厄介なアイテム士

 邪神は目の前に居る。

 長年憎んでいた対象を前に、パーヴァは一切迷わなかった。


「貴方を討ち、多くの国民に心の平穏をもたらす!」


 邪神と自分の間にある横堀を飛び越え、レイピアの細い刃でその薄い胸を突き刺す。しかし、肉を切る感触はなく、剣を通して流れて来るはずのエーテルも一切無い。

 邪神だった物がバチンッと弾けたところから察するに、自分が今切ったのは、風船か何かだったようだ。


「幻覚の魔法?」


 本体はどこに居るのかと周囲を見渡せば、いつの間にか横堀の氷の柱が連結され、高い氷の壁となっていた。まるでこの辺一帯が氷の要塞ようさいのようであり、ジッとしていたなら、ジワジワと体温が奪われてしまう。


(こんな所で時間を食われるわけにはいかないわ)


 さっさと邪神を倒し、侍女選出試験に専念する必要がある。

 コロニア家の為、セントス家のミレーネが侍女になるのを妨害しなければならないのだ。


 もう一度【追跡】スキルを使用すると、邪神はさらに40m程離れていて、パーヴァが来るのを待つかのように静止している。

 その行動に、馬鹿にされているような気分になる。

 

「私は真っ向から戦うにも値しない存在だと? 気に入らないわ」


 超高温にまで達したレイピアを鋭く振るい、分厚い氷の壁を斜めに切り崩す。

 大量の水蒸気が立ち込めるため、視界は最悪だ。だが、方向さえ間違えなければ邪神のもとにたどり着ける。


「くっ……。これだけの量の水をいったいどこから運んで来たって言うのよっ」


 切っても切っても、氷の壁は次から次へと立ち塞がり、次第に辟易としてくる。

 この単調な作業をいつまで、やり続けたらいいのか。

 今までよりもやや薄い壁を溶かした後、ツララ状の氷もへし折り、ビクリとする。

 まとまった量の水が顔にかかり、いくらか口に入ったのだ。


「この味は……?」


 無味無臭かと思いきや、何かおかしな味がする。

 しかも、飲み込んだ後、頭の一部に痛みを感じるようになった。自分は今、何を口にしたのか?

 まさかとは思うが、危険なアイテムかなにかだろうか? 考えてみれば、邪神は今アイテム士を名乗っている。何を仕込んでくるか分かったものじゃない。


 早くこの決着をつけ、治療しなければならない。

 焦る気持ちのまま、次なる壁を切る。

 すると崩れた壁の向こうに、随分と可愛らしい少女が立っていた。

 金髪に菫色の瞳。強烈な既視感があるのに、何故か名前が出てこない。


「私の名前を言えるですか?」


 彼女にそう問われた瞬間、とてつも無い敗北感におそわれた。

 この子は自分に何かをしたのだ。

 さきほどのアイテムに、物事を忘れ去る効能があったと考えた方がよさそうだ。


「私にアイテムを使ったわね?」

「分かりますか?」

「ええ。貴女に対する殺意は残ったままだもの。貴女が居なくなれば、この国の誰もが面倒な対立をしなくなる……」


 話しながら、何故そう思っているのか疑問になる。

 こんな幼い少女が一人居なくなったところで、本当にこの国に平和がもたらされるのだろうか?

 彼女の名前だけでなく、非常に重要な事を完全に忘れてしまっている。

 ここに居るということは、侍女選出試験に参加していると思われるが、この子を見かけただろうか?

 時間の経過と共に、これが初対面だという感覚になってきた。


 それなのに、彼女に対する殺意はどこから湧いてくるのか。


 少女は慎重な面持ちでパーヴァの顔を見上げながら、小さな口を開く。


「……私が居なくなっても、たぶん対立はなくならないです。だって、対立を煽ってる人は、理由なんか何でもいいから」

「……何を言っているの?」

「人々からお金と信望を集める為に善神の名を使って、邪魔な人達を排除する為に邪神の名を使って、手に負えなくなったら無信教になるんじゃないかって思います。同じことが出来るなら、別に神の名を使わなくたっていい」

「珍しいことを言うのね。……達観している」

「そうですか??」


 彼女に敵意を持っていた。

 だけど、こんなに大真面目に話をしてくれるのだから、悪い子供ではないのかもしれない。

 少女の話を聞いているうちに、だんだん今までの自分の考えに、ズレがあったのではないかと思い始める。


 義妹に出会わなければ、父の愚かさを知らずにいられた。彼がやらかした犯罪行為が周りにバレないように、罪に問われないように、口封じをしてまわらなくてもよかった。

 そしてなによりも、あれだけ善神に祈りを捧げておきながら、幼い妹を助けるための一言すら言えない自分に絶望することもなかったはずだ。

 善神を信仰する自分達が、何よりも悪に近いだなんて、皮肉でしかない。


 だからエマも、彼女が信仰する邪神も憎かった。

 しかし、その感情ですら、全て無駄だったわけだ。


 自分の父の様に、対立をる者が次から次へと出て来て、自分の利の為に誰かを悪に仕立て上げる。結局のところ、何をしてもその場しのぎでしかない。


「パーヴァさんとちょっと話をして、貴女が興味深い存在だなって思ったです。でも、今は試験中なんで、隔離されててほしいです」


 また氷の壁の中にでも閉じ込めようとでもいうのだろうか?

 今は何もかもがどうでも良くなっているので、氷漬けにされて凍死したって構わない。そう思っていたのだが、少女は氷の壁を溶かした。


「【効能反転】!!」


 ”どこに隔離する気なのか?”と聞こうと口を動かそうとした。しかし、何故かそれは叶わない。口だけではない。手や足なども一切動かない。


(どういう事? 身体の時間が止まってる!)


「えっと、アッチに空間を作る魔法陣を置いていて、パーヴァさんが考え事をしている間に発動しちゃったですよ。パーヴァさんは現在、身体の時間は止まっている状態になっています。試験が終わったら出すので、ここで待っててください」


 少女はペコリと頭を下げてから、パタパタと走り去る。

 何がなんだか分からないが、こんな魔法は見た事が無い。膨大なエーテル量が使われているであろうことは分かるので、少女が相当な魔法の使い手なのはハッキリとしている。――いや、そもそも人間ではないのかもしれない。


(名前を思い出せないけれど、何となく正体が分かったわ。でも、さっきみたいに憎しみが湧いてこない)


 パーヴァは自分の心持が変わろうとしているのを感じた。


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