第25話 緑の泉

 俺とエレナは、武藤たちと合流するまでの時間をトレントを狩る時間とした。トレントは集団になったり分散したりを繰り返すものらしく、時々周りにトレントの姿が見えなくなる時がある。どこかに集合しようとしているらしい。


 俺たちはトレントを狩るために、その姿を探した。網の目のような路地を探し回り大通りに出た時、坂道を登っているトレントを発見した。


 その周りを見ると、同じような方向に向かっている複数のトレントが見つかる。そいつらの行き先は、プラスチック工場のようだ。


 この工場は発泡スチロールやプラスチック容器を作っていた工場のはずだ。これも御手洗グループの一つである。トレントたちは工場を目指して集まり、壊れた塀を乗り越えて中に入っている。


「あの工場に何かあるんでしょうか?」

「何だろう? ゴブリンたちにとっての農協ビルのような存在なのかな」


 俺は工場の中が気になった。幸いにも農協ビルのような恐ろしい存在の気配は感じられない。工場の外壁には非常階段が設置されている。あそこからなら、トレントに気づかれずに探れそうだ。


「エレナさん、工場の中を見てこようと思うんだけど、君はどうする?」

「そんな……危ないですよ」

「見てくるだけだよ」

「だったら、私も行きます」


 短い付き合いだが、エレナの性格は分かっている。一度言い出したら、意志を変えないだろう。俺たちはトレントに見つからないように工場の敷地に侵入し非常階段へ向かった。


 非常階段を素早く登り、マンションなら三階ほどの高さにある非常口から中に入った。ドアはロックされていなかった。


 非常口から入った場所は、通路だった。工場の内側をぐるりと回れる通路で、吹き抜けになっている工場内部を見下ろせる構造になっていた。


 俺は工場内部を見下ろし、工場の中心に直径七メートルほどの水溜まりが出来ているのを発見した。濃い緑色をした水を満々とたたえた泉のような存在である。


 そして、その泉を守るように巨大な木の化け物が立っていた。直径一メートルほどのバオバブの上部から長い腕のような枝が何本も伸びているような木の化け物だ。

 その化け物は、『異獣知識初級』から得た知識の中に存在しなかった。初級ではなく中級以上の知識に含まれているのかもしれない。


「あの化け物は水溜まりを守っているようですけど、あの緑色の水溜まりは何でしょう?」

 エレナが小声で尋ねた。


「分からない。少し観察してみよう」

 俺たちは身を隠しながら下の様子を観察した。

「あの守護者みたいな木の化け物は、マダガスカルに生えているバオバブに似ていると思わないか?」

「そういえば、テレビで見たことがあります。あれも歩くのでしょうか?」


 バオバブの化け物は、工場の床を突き破り地面に根を下ろしているようだ。こいつに名前を付けるとすれば、怪樹バオバブというところだろう。

「しっかり根を下ろしているようだから、歩かないんじゃないか」


 外から工場に入ったはずのトレントの姿が見えないことに、俺は気づいた。よく見ると工場の奥の薄暗い場所に集まっている。数は軽く一〇〇を超えているだろう。


「あっ、トレントが入ってきましたよ」

 エレナの声で入り口付近に目を向ける。一匹のトレントが工場内に入ってきて緑色の泉に近付いた。


 そのトレントは、ゆっくりと緑色の泉に入り沈んでいく。あの泉は思っている以上に深いようだ。その時、泉の内部から光が発せられた。泉が波立ち内部で何かが起きていると分かる。


 俺とエレナが固唾かたずを呑んで見守っていると、泉からトレントが出てきた。なぜか二匹である。

「どういうことだ?」

「もしかして、分裂したんでしょうか?」

「そんな馬鹿な」

「でも、あの二匹のトレントは、入ったトレントの半分ほどしかありませんよ」


 俺は泉の内部で分裂するトレントの姿を想像した。それが真実だとすると、一匹でもトレントが残っていれば、二倍、四倍というように増えることになる。


「想像したら、鳥肌が立った」

 もう一匹のトレントが入ってきた。そいつは緑の泉に入らず、そのまま工場の奥へと進んだ。どうやら泉に入って分裂するトレントと分裂を行わないトレントが居るようだ。


 次々にトレントが入ってきて、三割ほどが泉に入って分裂して奥へと進んだ。たぶん成長の度合いや別の要因で分裂の条件が決まるのだろう。


「他の異獣も、こういう分裂の泉があるのかな?」

「ありそうな気がします。農協ビルとかが怪しいですね」


 その時、トレントを追いかけるように武藤たちが姿を現した。

「な、何を考えているんだ」

 無防備な武藤たちを見て、思わず言葉が漏れた。武藤たちは分裂の泉と怪樹バオバブに驚いたような表情を浮かべている。


 怪樹バオバブは武藤たちに気づいた。それは怪樹から放たれる気配の違いで分かった。それまでは脅威だと思えなかった気配が、農協ビルの存在並みに強さを増したのだ。


 怪樹は数本の枝を打ち振るわせ、枝の先端に付いている矢のような棘を飛ばした。その棘が武藤たちを襲う。

 武藤が足に棘を受け倒れた。俺は久しぶりに『操炎術』のスキルを使うことにした。スキルレベルが3になった時に、可能になった爆炎撃を放つ。


 爆炎撃は軌道が逸れ、トレントが群れている場所に着弾し炎を撒き散らす。トレントたちが驚いて暴れ始めた。怪樹バオバブが俺たちに向けて棘を撃ち始めた。


 長さが六〇センチほどもある棘が工場の壁にカッカッカッと突き立つ。

「先に逃げてくれ」

 俺はエレナに指示を出す。

「でも……」


「いいから、ここは俺の指示に従うんだ」

 強い口調で言ったからだろう。エレナは非常口のドアを開け避難を開始した。下を見ると武藤たちも逃げようとしている。逃げる時間を稼がないとダメだろう。


 また棘の攻撃が放たれた。俺は避けるために飛び上がり、その状態で爆炎撃を放った。今度は怪樹に命中し炎を撒き散らす。怪樹の樹皮が燃えた。


 俺は棘の攻撃を避けながら何発か爆炎撃を放った。命中率は五割以下、溜息が出そうなほどの結果だ。最後の一撃が分裂の泉に着弾すると、トレントと怪樹が狂乱状態になった。


 怪樹が狙いも定めずに棘を放ち始める。トレントたちも工場内の機械を無闇に壊しながら暴れている。

「ダメだ。手がつけられくなった」


 トレントたちは武藤を追いかけるように工場の外へと向かった。中に残ったのは数匹のトレントと怪樹バオバブだけとなる。


 荒れ狂う怪樹は、俺に向かって大量の棘を放出した。逃げ場が下にしかなく、俺は迷わず工場の床に飛び降りた。俺は爆炎撃を何度も何度も撃ち放った。


 怪樹バオバブの樹皮が今も燃えているのを見て、こいつは炎に弱いのかもしれないと閃いた。

「そうだ、ガソリンがあった」


 俺はシャドウバッグを取り出し、中からガソリンの入ったタンクを持ち上げる。その時、棘の雨が降ってきた。慌てて逃げたのだが、シャドウバッグがボロボロになる。


「クソッ、苦労して作ったのに」

 俺はタンクを持って走った。ジグザグに走る軌道を変えながら、怪樹に近付く。蓋を開けたタンクを放り投げた。宙を舞ったタンクがクルクルと回転しながら怪樹の幹に命中してガソリンを撒き散らす。


 反撃で棘を撒き散らす怪樹バオバブ。その棘の一本が、俺の腹に突き立った。

 口から鮮血が吹き出す。痛みで気を失いそうになりながら、俺は足掻あがいた。爆炎撃を怪樹に向かって放つ。その炎がガソリンに引火して、怪樹の根本に落ちたタンクが爆発した。


 燃え上がる怪樹を見ながら、俺は分裂の泉の傍に座り込んだ。藻掻く怪樹が炎に沈んだ時、俺の腹に突き立っていた棘が消滅した。


「……倒したのか」

 俺は立ち上がろうとしてよろめき、分裂の泉に落ちた。身体が沈んでいく。心の中で、こんな最後なのかと諦めの思いが湧き起こる。


【守護者デルギオスを倒しました。あなたのスキルレベルがすべて一つアップされます】

 頭の中で例の声が響き渡った。死のうとしているのに無駄なことを、俺は苦笑いを浮かべた。


【レベルが上がりました】

【レベルが上がりました】

【レベルが上がりました】

【レベルが上がりました】


 ヤバイ、あの激痛が来る。藻掻いて泉から出ようとして、緑の液体をたらふく飲み込んだ。溺れ死ぬと思ったが、肺に流れ込んだ液体は不思議なことに苦しくなかった。


 もしかすると、緑の液体が酸素を供給したのかもしれない。地球の科学では説明のつかない現象である。しかも腹部の傷が凄い速さで治り始めている。


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