第5話 代わり
「まだだ!まだ俺が残っている!俺が戦う」
雲雀が放った宣言を、他の二人はそれぞれ異なる表情を見せ、振り返った。
朧の黒い瞳には驚愕が鮮やかに。
「なんだ、まだいたのか」
怪物は侮蔑の籠った双眸で見下ろし、吐き捨てた。
その目には、少年の事など一片も映っていなかったらしい。
だが、今はたしかに注意を引けている。
首を絞められる様な強烈な視線が少女から移り、背筋の毛が逆立った。思わずすくんでしまうが、膝を折るようなまねはしなかった。
「なんの冗談だ、小僧。つまらん冷やかしを言ってワシを怒らせるなよ、加減が出来なくなる」
怪物の射殺す視線。産毛が逆立ち、少年は上ずってしまいそうな声を全力で制御した。
「冷やかしじゃあ、ない。マジだよ」
「!何を馬鹿な事を!」
苛立つ怪物、よりも早くに朧が激発した。鬼の形相で睨み、叱咤し、そして飛び掛かった。
咄嗟に身構える雲雀だが、それよりも速く、
「お前は、もう黙っていろ!」
大人二人を繋げてやっと位の怪物の腕が、跳ぶその寸前の朧を捕らえ、そのまま洞窟の壁へと叩きつけた。何度目かも分からない爆音の後、静寂が訪れた。
「安心しろ、この程度で死んではなかろうて。そう顔を青ざめるな」
慰める、というよりも絶望する様を軽侮するように笑った。
雲雀は唇の端を噛んだ。
今できることはそれじゃない、と。
怪物は膝の上へ手を置き、「さて」と言葉をつづけた。
「小僧。ワシに勝てるとでも?」
「可能性がない訳じゃない」
「どうだかなぁ。死にかけの魚みたく絶望している小僧が言ったところで、虚勢を張っている様にしか思えんぞ」
「死にかけの動物ほど狂暴だぞ」
「ただの悪あがきではないか」
「そういう奴ほど足元をすくわれるんだぜ」
雲雀は言葉を選ばず、反射的に、矢継ぎ早に応答し、とにかく言葉を続けた。注意を自分から彼女へ戻さない様に。そして、目の前の事に集中していないと、心が折れてしまいそうだったから。
怪物は腕組みをして、品定めをする様に少年を観察する。血で固まって出来たみたいな眼球に全身を舐められ、まるでクジラの腹の中に入れられてた様な気分に陥る。
過度の緊張からか、吐き気も込み上げてきていた。
長い沈黙の後、遂に怪物は口を開いた。
「いったい、どうするつもりだ?」
遂に、怪物が話に食いついてきた事に雲雀のは踊った。だがその事は腹の中にしまい込み、彼は自らの作戦を語り始めた。
「正直な所、今のままで勝てると思っていない。そもそも剣を握った事もない俺では勝負にもならないだろう」
「だろうな」
「だから、俺に時間を貰いたい」
「あ?気は確かかお前?」
怪物の声音は明らかに険しくなったが、その程度の事でへこたれていてはいられない。負けじと膝を叩き、気合を入れなおして声を張る。
「断りたいなら断ればいい。勝負もしないで、一方的に殺せばいい」
安い挑発だと、言った本人すらも思う。しかし挑発の良し悪しなど、ようは相手が乗るかどうかであり、この場合は成功だった。
怪物は怪物は腰を上げ、ゆっくりとした歩調で雲雀の眼前に巨体を移動させる。巨大な眼は血走り、怒りに満ち溢れ、血生臭い吐息が雲雀の顔にも吹きかかる。
その様は想像の何倍も恐ろしく、おぞましい感情を伴った。今にも膝が崩れ落ちそうだった。しかし、雲雀にはそれに見合うだけの自信があった。
この化け物は、決して自分を殺さないと。
叶う事ならば、雲雀は今の自分がどんな顔をしているか見てみたかった。きっと半べそで、ダラダラと冷汗かきながら、邪悪な笑みを浮かべていたに違いなかったからだ。
「出来ない、だろう。戦うと言っているヤツを、戦いもしないで殺すなんて。本当は戦いたくて仕方がないはずだ」
化け物は無言を貫き、雲雀も次の語を口にしなかった為に、両者はこれまで以上に緊張した空気の中で、これまで以上に静かな空気に包まれていた。汗の一滴すら重く感じる。
永遠にも思える時間の果て、
「一年だ」
と、怪物の方から口を開いた。
一瞬、理解が追い付かずにいたが、数刻してはっきりと、自分が賭けに勝ったと認識した。肩の荷がどっと軽くなったが、それでもまだ気を抜いてはいられない。
「それほど大口を叩ければ結構。一年だけ我慢してやろう」
「っ!ありがとう」
口からは自然と感謝の言葉が出ていた。
「感謝するなら、その女にしろ。お前一人であれば、さっさと潰していたわ。例えお前がその場しのぎで嘘を言ったとしても、その女ならば、まぁ多少は期待できるからな」
「そんな事はしない。約束は必ず守る」
青臭い台詞に、怪物も失笑を漏らした。
肩を強張らせながらも、自分の策がうまくいった事に充足感を覚えた雲雀。
「言っておくが、その女は強い、お前の思うその遥か上にいる。その代わりになるのは容易な事では無いぞ」
対照的に、怪物は冷淡に事実を告げる。濁った瞳には洒落や酔狂なんて欠片も無く、鉄塊の如き重苦しさが存在していた。浮かれる雲雀には、見えてはいなかったが。
「だが」
怪物は、少年を一瞥した。
「まぁ、こちとら偶の楽しみを我慢してやるのだ。タダでという訳にはいかん」
「いったい何を──
雲雀は答えようとしたが、途中で声が、いや呼吸そのものが止まってしまった。
風を切る音が聞こえ、すぐさま目の奥で強烈な光が明滅して、歪む。体が自由に動かせず、体が重力に引かれて倒れていく。
気づくと、目の前に自分の左腕が血しぶきを伴って宙を舞っていた。
「代わりに、腕の一本でも頂こう」
そう聞こえたが最後。スッパリと先が無くなった左肩から、血が、噴血した。
同時に今まで認識できていなかった感覚、痛みが濁流となって遅れて脳髄に殺到した。もはや悲鳴を上げる事すら許してくれなかった。
「一年だ、良いか。努々(ゆめゆめ)忘れるでないぞ」
薄れる意識、最後に耳が捉えた言葉。それは一年を数える恐怖の秒針が動き始める音であり、雲雀たちを過酷な運命へ打ちつけた。だが同時にそれは、まるで弟子に語りかける師父の様な、屹然の殻で情を隠した様にも聞こえた。雲雀にはそれが不思議でならなかったが、一考の余地も与えられないまま、焼け付く激痛と止まらない失血が意識を暗転させた。
つづく
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