家路

老野 雨

1

 その年に限っては、夏休みなんて全然嬉しくなんかなかった。きーちゃんとわたしは夏休み明けにはもう別の町へ引っ越すことが決まっていて、この町に居られるのは夏が終わるまでだったからだ。

 夏休み明けにはこんがりと満遍なく灼けているであろう級友たちは、銘々その夏に行った海や山の思い出、たとえば魚の鱗が陽の光をきらきらと反射して奇麗だったこと、色とりどりの果物が瑞々しくおいしかったことなどに夢中になって、わたしたちのことなんかきっとすぐに忘れてしまうのに違いなかった。

 わたしたちとの別れを惜しんでくれるのは朝子だけで、何年も前から親しくしてくれていたこの友人との別れはもちろんわたしたちにとってもそれは悲しい出来事だった。

「出来ればあんたたちとたくさん思い出作りをしたかった」と朝子は言った。わたしたちも同じ気持ちだったので、互いに残された時間が僅かであることを残念に思った。この夏スイミングスクールに忙しくしている朝子がわたしたちと話せるのは、スイミングスクールが終わった夕方のほんの少しのあいだだけだった。朝子の両親は、朝子を水泳の選手にしたがっている。朝子はそれでも、わたしたちがこの町を去る最後の日には必ず見送りに来ると約束をしてくれた。

 わたしたちは、二人で思い出作りをすることにした。

 家からも学校からも離れた場所にある、雑木林。入り口にはペットボトルやお菓子の袋や、元がなんだったのかよくわからないプラスチックごみなどが投棄されていて、お世辞にも奇麗とは言いがたい。おかげで抜群に寂れて不気味な感じがするのでほとんど誰も寄りつかないだろうと思われた。それは最近朝子と一緒にきのこを探しに出掛けたときに見つけた場所で、わたしたちにとっては気に入りだった。草木が鬱蒼と繁っている感じがまたよかった。

 不法投棄された入り口のごみを跨いで奥まで進む。そこにわたしたちの秘密の場所はあった。地面を蔽うように草を薙ぎ倒したのはきーちゃんで、その下の土はわたしたち二人の手によって斜め方向の楕円に繰り抜かれて狭い洞窟のような穴ぼこになっている。人が横たわるのに充分な深さだ。元々わたしたちもそのような目的のために掘った。穴に潜れば土を這う虫が間近にあり、見上げれば空が見えた。

 もぐらごっこをしよう、とわたしたちは決めた。

 陽の光に反射してきらきらと光る魚の鱗や瑞々しく色とりどりの果物も魅力的ではあったが、いかんせんありきたりすぎた。わたしたちにとって、これは最後の思い出作りなのだ。どうせならみんなとは違うもっと面白いことをしたかった。それならばいっそ土のなかへ潜ってみようと思った。夏休みを土のなかで過ごすなんて、きっと誰もやっていないに違いない。そう考えると何だか得意な気持ちになった。

 穴を掘るのは大変で完成した穴ぼこは予定よりずいぶんと小さかったが、わたしたちは幼く、分けても小柄だったので、ぴったりと密着すれば穴ぼこにはぎりぎり二人で一緒に横たわることが出来た。土臭いにおいと蒸れた虫の死骸のにおい。それからやぶ蚊。そう、夏だった。わたしたちはやぶ蚊に寛大だったので、あの耳障りなモスキート音を鳴らしながらすぐ傍を飛び回っていても、じっと横たわったまま身じろぎひとつせず血を吸われるままにした。

 もちろん、やぶ蚊にとっては広々とした空間であっても、わたしたちには深呼吸するのでさえひと苦労なほど狭い穴だったことも要因だ。そのためわたしたちの皮膚にはやぶ蚊に食われてぷっくりと赤く膨れ上がった箇所がいくつもあった。

 どちらかが痒さに堪えきれなくなってむずむずしだす瞬間はよくわかる。穴ぼこでは手足を自由に動かすことが出来ないので、やぶ蚊に食われた体が痒くて我慢が出来なくなると、わたしたちは慎重に上下して互いの体に自分の痒い箇所を擦りつけ合った。肌と肌が擦れ合い、お互いにじっとりと汗を掻いていることを自覚する。穴ぼこのなかはとりわけ蒸す。

 体を密着させ合っているわたしは、きーちゃんの股間の中心が硬くなっていることにも気がついている。それはわたしの下腹部を圧迫するほどに大きいが、わたしは何も言わない。きーちゃんも何も言わない。ただこれ以上きーちゃんの股間が大きくなってしまっては、穴ぼこがもっと窮屈になってしまうのではないかとわたしはほんの少し懸念する。

 わたしは男の子のそれがどれくらいまで大きくなるものなのかよく知らないし、朝子なんかは興味すらないようだが、この小さな穴ぼこのなかをいっぱいにするには充分なのだろうとわたしは思っている。

 きーちゃんのそれをきちんと見たのはもうずいぶんと昔のことだ。そのころのきーちゃんのそれはまだ小さくて可愛らしかったし、何よりわたしはそれが大きくなったり硬くなったりするのだということをきちんと理解してはいなかった。

 きーちゃんの汗ばんで痩せた背中を指でたどる。肉は薄く、骨の在処さえありありとわかった。きーちゃんの顔が間近にあって、温んだ息が首筋にかかると背筋にびりっと電流が走ったようになる。んっ、とわたしが声を洩らせば、きーちゃんの股間はまた硬くなる。わたしはその瞬間に自分の気分が昂揚することに気がついている。

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