6
夕方になり、わたしは夜になって家に帰る時間と日に二度の食事を待ちかねていた。ショウゴは真っ直ぐ家に帰り、それからわたしのところに夕食を持ってくることになっていた。一日に二回しか食べられないにしても、慣れることはなく、わたしはいつもお腹がぺこぺこだった。
がさ、と音がして、わたしはさっと小屋の中に隠れた。ショウゴ以外の人間だった場合のために、いつも一応こうしている。草をかき分ける音はなおも続き、わたしは汚れきった窓ガラスから顔の一部だけ覗かせて警戒する。
ショウゴだった。彼はにやにやと笑いながらこちらに来ていた。安心したわたしは、彼に声をかけた。
ショウゴー、おかえり。
彼は困ったように笑った。草の音は、荒く響き続け、彼は止まっているのにおかしなことだった。
信じられん! まじか。
女の子の声がした。聞き覚えのある声。一瞬固まり、わたしは逃げようとした。
捕まえろ!
まだ誰なのかわからない女の子は、誰かに叫んだ。ショウゴだった。ショウゴは食事をまともに取っていないわたしとは比べようのない強い力でわたしの腕を掴み、地面に押し倒した。わたしはパニックに陥っていた。裏切られた、と頭の中でぐるぐる言葉が回る。食べられる、と警戒音が鳴る。
信じられん。ショウゴまじでこいつを飼っとったと?
ショウゴは後ろを向いている。多分にやにや笑っている。
裏切り者! わたしは叫んだ。わたしば食べる気やろ。裏切り者!
うるっせえなあ。女の子は地面に押しつけられたままのわたしに顔を見せた。ジュンカだった。
あっちの明日見町でもうるさかったけど、まじで死ぬべきやねこいつは。
死なん! わたしは帰る!
手足をばたばたさせていると、ジュンカはじっとわたしの顔を見つめ、嘲笑するように唇の端を上げた。
ショウゴはあんたを食べる度胸なんかないと思うよ。わたしたちはショウゴをおどしただけ。最近こいつ、怪しかったけんね。
わたしたち? そう思った瞬間、ショウゴの重石は取れ、わたしの手足はふわっと浮いた。
いけにえは正直に始祖にあげんばね。
わたしはジュンカを含む女の子三人に担ぎ上げられていた。暴れようとしたら、手足を縛られた。
始祖が食べる。そのあとわたしたちが食べる。それが決まりよ。
ジュンカは舌なめずりをするような顔でわたしの顔を見た。
ショウゴは、ただひたすらにやにやしながらついてきた。
*
里に下りると、大人たちがわたしたちを取り囲んだ。どれも、見た感じは普通の大人だ。
これは、どがんしたとや。いけにえか。時期外れじゃなかか。今からどがんするとや。
口々に、ジュンカに訊く。ジュンカは慣れた様子で始祖に食事を持って行くのだ。このいけにえはショウゴがひと月隠し持っていたのだ、と説明した。
ショウゴは大人たちによってどこかに連れて行かれた。わたしも、ジュンカたちから大人たちの手に渡され、あの、黒いビルに連れて行かれた。
三人の大人に取り囲まれたまま中に入ると、がらんとした大理石張りの空間に一人にされた。奥に、小さなねずみ用くらいの引き戸があり、それは豪華な金や赤での装飾がされていて、周囲の枠には彫りもあるようだった。
わたしは食べられる恐怖でがたがた震えながら、待った。
なんじことなるせかいよりきたるいけにえなり。
甲高い、女の声がした。見ると奥の引き戸から雛人形の三人官女のような人が一人、自動人形のように滑りながらこちらにやってくる。わたしはひっと息を呑んだ。女は小さな能面のような顔に、お歯黒の気味の悪い笑みを浮かべていた。
あな、いみじうよごれたるむすめなり。きよめよ。
人形のような小さな女が叫ぶと、別の壁から黒い同じくらいの大きさの人間たちが大勢出てきて、わたしを取り囲む。叫び声が出ない。どの人間にも顔がない。真っ黒な、黒い球体の頭があるだけだ。
黒い人間たちはわたしを持ち上げてベルトコンベアーのように運び、わたしを奥に開いていたエレベータに乗せ、次の階に停まると同じように運び出した。そこでは浴場のような広い空間があり、ハーブのようないい香りが漂っていた。
黒い人たちはわたしをそこに放り込むと、服を剥ぎ、熱心に洗った。わたしの強かった体臭はたちまち風呂と同じ匂いとなり、わたしは清潔になった。
あらいてみればいときよげなるむすめなり。こならばわれらがぬしもよろこばるるべし。
さっきいた女の人形がわたしを見て満足げにうなずいた。わたしの恐怖はなくなり、不安さえもなくなっていた。ぼんやりと、羊のような気持ちでいた。
○○○○○○○○○のぬしのもとにむかえ。
女の最後の言葉の意味は、今までと比べても意味がわからなかった。それなのにわたしは黙ってうなずき、裸のまま自ら歩いてエレベータに乗り、ボタンのない内部に立ち尽くし、恍惚の笑みさえ浮かべながら上へ、おそらく最上階へ、向かった。体がぐいっと持ち上げられ、幸福感も増す。
エレベータが開くと、そこは真っ黒な階だった。信じられないくらい広いのに、黒以外の色がなかった。おかしな匂いがした。匂いは、おそらく何かが焼け焦げた匂いだった。わたしはその真ん中に立つと、食べてください、かみさま、とつぶやいた。
ごっ、と火が部屋全体に満ちた。真っ赤な、美しい炎。オレンジと、黄色と、赤の入り混じった、グラデーションの炎。わたしはその真ん中にいた。わたしは、焼けた。生きたまま焼かれ、奇妙に歌うような叫び声を上げながら、踊るようにのたうち回った。痛みは生きていた中でも一番強く、しかもそれらとは比べものにならないくらいひどかった。わたしは絶叫した。純粋に、死の痛みから来る絶叫だった。
いつもと違う。
男の声が、聞こえた。わたしは炎の中をごろごろと転げまわりながら叫び、体を掻きむしり、暴れた。それでも従順ないけにえの羊の気分は抜けなかった。焼けて死んだあと、わたしは食べられるのが当然だと思っていた。
ああ、何て幸せなのだ。○○○○○○○○○のぬし様に食べていただける。わたしはいけにえ、神を喜ばせるために生まれてきた存在。神は楽しんでくださるだろうか。わたしの味を快いと思ってくださるだろうか――。
神は叫んだ。
いつもと違う!
わたしは黒こげのまま、部屋と同じ色で横たわっていた。体中が炭になり、ぽろぽろと、体だった部分が落ちた。細い針金人形のような物体になったわたしは、なおも恍惚としてつぶやいた。
た、べ、て、く、だ、さ、い、か、み、さ、ま。
いつもと違う!
神は叫んだ。
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