第54話 耶蘇市の侵入者

 弘樹の武器は剣鉈である。それを抜いて手に構えた。

「待て待て、さすがに武器で戦うのはまずいだろう。武器なしでやろうじゃないか」


「ふん、いいぜ」

 弘樹は剣鉈を鞘に仕舞い、素手で構える。藤林は手に持っている槍を近くの木に突き刺した。


「おや、一人でいいのか? 仲間も一緒でいいんだぞ」

 藤林が言うと、弘樹が目を吊り上げた。

「てめえなんか、一人で十分だ」


 二人はジリジリと間合いを詰め、最初に弘樹がパンチを繰り出す。藤林は上半身を捻って躱し、テコンドー式の蹴りを放つ。藤林はテコンドーの有段者だった。


 二人は激しい戦いを始めた。だが、すぐに藤林が優勢となる。やはり倒した守護者の数が個体レベルに影響しているらしく、藤林のパワーとスピードが弘樹を上回っていた。

 藤林の上段蹴りが弘樹の頬を捉え、車に撥ねられたような衝撃を与える。


 弘樹は宙を飛び立ち木にぶつかって止まった。

「弘樹!」

 忠宏が大声を上げ、倒れている弘樹の傍に駆け寄った。


「どうだ。上には上がある、と分かっただろう。お前は見込みが有りそうだから、私の下で働きたまえ」

 口から血を流している弘樹が立ち上がり、首を振った。


「やだね。負けたからと言って、お前の子分になったわけじゃない」

「では、どうするつもりなんだ。田崎市の大島町に入るには、市長の許可が要るのだぞ」


 大島町というのが、田崎市の人類テリトリーである。

「五月蝿い。俺らは何でもできるんだ。お前らの世話になんかならねえ」


 藤林は残りの二人に目を向けた。

「お前たちも同じなのか?」

「当たり前だ。弘樹は仲間だ」

 それを聞いた藤林が冷たい笑いを浮かべ去っていった。


「弘樹、大丈夫か?」

「ああ。くそっ、負けちまった」

「今日は調子が悪かっただけさ」

 三弥が慰めるように言った。だが、三人とも分かっていた。藤林が言った通り『上には上がある』ということだ。


「どうする?」

 忠宏が次の行動をどうするか尋ねた。彼自身は田崎市の大島町へ行くか、田崎市で探索を始めるかだと思っていた。


「海岸に戻るぞ」

「ええっ、何で海岸?」

「ここは俺らには合わない。別のところへ行く」

 自分より強い探索者が近くに居ることに、弘樹は我慢できなかったようだ。


 海岸に戻った弘樹たちは、レーニン像が載っている足漕ぎボートで沖に向かう。運が悪いことに離岸流に捕まってしまった。離岸流というのは、岸から沖へ向かって流れる速い流れのことである。


 アッという間にかなり沖まで流されてしまった。そこからが大変である。一昼夜ほど漕ぎ続け、岸にたどり着いた時には死にそうなほど疲れてしまった。


「死ぬかと思った。もう海は嫌だ」

 忠宏が泣きそうな声で愚痴をこぼす。砂浜に上がって倒れるように寝転がった三人は、空を見上げた。現在の世界は、ほとんどの工場が止まっているので空気が澄んでいるように感じる。


「ここはどこだ?」

「分かんねえ。田崎市より南に来たから、耶蘇市辺りじゃないか」

 弘樹たちがたどり着いたのは、耶蘇市の奇獣区近くの海岸だった。


 しばらく寝転んでいた三人は、起き上がり奇獣区の方へと向かう。水と食料を探すためである。

「ここにも強い奴が居るのかな?」

「知らねえ。おっ、自動販売機がある」


 自動販売機は壊され、中身の飲み物が盗まれていた。だが、例外として水のペットボトルだけは残っている。

「何で水だけ残っているんだ?」

「たぶん、住んでいる場所に水があるんだろ」


 弘樹たちは水のペットボトルをバックパックに詰め込んだ。この三人は『操闇術』と『心臓石加工術』のスキルを所有していなかった。


 異獣に占拠されたとはいえ、街の中で暮らしていた弘樹たちは、シャドウバッグなどの必要性をあまり感じなかった。全然感じなかったわけではないが、『操闇術』や『心臓石加工術』を取得するより、『操炎術』や『剣術』を取得しスキルレベルを上げることに全力を注いだのである。


「どんな異獣が棲み着いているんだろ?」

 忠宏が周囲を見回した。その時、左手の方向から何かが衝突したような凄まじい音が聞こえる。


「何だろう? 行ってみようぜ」

 弘樹が先頭に立って、音がした方へ向かう。割と広い道路を突進しているデカイ猪の姿が目に入った。その猪は停めてあった自家用車に体当たりしてひっくり返した。


「猪の化け物か。これが普通の猪だったら食べられたのに」

 弘樹が『操雷術』のスキルを使った。スキルレベル2で使えるようになる【球電】という攻撃技である。プラズマの塊である球電を投射するという技であるが、威力はあまり強力ではない。


 球電がワイルディボアに命中。その部分が高熱で焼かれ、皮膚と肉の一部が炭化した。人間なら動けなくなるほどの重傷となるダメージだが、異獣は激怒しただけ。


「使えないスキルだな」

「五月蝿い。スキルレベルが低いだけだ」

 不機嫌になった弘樹を無視して、忠宏は『操炎術』の【爆炎撃】を放った。炎の塊が飛翔しワイルディボアを爆殺した。


「へへっ、どうよ」

 忠宏が嬉しそうに声を上げた。【爆炎撃】という攻撃技は低いスキルレベルで使える攻撃技にしては、威力が高い。探索者で『操炎術』のスキルを取得する者が多いのは、それが大きな原因だった。


   ◆◆◇◇◆◆◇◇◆◆


 農繁期が終わり、俺たちは耶蘇市のあちこちを見て回っていた。人が居なくなった土地が急激に変化しており、それをチェックしていたのだ。


「ちょっと白眉山へ行っていいか?」

 俺が提案すると、エレナと美咲が首を傾げた。

「島から脱出した時に乗っていた筏がどうなったか確かめたいんだ」


 エレナと美咲が同意してくれたので、海岸へと向かった。最後尾の河井が不満そうな顔をする。

「ちょっと待て、自分の同意は要らんのか?」


 俺はチラッと後ろを振り向いて、

「多数決だ」

 そう言った俺に、河井が尋ねもしなかっただろ、と文句を言うが無視した。


 海岸に出て西へと進む。白眉山の手前で変なものを見つけた。

「何だあれ?」

 奇妙なボートが砂浜に置いてあったのだ。


「おっさんの像……誰なんだ?」

 河井が首を傾げている。エレナも見覚えがなかったようだ。だが、美咲が顔をしかめていた。


「これはレーニン像よ」

「レーニン? ロシアの?」

「ええ、ウラジーミル・レーニン……世界で初めての社会主義国家ソビエト連邦を創り上げた人物よ」


 エレナが足漕ぎボートを見つめた。

「そうすると、ロシアから足漕ぎボートに乗って、日本海を渡ってきたということですか?」

「んん……どうだろう。こんなボートで渡れるものなのかな」


「ボートの周りの足跡が残っています。新しくないですか」

 エレナの言葉で足跡を確かめた。くっきりと残る足跡は、できたばかりのように見える。


「追跡してみよう。誰が耶蘇市に侵入したのか気になる」

「そうね。確認した方がいいかもしれないわね」

 俺と美咲の会話に、エレナと河井が頷いた。


 俺たちは侵入者が残した痕跡を追って、奇獣区へ向かった。侵入者は奇獣区に入って南に向かったようだ。俺の実家の近くまで来た時、三人の侵入者に追い付いた。


「おいおい、子供じゃないか」

 三人の少年が振り返った。

「俺らは子供じゃねえ」


 日本語だったので、ホッとした。韓国語やロシア語だったらどうしようと思っていたのだ。

「子供じゃなければ少年か。どうみても成人はしてないだろう」

「余計なお世話だ。お前らこそ何者だ?」

「東上町の住人だ。どこから来た?」


「大澤町だ」

「何だと……遠いところから来たんだな。何か目的があるのか?」

「五月蝿えな。質問ばかりしやがって」


 エレナがムッとした。

「そんな言い方はないでしょ。コジローはあなたたちのことを心配して訊いているのよ」

「それが余計なお世話だと言ってるんだ。俺らは子供じゃねえ、何でもできるんだ」


 その言葉を聞いて、笑いそうになった。何でもできると考えていること自体が、子供だったからだ。

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