答えは猫箱の中に

間野 ハルヒコ

物騒シリーズ


 シュレディンガーの猫という思考実験がある。


 1935年にオーストリアの物理学者エルヴィン・シュレーディンガーが発表した実験で、箱の中に閉じ込めた猫が死んだか、死んでいないかを考えるという物騒なものだ。


 そして、猫と言えば魔女だろう。

 古来より魔女は猫を使い魔とすると言われている。


 わたしの友人にも魔女と呼ぶべき人がいて、彼女もまた猫と共にあった。


 彼女は童話に登場する魔女たちと同じように、歳を召して、白髪交じりで、好奇心が旺盛だった。わたしが小説を書いていることを知ると、遊びに行く度に野尻抱介先生のSF小説を貸してくれた。


 読み終えて返すと次の一冊を手渡されるので、常にわたしの本棚には魔女から借り受けた小説が眠っている。


 植物にも詳しく。道ばたに生える雑草をみつけては、これはシソの仲間だとか。これは触れるとかぶれるとか。そんなことを教えてくれた。


 魔女は葛飾区亀有に住んでいた。よく見慣れた両津勘吉像を通り過ぎ、デカ盛りが売りのラーメン屋を横切り、しばらく歩くと魔女の住む借家がある。


 築年数の古そうなドアの前には、砂埃をかぶった洗濯機があり。植木鉢で見知らぬ植物が育てられていた。


 インターホンを押し、お邪魔しますと言うと。魔女は決まって「邪魔されちゃ困るねぇ」と笑った。いつものやり取りだ。


 リンゴの皮から採取した酵母を市販のジュースで育てて造ったシードル酒と業務スーパーで買ったスモークチキンを肴にして、バックギャモンをするのがわたしと魔女のひそかな楽しみだった。


 バックギャモンは古代からあるすごろくで、数学と確率のゲームだ。勝率の高い戦術こそあれ、必ずしも望んだ展開になるとは限らない。出目次第で上級者が初心者に負けることもある。ジャイアントキリングだ。


 確率的には間違っていても一縷の望みに賭けて無謀な戦術を選ぶわたしを見て、魔女は「浪漫だねぇ」と言いながら、堅実な手を返してきたものだ。


 それで勝ったり負けたりする。それだけで十分だった。



 そんな魔女と連絡が取れなくなった。



 魔女はSNSへの造詣が深く、Twitterの更新頻度も高かったので、数日間何の音沙汰も無いだけでわたしは少し不安になった。特にこれといった用もないのに連絡をつけるのも何かよくない気がして、わたしは事態を静観することにした。


 一ヶ月が経過し、遠方に住む共通の友人であるプリーストへのお土産を持ち寄る日になっても連絡がつかない。


 わたしはシュレディンガーの猫を思い出した。


 魔女は死んでいるのだろうか、それとも生きているのだろうか。


 嫌な想像がよぎる、魔女の家へ行くべきだろうか。


 しかし、わたしは魔女の何だろう。


 友人だ。

 友人だが、魔女が死んでいた場合。友人であることを証明する方法がない。


 友人だと伝えると訝しまられる程度には、わたしと魔女は歳が離れすぎていた。


 臆病なわたしは猫箱の中身を見ることを拒んで、魔女の親戚筋にあたる画家に連絡をつけた。


 画家はほぼ見ず知らずの、魔女の友人を名乗るわたしを信じて、魔女の生存を確認してくれた。魔女は生きていた。少し体調が悪かったらしい。


 魔女の体調不良は一年前から続いていた。大きな買い物をしたいから荷物持ちをして欲しいと依頼されることもあった。わたしは半分冗談で、そしてもう半分は真剣に、共に暮らすことを提案したことがあったが、魔女は「私はあんたの母親じゃあないよ」と笑った。


 親と確執のあるわたしは、母親というものが苦手だった。

 貸した金を返さない。理由をつけて踏み倒す。貸さなければ勝手に部屋に入り込んで金を盗んでいく。その上、悪びれもなくまた金を貸してくれと言う母親を嫌わずにいるのは難しい。


 大学卒業後、ゲームシナリオの依頼でまとまったお金を得たわたしは今思えば中々無謀な計画を立てて、着の身着のままで上京した。


 その経緯を知っていたから、魔女は世話を焼いてくれたのかもしれない。


 その上で「私はあんたの母親じゃあないよ」と言ったのだろう。

 

 わたしは人生初の飛行機に乗って友人のプリーストに会い、二人で魔女に渡すお土産を選んだ。


 魔女は手ぬぐいが好きで、よく集めていたのだ。そのコレクションの全貌を見たことはなかったが、購入頻度から考えるに魔女の箪笥の中には相当な量の手ぬぐいが保管されているはずだ。この手ぬぐいも、そのコレクションの一部になるのだろう。

 

 お土産を持ち帰り、早速魔女に連絡をつける。今回はお土産を渡す目的があるので気兼ねなくダイレクトメールを送ることができた。


 しかし、音沙汰がない。Twitterも更新されていなかった。


 一ヶ月が経過した。


友人のプリーストからも一報入れてもらったが、連絡がつかない。


 二ヶ月が経過した。


 魔女から借り受け、本棚に仕舞った野尻抱介先生のSF小説「沈黙のフライバイ」は未読のままだ。読み終えたら、また魔女に連絡をつける口実になるだろうかと考えた。とても魅力的な小説なのに、なぜかまだ読み終えてはいけないような気がした。


 三ヶ月が経過した。


 依然、魔女と連絡がつかない。

 わたしはシュレディンガーの思考実験。あの猫箱のことを思い出した。

 

 魔女は死んでいるのだろうか、それとも生きているのだろうか。


 わたしは箱の中身を確認したくなった。




 その日は雨が降っていた。


 傘を差して電車に乗り、亀有駅に降りる。

 曇天だからだろうか、両津勘吉像の表情がいつもより固い。


 いつか行こうと思っていたドカ盛りが売りのラーメン屋は潰れていた。


 道端に生えるあの植物は、何の仲間だっただろう。思い出せない。

 以前、魔女の博識ぶりに感嘆するばかりではつまらないと多田多恵子先生の「美しき小さな雑草の花図鑑」を買ったが、一度読んだきりであまり活用できていない。


 冷たい雨を避けて軒下に集まった猫たちが、小さく鳴いた。

 そういえば、魔女は猫が好きだった。


 だんだん大きくなる魔女の住む借家が、わたしには巨大な猫箱に見える。

 ……そうだ。このまま箱の中身を確認せずに、家に帰るというのはどうだろう。


 シュレディンガーの思考実験では観測者が箱を確認するまでは「猫が死んでいる状態」と「猫が生きている状態」が重なり合い、同時に存在していた筈だ。


 だとすれば、この猫箱を開けずに家に帰れば、魔女は生き続けてくれるのではないだろうか。


 只人では永遠に生きることなどできはしないが、魔女ならば或いは。

 生きていることにできるのではないだろうか。


 そもそも、魔女の家に着いたとして。インターホンを鳴らしたとして。魔女が出てこなかった場合はどうなるだろう。


 魔女の実在を確認できなければ、魔女が死んだかどうかはわからないままだ。


 仮に、仮に魔女が死んでいた場合。返事をすることはないだろうから、わたしは魔女の遺体を確認できず。やはり、魔女が死んでいるかどうかはわからないままになるのではないか。


 彼女はきちんと鍵をかける、用心深い魔女だ。

 わたしが今回の行動で猫箱の中身を知ることは、できないのではないだろうか。


 まさか、ドアを破壊して中に押し入るわけにもいかない。

 これは魔女に永遠の命を与える、いい口実になるのではないだろうか。


 弱さに思考を乱されながら、散々迷った挙げ句、遂にわたしは魔女の家の前に到着した。

 その瞬間、わたしは魔女の不在を知ることになる。


 一言でいえば、わたしの想像力不足だったのだろう。

 不在を確認するだけならドアをこじ開け、遺体を発見する必要はないのだ。


 玄関先にあった洗濯機と植木鉢は撤去されていた。

 ドアは清掃され小綺麗になっている。


 魔女の住んでいた借家からは、一切の生活感が失われていた。



 わたしは踵を返して、亀有駅に戻り。少し酒を飲んで寝た。

 残念ながら、コンビニにシードル酒は無かった。




 それからしばらくして、わたしは共通の友人であるプリーストに魔女の不在を伝えた。葬儀でお祈りするのが本業なプリーストが祈ってくれるなら、魔女の魂も浮かばれるだろう。


 もっとも、魔女が死んだかどうかは定かではないが。


 わたしが確認したのは魔女の不在であって、魔女の遺体ではない。

 魔女の年齢を考えると、介護施設に移り住んだと考えることもできなくはなかった。


 ただ、その際にわたしやプリーストに何の連絡もしないというのは奇妙だったし。魔女の親戚筋にあたる画家からの連絡もないことを考えると、ほとんどの確率で魔女はこの世にいないのだろう。


 確率的には間違っていても、一縷の望みに賭けることはできる。そうやって自分をごまかす余地はまだ残されていた。猫箱はまだ開いていない。「浪漫だねぇ」と、あの魔女の声が聞こえるような気がした。


 この重なり合った確率をひとつにすることはさほど難しいことではない。


 画家に連絡をつけ、事の詳細を聞けばそれで済むのだ。



 しかし、それはできなかった。


 臆病なわたしは、死を直視することを恐れ。

 猫箱の中身を確認することを拒んだのだ。


 お土産の手ぬぐいは引き出しの中に。

 本棚に仕舞った野尻抱介先生の「沈黙のフライバイ」を返す手段は失われた。


 野尻先生には申し訳ないが、わたしは未だに「沈黙のフライバイ」を読み切れずにいる。読み終えることで、何かが終わり、そして始まってしまうような気がするのだ。


 人の死に向き合い続けたプリーストのように祈りを捧げることもできないまま。

 わたしはまだあの魔女の死を、認めることができずにいる。

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