お猿のソース

海月 冬華

お猿のソース

 どこかの世界、どこかの国、どこかの森。

 今日も、お猿さん達は大好きなバナナを食べながらのんびり楽しく暮らしています。

 朝ごはんにバナナ。お昼ごはんにバナナ。おやつの時間にもバナナを食べて、晩御飯も、もちろんバナナを食べます。

 森にはバナナの木が沢山あって、お猿さん達がいくら食べても無くなりそうにありません。まさにお猿さん達にとって、天国のような森でした。


 ですがある日、森に人間達がやってきてこう言いました。

「これだけの広い土地があれば、ゴルフ場もホテルも自由に作れる!」

 なんということでしょう。

 どうやら人間達は、お猿さん達にとって天国のようなこの森を、無情にも切り開いてしまおうと思っているのです。


「森がなくなっちゃう!」

 お猿さん達はさっそく集まって、森を守るために話し合いを始めました。

「ここは俺達の森だ。リゾート開発だぁ? そんなふざけた話があってたまるか」

 そう切り出したのは、群れの中で一番体が大きいお猿です。名前はビッキーと言います。 

「それなんだが、僕達はどうやら土地の権利を持ってないそうなんだ」

 次に口を開いたのは、群れの中で一番頭が切れるお猿です。名前はチョッキーと言います。

「なぁにが土地の権利だ。俺達は人間が町を作るずっと前から住んでいたんだぞ。俺の爺さんも、そのまた爺さんも、そのまた爺さんもそう言ってた」

 声を荒げるビッキーに、周囲のお猿さん達が声高々に同調します。

「だが、市役所に行って確認したところ、『その森は国有地だ』と言われた。それに、お役所からすると、僕達は不法侵入者らしい」

「じゃ、じゃあ! オイラ達はどうなっちゃうの!?」

 チョッキーにそう尋ねたのは、群れの中でも一番のお調子者。名前はウッキーと言います。

「とにもかくにも戸籍が必要だ。でないと土地を買い取ることもできない」

「買い取るだぁ!? いちいち人間のルールに従ってられるか。そもそも、猿に戸籍なんぞあるわけないだろ」

「ところがどっこい。お金を払えば戸籍を作ることができるそうだ。実際、隣町の森に住む猿達は全員作っているとのことだ。さらに、何代も前に森を国から買い取っていて、住民登録も含め正式な手続きを踏んだ上で暮らしているらしい」

「猿が……か?」

「猿が、だ。あそこの森は広いがバナナの木が少ない。国に頼らなければ生きていけないそうだ」

 ビッキーは頭を抱えました。

「いやいやおいおい、どういうこったそれは。人間の作ったルールに従って、一体全体猿に何の得があるってんだ! 食料がなければ奪ってくればいいだろう!」

「そんなことをしたら待ったなしでここは更地になるよ。メリットについてだが、まず、予防接種を受けられるそうだ、それもタダで」

「た、タダで……だと……?」

「ああ。さらに、年に一度の健康診断もタダ。ケガで入院しても費用の一部は国が支払ってくれる。医療以外にも、水道、ガス、電気などのライフラインや、教育に、結婚を前提とした出会いのサポートも受けられる。もちろん、住民税や土地にかかる固定資産税など、各種税金を支払う必要はあるが」

「猿が……か?」

「猿が、だ」

「結婚! オイラ、可愛い子ちゃんと結婚したいフガッ!」

 飛び跳ねるウッキーに、ビッキーがバナナを投げつけました。

 ビッキーはチョッキーが冗談を言っていると思いたいのですが、チョッキーが嘘をついているようには見えません。

 頭を抱えたビッキーは、立ったり座ったり、あちらこちらに歩いたり、ぶつぶつ言いながら動き回ります。

「ええいや待て、そもそもだな」

 そんなビッキーに、チャッキーはさらに続けます。

「しかもなんと、希望者は国立動物園のモンキーワールドに引っ越すこともできるそうだ! それもタダで!」

「それ猿の補充要員だよね! というか、タダって一番怖い単語だからな! なっ!」

 お腹の底から出したビッキーの声が、むなしく森に響き渡りました。

「……悪い。ちょっと休んでくる」

 そう言うとビッキーは、肩を落として歩いて行ってしまいました。

 チョッキーはビッキーの背中に冷ややかな目線を送ってから、皆に向かいます。

「制度について詳しい説明は後でするが、とりあえず方針を決めたいと思う。戸籍を取得し、国から森を買い取って正式に住民として認めてもらう。これでいいだろうか」

「オイラは賛成! かわいい子、紹介してくれるんでしょ!」

「各国共用の『データベース』があるそうだ。出会いを希望している猿が全て登録されている」

「ウウウウウッキー! かわいい子ちゃん待っててー!」

 興奮した様子のウッキーに、集まっていたメスのお猿さん達が一斉にバナナを投げつけました。


 多数決の結果、お猿さん達は戸籍を作り、森を買い取ることにしました。

「けどさチョッキー、どうやってお金を稼ぐんだい?」

 バナナまみれのウッキーが尋ねました。

「一つ考えがある。バナナでソースを作るんだ。とびきり甘いやつをな」

「バナナで?」

「そう。バナナをそのまま売っても大した額にならないし、一度に運べる量も少ない。だがソースにすればどうだ。ぐつぐつ煮詰めた甘いバナナソース。パンにかけてよし、アイスにかけてよし、だ。幸い、隣町の森と違い、この森にはバナナが潤沢にある。これを使わない手はない!」

「そのソース……バナナにかけてもおいしい?」

「もちろんだ! バナナにバナナをかけて、マズいわけがないだろう!」

「ウッキー! バナナソース最高!」

「やかましい!」

 森の奥からウッキーめがけてバナナが飛んできました。


 こうしてお猿さん達は、さっそくソース作りに取りかかりました。

 するとなんということでしょう。チョッキーの読み通り、ソースは大ヒット。

 最初は少量しか作れなかったソースも、売り上げたお金で大鍋を買い、生産量はぐんぐんアップ。

 さらにソースだけでなく、バナナを使ったお菓子や創作料理も始めたお猿さん達。彼らはバナナのプロ。当然のように商品は大ヒットしました。


 そして、ソースを作り始めてから数か月。無事、リゾート建設直前に滑り込みで森の購入までたどり着いたお猿さん達。これで何の心配もありません。


 ですが……。


「……よし、ソースの輸出先が増えた。工場を追加したのはやはり正解だったな。バナナのお菓子は町の小学校と給食契約できたし、バナナレストランも順調に売り上げを伸ばし、来月には二十店舗目がオープンする。まったく、言うことなしだ」

 チョッキーは、パッドを操作しながら笑みを浮かべています。

 お猿さん達が森を買い取ってからさらに数年。大金を手にしたお猿さん達は、もっともっとと、事業の幅を広げました。森の中に工場を建て、バナナの生産が追い付かなくなれば隣町の森も買い取り、バナナの木を植えて生産量を増加させました。

 やがてバナナの品種改良に着手したお猿さん達は、一本の木に実るバナナを大きく、さらに数を増やすことに成功。さらに、温度調整がしやすい地下でバナナの栽培ができるよう設備を整え、地上部をすべて工場にすることで、生産スピードと量を格段にアップさせることができました。

 そして一番の変化というと、工場のオート化。収穫から工場への輸送、果ては加工、発送まで猿の手を一切使わず、すべてボタン一つで済みます。


「まさに天国」

 工場長となったチョッキーは、自室でバナナの形をしたノッキングチェアーに揺られ、バナナソースをたっぷりかけたバナナに舌鼓を打ち、バナナの香りがする香水にうっとりしながら、愛用のバナナボートを使う季節が来るのを今か今かと待ち焦がれています。

「ウッキーも、これからまた少し忙しくなるな」

 ウッキーはデータベースのマッチングで出会ったお猿さんと結婚し、沢山の子宝に恵まれ、バナナレストランのエリア長をしています。新しくオープンする店舗を含め、二十店舗すべての店長と連携を取り、店を回しています。まさに敏腕です。


 ビッキーは、国立動物園に引っ越しました。というより、ほぼ強制連行でした。どうしてもチョッキーの案に賛同できないビッキーは、森の中を彷徨って行き倒れていたところを国立動物園の飼育員に保護されたのです。動物園での暮らしは何不自由なく、とても楽しいものでしたが、唯一の不満は、食事で出されるものが全て、チョッキー工場で作られたもだということです。

 人間の森林伐採から逃れるために始まったことが、今では人間の生活に密着することに。もちろん、お猿さん達の生活は守られましたが、ビッキーはどうしても素直に納得することができなかったのです。だって、あの土地にはもう、木の一本だって生えちゃいないのですから。

 ビッキーは、苦難の表情で今日も空を見上げます。

 工場の排気ガスでバナナ色に曇った、空を。

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お猿のソース 海月 冬華 @nononoguti

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