第1話 なんでぼくが店番なん?

 「ちょっとあんた、店番しといてくれはらへん?」

 「へっ」

 玄関を開けたとたんにおかんの早口が飛んできて、思わず変な声が出た。

 「へっ?ちゃうわ。お母さん、ちょっと出なあかんし」

 母親の詩歩子が割烹着を外しながら、奥へばたばた駆け込んでいく。

 「え~……オレ、友達と約束してんねんけど」

 博崇は、スニーカーを脱いで揃えながら、二段になっている上がりがまちへ上がった。きれいに揃えてあるスリッパを、ちら、と横目に見ながら、廊下の奥へ進む。鰻の寝床と言われがちな京都の町家だが、博崇が子どもの頃に大幅に手を入れて、家全体に光を採り入れているので、日中はいつも明るい。

 「おとん……は、配達か」

 博崇は、幅の広い廊下に積み重ねられている木箱を目算で数えながら、独り言を言った。

 「今日は売り子の人、いはらへんのかな……。そんなん、急に言われたかて。兄貴はどないしたんや、兄貴は」

 博崇は急に言いつけられたことで少々腹を立てながら、厨房に繋がる引き戸を引いた。

 「兄貴!」

 反りの合わない兄、健一のことを考えると、勢い声も荒くなる。引き戸を引く手にも勢いがつく。ガラリ、タン!と引き戸が柱に当たる音が響いた。

 「静かにしよし」

 厨房の中から、抑えた低い声で眼光鋭い老人が、博崇を一瞥した。手のなかでは、練り切りに細工を加えている最中だった。ヘラを持ち、淡い紫の生地に溝をすっすっとつけていく。

 ―――花菖蒲か。

 博崇は意識するともなく、作られていく練り切りを見た。迷いなく静かに動く手が、筋目の深さをわずかに変えるだけで、淡い紫と白で出来たかたまりが、菖蒲の形になっていく。

 ―――うちでは、あの上に黄色い蕊を入れるだけやのうて、寒天を小さく切ったんを置くから……

 「ただいま、くらい言え、言うてますやろ。ほんで、なんや。騒々しい」

 眼光鋭いジジイめ、と博崇は、見入っていた菖蒲から目を引きはがした。

 「ただいま帰りました!……兄貴は?!おかんに店番、頼まれたんやけど、オレ、友達と約束してんねんけど。兄貴に店番してもうたらええやんか。我が家の誇りのお兄様にさあ!」

 騒々しい、と言われても、兄の健一のこととなると自然と声が尖るのを抑えられなかった。

 祖父の雅勝は、四十も並べた花菖蒲の練り切りに一つずつ寒天を載せていく手元に目を落としたまま、マスク越しに答えた。

 「健一はおりませんな」

 「はっ?」

 「おらんものはおらん。いはりません。ほれ、お客さんや、さっさと出ぇや」

 表で硝子戸を引いた音がしている。

 「は……クソジジイ……」

 体よくあしらわれた恨みを口の中で呟きながら、雅勝が無言で指さす先の上っ張りに慌てて袖を通した。

 「オレ、言うたらあかん。ぼく、や」

 雅勝が止めを刺してきた。


 




 

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