20話 雨の日、傘を忘れたら?

 ……降ってきやがった。


 下校直前になって雨が降り始めた。けっこう強い。


 朝はよく晴れていたので傘を持ってこなかった。さてどうする。なんて悩むまでもなく、雨の中を突っ切って帰る。


 隙あらば散歩している身だ。不意の雨など慣れている。


 俺は昇降口で石山と別れると、そのまま雨の中へ出た。


 走ることはない。

 どうせ頑張ったところでずぶ濡れになるのだから、余計な体力は使わない。帰ったら風呂に入ってあったまればいいさ。


 ……と思ったのだが、一気に降り方が強まった。


 さすがにこれはきつい。


 いつもの交差点。隠れる場所がない。


 俺はぐるぐる見渡して、丹波島橋寄りにある歩道橋の下に入った。幸い風はそんなに強くないので、横から叩きつけてくるなんてこともない。


「ふー……」


 一息つく。

 自由人を自称する俺だが、ものには限度がある。強烈な雨の拘束からは逃げられない。


 しばらくその場で待っていたらだんだん寒くなってきた。


 帰る前に風邪を引くかもしれん。


 動くに動けないでいると、十字路に鏑木がやってくるのが見えた。ちゃんと折りたたみ傘をさしている。


 鏑木が俺に気づいた。

 周囲を確認してから、こっちに歩いてくる。……来てくれるのか。無視されないあたり、やっぱり俺たちの距離は……。


「傘、忘れたの?」

「ああ。あんな快晴だったから降るとは思わなくてな」

「急な強い雨に注意って、天気予報でやってたわよ」

「見てなかった」


 鏑木は傘を下げて、俺の横に来る。


「道原、お散歩大好きなんでしょ? 天気予報って確認するものじゃないの?」

「散歩の時だけだ。通学は別」

「ふうん。線引きしてるんだ」

「趣味には全力を出す男だからな。それより鏑木、俺と話してていいのか? さっさと帰った方が」

「いいじゃない。ちょっとくらいじゃ変わらないわ」


 優しい……。


「俺みたいな奴のためにすまんな」

「なに謝ってるの? 雑談に来ただけじゃない。帰り道は違うんだし」

「もし同じだったら、傘に入れてくれてた?」

「そ、そんなことはしないわ! だいたいこの傘じゃ二人は入らないもの!」

「大きな傘だったら一緒に帰ってた?」

「なんでいちいち食いついてくるのよ!? 大きい傘でも一緒には帰らない!」

「そうか……」

「が、がっかりしないでよ。元々そこでお別れじゃない」

「でも、ちょっとだけでも鏑木と同じ傘に入れたら嬉しいなと思って」

「う、嬉しいの?」


 俺はうなずく。


「物好きな奴……」


 鏑木がぼそっとこぼしたが、ちゃんと聞こえている。


「まだやまないだろうな」

「この感じだとね……」


 鏑木が俺を見上げてくる。


「あ」

「どうした?」

「な、なんでもないっ」


 顔を赤くして、鏑木がそっぽを向く。俺は鏑木の視線を思い返した。


 ……。


「おい」

「……」

「もしかして俺の、シャツが貼りついた胸板を――」

「か、勘違いしないでよ! ちょっと咳が出そうになっただけ! うー、けほっけほっ」


 わざとらしすぎて逆にかわいい。


「まったく、そんなので興奮するあたしじゃないわ」

「俺はまだ全部しゃべりきっていないんだが、そこで興奮というワードが出てきたことについて説明をいただいても?」

「…………」


 今日も鏑木の顔は赤くなる。

 寒いせいで肌が白く見え、余計にわかりやすくなっている。


「し、知らないっ」


 説明を拒否し、鏑木は腕を組んだ。


 ……これ、次の話がしづらいんだが。


 空気が悪すぎる。


「えーっと、雨やまないな」

「二度目よ、その話題」

「じゃあ鏑木がなんか言ってくれよ」

「逆ギレ!? なんであたしが!」

「この空気を作ったのはだーれだ」

「う……」


 とたんに鏑木が落ち着きを失った。右手で体のあちこちに触れる。


「ああもうっ」


 そして、いきなり大声を出した。


「道原、今日はバスに乗って帰りなさい!」

「はい?」

「これじゃ当分やまないから、歩いて帰るのは大変だって言ってるのっ」

「それはかまわないが、バス停が……」


 道路の向こう、ちょっと歩いた場所にあるのだ。


「ん」


 鏑木が傘を持ち上げた。


「しょうがないから前言撤回するわ。半分くらい濡れるのは我慢して」

「ば、バス停までついてきてくれるのか?」

「早く行くわよ」

「鏑木、恩に着る!」


 鏑木が傘を高く持つ。俺たちは半分ずつ入って歩き出した。俺が左、鏑木が右。


 こうなったら俺は素直にバスで帰ろう。こんな雨の日に無理をすることはない。鏑木もそう言ってくれている。


「でも鏑木、せっかくお前は雨に当たってなかったのに」

「まあ、たまにはこういうことがあってもいいんじゃない?」

「そっか」


 二人で横断歩道を渡り、バス停まで歩いた。

 傘に入りきらなかった左肩が重たいが、こんなものは気にならない。

 鏑木と並んで傘に入れたのだ。おつりが来る。


「お、ちょうどバス来た」

「ナイスタイミング。気をつけてね」

「ありがとな、鏑木」

「うん。また明日ね」


 俺はバスに乗る前に一度振り返った。


「――――」


 声が出なかったので、とっさに手を振った。鏑木が振り返してくれる。


 俺は座席につく。鏑木はもう歩き出していた。


「はあ」


 思わずうつむいた。

 振り返った瞬間、見えてしまったのだ。

 鏑木の、傘に入れなかった右側。そのブラウスに浮き上がっている青色の水玉模様が。

 俺はものすごい背徳感に襲われていた。


 ……でも、鏑木だって俺の……。


 いや、これ以上考えるのはよそう!

 今日はおあいこ!

 それで決着だ!

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