TIP s:山形先生のささやかな贔屓

教員の仕事についてから30年近くが経ち、私はこの満開百合高校でもかなりベテランの教師となっていた。この変な名前から女子校か何かと思われがちの高校だが、いたって普通の共学の私立高校。個性的な生徒が揃い、学業のレベルも高い上に部活動も活発だ。


私の名は『山形』。体育教師で剣道部の顧問をしている。生徒から顔が怖いだの声がデカイだのキモいだの散々な言われようなのも自覚はあるが、、それでも生徒たちの朝の元気良い顔を見るのが私は好きだ。頑張っている生徒たちの姿を見るのも好きだ。教員の仕事に就いて、やり甲斐を感じなかったことなどない。


「オラ遅刻だァ!!さっさと教室に入れェ!」


今日も私の声は絶好調。きっと今頃生徒たちは「うるせぇ」とか、「まじウゼェ」とか陰口を言い始めているだろう。大変結構。そのエネルギーを是非とも勉学や部活動に注いでいただきたい。



と、今日もまた問題児がやってきた。時刻は8:34。バッチリ遅刻である。


「せ、セーフかな?そろり、そろり……あっ…」

「これで10日連続だな。よぉ櫛引」

「あ、あはは……わぁ、こめかみがピクピクしてるぅ…」

「何か言いたいことはあるか?」

「しゅ、しゅみません……」


櫛引木葉(くしびきこのは)。私の受け持つ剣道部の部員で、将来有望な一年生。可愛らしい容姿、明るく活発的な性格、文武両道の完璧さという要素から、学校中だけでなく地域においても絶大な人気を誇る有名人。だが遅刻常習犯だ。


「……まぁ事情は分かっているからあまり言わんが、、最上先生を困らせるんじゃないぞ」

「ふえぇ、事情がわかってるなら見逃してくださいよぉ〜」

「それとこれとは話が別だからな。ああそれと、10日やらかしたから放課後私の机に来い。そういう規則なもんでな」

「うぅ……ぐすん。様式美反対…」


表情が忙しい奴だ。教え子としてこれほど可愛い奴もなかなかいない。うちの娘もコイツくらい元気に育ったら嬉しいんだがなぁ。


剣道の試合に取り組む姿勢は真剣で、先輩たちとの関係も友好。クラスの中心として皆をひっぱり、体育での授業態度も良い。遅刻はするがそれ以外の面では生活態度は至って模範的で、地域ボランティアへの参加も欠かさないという………正直に言えばほぼ完璧な生徒。だがその家庭環境というか、周りには些か問題が多すぎる。それこそ彼女の所為ではないのだが。


教室に全力疾走していくのを見て、そんな事を考える。あの年でかなり重いものを背負っているかと思うと、それが気の毒でならなかった。


……


…………


…………………


「こんにちは、最上先生」

「あぁこんにちは山形先生。これから部活動の方ですか?」

「いや、櫛引の遅刻の件で色々と」


最上笹乃。かなり若い先生で、今年ようやくクラスを受け持つこととなった。櫛引木葉の担任の先生でもある。容姿は本当に若くて、生徒に紛れてても分からないくらいだ。この前数学科の教室に行ったところ、制服を着てないとは何事だ!!と数学科の先生に怒られていたのを見た。笑い話として暫く職員室では持ちきりだったな。


「櫛引さんですか……事情が事情なので大変だとは思うのですが…」

「私も、なるべく気を配っています。お母様の具合…まだ良くならないのですか?」

「……聞いた話だと、そのようです。叔母が世話をしにくると言っていますが、基本は一人で家にいるらしいのでほんとうに心配ですよ」

「普段から明るい性格ですからね。その明るい性格で辛いことや苦しいことを心の内に押し込めて抱え込んでしまう癖がありますから、誰かがそれを解してやらないといけないのでしょうが……ふぅむ」


櫛引家は櫛引木葉が幼い頃に両親が離婚して母親が女手一つで二人の娘を育てていたらしい。そして6年前、櫛引木葉の姉が本人の目の前で水難事故にあい、亡くなった。祖父母もすでに他界しており、母親も苦労が多かったのだろう。数ヶ月前に突然倒れて入院。以降、櫛引木葉は孤独な生活を送っている。



「失礼します、1-5の櫛引です!山形先生に用があって参りました」

「入れ」

「おぉ〜変な煎餅があるー!先生どっか行ってきたの!?」

「お、これか?先週東京の方へな。ほれ、一枚やる。他の奴には内緒にしろよ?」

「やったー!!では早速…」

「ここで食べるなよ?」

「…ふぁい」


10日連続で遅刻した生徒は短い反省文をかくという決まりになっている。櫛引の場合、朝の準備を一人でしなくてはならないため、早く登校するのは難しいのだろう。だが一人の生徒を贔屓すれば規則は乱れる。なんとかして緩和してやりたいが……


反省文を書く櫛引を横目に見る。夕日に照らされたそのあどけない表情、、たしかに可愛らしい。私が若かったならもしかすると心惹かれていたかもしれない。こんなあどけない少女が、明るい表情の裏で信じられないくらい寂しい思いをしていると思うと心が痛くなった。


「終わったあぁ……」

「どれどれ……うむ、良かろう。流石国語の点数学年1位というだけのことはあるな。達筆な上に文章がまとまっている」

「数学が酷すぎて学年順位はボロボロなんですけどね〜。はぁ、なんか眠くなってきた…」

「今日は部活も休みだ。早く帰って休むといい」

「しぇんせー……ここで寝ても……zzz…」

「おいおい早い早い……」



どうやら寝てしまったらしい。よく体育教官室で寝れるなコイツ。この時間は部活動で人も少ないとは言え……本気か。


「ったく………気持ち良さそうに寝てやがる。風邪引くっての」


教官室のその辺から毛布を引っ張り出してきて、かけてやることにした。なんというか、起こすのも気がひける。その辺の生徒からバッチリ叩き起こしてから説教するのだが、櫛引木葉に対してはそれをするのは憚られた。


「……辛れぇ時は、ちゃんと相談しろよな」


……


…………


…………………


18:25。そろそろ教官室も閉めなくてはならないので、櫛引木葉を起こすことにした。他の先生達も何故か温かい目で見ていたが一向に起きる気配がない。よく考えたら家のことをやりながらそれでいて成績もキープしているのだから、あまり寝れていないのかもしれない。


「おい櫛引、起きろ。部屋しめるぞ」

「……煮干し……うまぁ」

「お・き・ろ!馬鹿たれ!」

「ふぁ、ふぁい!!すみませんもう遅刻しません!!」


どうやら耳で覚えているらしい。


「ふぁ、、あれ?外暗い……私寝てた?」

「あぁ、みんなもう帰ってるぞ。鮭川樹咲が玄関で待っているのではないか?」

「そっか、、すみません教官室で……」

「いや構わん………構うなこれは、今度から気をつけろ」

「りょ、了解です!ではこれにて失礼します!」

「そうか、気をつけて帰れよ」


櫛引が教官室のドアを開けて出ようとする。あぁそうだ、忘れていたな。


「櫛引」

「?なんですか、先生」

「ほれっ!」

「わわっ!」


手渡した大きな紙袋、中には……


「………お茶漬け?」

「うちの嫁さんの実家から色々送られてきててな。嫁さんがお前にやってくれと」

「私に!?い、いいんですか、こんなに」

「前に学校に用があった時にお前を見かけたんだとよ。櫛引………なんかあったら相談しろ。俺でもいいけど、まずは最上先生に」

「……あ、ありがとうございます。なんか心配かけたみたいで……」


櫛引の笑顔。コイツは時々貼り付けたような笑顔をすることがある。だが今は、心から喜んでいるようだった。ヨダレはしまえ…。


「いい。ほら、閉めるから早く行け。鮭川、待たせてんだろ?明日は遅刻すんなよ」

「ぜ、善処します」

「はいといえ」

「……はい」

「よろしい。じゃあな」

「さようなら!先生!」


バタバタと走っていく櫛引。あ、コケた。


俺も、結構贔屓しちまってるな。車の中で一服する。櫛引を見てたら、さっさと娘に会いたくなってきた。今日は……なんか買って帰るか。



すっかり風は冷たくなり、木々は葉を落としていた。生徒達が笑いながら帰っていく様子が見える。その中には、紙袋を嬉しそうに抱いて友達と談笑する櫛引木葉の姿もあった。

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