第4話 朝晩欠かさず、見守ります。



『ふぁ〜あ、もう朝か……』


 幸彦はあくびをつく。昨日の夜から一睡も寝ていないのだ。いや、保奈美が寝かせてくれなかった。


『ふふ、時間が経つのは早いわね。幸彦君。貴方と話すのが楽しくて時間を忘れちゃってたわ。ごめんね?』


 紙コップから保奈美のくすぐったい声が聞こえて来る。彼女は疲れなど一切見せず、昨日の夜から全く変わらないハイテンションだった。


『少しは加減ってものを考えてくれよ。鈴木、どれだけ話せば気が済むんだ? 俺はもう疲れた。続きはまた今度な』


『――あっ! ちょっとぉ……もぉぉ』


 幸彦は有無を言わさず、紙コップをテーブルの上に置き、朝ご飯の準備を始めるのだった。


(まぁ、楽しいのは楽しかったが……さすがに徹夜で話すのは、無理がある)


 冷蔵庫から卵とベーコンを取り出しながら、幸彦は昨日の濃密な出来事を思い出す。


 昨日は、随分慌ただしい1日であった。授業中は保奈美に纏わり付かれ、放課後は耳ぜめ、副委員としての初めての仕事は酔っ払いの世話。それで終わるかと思ったら全然そんなことはなく……


 家に帰ってからは、鳴り止まない電話のコール音とラインの通知。それらの電源を止めたら、どこからともなくベランダに送り込まれる糸の付いた紙コップ。


 糸電話であった。非常に原始的である。それを幸彦は恐る恐る耳に当てる。


『もしもし』


『お話しましょう?』


 保奈美の声だった。

 

 彼女はしぶとく幸彦とのコミ二ケーションを求めるのだった。


『はぁ〜〜……分かった。分かった。少しだけ話につきやってやる』


 保奈美の執念に根負けした彼は、彼女のワガママに付き合ってあげることにした。


『やった! 何から話しましょうか……私、幸彦君といっぱい話したいことがあるの!』


『そいつは光栄だね。女子と糸電話で話すなんて何年ぶりか……』


 それが朝まで続くと予想もしなかった。


「全く……」


 ――ワン、ワンワンワン!!


 そうして考えに耽っていると同居犬の鳴き声が聞こえる。


 カリカリベーコンの目玉焼きと、熱々の味噌汁の匂いに目を覚ましたらしい。


「あぁ、レタス少し静かに……またお隣さんにどやされるから。俺が」


 幸彦はケージを開けてそいつを部屋の中に出してあげる。ふさふさの尻尾が生えたウェルシュコーギーペンブロークのレタスは、鼻をスピスピ動かしながら、前足を上に上げて幸彦に挨拶をするのだった。


『ご主人、おはよ〜、昨日はいつ寝たの?』


 それに幸彦も片腕を上げて返事をする。


「ああ、おはようレタス。俺は昨日寝てない」


『おぅ、それは……ドンマイ』


「そいつはどうも……おっ。どれどれ」


 ――ピー、ピー、ピー、ピー、


 話している内に炊飯器が甲高い音を立てる。それを開けると立ち込める湯気と、炊き立て特有の匂いが部屋の中に広がるのだった。


「さて、レタス。朝食にするぞ〜」


『へーい』


 そうして天田家の1日は始まるのだった。



 ――カチャ、カチャ、カチャ、ズズー……


 味噌汁を飲んだ後、幸彦は辺りを見回す。どうにも居心地が悪く、不快感があったからだ。


「なぁ、レタス……気のせいか? なんか妙に視線感じるんだが……」


『気のせいじゃないね。誰かにねっとり見られてる……』


 朝食を食べ始めてからだろうか。なぜか、誰かに見られている気がした。


(もしかして奴か? 奴が近くにいるのか?)


 幸彦はテーブルの上に置いた紙コップを再び耳に当てる。


『もしもし』


『はーい。おはようからおやすみまで貴方を見守る私だけど、どうしたの? 随分美味しそうな朝食じゃない』


 糸電話というのは聞こえる距離が300メートルまでである。距離が300メートルである。


『お前、昨日からずっとそこにいるのか⁉︎』


『糸電話ってそういうものじゃない』


 その時、幸彦の家の中に電車の騒がしい音が聞こえる。するとノータイムでそれが、輪唱するのだった。寸分の狂いもなく……


『お前、今どこにいるんだ』


『さあ、どこでしょうか?』


 幸彦は玄関の方に向かい、扉を開ける。


 すると糸電話を耳に当てている保奈美の姿が目に入った。


「きちゃった。朝ごはん頂ける? 昨日から何も食べてないの」


 少しげっそりとした、保奈美がそこにはいた。


「お前、昨日からそこにいるんなら泊まっていけよ……モラルとか気にしないだろ。ほら、早く上がれよ……飯が冷める」


「お邪魔しまーす」


 そうして保奈美は、いそいそと靴を脱ぐと急いで幸彦の家に入る。


 そうして、天田家は、夜から押しかける気狂いと朝食を共にするのだった。




「朝ごはん、美味しかったわ。ごちそうさまでした。幸彦君はいつも自分で作ってるの?」


「あぁ、いつも作ってるな。レトルトや冷凍食品は体に合わなくてな……自分で作ってるんだよ!」


 幸彦はペダルをぐっと踏み込む。それはかなりのスピードだったが、自転車をいくら全力で漕ごうと、彼女は姿勢正しい双方でぴったり付いてくるのだった。どんな脚力をしているのだろうか……


「私の家ではシェフが料理を作ってくれてね。美味しいのだけれど、最近胸焼け気味だったの。それにくらべて今日の料理は新鮮だったわぁ。素朴で暖かくて会話があって」


「そう言われると嬉しいよ! じゃあ俺、急ぐから!」


「あら、じゃあ私もスピードちょっと上げるわ。まだまだ余裕だから」


 結局彼女は駐輪場に着くまでぴったりと並走するのだった。





「それじゃ! これでホームルーム終わり。委員長挨拶!」


「はい、起立! 気おつけ! 礼!」


 そうして、今日の学校は終わるのであった。




「はぁ、ようやく終わったか……」


「えぇ、幸彦君帰りましょう」


「げっ……一緒に帰るの? 道反対じゃあ……」


「最近胸の辺りが太ってきてね……少し痩せたくて。いい運動になるから別にいいでしょう?」


 そう言って彼女が幸彦に笑いかけるとクラスメイトの男子から悪意が一心に幸彦に降りかかるのだった。


「会話っていうのは、適度が一番だと、俺は思うんだが……」


「えぇ、私も同感よ。だから適度に話してるじゃない」


「切れ目が欲しいんだよ、俺は。とにかく下校途中ぐらい、一人にしてくれ。このままじゃ身が持たん」


 彼女はクラスメイトの幸彦に対する視線を全く意に介さず話しかける。


 授業中も、授業の合間の5分休憩もお昼休憩もトイレ以外の用事を除いて幸彦から全く離れなかった。


 その度にクラスメイトの悪意がビシバシと突き刺さるのだ。


 如何に鈍感な幸彦と言えど、こればかりは少々酷であった。


 しかし、保奈美は単独行動を取るのを許してくれない。


「幸彦君は腕が折れても平気?」


「ナチュラルに脅してるんじゃねぇ⁉︎ お前、二言目には脅しっておかしいだろ! ていうかやめろ! 俺に今触れるな!!」


「まぁ、まぁ、幸彦君と私の中じゃない。そんな……ってあら? あらあらあら?」


 保奈美は、幸彦の腕に万力の力を込めようとするが、彼女の手は幸彦の腕をすり抜けるのだった。


「……」


 2のCの教室に無言の沈黙が流れる。


「あ〜……それじゃ! 詳しくは白百合さんに聞いてくれ!」


 ――ブツ、ザザザザザザ……


 幸彦の姿が写し出された記憶映像の姿が書き消える。そう、幸彦はこの場にいなかったのである。消えたとしたらあのタイミングしか無かった。


「――梓……幸彦君をどこにやったの……?」


 彼女はボキボキと拳を鳴らしながら、真っ白な少女に殴りかかるが、彼女は悠々と避けるのだった。


「少し落ち着つきなさい保奈美。天田様は普通にまっすぐ帰っただけよ」


 すると、保奈美は踵を返して、幸彦を追いかけようとするが、保奈美の足には鶴が絡み、ピクリとも動かないのであった。


「邪魔するの? 私の恋路を邪魔するなら親友でも容赦なく、はっ倒すわよ?」


 保奈美は妖気を込めて、背中にメキメキと隆起させる。


「天田様と確実に結ばれる方法知りたい?」


「⁉︎」


 それに彼女は妖気を沈め、大人しく従う。


「嘘だったら蹴り倒すわよ……」


「少しは猫を被ったらどう? 幸彦様に嫌われるわよ」


「はっ! 減らず口を。幸彦君が私を嫌うわけないじゃない」


 そうして、保奈美はクラスメイトのイメージをぶち壊しながら、梓に付いていくのだった。



「さあ、貴方の確実に結ばれる方法とやらを聞きましょうか。本当にそんな方法が存在するのなら」


 ファミレスに立ち寄った彼女らは、秘密の会話を始める。保奈美はメニューを凝視している梓を睨むのだった。


「まぁ、まずは、メニューを頼んでからにしましょう。長い話になると思うから」


 彼女はため息をつきながら、梓から渡されたメニューを受け取りパラパラと開く。


 そうして注文を決めてから梓は呼び鈴を鳴らして店員を呼ぶのだった。


「ご注文は決まりましたか?」


 梓はメニューを指差しながら、注文する。


「私はホットコーヒーと、ショートケーキ。保奈美は?」


「私はオレンジジュースと、モンブランでお願い」


 そうしてメニューを注文し終わると、保奈美はごく自然に彼の鞄から体操服を取り出し鼻に埋めるのだった。


「何やってるの⁉︎ 貴方⁉︎」


「何やってるって、匂い嗅いでいるのよ。幸彦君の」


「そんなことじゃ絶対付き合えないわよ……貴方……」


「――はぁああん⁉︎」


 保奈美は梓の不憫な視線に不満げな顔をした。いや、正しく表現するとメンチを切っていた。


「本格的に気づいてないの? ちょっと耳を貸しなさい」


 梓は幸彦から聞いた印象をそっくりそのまま彼女に伝える。


 保奈美は唇を震わせながら、もう一度梓に確認をする。


「冗談よね? それって……」


「冗談じゃないわ。保奈美。貴方、ストーカーって思われてるわよ」


 恋する大和撫子は、意中の男子に迷惑がられていることを、初めて認識するのだった。

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