル的な扱いか、ベッドの中心に置くほうのアロマオイルか、そんなもん無いわ。

 もういっそのこと死んだ生徒にしといてほしい。

 果たしてどんなリアクションされてしまうのか、ビクビク首を沈ませ、波留のほうを見ると、

「何してんの馬鹿、ホント、佑助って面白いねっ」

 良かった、何だかいい感じのボケみたいに思われたみたいだ、俺と波留の関係が良好でホッとした……良好で、良好で、もっと良好になりたいと思って、胸の奥がグッとした。

 波留は笑いながら、

「最近さ、みんな遊んでくれないから暇じゃん、久しぶりに笑ったかも、ありがとう」

 俺も俺の股もグッジョブだ、おねしょしてくれてグッジョブだ、おねしょしてくれてグッジョブなんて言う日が来るなんて、俺は思ってもみなかった。

「じゃあねっ」

 そう言うと、波留は自分の家に戻っていった。

 俺はそれを笑顔で見送った。

 波留が家の中に入った後も、長めに笑顔で見送っていた。

 シーツのほうを見ると、大体乾いていたので、急いで片づけて、自分の部屋に戻った。

 そこでボンヤリ考えて……きっとお隣さんに住んでいる波留もずっと家の中にいるんだろうって、考えて……やっぱり想ってしまうんだ、波留のことが好きだと。


 状況を整理しよう。

 波留はスポーツ推薦で来年から寮生活、会う機会は徐々に減っていくだろう。

 仮に告白したって、それが成功したって、会う機会は少なくなるのだから、楽しい高校生活が送れるわけではない。

 毎日毎日イチャイチャした登下校を送り、帰宅したらどっちかの家でまたイチャイチャ、そしてどっちかの両親がいなくなった日を狙って、お泊りをして……なんてことは、まあ無理だ。

 打算的に考えれば、波留に告白はしないほうがいい。

 でも何なのか、何なのか一切分からないが、波留のことを考えるだけで胸が苦しくなり、また体が熱くなり、こんな寒波の余波がある日にも関わらず、滝のような汗をかきそうになるのだ。

 何だよ、寒波の余波がある日って、今日何回心の中で言うんだよ。

 いっそ最大級の寒波の日であれ、ストレートに寒波の日と言わせろ、余波って言わせるな、あと余波って言葉、これ以外にいつ使うんだよ。

 まあそのことはどうでもいいとして、余波の話はどうでもいいとして、波留だ、いやハッキリ波留と言っちゃうと、いくら心の中だとしても赤面してしまうな。

 というか何だよもう、俺を好きにさせるな、波留!

 波留のせいで急にこんな調子だ、波留の余波でもう他のことは何も考えられない、あっ、余波という言葉の使いどころ全然あったな、いやそんな余波の話はマジでどうでもいいんだ。

 打算的に考えれば告白しないほうがいいのは明白だが、感情的に考えたい自分が間違いなくそこにいて、というかそもそも打算的に考えようとしていることはおこがましいくらいに考えてしまう。

 打算的に考えて推薦入学がとれるよう頑張ってきたのにもかかわらず、これだけは打算的に考えてはいけないと誰かから言われているような、いやこの感覚、もう一つあったな、打算的に考えず自分から行動していたことが。


 俺は仲の良い同級生の、柏木と、漫才コンビを組んで、町内会のイベントに参加したり、文化祭で漫才をしていた。

 それがなかなか好評で、結構イベントに呼ばれて、そのボランティア・ポイントも内申に利いたのでは、と俺は思っている。

 結果打算的な方向にもうまくいっていた。

 でもそれ以上に俺は漫才が大好きだった。

 中学生に上がった時点で、クラス分けで一度も一緒にならなかったせいもあり、それほど接点が無かった波留とも、なんとなく会話できていたのは、この漫才をしていたからだ。

 波留はいつも面白い、面白い、と言ってくれて、それが俺の自慢だった。

 でももう波留とは物理的に距離が離れてしまう、結果的にそれで心も離れてしまうだろう。

 いやまあ元々心が近い存在だったと自慢げに言えるほどでも無かったんだけども。

 ただ間違いなく離れるし、いずれ忘れられてしまうだろうし、それが、体と心が鉛に変化していくような気持ちになっていく。

「嫌だ」

 ポツリと呟いた自分の声に少し驚き、ちょっとオシッコ漏れそうだったけども、グッと股を堪えて、でも堪えず、俺は自分がしたいことを優先させた。

 スマホを取り出し、LIMEで波留に連絡した。

《ちょっと家に行っていい?》

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