第83話 東下町の混乱

 コジローが藤林の手から落ちた雷槍を拾い上げるのを、竜崎は見ていた。

「藤林に持たせておくと惨事を引き起こしそうだから、俺が預かるよ」

「そうだな」


 竜崎は藤林を介抱して東下町に連れて帰ることにした。

「すまん、こいつが迷惑をかけたな。これで反省して大人しくなればいいんだが」


「あんまり期待しない方がいい。田崎市に返したら、どうだ?」

「おいおい、物みたいに言うなよ。しかし、本当に帰ってくれればいいな」

「そうだろ。東下町にもガーディアンキラーが増えたんだ。今更、藤林は要らないだろ」


「市長と相談してみる」

 そう言った竜崎は、藤林を担いで帰った。


 東下町の新市役所に戻った竜崎は、市長室近くの部屋に藤林を寝かせて御手洗市長に報告に行った。

「ふん、大きな口を叩いたくせに、無様なものだな。あいつを連れてきたのは失敗だった」

「田崎市に戻したら、どうです?」

「そうもいかん。藤林だけが護符を作ることができるテリトリーがある」


 東下町では、異獣のテリトリーに農地を作っている。なぜか分からないが、異獣のテリトリーに作った農地で栽培した根菜の中にイチリチンと呼ばれる物質が蓄積されることが分かった。


 それは御手洗薬品の研究者が発見したもので、そのイチリチンは異獣が発する毒の中和剤となるものだった。異獣を殺して『毒耐性』のスキルを持てない人々には、大きな朗報だ。


 イチリチンは大きな取引材料となると考えた御手洗グループの会長は、市長に護符を手に入れさせ異獣のテリトリーで安全に農作業ができるようにさせた。


 御手洗市長にとって、藤林は護符を入手するための道具であり、手放すことはできない。

「護符ですか。それがありましたね」

「藤林はどうしている?」


「休ませています。連れてきますか?」

「今はいい。それより、食料エリアへ行く予定表が出ていないぞ」

「今から作ります」


 竜崎は市長室を出て、自分の仕事部屋に行った。残された市長は、御手洗グループ会長の屋敷に向かう。その屋敷は東下町の用水池近くにある別荘だ。


 御手洗市長は父親であり、御手洗グループの会長である要蔵の寝室に行った。その部屋には八〇歳ほどの老人がベッドに横たわっていた。


「父さん、身体の調子はどうです?」

「身体の調子など、どうでもいい。それより、俊彦と幸三が耶蘇市を出たそうだな」

「知事がいる水沢市で、再出発するそうです」


 俊彦と幸三は、市長の弟である。御手洗のグループ企業で社長や理事長をしていたのだが、会社自体が存在しなくなり、ここで父親である会長の世話をしていた。

 しかし、会長の体調がイチリチンのおかげで回復したので、再出発することにしたのだ。


「ここを見捨てたか。お前は耶蘇市を化け物から取り返せる日が来ると思うか?」

「耶蘇市の半分ほどが、強力な異獣のテリトリーとなっていますから、難しいと思います」


 生き残った人々は、弱い異獣のテリトリーが多い町に集まり始めた。食料エリアの影響で、農業に力を入れなくとも食料はなんとなる、と思う人々が増えたのだ。


「儂がもう少し若ければ、ここの連中を一つに纏め上げ、戦国武将のように支配したのだが」

 要蔵は一代で御手洗グループを大きくした優秀な経営者であり、カリスマ性を持つ人物だった。だが、さすがに歳には敵わないようで、ここ数年は体調を崩して静養していたのだ。


 市長が嫌な笑いを浮かべた。

「そんなことですか。父さんの願いは、自分が叶えてやりますよ。東下町は掌握しているので、今度は東上町の支配権を手に入れます」


 要蔵が笑った。

「どうやってだ? 東下町は御手洗グループの関係者だけを集めたから、お前を指導者に選んだ。だがな、東上町の連中は違う。連中に御手洗の名前は通用せんのだぞ」


「御手洗の名前は、そんな安っぽいものじゃありませんよ。必ず東上町の連中も、自分の前にひざまづかせてやります」


 使用人に父親の世話をしっかりするように命じた市長は、市役所に戻り仕事を始めようとした。その時、人が争う声が聞こえる。


「私の雷槍はどこにある?」

「手を離せ、俺は知らないんだよ。立ち会ったのは竜崎さんなんだろ。そっちに聞いてくれ」

「竜崎はどこにいる?」

「たぶん、訓練場だ」


 御手洗市長は声のする方へ行き、藤林が訓練場に向かって去っていく後ろ姿を見た。市長は殴られたらしい探索者の一人に尋ねる。


「一体、どうしたのだ?」

「藤林が目を覚まして、あいつの雷槍がないと騒ぎ始めたんです」

 市長は事情を聞いて、藤林を追っていった。


 訓練場は、新市役所の隣にある。市長が訓練場に着いた時には、竜崎と藤林が話していた。

「何だと、コジローが雷槍を持っていったというのか。何で黙って持って行かせた?」


 竜崎が冷めた目で藤林を見た。

「決まっているだろう。勝者がコジローで、敗者があなただったからだ」

「馬鹿な。雷槍は私のものだ」


「木刀と棍棒の戦いだったはずなのに、負けそうになったら、雷槍を出して攻撃したんだぞ。雷槍を返して欲しければ、コジローに謝って許してもらうんだな」


「私が謝るだと……あり得ない」

 御手洗市長が近付いて、藤林に声をかけた。

「何があり得ないのだね。君は人類最強とか言っていたが、コジローに負けたそうじゃないか」


「今日は調子が悪かったのだ。もう一度戦えば、私が勝つ」

 市長が部下を叱るような顔で言う。

「君の法螺は聞き飽きた。いい加減にしたまえ」


 竜崎は不安そうな顔で見守っていた。藤林が危険なほど怒りをあらわにしている。あまり追い込むと、藤林がどんな行動を取るか予想がつかなかったのだ。


「五月蝿い、自分じゃ何もできないくせに、偉そうに言うんじゃない」

「何だと……失礼な。君こそ一人じゃ何もできないんじゃないのかね」


 二人の言い争いがエスカレートして竜崎が止めようとした時、突然藤林が切れた。

「黙れ!」

 目にも留まらぬ速さで、藤林の右手が市長の顔を殴っていた。竜崎やコジローなら青アザができる程度のものだったのだが、市長は『毒耐性』のスキルを取るために個体レベルが『1』になっただけの人間だった。


 市長の身体が宙を舞い、嫌な角度で倒れた。

「御手洗市長!」

 竜崎が驚いて駆け寄った。市長はピクピク痙攣しており、その痙攣もすぐに止まり心臓が鼓動をやめた。


「嘘だろ。息をしていない。誰か医者を呼んでこい!」

 東上町の支配権も手に入れると言っていた御手洗市長が死んだ。


 竜崎が周りを見回すと藤林の姿が消えていた。竜崎の叫びで人が集まってきた。

「どうして、こんなことに?」

「藤林だ。あいつが市長と口論している最中に殴り殺した」


 その後、東下町では大騒ぎとなり、数人の探索者が藤林を探し始める。だが、藤林は見つからなかった。


   ◆◆◇◇◆◆◇◇◆◆


 東下町の騒ぎは東上町にも伝わる。俺はログハウスのリビングで美咲から聞いた。

「コジロー、聞いた? 御手洗市長が藤林に殺されたそうよ」

「嘘だろ。仲間割れが起きたのか?」


「詳しくは知らないけど、藤林は市長を殺して逃げたみたい」

 俺は藤林が逃げたと聞いて、自分ならどこに逃げるか考えた。


「もしかすると、食料エリアに逃げたんじゃないか?」

「それはあるかも。本当にそうだと、探し出せないかもしれない」


 エレナがリビングに来た。

「御手洗市長の件を話しているの?」

「ええ、エレナは東下町はどうなると思う?」


 エレナが首を傾げる。

「また、御手洗一族の誰かが市長になるって、言い出すんじゃないかな」

「私もそう思っていたんだけど、御手洗一族の大物は、耶蘇市を見捨てて水沢市に行ったらしいのよ」


 それを聞いて、俺は溜息が出た。耶蘇市は御手洗グループが大きくなるに従い発展した町である。その御手洗グループからも、耶蘇市は見放されたということだ。


「耶蘇市の将来は、暗いと判断したのかな? 東下町の新しい農地の作柄が不作だったというから、そう思ったか」


「たぶん、そうね。判断が早すぎるのよ。新しく整備したばかりの農地なんて、これから土作りをする段階なのに」


 御手洗市長が死んだことで、耶蘇市は大きく変わりそうな予感がした。


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