第33話

 目覚めれば、そこは見慣れた天井が広がっていた。

 酷く懐かしい感情が沸き起こり、不思議と涙が出そうになる。

 かつて飛び出した、我が家の天井だ。

 なぜか重い体をゆっくりと起こし、周囲を見渡す。

 すると、思った通り。


「おう、目を覚ましたな」

 

 あの冒険者がそこにいた。

 相も変わらず、人の家だというのに勝手知ったる顔で椅子に座り、果物をかじっている。

 傍らには彼のトレードマークともいえる黒い剣が立てかけられていた。

 どうやら俺が目覚めるのを待っていた様子だが、窓から差し込む眩しい程の夕焼けで、彼の表情は伺い知れなかった。


「俺は……なぜここに?」


「覚えてないのか? 剣の稽古の途中に、アーシェの一撃を頭に貰って倒れたんだ」

 

「そう言われてみれば、確かに……。」


 そうだ、俺はアーシェと共に剣術の稽古を受けていたのだ。

 最初はお互いに互角で、泥臭い剣戟の応酬を繰り返していた。

 しかし最近ではアーシェの才能が開花したのか、目覚ましい実力を発揮し始めた。

 今日こそはと俺も躍起になって反撃した所を、冷静に切り返された。

 そこまでは覚えている。だがそれ以降は覚えていない。

 まるで記憶に靄が掛かっているようだ。


「はは、まぁ仕方ない。 あの小娘は天才だ。 お前さんとは格が違う」


「まあ、実力に差があるのは認めるよ。 だからこうして、稽古をしてるんだろ」


「いや、そういう事じゃない。 分かってないな、お前は」


 記憶の中にある冒険者の豪快な笑い声を聞くことはなかった。

 代わりに冒険者は小さく鼻で笑い、言った。


「お前は弱すぎるんだよ。 冒険者には向いてない。 いや、お前に冒険者は無理だ」


 頭部を殴られたような衝撃が襲った。

 思わずベッドから出ようとして、体が自由に動かないことに気付く。


「ま、待ってくれよ。 冒険者になるための稽古をつけてくれたのは、アンタだろ? なにを今さら」


「お前には才能が無いんだよ。 俺が最初から目を付けてたのは、アーシェだけだ」


 吐き捨てるように、冒険者は言った。

 彼の性格は良く知っている。良く知っているからこそ、今の言葉が冗談ではないことは、嫌でも理解できた。

 憧れていた人からの通告に、返す言葉さえ失っていた。だがその沈黙の最中で、冒険者は小さく肩を揺らして、続ける。


「笑ってたぜ、アーシェがな。 お前みたいな男と一緒に冒険者をやるなんざ、自殺と同じだってな」


「そんなこと、アーシェが言うはずがない!」


「本当か? なら聞いてみると良いさ」


 ゆっくりと冒険者が指をさす。

 覚悟を決めて振り返れば、そこには剣聖としてのアーシェが佇んでいた。 

 周りには勇者達が並んで、動けずにいる俺を見つめていた。

 そこに浮かんでいるのは、侮蔑の眼差し。

 そしてそれは、アーシェにも浮かんでいた。


「隠していて、ごめんなさい。 でも一緒にはいられないわ。 私達は住む世界が違うの。 それに剣聖の私に貴方は相応しくない」

 

 もっとも安心できる声で、彼女は俺を拒絶した。

 荒れ狂う感情を抑えて、飛び出そうになる声を押し殺す。

 そしてアーシェの顔を見つめ返した。


「ずっと恥ずかしかったわ。 同じ夢を見て、一緒に稽古をしてきたのに、貴方がそんなジョブを授かるなんて。 その時の私の気持ちが分かる? 貴方なんかと幼少を過ごして、無駄な時間を過ごしてしまった私の気持ちが」


 ため息をついて、アーシェを続ける。


「裏切られた気持ちだったわ。 いいえ、思えばあれは明確な裏切りね。 私は剣聖になったのに、貴方は……。」


 見れば、俺の姿はアーシェと旅をした時の物になっていた。

 互いに実力差はあれど、共に旅をした数年の時間は、俺の中でも掛け替えのない宝物となっている。

 だがそれがもし、俺の独りよがりな感情だったとしたら。

 その悪夢を体現したかのように、アーシェは視線を逸らした。


「隣に並ばれるだけで、不快だったわ。 貴方なんかと一緒に旅をして、行く先々で笑われて。 なのに貴方は私の事も考えず、ずっと一緒にいられるとでも言いたげな態度だったわね」


 剣聖。それは大陸に二人といないとされる、剣士の中でも最高位に位置するジョブだ。

 剣に愛された者だけが授けられるジョブで、剣術に関していえば勇者をも凌駕する、前衛職の最高峰。

 それに比べて転移魔導士は全てのジョブの中でも最弱と呼ばれ、蔑まれていた。

 戦闘の負担に関してもどちらが大きいかなど、言うまでもないだろう。

 そんな俺と並ぶことが、アーシェにとって負担だったとしたら。

 いや、忌むべきことだったとしたならば。


「そんな相手より、勇者を選ぶのは当然だと思わない?」


 その判断を、俺は責められない。

 考えなかった訳ではない。俺では、釣り合わないことを。

 それは誰よりも俺が自覚していたことだ。

 自分のジョブの評価は、誰よりも自分が理解している。


「そうか。 そうだな」


「やっとわかってくれたのね。 ありがとう、ファルクス」


 それは張り付いたような笑みを浮かべた。

 そして踵を返して、勇者と共に姿を消そうとする。

 気付けば体が自由に動くようになっていた。

 ゆっくりとベッドから降りて、それの背中に問いかける。


「魔素が精神を破壊する時には、こういう手法を使うのか。 勉強になった」


 アーシェに似た何かは、足を止めた。

 本来ならば、俺が追いかけて泣きすがるとでも思ったのだろうか。

 表情の浮かばない顔で、俺の方を振り向いた。

 

「残念だが、いつまでもアーシェに依存している訳じゃない。 確かに俺達は別々の道を歩んだ。 だが、歩む道は違えども、目指す場所は同じはず。 悪意しか再現できないお前にはわからないだろうがな」


 このイメージは、俺が一度は考えた事のある悪夢だった。

 あの冒険者に見限られる。アーシェに拒絶される。そして勇者を選び、俺は捨てられる。

 剣聖と転移魔導士。その格差を考えれば、誰だろうと考えるだろう。転移魔導士なんて、捨てられて当然だと。

 事実として、俺達は別の道を歩むことになった。

 傍から見れば、俺が捨てられたように見えるだろう。


 だが、そうじゃない。

 あの決別は捨てる捨てられるといった次元の物ではない。

 お互いに掲げた夢を叶えるための決別だ。


「俺達の夢は、たかだか進む道が違うだけで、実力が開いているからと言って壊れたりはしない。 アーシェが剣聖として世界を守るのであれば、俺は俺のやり方で人々を守る。 だがまずは……。」


 逆光の向こう側。小さな窓の、向こう側。

 そこに純白の髪を持つ、小さな鬼の少女がいた。

 必死に俺へと呼びかけるその少女を見て、不思議と先ほどまでの不安は消えていた。 


 名前は、思い出せない。だが、戻らなければ。

 彼女の元へと、戻らなければ。


「自分の手の届く、仲間から守るとするか」





「ファルクス! しっかりせよ! ファルクス!」


 必死に名前を呼ぶ声に、悪夢の中から引き戻される。

 重いまぶたをこじ開けて、目の前にある顔を見つめ返した。

 ビャクヤの温かな灰色の瞳と目が合い、そして小さく笑い返した。


「ビャクヤ……俺は……。」


 思うように声が出ない。

 だが次の瞬間、暖かな感覚に包まれる。

 言葉を言い終わるより先に、ビャクヤに抱きすくめられていた。

 見ればビャクヤの頬を涙が伝っていた。

 鬼という種族に関して、俺が知ることは少ない。

 だが少なくとも、涙は流すようだった。


「お主は、本当に馬鹿だな」


「お互い様だろ」


 ビャクヤの流した暖かな涙が、俺の頬を濡らす。

 結局、体に力が戻るまで、ビャクヤは俺を抱きすくめたままだった。

 だがそれが嫌という訳ではない。

 むしろ安心している自分に、少しばかり苦笑いを浮かべるのだった。

 

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