第20話 技術の差
「は? どっ、どうなってるんだよ……?」
ニックは体を起こし、ヘラヘラとしながら片膝を立てた。
自分の身に何があったのか、状況を理解できていないようだ。それとも理解したところで受け入れきれないと薄々わかっており、直視しないで済むよう笑っているのかもしれない。
俺はビビアンカを見たが、彼女が止めに入ることはなかった。
「……剣を拾え。続けるぞ」
「拾えだと? そんなもん……ちっ、クソ! てめえに言われなくてもわかってんだよ。い、今のは油断しただけだ。俺は、俺は……」
試験官が続行を望んでいる以上は戦うしかない。
だが、この試合の目的は互いに実力を見せることだ。俺には剣を持たない相手を一方的に攻撃するつもりはなかった。
ニックが苛立ちを露にしながら木剣を拾いに行く。
「マジで後悔してもしらねえからな」
仕切り直し、もう一度対峙する。
先ほどからビビアンカは、ジッとニックの様子を見ている。試合が終了されないのは、彼の力をまだ十分に観察しきれていないということなのだろう。
俺の攻撃面に関してのアピールは初手で事足りたはずだ。
ならば、ここは防御に回りアピールを続けるか。
剣を前に構えると、ニックが誘いに乗って接近してきた。
「おらァ!!」
力任せの一撃では駄目だと判断したのか、今度は手数を増やして攻めてくる。
だが、狙いが直線的で甘い。速度はそこそこあるが、重さもないため容易に弾き返せてしまう。
「畜生……っ。この腰抜け野郎、ビビって守ってばっかじゃねえかよ! おい、どうした。怖いのか? ああッ?」
言葉の威勢の良さとは裏腹に、焦りが感じられる。
「ははっ、早くなんとかしねえと押し切っちまうぞ! 地べた這いずり回っても、泣いて謝ってもマジで許さ──」
「落ち着け、試験中だぞ」
これまでよりも強く剣を弾き、俺は一振りのみの反撃に出た。
目にも留まらぬ速さで過ぎた一閃が、風と共に鋭くニックの頬の皮のみを断つ。少し遅れて、鮮血が短い線となって現れた。
「くっ……そぉおおッ!!」
目を見開きわずかに固まったニックだったが、木剣を大きく振って叩きつけようとしてくる。
剣を弾かれただけだと思い、頬に流れる血の存在に気づいていない。
俺は剣の軌道をずらし受け流した。そのまま足をかけて、ニックを転ばす。
彼は勢いを殺せず、情けのない形で前へ倒れ込んだ。
「あまり喋っていると舌を噛むぞ」
魔力が多く、振った剣に重みを感じない。おそらくだが探索者として活動する際も、ニックは【剣魔術】に頼った戦い方をしているのだろう。
起きあがろうとしている彼の姿を見て、ゲームでも異様に通常攻撃が少なかったことを思い出す。
「な、なんでだ……。あれから俺もレベルを上げてきたんだぞ。なのに、なんでぶっ潰せねえんだよ!」
たしかに純粋な魔力量だけで考えると、以前からレベルが上がっていることは推測できた。今なら俺の剣も持てるようになっているはずだ。
だが──
「いくらレベルが高くても、技術がなければ最大限の効果は引き出せないだろ」
「ふざけんな! 俺が、てめえよりも技術がないとでも言いてえのかッ!? 俺はエリートで、お前はギルドにいる雑魚なんだよ……」
木剣が用いられているのだ。
特にこの試験においては、レベルは力の強さなどに影響する要素の一つでしかない。見られているのは生まれ持ったセンスか、磨き上げられた技術だ。
「まだ続ける必要がありますか?」
ニックと戦うのはもう十分だろうと、ビビアンカに尋ねる。
彼は頭を冷やし、他の相手と試合をした方が良い。
ビビアンカの私情とやらも、いくらか抑制が効く程度までは発散され収まったはずだ。
後ろにいる他の受験生たちは、ただ一人ユキノを除いて、試合内容に目を合わせ騒然としている。
「そうだな。あまりに一方的な試合になってしまったが──まだ続けよう」
しかし、俺の予想とは裏腹にビビアンカは続行を命じた。
「勝手ながら、実力を判断するには試合相手を変更するべきだと思うのですが」
「いや、ニック・ハーパーの相手は引き続きお前がしてやってくれ」
彼女は何を求めているのだろう。俺に、攻撃に出ろということなのか。
真意を探ろうと自然と目が細まるが、ピクリとも動かない表情からは何も読み取れない。
ゲームで見ていた限りは、どのような場合でも不要な暴行を見過ごすような人物ではなかったはずだが。理解できていなかっただけで、現実となると人格にそのような側面もあるのだろうか。
「うぜえな……どいつもこいつも俺を舐めやがってッ」
ビビアンカの真意は、静寂を破ったニックの叫びによって引き出された。
「だが、ここからはハーパーが学院に相応しい器なのかを見たい。魔力量は優秀だが、並の生徒になるには最低でも剣を満足に扱えるだけの知恵が必要だ。ウォルドは剣を使わず、避け続けろ。手は抜くんじゃないぞ」
俺にそう言うと、彼女はニックを見据えた。
「お前に与えられた試練は、剣を持たない相手に一撃でも喰らわせることだ。このことさえクリアできれば、お前は成長の見込みがあると判断し合格としよう」
「馬鹿にしやがって……」
ニックはビビアンカを睨んだが、ニヤリと笑う。
「まあいいぜ、言ったからな? その程度のことで合格できるなら俺はいい。あとで取り下げるのはなしだからな」
「当然だ。私は両者の実力を見た上で、課題を与えたんだ。試験官としての発言に二言はない」
ビビアンカの発言に嘘はないだろう。
剣を持たず回避に専念する俺に、一度でも木剣を当てればニックは合格になる。あまりにもニックが有利に聞こえる話だが、彼女は俺たちの基礎能力の差を見抜いた上で課題を設定したのだ。
突然ニックの合否を委ねられた俺にとっては迷惑この上ない。
だがゲームでも、このような判断を顔色一つ変えることなくするあたりが氷像と称されるビビアンカ・スミスの面白いところであり、恐ろしいところだった。
俺が抱いていた通りの人物像だ。
無意識に唇のふちが上がっている自分に気づいた俺は、地面に木剣を置いた。
「一つ確認ですが、剣を躱すために相手の腕などには触れても良いですか?」
「ああ、攻撃手段として用いるのでなければ構わない。準備はできたようだな。では、好きにやってくれ」
回避方法について質問に答えてから、ビビアンカは再開を告げた。
クックックッ、とニックが笑い出す。
「馬鹿どもが……俺を侮るんじゃねえっての。剣を打ち付けたら合格ってか、ようやく運が向いてきたぜ。んじゃあ、とっとと──」
目を血走らせながら、ニックが俺を目指して走ってくる。
「もらったァアア!」
合格を掴み取るための横薙ぎが繰り出される。
興奮した彼の一撃を、俺は身を屈めることで躱した。
「は……クソっ。オラァ!!」
何の抵抗も受けず振り抜いたため体勢を崩しながらも、ニックは視線だけで俺を追う。捻った体を元に戻す勢いで、力任せに剣を振り下ろしてくる。
俺は手を、その腕を下へ押さえ込むように添えた。
跳躍し、ニックの腕を軸にして側転の要領で飛び越える。そして着地すると同時に地面を蹴り、一度距離をとった。
少し前まで騒然としていた他の受験生たちが、目を剥いている。
「……嘘だろ。同じ受験生で、ここまでの実力差があるのか……?」
そんな声も聞こえる中、困ったように笑うロイがいた。
「こりゃ確かに、いくらなんでもジントとは当たらなくて正解だったかもしれないな……」
隣では真剣な表情で俺を見るナツミと、嬉しそうにしているユキノの姿もある。
間を置かず追撃してくるニックだったが、俺は木剣に当たることなくその全てを避け続けた。
ともに訓練してきたユキノよりもニックの方が膂力はあるとはいえ、速度に関しては完全に劣っている。回避するだけならば、特に苦もないのだ。
数分後、ニックは明らかに体力を消耗しきり呼吸が荒くなっていた。汗を滲ませ、動きが鈍くなってきている。
一秒たりとも目を逸らさず行く末を見届けていたビビアンカだったが、しかし、そこで遂に彼女は口を開いた。
「──そこまでだ」
ニックが絶望に染まった表情で、崩れ落ちる。
「なんで……当たらねえんだよ……」
ゼェゼェと困惑交じりの呼吸音が訓練場に響いた。
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