78話 修学旅行 その3
二日目は高級ホテルに宿泊だ。
ここに泊まるために旅行積立金の多くを割いている、と先生が力説していた。別に無理して泊まりたいとは思わないが、せっかくの機会だから堪能して帰ろう。
「ひょえー、すっげえ」
石山がはしゃいでいる。今日はこいつと同じ部屋だ。
室内には大きなベッドが三つあり、テーブルやチェアも用意されている。
俺はベランダから外を眺める。
正面には海が広がっていた。日本海の青さとは違う、エメラルドグリーンの海面が美しい。
俺たちの部屋は十階にある。このホテルは二十階建てで、そんな場所に泊まること自体が初めてなのだが、高層階に泊まるなんて経験も初めてだ。何から何まで新鮮で楽しい。
俺は、石山と、野球部の片桐というクラスメイトと三人で一時間くらい無駄話をしながらババ抜きをやった。
旅行の雰囲気がみんなの口を軽くさせているのだろう。俺は片桐と自然に話すことができた。
最後に話したのはたぶんクラスマッチで打順を一番にしてもらった時だと思うが、ブランクがあってもなんとかなるものだ。
「そろそろやめるかー」
「だな」
「そうしようぜ」
石山の提案に、俺と片桐も乗る。
それぞれのベッドに乗ってしばらく時間を過ごす。
携帯が鳴った。
結乃からメッセージだ。
九○三号室に来てほしい――とある。
「ちょっと出てくるよ」
「鏑木さん?」
「ああ、なんか困ってるらしい」
みんながいるのに俺を呼ぶということは、困っている可能性が高い。会いたいだけなら周りの目をとにかく気にするのが結乃だ。
階段を降りて、指示された部屋へ行く。
ラフな格好の女子数人とすれ違う。やはり女子エリアは落ち着かない。
廊下に結乃が立っているのが見えた。
軽そうなズボンに七分袖のシャツを着ている。
結乃は泣きそうな顔で俺を見ている。その顔でだいたい察した。
「風雅、あの――」
「オートロックがかかって閉め出されたか」
「な、なんでわかったの!?」
「ここに立ってそんな顔してるんだから、想像つくよ」
ううっ、と結乃が呻いた。
「他の二人が班長だから会議に行ってるの。あたし、ちょっと外出るだけのつもりで……」
「まあ、初めてだと引っかかるよな。こういうの」
「ど、どうすればいいの?」
「仕方ないからフロントに相談しよう」
「そ、そうね」
「隣の部屋から窓伝いに入って中から開けてもいいけど」
「だ、ダメ! そんな危険なことは絶対にしないで!」
「冗談だよ」
「風雅が言うと冗談に聞こえないのよ」
「まあ、普段の行いがな……」
思わず苦笑した。
「じゃ、フロント行こう。説明は俺がするよ」
「あ、ありがとう……」
手を伸ばしたが、結乃がためらった。……そうだ、今日はいつもと違うのだ。
「並んでいくか」
「ご、ごめんね」
「謝るなって」
二人でエレベーターを使い、フロントに向かう。
事情を説明すると、スタッフの人が開錠してくれることになった。
すぐに現れたスタッフさんと部屋まで戻り、カギを開けてもらった。まだ同室の二人は戻ってきていない。セーフ。
「よ、よかったぁ……」
結乃はまた泣きそうな顔になっていた。
「あたし、あわあわしてるだけで何もできなかった……」
「そういう時に引っ張るのも彼氏の役目だ。頼れるだろ?」
「うん、すごくかっこよかった」
「これも冗談のつもりだったんだが」
「そんなこと言わないで。本当に頼もしくて心強かったもの」
「そ、そうか」
「あ、照れてる」
「う、うるさい」
結乃が笑顔になった。
「いつになったら褒められるのに慣れるのよ?」
「し、知らん。俺はやるべきことをやったまでだ」
「最高よ風雅。誰にも負けないかっこよさ」
「……ありがとうございます」
「あははっ、また敬語使ってる」
「くそぅ……」
うまくやりこめられてしまった。
「あ、二人とも戻ってきた」
視線を追いかけると、文化祭の準備で何度か話した水沢と、選挙管理委員会で活動していた森村というクラスメイト女子がやってきた。
「じゃあ俺はこれで」
「風雅、階段で待ってて」
「え?……わかった」
その場を離れ、言われた通り階段で待つ。
まだ午後五時半を過ぎたところ。
夕食は六時からなので、まだ時間に余裕がある。
結乃はすぐにやってきた。
「風雅、浜辺に出ましょ」
「なるほどね」
それを考えていたのか。
俺たちは階段を降りて、ホテルの外へ出た。
正面の坂を下ると、そこはもう砂浜だ。
波は穏やかに打ち寄せていた。少し先には巨大な岩が海面から突き出している。
他のクラスの生徒もいた。男子は固まって波打ち際ではしゃいでいる。
俺たちは砂浜が駐車場の崖にぶつかるところまで歩いた。
しゃがみこんで、波を見つめる。
「いつか、海へ旅行に行きたくなったわ」
「そうだな。どうせなら泊まりがけで行きたい」
「バスとかじゃなくて、自分の車で」
「海鮮料理の豪華な夕食取って」
「夜の浜辺で花火とかして」
「波の音を聞きながら寝る」
「最高ね」
「最高すぎるな」
「絶対に実現させましょ」
「おう。俺、免許取れるようになったらすぐ行くよ」
結乃は少し意外そうな顔をした。
「散歩大好きの風雅が免許を取るの?」
「いけないか?」
「そんなことないけど、意外」
「歩きで県外に出るのは無茶だ。俺は楽しくない歩きはしたくないんでね。……というか、結乃が免許取るつもりで話してたのか」
「風雅は助手席で寝てるのが似合ってると思って」
「バカにしてるだろ」
「してないわよ。なんとなくそういうイメージなの」
「車乗ったら荒っぽい運転をしてやる」
「あっ、そんなの絶対に許さないわよ。ルールを守れない人はビシバシ取り締まるからね」
「怖いねえ」
「怖いくらいでいいの」
俺たちは同時に笑った。笑うタイミングもぴったりになってきた。
ざざっと波が打ち寄せ、貝殻が砂浜に置き去りにされていった。
結乃が手に取る。
少しピンクがかった色の貝殻だった。
「それ、記念に持って帰ったらどうだ?」
「うん、そうする」
「ついでに写真撮らないか?」
「いいわね。海を背景にしましょ」
「よし、結乃は貝殻を構えててくれ」
俺はポケットから携帯を取り出して結乃に顔を近づけた。見られているかもしれないから早めにやってしまおう。
角度をなんとなくで調整し、一枚撮る。
「お、うまく入った」
「わあ、いい感じ」
カメラには、ぴったり寄り添う俺と結乃が映っていた。俺たちを彩ってくれるのは、エメラルドグリーンの海と、結乃の手の中にある、小さな貝殻だ。
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