ハッピーエンド

志央生

ハッピーエンド

 最後には必ずハッピーエンドを望んでいる。それが人の性だとしたら、仕方の無いことなのだろう。

 僕だって、暗い話よりも明るい話のほうが好きだ。だけど、世の中すべてがそうなるとは限らない。

「私はどんな話も好きだけどな」

 病院の一室、日当たりの良い窓側のベッドの上で彼女はそう言った。テーブルに置かれた本の山、ジャンルはバラバラになっている。 

「僕はできるだけ明るい話が良いよ。だって、報われないなんて、読んでいて悲しくなるものだから」

 僕はパイプ椅子に座りながら、彼女の顔をぼんやりと眺める。それに気づいたのか、彼女は頬を緩めて柔らかい顔を作る。

「たしかに、ハッピーエンドの物語は主人公が救われている。でもね、その物語に出てくるすべての人や物が救われているわけではないんだよ」

 彼女の瞳はすごく寂しそうだった。

「でも、悲しい話はみんな救われないよ。僕は、すべてが救われなくてもいいから、自分の周りが幸せになるならそれが一番だよ」

 僕は少しだけ語気を強める。心からの本心だった。この病院にどれだけの人が入院しているかは分からない。そのすべての人が救われるなら、それが一番だが、現実はそんなに都合良く行かない

「君の考え方はワガママだけど、そう考えるのが普通なんだろうね。だけど、私はやっぱり暗い話のほうが好きなんだろうね。君は怒るかもしれないけれど」

 そう言った彼女の顔はやはり笑顔で、どこか寂しげでもあった。僕には、そんな見栄を張らなくてもいいと思っている。

 泣いて、喚いて、なんで自分なのかと恨み言を吐き出してほしいとすら思う。彼女は自分がどういう状態なのかを知る前も知った後も変わらずにいる。

 それを見ていて、僕は痛々しいと思ってしまう。ただの友達と言えば、軽く。だけど、それ以外に適した言葉はない。

「もう少ししたら、きっと退院できるさ。そうしたら、何がしたい」

 明るい話をしようとして、根拠のない言葉を口にしていた。

「そうだね、花畑とかとにかく季節を感じられるところに行きたいかな。でも、ずいぶんと歩いていない気がするからね、先にリハビリがいるかもしれない」

 無理をしたような笑い声が、耳の奥に染み込んでいく。自分が今していることは彼女を傷つけているのではないかと思ってしまう。

 誰にも分からない未来を想像させて、期待させて、現実がすぐに襲いかかってくる。

「それでも待っていてくれるなら、君と一緒にどこかへ行きたいな」

 彼女は泣いていた。声を上げるわけでもなく、ただ静かに涙が流れていた。


 僕の中にある彼女の顔は、そんなうれしそうに微笑み、涙を流す表情だった。それを思い出すだけで、何度も心が潰されそうになって、布団の中で何度も叫びを上げた。

 僕はハッピーエンドが好きで、どうにかそうなるように努力をしてきたつもりだった。でも、僕は医者でもなければ、家族でもなく、ただの友達でしかなかった。

 どこまで行っても、無力な存在だった。そのことに早く気づくべきだったのかもしれない。

「葬式、行くぞ」

 親父に連れられて、彼女が入っている棺桶の前にいた。棺桶の中で静かに目を閉じる彼女は、少しだけ口角を上げて笑っているように見える。それを見て、僕はまた言いようのない気持ちに襲われた。

 彼女はいったい、どれだけ言いたいことを言えたのだろう。ずっと胸の中に隠していた、気持ちを吐き出せず、苦しみながらそれでも見栄を張り続けたのではないだろうか。

 そう思うと、死んでもなお笑顔を作る彼女に僕は痛々しいと感じた。

「あの」

 そんな彼女を見ていると、背後から声をかけられた。

「あなた、いつも病室にきていた子だよね」

 黒い服に身を包んだ男の人が立っていた。父親と同じくらいの年齢に見える男性は、白い封筒を一つ渡してきた。

「これは娘から、君に渡すように言われていたものだ」

 そう言うと、僕の手にしっかり握らせてその場を去って行く。

 最後にもう一度、見栄を張り続ける彼女の顔を見て、その場を後にした。


 手紙を開封したのは、家に帰ってからだった。それでもすぐには開けず、夜が深まり始めた頃にようやくと開けた。そのとき、一度開封された痕跡を見つけたが、気にせず中身を取り出す。

 そこには彼女の文字がびっしりと書かれていた。【これが読まれることのないように、生きようと思います】

 そんな言葉から文章は始まっていた。

【なんで自分が、と誰かを恨みたくなりました。でも、それに意味が無いことにすぐに気づきました。夜に、誰も居なくなった頃にひとりで泣いて、朝には心配させないように笑顔を作る。それが私にできる唯一の強がり。もし、それができなくなったら弱さを見せることになる。それだけは避けよう】

 彼女の文字は力強く、自分に言い聞かせるように書いてあった。次へ進もうと紙をめくる。

【ハッピーエンドよりも、私は悲しい話のほうが好きだ。だって、何とか幸せになれるように足掻いて、そうなることを祈っているから。だから、私も同じように足掻いている。どうか、少しでもいい未来になるように】

 手紙は残り一枚になっていた。めくろうとする手が震えていた。

【いろんな人にありがとうを伝えた。でも、彼にはまだ言えていない。だから、この手紙は彼へ送ろうと思う。

 待っていてくれると言っていたけれど、叶いそうにありません。だから、もう待ってくれていなくても大丈夫です。だけど、本音を言えば、どこかへ一緒に行きたかったな。

 もう叶わないと思うと、伝えたいことがいっぱいあります。だけれど、それはこれから先の君には必要の無いことだから、私の心に秘めたままにしておきます。けれど、これだけは言わせてください。

 ほんとうにありがとう】

 今の自分がどんな顔をしているのか、分からないけど、あの棺桶で笑う彼女の顔を思い出していた。

                                     了

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