第19話 東上町の釣り場
俺とエレナは、武藤と一緒に海に行った。武藤が絶好の釣り場を教えるというので、付いてきたのだ。東上町の北側には、夏には海水浴場になる砂浜がある。
釣り場は、その砂浜の東側にある岩場だそうだ。潮干狩りができそうな砂浜を東へ進み、岩がゴツゴツしている場所に行く。
「武藤さん、餌は何を使うんだ?」
「エビだよ。ここらの海岸には小さなエビが一杯居るんだぜ」
武藤はちょっと長めの柄が付いた小さな網を二本持ってきていた。それはタモ網と呼ばれている。その中の一本は網目が細かくなっており、そのタモ網でエビを獲るらしい。
俺はそのタモ網を貸してもらい、海中の海藻が生えている場所に網を入れた。海藻をガサゴソという感じで探り網を引き上げると、小エビがたくさん入っていた。
獲った小エビは海水が少し入っている小さなクーラーボックスに入れる。三〇分ほどで大量の小エビを手に入れた俺たちは、それを餌にして釣り始めた。
島ではフナムシを餌に釣っていたが、小エビの方が釣れそうだ。エレナは釣りが初めてだというので、仕掛けも餌もすべて用意する。そして、釣り竿とルアーの扱い方も教えた。
「ここでは、何が釣れるの?」
エレナが武藤に尋ねた。
「そうだな。この時期だと、アイナメ・マアジ・クロダイ・スズキになるかな」
釣り始めて最初にヒットしたのは、意外にもエレナだった。しかも竿のしなり方から大物のようだ。
「卷いて卷いて」
俺はエレナに指示を出した。エレナも個体レベルが上がり力が強くなっている。嬉しそうな声を上げながら、何とか自力で釣り上げた。七〇センチほどの立派なスズキだ。
「凄いじゃないか」
「こんなに簡単に釣れるなら、他の人も釣りに来ればいいのに」
武藤が笑った。いつも釣れるわけじゃないと言う。天気や風、潮流の具合により全然釣れない日もあるらしい。
そういう全然釣れない日が三日も続くと食料がなくなるので、釣りだけで生活するのは難しいらしい。
次に武藤がヒットした。釣れたのはアイナメである。
その日の釣果は上々だった。ただ俺が釣ったのはマアジだけだった。マアジを二四匹も釣り、武藤からマアジマスターの称号をもらった。あまり嬉しくない。どうせならクロダイマスターの方が良かった。
武藤はアイナメとクロダイを数匹ずつ釣り、エレナはスズキ二匹とクロダイ一匹である。
「そろそろ帰ろうか」
昼頃になって武藤が言った。腹が減ったので、早く魚を食べたいのだろう。
エレナも賛成したので、片付けて保育園へと戻り始める。途中で武藤と別れ、いつも野菜を分けてもらっている吉野の家の前を通った。
庭先で鎌を研いでいる吉野の姿が目に入った。吉野の家は孫と二人暮らしなのだそうだ。一〇年ほど前に自動車事故で奥さんと息子夫婦を亡くし、一人で孫を育てているらしい。
孫の
「吉野さん、いつも美味しい野菜をありがとうございます。今日は海で魚を釣ったんで、捌いてから後で持って来ますね」
吉野はニコッと笑った。愛嬌のある笑顔だ。
「いいね。久しぶりの魚だよ」
農業をしている人たちは、機械が使えなくなって大変らしい。自分で釣りに行く時間もないようだ。
俺とエレナは保育園へ歩き始めた。俺は吉野の嬉しそうな顔を思い出し、エレナに話しかけた。
「武藤さんも、探索者なんかしてないで、漁師を続けたらいいのに」
「町がこんな状態になった最初の頃は、家にあった釣り道具を持ち出して魚を釣って、それを町に提供していたの。でも、釣り針がなくなり、釣りができなくなったそうよ」
釣りにおいて釣り針は消耗品である。スズキなどは仕掛けなどを噛み切って逃げてしまうので、釣り針などの仕掛けがどんどん減ったらしい。
釣れない日が続いたり釣り針がなくなったりして、武藤は漁師の仕事を諦めたようだ。船を漁に出せるだけの燃料があれば違ったのだろうが、仕方ないと言っていたという。
俺は釣り針がなくなったのも、漁師をやめた理由の一つだと聞いて、武藤は『心臓石加工術』を持っていないのだろうかと疑問に思った。『心臓石加工術』のスキルで釣り針が作れるのじゃないかと考えたのだ。今度確認してみよう。
保育園に着いて、子供たちに魚を見せると大喜びした。
「ねえねえ、マグロは?」
小学五年生のタクロウが俺に尋ねた。
俺は苦笑しながら、釣れなかったと答えた。タクロウはマグロが好きなのだと言う。小学生のくせに贅沢な奴だ。
マアジは干物を作ったことがあるという中園と石神に任せた。俺はスズキとクロダイを捌き、刺し身と煮付け用の切り身にする。
スズキとクロダイの一部は、吉野を含めた近所の人々に配った。冷蔵庫が動いておらず保存する方法がないのだから残しておけないのだ。
塩漬けや干物にすることもできるが、スズキとクロダイなら新鮮なうちに食べた方が
美味しい刺身や煮付けを食べた後、お茶を飲んでいると武藤が現れた。
「ちょっといいか。相談があるんだ」
俺は外に出て武藤と話し始めた。
「相談したいというのは、飲水のことなんだ」
「飲水は龍髭湧水から汲んで来るから問題ないんじゃないですか?」
武藤が首を振って否定する。
「おれやお前のように力が強くなっている者なら、そんなに苦にならないが、普通の人たちには厳しいんだよ。そこで龍髭湧水から水道を敷設するのがいいんじゃないかと佐久間から提案があったんだ」
それは便利になると思った。ただ、その工事は大変な作業になるんじゃないかと思う。どういう水道を考えているんだろう?
「どんな水道を考えているんです?」
「支柱を立て、その上に塩化ビニールパイプを固定して繋げていくことを考えている」
「そんなパイプがあるんですか?」
「そこが問題なんだ。パイプがあるのが、獣人区のど真ん中なんだ」
「分かりました。獣人区へ一緒に行けばいいんですね」
「頼むよ。ところで、魚は食ったのか?」
「ええ、最高に旨かったです」
少し話をしていうちに、『心臓石加工術』のことを聞こうと思っていたことを思い出した。尋ねてみると持っていないという。
「そんな得体の知れないスキルを選ぶほどスキルポイントに余裕はねえよ」
俺は『心臓石加工術』について説明した。
「何だって! それじゃあ『心臓石加工術』があれば、釣り糸も釣り針も作れたってことじゃねえか」
「まあね。スキルレベルを上げるのは大変だけど、スキルの中では一番使えるんだ」
武藤はスキルレベルを上げるためにスキルポイントを使っていたらしい。俺のように練習してじっくりとスキルレベルを上げるという余裕……いや環境ではなかったようだ。
少しでも早くスキルレベルを上げ、異獣がうろうろしている危険な土地で食料を探さなければならなかったからだ。
「これから、どうするんです?」
俺は食料が無限に集められるわけではないので確認した。武藤が顔をしかめた。
「農業を始めるか、漁師に戻るかしかないと思っている」
武藤たちは小鬼区の一軒一軒の家から食料を探して持ち帰っているらしい。全部の家を探し終わったら、探索者なんてできなくなる。
「いいんじゃない」
「コジローはどうするんだ?」
「しばらくは探索者を続けるよ。心臓石を手に入れれば、いろいろ作れるしね」
「そうか、心臓石か。こんな世界にした神様は、文明を奪った代わりに心臓石をくれたのかもしれないな」
それを聞いて、面白い考えだと思った。だが、確実に世界を変えた存在が居るのだ。それが神だとすると、俺には理解できない存在だった。
翌日、俺とエレナ、それに武藤たち四人で獣人区に向かった。パイプが置いてある倉庫に行くためである。武藤たちから小鬼区と獣人区について情報を聞いた。やはり小鬼区の農協ビルは危険な場所だと言われているようだ。
「獣人区には、農協ビルのような場所はないの?」
「耶蘇北高校だ。あそこはヤバイ。オークの上位種が居るらしいんだ」
俺はミノタウロス並みに大きなオークを想像した。あんなのが巨大な牛刀を持って襲ってきたら、反射的に逃げ出すだろう。
小鬼区ではゴブリン時々バッドラットという感じで戦い心臓石を回収した。驚いたことにエレナの弓術がもの凄く進歩していた。短期間だが、相当力を入れて練習したようだ。
獣人区に入るとオークに遭遇するようになる。最初にエレナの矢がオークの胸に突き立った。だが、分厚い筋肉で内臓まで届かない。
オークは乱暴に胸に刺さっている矢を引き抜き、地面に投げ捨てた。オークの目が怒りで赤く染まり、その目がエレナを睨んでいる。
オークがエレナを目掛けて襲ってきた。俺は牛刀を手に飛び出し、エレナの前で迎え討つ。オークの斬撃が俺の顔を目掛けて放たれた。
その斬撃を同じ牛刀で受け止めた。オークの力は凄まじいものがある。だが、強化された俺の身体は問題なく受け止めた。
オークが牛刀を一度引いてから横に薙ぎ払った。俺は身体を沈めながら斬撃を躱し、一回転してオークの両足を撫で斬る。敵の巨体がよろめいた。その首に俺の牛刀が滑り込んだ。コトリと大きな鼻を持つ頭が地面に落ちる。
武藤たちは後ろで見ていたが、何もできなかった。接近戦が始まった瞬間、その迫力に圧倒されてしまったのだ。
「コジローは、剣術か刀術のスキルレベルが高いのか? もしかしてスキルレベルが7とか8とかあるんじゃないか?」
「まさか、俺が持っているスキルの中で一番高いのは『心臓石加工術』ですけど、それでもやっと上級者のスキルレベルになったばかりですよ」
「だったら、おれらの攻撃スキルと同じようなもんだな。何が違うんだ?」
武藤の疑問に、エレナが答えた。
「個体レベルが違うんじゃないの。それに戦った経験も違うんじゃないかな」
「それもあるだろうけど、コジローはスキルポイントを使わずにスキルレベルを上げたんだろ。それが関係しているかもしれんな」
武藤たちは地道に練習してスキルレベルを上げようと言い出した。
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