67話 教室から昇降口までの距離

 来週にはクリスマスがやってくる。

 クラスメイトたちもそれぞれに予定があるらしく、話しているのが聞こえてくるようになった。


「じゃあね~」


 星崎が手を振って教室を出ていく。相変わらず人気者の星崎には女子全員が手を振り返した。


 徐々に他のクラスメイトも帰っていく。俺はまだ待った。雑談をしていた石山も帰ってしまい、いよいよ教室は俺と結乃だけになる。


「そんじゃ、帰るか」

「お願いします」


 結乃が机に手をついて立ち上がる。


 先日ひねった足首がなかなか治らず、まだ足を引きずる状態が続いている。クリスマスまでには治ると信じたい。


「掴まっていいぞ」

「うん」


 俺は結乃の左側に立って、右腕を差し出す。結乃がしっかり掴んだことを確かめてから歩き出す。


「まだ痛むのか」

「少しね。でも、だいぶよくなってきたわ」

「だったらよかった」

「みんなにも迷惑かけちゃってるし、早く治さないとなぁ」


 教室移動の時などは、女子が結乃に肩を貸している。昼間から俺がやると見せつけるようでよくない。星崎たちに結乃を任せる形になっている。


「でも、実はこういうのも悪くないって思ってる自分がいるの」

「悪くない?」

「ええ」


 結乃が俺の腕に顔を寄せてくる。


「風雅と学校でくっついてもいい理由ができたから」

「俺はいつでも来てほしいと思ってるぞ」

「そうだろうけど、まだ気軽にはできないのよ」


 お互い上着が厚いせいで、体温はあまり伝わってこない。それが残念だ。


「なんだか、昇降口までの時間がいつもより特別な気がする」

「ああ、こんなことはこれから先ないかもしれない」


 ぴったりくっついて廊下を歩く。普段ならば周りの目を気にしてしまうが、今だったら恐れはないのだ。


「さあ、階段だぞ。気をつけろよ」

「そうね」


 結乃の右手を掴む。左手は手すりを握ってもらった。


 彼女の体を支えながら、一段ずつゆっくり降りる。


「けんけんで降りられるんだけどね」

「まあまあ。支えさせてくれよ」

「やっぱり、風雅って優しいのね。大好き」

「お、おう」


 不意打ちの「好き」に俺はうまい返事ができなかった。


「あ、風雅気をつけて」

「え?」


 我に返った。

 俺は最後の一段を踏み外しかけて、ギリギリ持ちこたえた。


 が、


「あっ、無理――」


 結乃を引っ張ってしまった。


 俺は意地で倒れなかったが、一気に押し込まれて踊り場の壁に背中からぶつかった。


 結乃が俺の腕の中にすっぽりと収まる。少し、彼女の息が荒くなっていた。


「す、すまん。足下がよく見えなかった」

「怪我してない?」

「大丈夫だ」

「よかったぁ。あたしと同じになっちゃったかと思った」

「うまく受け流したからな。それより結乃は? いま勢いよく前に出たから変に左足突いたんじゃないか?」

「平気よ。風雅の胸に飛び込んだから」


 えへへ、と結乃が笑う。


 やけに押されたと思ったが結乃の体重がかかっていたのか。


「あたしが押しつけちゃったみたい。ごめんね」


 離れようとする結乃を俺は抱き寄せた。


「あっ、風雅……」

「結乃に押し倒されるのも悪くないな」

「お、押し倒してはいないわよっ」

「似たようなもんだろ」

「ぜ、全然ちがうっ」


 一気に赤くなってしまう結乃。やはりかわいい。


「もう、すぐ恥ずかしいこと言うんだから」

「本当にそうしてくれてもかまわないぞ?」

「そしたら風雅、絶対真っ赤になって何も言わなくなるでしょ」

「…………」


 たぶん、そうなるだろうな。


 結乃が笑った。


「やってみていい?」

「ま、待て。やっぱり冗談だ。許してくれ」

「じゃあ、あたしをからかわないことね」

「すみませんでした……」


 あらためて結乃を支える体勢になって、俺は階段を降りる。今度は問題なく一階までたどり着いた。


 今日は大輔さんが迎えに来てくれているはずだ。


 校門の脇に車が止まっていた。


「悪いね、風雅君」


 スーツ姿の大輔さんが出てきて、結乃を車に乗せた。


「いえ、彼女の危機ですからこれくらい当然です」

「堂々と言ってくれるな」

「結乃のためならなんだってしますよ」

「ほう。その言葉、ぜひ有言実行を期待しているよ」

「任せてください」


 大輔さんが車に乗った。今日は「なかなかやる」が聞けなかったな。けっこう好きなんだけどな、あれ。


 結乃が窓を開けた。


「風雅、ありがとね」

「どういたしまして。また来週な」

「うん。絶対に土日で治すから」


 結乃が手を振る。車が発進していった。


 大輔さんは「家まで送ろう」と言ってくれるのだが、歩きたいので遠慮させてもらっている。


 帰り道を一緒に歩けなくとも、今は教室から昇降口までの距離をとても大切に感じている。


 いつもとは違う時間。

 こんな形もたまにはいい。


 だが、結乃と並んで帰れる方が絶対にいい。

 早く治るといいな。

 そう願いながら、俺は自分の帰り道へ踏み出した。

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