アイリス・サーガ
ねるね
第1話 王妃の習わし
少女、アイリス・シュノーペンは明日に二十歳の誕生日を迎えようとしていた。
ここ、ファンナス共和国において少女は王妃として手塩にかけて育てられた。
中世的で端正な顔立ちは父親譲り。そして背中まで伸びたブロンドの髪と青く透き通った瞳は母親譲り。
アイリスに物心がついたときには既に両親は流行り病により他界していたが、それからは執事のロンバードが親代わりとなって面倒を見てくれた。
ロンバードは還暦過ぎの男性であるが、アイリスの願いは何でも聞いてくれた。
決して城の外には出してくれなかったが、十分に火が注ぐ
食べ物や書物、花の一輪ですらアイリスが望めば持ってきてくれた。ただ、首を縦に振ってくれたなかったのは両親に会いたいと言ったときくらいだった。
王家は代々二十歳の誕生日になると群衆の前へ顔見せを行う。それは当人が王家の象徴である自覚を持ち、軍勢も王家への敬いの気持ちを忘れないためだそうだ。
亡くなったアイリスの両親も同様に顔見せを行ったと聞いた。つまり代々続く伝統について彼女に拒否権など存在しないのだ。
「殿下、お召し物はいかがですか」
顔見せ前日、アイリスは広々とした自室で全身鏡の前に立っていた。
明日の式で切る純白のドレスに身を包み、頭には宝石であしらったティアラを乗せてみる。どうやらこの衣装もかつて母親が来ていたものらしい。
「変な感じね。こんなひらひらな服、動きにくいったら……」
「殿下は明日で二十歳になられます。殿下のそのお姿を」
「今まで人前になんて出たことないのに」
「国のため、それが習わしなのです」
「……」
ロンバードは文句を垂れているアイリスを軽くあしらうように言うと、彼女の姿をじっと見つめ――やがて、感慨深げに一息吐いた。
「アイリス様も明日で二十歳になられます。この時をどれほど待ち望んだか」
「待ち望んでどうするの。私に何の価値があるのよ」
「それはもう、幾億もの民を救う力があります」
「冗談言わないで、宗教じゃないんだから」
アイリスがそう引きつった笑みを浮かべたとき、ロンバードは壁に掛かった時計を見やる。もう夜も遅いことを察してか、彼は入口へと歩いて行った。
「それでは私はこれで失礼します。殿下にとって、明日という日が忘れられない一日になりますように」
「大げさよ」
部屋を出ていく前にロンバードは律儀に頭を下げる。彼はいつもそうだ、遥か年下のアイリスに対しても常に立場を弁えている。
ロンバードが部屋を出ていく直後、彼が召していたスーツのポケットからひらりとハンカチが落ちるのをアイリスは目にした。
しかしロンバードはそれに気づかず部屋を出て行ってしまう。アイリスはドレスの裾をたくし上げ、小走りで扉へと走っていった。
白色のハンカチを拾い、扉のドアノブに手を掛けて――このとき、扉を微かに開けた瞬間にロンバードの低い声が聞こえた。
「アイリス・シュノーペン。伝導率は極めて良好です。明日の儀に問題はありません。ええ、遂に明日。明日ですよ」
「……」
普段の温厚なロンバードの声とはまるで別人のような、感情を消し去った冷徹な声にアイリスの背筋が凍った。
伝導率?一体何のことを言っているのだろうか。
それに、明日――明日の顔見せがそんなに待ち遠しいものなのか。
――この瞬間、瞬間的に不安を覚えたアイリスは、拾い上げたハンカチを手にしたまま扉を開けて彼に返すことが出来なかった。
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