夜の色

@end_roll

夜の色


 綺麗に伸ばされ整えられた爪が、皮膚にぐいとくい込んだ。そのままゆっくり下に引く。肉を引き裂く感覚、皮が剥けて、朱色の肉が顔を出して、赤黒い血が伝った。外からの月か街灯かは知らない、薄黄色の明かりでは色なんてわからなかったけど。

 白い爪が血で汚されていく。痛いはずなのに彼は声一つ上げずに、上に跨った私の頭をそっと撫でた。今日も私たちは生きている。




夜の色




「ごめんね」

「なにが」

「傷、」

 彼は私の事なんか気にせず大股で歩く。私はたまに小走りになりながらもその後ろをついて行く。この人はきっと、いま私が居なくなっても気付かない。気づいても気にしない。

 背が高くて手足が長くて線が細くて、そんなスタイルの良さは夜の住宅街によく映える。きれいだなと思った。いつも私はこの人の背を追っている。この気持ちが憧れなのか羨望なのか嫉妬なのかわからなくて、どろどろぐちゃぐちゃして、どうしようもなかったから唇を噛んだ。綺麗な気持ちが欲しい。こんな灰色なんかじゃなくて。

「ああ、そんなこともあったね」

 本当に気にしていないように無防備に置かれたその言葉は、空気に混ざって儚く消えたりなんかはしない。色水みたいに私に染みて、滲んで、痕になった。ぐるぐると思考がまわる。

 必死に彼の後ろをついて行く。泣きたくなってきた。泣いたら負けなので堪えた。堪えきれなかった涙がこぼれた。私の負けだ。いつも私の負け。彼は振り返らない。だって泣いて振り向いてもらえるのはヒロインだけだから。私はヒロインなんかじゃない。良くて通行人Kくらい、悪くて登場人物ですらない。彼から見た私はどんな立場で、どんな顔をしているんだろうか。

「この公園」

 彼が不意に立ち止まった。距離が埋まる。

「前に話した、友達と夜中に駄弁ったとこ」

「……ああ、ここかあ」

「うん」

 会話に意味は無い。また歩き出す。散歩は続く。あるかも分からない目的地に向かって、あるいはそれを探すために歩く。彼とふたりで。夜中の道をゆく人は誰もいない。雲がかかってぼんやりと光る月を見上げた。

 彼が好きだ。それはそれは好きだ。愛していると言っても過言ではない。いや、そもそも愛とはなんだろうか。口にすると軽い気がして、でも飲み込み続けると重くて押しつぶされてしまいそうな。恋や愛はピンク色で描かれることが多いけれど、私のこれはそんな可愛らしい色はしていない。もっと濁って、どす黒い、そう、迫ってくるような夜中の色。いつか飲み込まれる気さえする。

 生き残りたくて彼の手を取った。指を絡ませ握り込む。彼はちょっと呆れた顔をして、でも何も言わない。手のひらに体温が融けた。握り返された手のようにハッピーエンドが来ればいいのにと思った。

 隣を見上げる。目が合った。珍しい。すぐに逸らされる。私も逸らす。深呼吸をする。夜の過剰摂取は精神に良くないので早く帰った方がいい。どうせ朝まで起きているんだろうけど。

「あのね」

「ん」

「……ふふ」

「何」

「いや、ごめん。あのね」


 すきだよ。

 言葉にしても身は軽くならなかった。彼の首元の絆創膏には赤く血が滲んでいた。

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