11話 俺の交友関係が狭すぎて

 ペタペタと、スリッパの音が近づいてくる。

 相手は階段を上がりきって、角を曲がる。


「あ――」


 そして、そこに俺がいるという寸法だ。


「よう、松橋まつばし

「道原君……。やけに早いじゃないか」

「お前を待ってたんだよ」

「え? 久しぶりに話したのに告白されるの? まだ心の準備が――」

「勝手に盛り上がるな。お前に聞きたいことがあるんだ」

「なんだ、つまらない」

「告白というイベントの重さをまるで理解していないな」


 俺も人に言えた義理ではないが。


 俺の目の前で不敵な表情を浮かべている女子は、去年同じクラスにいた松橋夕日ゆうひだ。


 うっすらと茶色の髪をいつも三つ編みにして、肩の前に垂らしている。よく「邪魔じゃないの?」と友達に質問されているが、本人曰くこれが一番落ち着くらしい。


 少しだけ口角が上がっていて、常に微笑しているように見える不思議な人物だ。眠たそうな目も、その雰囲気に一役買っているのかもしれない。


「去年からずっと、松橋は登校時間が早かったよな」

「それがなんだい?」

「昨日の朝、どこかから俺と星崎が話しているのを見ていたな。それを鏑木に話した」

「へえ、星崎さんと話してたんだ。そういう情報、漏らしちゃって大丈夫かい?」

「挑発か? 俺はお前だと確信しているんだが」

「…………」

「…………」


 睨み合い。

 やがて、松橋がため息をついた。


「それを確かめるためだけに早く来たの?」

「別に早起きが苦手なわけじゃないんでな」

「これ、答えないと通してくれないやつかな」

「当たり」

「うん、まあ、二人が話してるのを鏑木さんに教えてあげた」

「理由は?」

「修羅場になったら面白いなと思って」

「おい」


 にっ、と松橋は嫌みっぽく笑う。


「道原君は気が向かなかったらすぐ学校を休むじゃないか? なのに、しれっと美人二人の心を掴んでいる。その自由さにはなんだかイラッとするんだよね」

「本当に修羅場って俺が刺されたらどうするつもりだったんだよ」

「まさか。星崎さんも鏑木さんもそんな人じゃないよ。ただちょっと、道原君に困ってほしかっただけ」

「嫌な願望だな……」


 まあいい。それよりもう一つの質問だ。


「お前、星崎に訊かれて俺の話をしたよな?」

「さ、さあ」

「めちゃくちゃ詳しかったぞ。しかも全部俺の長所に触れてくれたものだった。それはもうべた褒めだった」

「ふ、ふうん」

「お前だろ?」


 昨日は冷静に考えた。その結果、去年話した女子のクラスメイトが松橋しか思い浮かばなかったのだ。


 文化祭の準備の時、女子は俺に近づいてこなかった。橋渡し役を買って出たのが松橋で、たびたび話す機会ができた。本当にそれ以外、女子と話した記憶がない。


「俺のこと、よく見ててくれたんだな」


 じっと相手の顔を見ていると、視線をそらされた。耳が赤い。松橋も隠し事が下手なタイプだった。


「星崎さん、なんで言っちゃうかな……」


 認めた。


「言っておくが星崎はお前の名前を出しちゃいない。俺の交友関係が狭すぎて、俺を知っている女子が松橋以外にいなかっただけだ」

「ぼっちが犯人の絞り込みに役立つとはね……」

「ぼっちではない」

「ぼっちはみんなそう言うんだ」

「仲良くしてる奴はいるぞ」

「はいはい。で、どうするの? わたしを締め上げるのかな」

「まさか。俺はお願いに来ただけだ」

「なんの」

「鏑木に妙な話を吹き込まないでくれ」

「ああ、そのことか」

「あいつはすごくいい奴なんだ。俺は失望されたくない」


 松橋がきょとんとした。


「道原君、もしかして……」

「深い意味はない」

「あるよね。へえ、意外だなあ」

「納得するな。とにかく、忠告はしたぞ」


 俺は松橋から離れ、自分の教室に入った。

 まだ誰も来ていない。

 朝の教室はとても静かだ。

 みんなが来るまで少し寝ていよう。


 ……去年の文化祭は、クラス展示のために走り回った。近くにいて指示をくれたのは松橋だった。男口調に近い松橋の話し方は独特で、低くて落ち着いた声が心地よかった。


 文化祭が終わったら無関係だった元の状態に戻ったわけだが、松橋は俺のことを気にかけてくれていたようだ。でなければ、星崎にあれだけの話はできないだろう。


 そういう人がいてくれるのは、やはり嬉しいものだ。


     †


「やあ鏑木さん」

「あっ、松橋さん。おはよう」

「昨日のことは悪かったと思ってる。反省した」

「ああ、莉緒が道原に何かされたかもっていうやつね。あれは誤解だってわかったから――」

「もうわかっていたのか。だったらいいんだ」

「あたしも焦っちゃった。道原はそういう奴じゃないわよね」

「……けっこう信用してるんだ、道原君のこと」

「ちょっとだけよ。でも、やっぱり大事なところはわきまえてる人だと思うの」

「そうか。本当に申し訳なかったよ。冷静に考えたら、星崎さんがあんなに楽しそうな顔で戻ってくるわけないものね」

「楽しそうに……?」

「笑顔だったよ?」

「そ、そう……」

「どうかしたの?」

「う、ううん、なんでもないわ! わざわざありがとね!」


 …………。


「星崎さんと道原君が楽しそうにしてるのは面白くない。そういう顔だったね。これは、両想いかなあ……」

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