少女、ヒーローに恋をする

おもちさん

少女、ヒーローに恋をする

 昼下がりの喫茶店で、とある男女が向かい合って座っていた。彼らを取り巻く空気は重たい。それはこの店が、窓の無い地下空間にあるものだとしても、十二分なまでに暗さを周囲に振りまいていた。


 口数は酷く少なく、休日の逢瀬を愉しんでいる風では無い。いやそれどころか、視線を落としてはコーヒーに刺さるストローに注視する程である。彼らを観察していたなら、もう随分と口をきいていない事が分かるだろう。


「終わりにしようか、マチコ」


 男が静寂を打ち破り、ポツリと洩らす。


「嫌よ」


 女は手元を見つめながら返した。ストローが氷をグラスの中で踊らせ、カチンと鳴る音が残酷に響く。


「君は僕の気に入らない所は、何でも直すと約束したね。でも、一向に守られてないじゃないか」


「そんな事ない。ショウジ君が細い人を好きだっていうから、頑張って痩せたじゃないの」


「たった20キロ落としたくらいで大きな顔をしないで欲しいな。数字なんかに意味は無い。僕の好みに近づけるかどうかが問われてるんだよ」


 ショウジは傍に視線を送りながら、酷薄な言葉を口にした。体温の感じられない態度に、マチコの手が不自然に止まる。


「……そこで終わりじゃないもん、もっとちゃんと痩せるつもりだし」


「いや、もう結構だ。僕はもう待つ気なんか無い」


 そのセリフは露払いのつもりなのか、おもむろに立ち上がった。マチコは表情を凍らせたままで机の端を見つめている。次に放たれるであろう何かの衝撃に耐えようとするかのように。


「さよならだ」


 伝票が大きな手に収まり、足音が遠ざかっていく。手早く会計を終え、自動ドアが静かに開く。その全てをマチコは背中で聞き続けた。


「そうそう。僕も鬼って訳じゃない。もし君が今の半分くらいまで体重を落としたら、また相手をしてあげようじゃないか」


 最後の捨て台詞までがズシリと胸を圧迫する。そうして『解放』されたマチコは静かに頬を濡らした。それが何の為の涙かすら、自分でも判別できないでいる。去り際に優しく肩を叩かれたが、それが何になるというのか。何ら慰めにもならず、むしろ孤独感を助長させるだけだった。


 それからしばらくの間、心が静まるまで泣き続けていると、腹の奥から激情がこみ上げてきた。それは怒りだ。何故ここまでコケにされねばならないのかと思えば、憤怒が胸を引き裂かんばかりに暴れ狂った。


「もう良い、ダイエットなんかヤメヤメ!」


 マチコは勢い良く立ち上がると店を飛び出し、地上へと繋がる階段を駆け上がった。視線の先には気持ちの良いまでの青空が見える。あそこまで行けば全てから解放されるのだ。馬鹿馬鹿しい摂食から、ショウジの冷たい目線から。


 二本の足が急かすまま地上口までやって来ると、いよいよ食欲が荒れ狂うまでに膨らんでいた。


「今日という今日は、腹がはち切れるまで食ってやるぞぉーー!」


 あらん限りの声でマチコが叫ぶ。すると、その衝撃で大気が激しく震えた。ビルの窓ガラスも大多数が割れてしまい、驚いた群衆が我先へと逃げ出した。しかしどれ程の悲鳴があがろうとも、マチコの耳にまでは届きはしない。


「そんじゃあ、最初はレアでいっちゃおうかなぁ」


 上ずった声と共にビルの両端に手を添え、それを根元からへし折った。窓が割れているのは幸いだった。後は中に手を突っ込み、洗いざらいを掴んでは口に放り込んでいく。有機物や無機物の垣根無く、である。彼女の悪食ぶり、よく言えば食い道楽として有名で、我慢を重ねた分反動は凄まじいものとなった。


「よし、じゃあ次はウェルダンにしよっと」


 大きな口によって深く吸われた息は、吐き出す時には灼熱の火炎となっていた。それが一帯のビル群を焼き、瞬く間に火の海が出来上がった。炉端焼きならぬ路地焼きは、彼女の好物のひとつである。


「さぁてと。そろそろ焼けたかな?」


 燃え盛るビルに手を伸ばそうとした、その時だ。不意に鋭い声が、マチコの手を制するように投げつけられた。


「そこまでだ怪物、これ以上の暴挙は許さないぞ!」


「だ、誰?」


「地球を守る為にやってきた超人フェミナンド、ただいま参上!」


 マチコは驚愕に眼を見開いた。地上の生物は軒並み小さく、対等と呼べる者は存在しなかったのだが、この男は違う。同格、いやそれ以上の体格を誇り、マチコの方が一回り小さいほどだった。


 だがそれでも怯まない。せっかくの食事を邪魔された怒りを力に変え、勇ましく立ち向かっていく。


「何がフェミナンドよ、アンタなんかぶっ飛ばしてやるから!」


 先手必勝。マチコは拳を握りしめ、辺りに地震を巻き起こしながら駆け始めた。しかしその時、己の体の異変に気付く。無謀なダイエットがたたり、力が思うように入らないのだ。


——早いとこ終わらせないと、体力が保たない!


 渾身の一撃を浴びせにかかる。だがそれは敢え無く空を切った。しかもただ避けられただけでなく、腹に膝蹴りを喰らい、続けて背中にハンマーパンチを叩き込まれてしまう。重たい攻撃を耐える事はできず、マチコはアスファルトに亀裂を刻みながら倒れ伏した。


——いけない、早く立ち上がらなきゃ……。


 意思に反して、腕が言う事を利かず、痙攣でも起こしたように震えてしまう。体を起こそうとしては倒れる事を繰り返すと、頭上から呆れたような声が降ってきた。


「もしかして、本調子じゃないのか?」


「だったら何だって言うのよ。情け容赦なんか、要らないんだからね」


「君が要らなくとも、私には要るんだ」


 フェミナンドはそう言うと宙に浮かび上がり、背を向けた。あまりの無防備さにマチコは面食らうが、すぐに彼我の関係性を思い出す。


「待ちなさい。トドメを刺さないつもりなの!?」


「そうさ。私には傷ついた女性をいたぶる趣味は無いのでね」


「え……?」


「次は万全の状態で逢いたいものだ。よく食べ、そして眠りたまえ!」


 その言葉を残してフェミナンドは去っていった。後ろ姿を見送ったマチコは、しばらく呆然自失となり、やがて地下へと潜っていった。せっかく焼いたビル群もそのままに。


 負けた。完膚なきまでに負けた。なのに彼女の胸に宿る苦痛はさほど大きくない。むしろ温もりすら感じられ、その感覚に酷く困惑させられるのだ。住処の穴ぐらまで掘り進める間、自問自答を繰り返してみるも、答えよりも自宅に辿り着く方が早かった。


——あれ、誰か来てる。


 何者かの気配を察知し、付近に眼をこらしたところ、見えたのはショウジである。よりにもよって、このタイミングとは。何とも間の悪い話である。


「おいおい。君は本当にダメな女だな。あれだけ言われたのに暴食とか呆れて物も言えない……」


「うるっせぇ目の前チョロチョロすんじゃねえクソボケ野郎が!」


「ギャァーーー!」


 哀れショウジ。不安定な心理のマチコによって焼却させられてしまった。塵となった身体は手厚く葬られたりはせず、散らばるがままとなった。それでもマチコは別段気にしたようでもなく、穴ぐらに戻るなり直ぐに身体を横たえた。


 色々あって気疲れしている。こんな日は早々と寝るに限るが、寝付くには時間がかかった。胸を刻み付ける高鳴りが眠気を遠ざけるのだ。


「明日も会えるかな。地上で暴れれば……」


 ふとマチコは口中の食べカスに気づき、奥歯でそれを噛み締めた。僅かに鉄の味が感じられる。口直しに水でも飲もうかと思ったが、結局横になったまま動かずに居た。


 フェミナンドの言葉が脳裏に過る。言いつけられた通りに眠る事は出来そうにない。ではせめて食べようと心に決め、小さな笑みを浮かべながら寝返りを打った。

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