おうちで消毒液を作ろう
@rakugohanakosan
第1話酔い覚ましの水・禁酒法時代アメリカ
「なによ、なにが禁酒法よ。ふざけるのもたいがいにしてほしいわ。そもそも、お酒ってのは神様がわたしたちに授けてくれたものなのよ。生水なんて飲んだらお腹が下痢になっちゃうヨーロッパで、衛生的でコストパフォーマンスに優れたビールは素晴らしい飲みものだったのよ。それをブランデーやウイスキーみたいな蒸留酒といっしょくたにして禁止するなんて。理不尽にもほどがあるわ」
「ルーシー、少し落ち着きなさい。売り物のビールをそんなに飲みすぎるものじゃありませんわ」
「ですが、お母様。禁酒法なんてものが制定されたらわたしたちの商売あがったりじゃない。これが落ち着いていられますか」
まったくもう。お父様がドイツから裸一貫でここアメリカに移民してきて、祖国ドイツの伝統的ビール販売で成功してゆくゆくはわたしが二代目やり手女社長になる予定だったのに。
「お母様、そもそも私たち一家はアメリカ国民じゃない。それなのに、ヨーロッパでイギリスやフランスとドイツが戦争になったからと言って、あたしたちドイツ系がなんで迫害しなければいけませんの。この禁酒運動も、わたしたちドイツ系アメリカ人が酒造メーカーの大半を占めているから起こったことに違いありません」
「ルーシー、その辺にしておきなさい。まったく。可愛い娘がこんなふうに飲んだくれていると知ったらあなたのお父様は何と言って嘆くことでしょうか。早く帰ってきてくれないかしら。『クリスマスには帰るよ』なんてお父様は言っていらしたけれど」
「それよ、お父様ったら。『俺の祖国でヴィルヘルム皇帝陛下のために同胞が兵士となっているんだ。俺が兵隊として志願しないわけにはいかない』なんて、せっかくここアメリカで成功したのにドイツに舞い戻っていっちゃって……」
まったく、お父様ったら。祖国だからってなんでそこまでする必要があるんですの。国なんて、自分が気に入らないことを命令したら銃を手に取って反乱してやるくらいに考えていればいいのに。
「そもそも、主は言われたでありませんか。『ワインが血であり、パンが肉である』と。お酒を飲むことは聖書に書かれているように当たり前のことなんですわ。それなのに、『ウイスキーで飲んだくれている男が悪い。ウイスキーが悪い。酒が悪い』なんて酒を悪者扱いするなんて、主の御心に反していますわ。そうでしょう、お母様」
「それはそうよねえ、ルーシー。お母さんもお父様がウイスキーで酔っ払うのはほどほどにしなさいと思うけれど、だからと言って蒸留酒だけでなく醸造酒であるビールやワインまで禁止するのはどうかと思うわ」
「だいたい、アメリカが禁酒法を定めたって隣にカナダとメキシコがあるじゃない。国境問題はどうするのよ」
カナダとメキシコは陸続きなんだから、検閲なんてガバガバになるってのに。
「そもそもお母さま、わたしたちはお酒造りという誇り高い商売を営んでアメリカに納税と言う形で貢献してきたじゃない。その家業を禁酒法なんてもので台無しにされたらどうなると思います?」
「どうなるのかしら?」
「闇で密造酒が出回るに決まっていますわ。闇だから当然税金なんて払われないわよ。政府は禁酒法なんてものを制定したら、税収は減るってことをまるで理解していないのよ」
まったく、これだから現場を知らないお役人ってのは嫌なのよ。
「でも、ルーシー。お母さんは闇で密造酒なんて作ろうとは思わないわ」
「お母様がしなくても誰かがやるに決まっていますわ。最近イタリア系が売春で一財産作ってるじゃない。マフィアだか何だか知らないけれど。禁酒法なんてものが制定されたら、奴らみたいなアウトローがのし上がるだけよ」
「まあこわい」
お母様ったら、わたしのいう事をまるで本気にしていないわね。ひょっとして、『禁酒法なんて馬鹿なことが実際に起こるはずがない』なんて考えているのかもしれないわ。甘いわ、お母様。現実は常にフィクションをあっさり超えるものなのよ。
「まだ飲み足りないわ。どうせ禁酒法が定められたら処分される酒よ。今のうちの飲めるだけ飲んじゃいましょう。こうなりゃビヤ樽ごといってやるわ」
「ル-シー、飲みすぎて二日酔いになっても知らないわよ」
「大丈夫ですって、お母様。ビールなんて水みたいなものよ。いくら飲んだってなんともならないわ」
禁酒法なんてものを実現させるわけにはいかないんだから。そのためにわたしができることは……あらら、なんだか頭がふらふらしてきたわ。
「ほらごらんなさい、ルーシー。すっかり酔っ払っちゃってるじゃない。ベッドで横になりなさい」
「まあお母様、このわたしが酔っ払ってるですって! 酒の席の冗談にしては笑えませんわ」
「お母さんは飲んでいませんよ、ルーシー。いいからひと眠りしなさい。そうしたら酔い覚ましの水が飲めるから。あなたいつも言ってるでしょ。『酒はやめても酔い醒めの水はやめられぬ』なんて」
ひっく、それもそうね。二日酔いの体にしみるあの水のおいしさと言ったら……
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