第39話 ~八重樫編② あたし、人生懸かってるんだよね~
「ご飯にする? お風呂にする? そ・れ・と・も……」
「俺んちなんだよ、ここ」
「もう~、あたし大橋きゅんの専属奴隷メイドになるんだから!」
「奴隷が入るだけで一気に18禁へとリーチが伸びるな」
結局、八重樫は俺の家に来た。
帰り道のスーパーで食材や飲み物を買って、俺の部屋まで一緒に帰ってきた。やっていることは完全に同棲カップるである。
「ベッド、座っても平気?」
「ああ、適当にくつろいでくれ」
「シャワーまだ浴びてないけど、大丈夫?」
「ん? まあ、別に気にしないよ」
「そ、そっか。じゃあ、失礼しま~す」
意外と気にしいなのか?
ノリノリだった割には、遠慮がちにベッドへ腰を掛ける八重樫。
「…………」
俺は学習机の椅子に腰を掛け、ペットボトルに入ったスポーツドリンクを飲み干す。
八重樫杏子。
長いスラッとした生足がベッドから伸びる。
モデル顔負けのスタイルだ。すれ違ったら思わず振り返ってしまう素晴らしく綺麗な足。
こんな美女が自分のベッドに座っていたら、気が気がじゃない。
「どうしたの?」
思わず足を見ていると、八重樫が大きな目で俺を見る。
吸い込まれそうな大きな瞳、長いまつ毛が女性らしさを増長させる。
思えば、八重樫と話したのなんてインハイの時と、学祭準備で関わる日くらいだ。
あんまりどういう子か分かってないんだよなぁ。
「ねえ、もう抱きたくなっちゃった? でも恥ずかしいからシャワー浴びてからね?」
「…………」
何故か俺のことを異常に好いていること以外は。
「八重樫、お前ウチの学校来る度にここ泊まるつもりか?」
「勿論」
「うへぇ……気が気がじゃねぇな」
「それってあたしを性的に見てるってこと!? ねぇ!? そういうこと!?」
「なんでそんなに嬉しそうなんだよ……」
「あ、そうだ。大橋きゅん、せっかく食材買ったし何か作ってあげよっか?」
「え? そんな気遣わなくても」
「いいのいいの! あたしの料理食べたら両想いになっちゃよ~?」
「何入れる気だ……?」
いつも絡んでるアイツらが異常な思考回路なせいで、料理を作ってもらえるという優勝イベントですら、謎の恐怖感を伴うようになった。
だってほら……輪島さんとかマジで変なもん入れそうじゃん……料理自体は上手いけど。
「キッチン借りるわね!」
「お、おお……ありがとう」
「何を作るかはお楽しみね!」
「は、はい」
八重樫は嬉しそうにパタパタとキッチンへ向かう。
キッチンの前に立つと、ヘアゴムで長い髪をポニーテールに結び、手を洗い始める。
「おお……なんかデキそうな雰囲気あるな」
「オトコってうなじ好きでしょ?」
「ああ、本当に俺を落とそうとしてるんだな」
「勿論! 今日の目標は大橋きゅんのおちん――」
「あー! お腹空いたなー!!」
「冗談だってば、もう。泊めてくれたから、単純に感謝の気持ちだよ?」
「…………」
こいつは頭おかしいのか常識人なのかどっちなんだ?
俺はもう感覚がマヒしてるから、下ネタはすべて冗談ではなく本気で言ってるんだと認識するカラダに調教されちゃってるんだからな。
「はい、どうぞ」
「おお……これは……」
30分ほどが経ち、リビングの椅子に腰を掛けていると、目の前に皿が3枚置かれた。
顔を上げると、八重樫が結んだ髪をほどいていた。
料理の方は見栄えは完璧であった。
ご飯、味噌汁、豚肉とナスの炒め、コーンサラダ。
ザ・ベスト夕食。
「八重樫……本当に料理上手なんだな」
「ふふふ……味もなかなかいいわよ?」
「ほう、では早速……いただきます」
「召し上がれっ」
一口、炒め物から口へ運ぶ。
目の前に座った八重樫は、頬杖を付きながら首を傾げて心配そうに俺を見ていた。
強気なこと言ってるけど、結構心配性なんだな。
「どう……? 大橋きゅんのお口に合いそうかな……?」
「いや、これ本当においしいです」
「本当!?」
「びっくりするくらい美味い」
「やった! 大橋きゅん大好き! 早速付き合ってください!」
最後なにか言っていたが、無視して料理を味わう。
味付けもちょうどよく、見た目もよく、バランスの取れた食事。
「毎日料理してるくらいじゃないと、こんなに上手く作れないと思うんだが……」
「料理は毎日してたわよ。今は寮だから気が向いたらだけど」
「実家にいた時は毎日作ってたのか?」
「ん~、まあそうね。ある意味あたしがお母さんみたいなもんだったし……」
「ん……」
今、少しだけ寂しそうな顔をした。
すぐに取り繕って笑顔に戻ったが、もしかしたらあまり詮索すべきではないのかもしれない。
「でも、大橋きゅんが喜んでくれてよかった~、絶対あたしのこと好きになってるし」
「まあ、たしかに結構好きになったかも」
「えっ……」
突然、八重樫の顔が紅潮し始める。
一度、目を伏せてもじもじと足を動かした後、そっと俺の上目遣いで見つめる。
「なんでここで突然照れるんだよ」
「い、いや、自分から言うのは慣れてるけど、逆に言われるとちょっとアレっていうか……」
「珍しくたどたどしいな」
「ま、まあ両想いになってくれたらあたしは満足! 早く食べて一緒にお風呂入ろ?」
「順序って言葉だけ覚えられなかった悲しきモンスター?」
「あ、食器はあたしが洗うから置いといてお風呂先に入ってもいいわよ~」
「そこまで気遣わなくてもいいよ」
「いいからいいから、お部屋も片付けしておくからね!」
「頼む部屋だけは片付けしないでくれ、お前いきなり来たから何も準備できてないんだよ」
「あら、あららぁ~? これは大橋きゅんの性癖をもっと知るチャ~ンス」
「一生皿洗ってろ!」
俺は皿をカチャカチャと健気に洗う八重樫を横目に、風呂場へと向かった。
「ふぅ……」
風呂の天井に付いた水滴が、ぽちゃん、という音をこだまさせながら湯舟へと落ちる。
突然静かになった空間と最適な湯加減に、俺は心地よさを噛みしめながら目を瞑る。
「八重樫……あいつは一体何を考えてるんだか……」
口を開けば大橋きゅん、付き合ってくださいと告白してくる。
本当のところ何考えてるのか全然見えてこないんだよな。
あんな格闘技と無縁そうなビジュアルしといて、五十嵐より強いんだからなぁ……。
スピードやテクニックは勿論、競り勝つための闘志も持ち合わせている。
特待でヴェントリックに入って、北海道から上京してきたんだっけ。
練習を見た感じも、練習中は一切ヘラヘラせず真面目な顔して全力でやってるし。
あいつの真摯さ、それはどこから来るんだろうか。
「まあいいか……そろそろ――」
考えすぎてはのぼせてしまう。
目を開けたその刹那――
「なんで八重樫がいるんだよ!?!?」
「あら、ダメ?」
「ダメだろうが! しかも全裸じゃねぇか!」
「お風呂入る時に全裸じゃない人いるの?」
待て待て待て。
何が起きているんだ。
湯舟の隣で、椅子に座りながら体をシャワーで流す八重樫が目の前にいた。
そして、それは紛うことなき"全裸"であった。
「おい! 何してんだよ!?」
「さっき、一緒に入ろ? て言ったでしょ~?」
「普通に冗談だろそれは!」
「あたし、有言実行のオンナだから」
「体洗い終わるまで待っててね?」
「お前…………」
鼻歌を歌いながら上機嫌で体を洗い始める。
細い手足にくっきりとしたくびれ。
結い上げた髪の下には、綺麗できめ細かい白い肌。
小ぶりだが上向きの胸がツン、と張っている。
小さなお尻からは長いスラリとした足。
本当に気が気じゃない。
「大橋くん、もしかして今勃ってる?」
「早く体洗え!」
「もっと大きいのがお好みかしら?」
「胸はどちらでもいいです! キャラによる!」
「意外としっかり答えてくれるのよね……」
「…………」
勘弁してくれ、全部見えちゃってるんだよ。
俺はできるだけ体を湯舟に沈め、身を潜めた。
「じゃ、入るわね」
「…………」
俺の股の間にスッと入ってくる。
こいつ、当たり前みたいに俺の前座るんだな。
「よいしょ……はぁ~気持ちいい~」
「お前……」
目の前に座った八重樫は、俺の体に寄りかかり身を預ける。
後ろに倒した頭がコツン、と俺の肩に乗る。
つ、艶めかしすぎる……!
「…………」
「…………」
そのまま、しばらく沈黙の時間が流れた。
時折、水音が響き渡る。その度に、八重樫の体が少し動く。
なにこれ、気まずすぎる。
え? これって俺から何か言った方がいいの?
のぼせそうなんですけど? これ、襲わないと次に進めないチャプターなん?
「えーと……八重樫――」
「大橋きゅんさ、ボクシングに人生賭けてたんだよね?」
「……!?」
突然、八重樫が言葉を紡ぎ始める。
顔は見えないため、どんな表情をしているかは分からない。
ただ、声音は低かった。
「人生賭けてたボクシング、できなくなった時……」
「どう思った?」
「どういうつもりで聞いてるんだ?」
「言いたくなかったらいいけど」
「うーん……そうだな、全部どうでもよくなった、が近いかな」
「そう……なんだ」
「じゃあ、なんで今マネージャーなんかやってるの?」
「別にボクシングが嫌いになったわけじゃない」
「納得いってる?」
「お前が何を聞きたいのかよく分からないけど……完全に納得はしてない」
「…………」
「でも、俺が今できることをやりたい。悔いは少しでも減らしたい」
「明日、起きたら目が治ってないかな、足が治ってないかな、何度も望んだ」
「でもこれが現実だ。ただ、アイツらと一緒に夢追ってるのが、今は少し楽しいんだ」
俺も自分の気持ちに完全に整理が付いたわけではない。
悔しいし、プレイヤーとしての気持ちや夢を忘れたわけではない。
でも、今はこれでいい。
そして、そのおかげで俺は夢を失った虚無感から救われてるんだ。
「そっかぁ……」
「にしても、いきなりどうしてそんなこと――」
「あたしさ、人生懸かってるんだよね。ボクシングに」
「…………?」
八重樫が天井を見上げる。
濡れた髪から、ふわりとシャンプーの匂いが舞い上がる。
「あたしの家、すっごく貧乏なの」
「そ、そうか……よく上京できたな」
「そうなの。お母さんは生まれた時には離婚していなくなってて、父子家庭だった」
「でも、お父さんも体が強くなくて、お金は本当になかった」
「…………」
八重樫が、俺の手を握る。
「お姉ちゃんは勉強頑張って公務員になって、今はお父さんの代わりに稼いでる」
「あたしだけ、バイトもしなくていいよって、ボクシングずっとやらせてもらって」
「高校は特待だから学費無料だし、あたしができることはボクシングだけだったから」
「この環境に飛びついた」
「でも、あたしがボクシングで成功しなかったら……全部意味なくなる」
手を握る力が強くなる。
「毎日家族のご飯作って、ボクシングして……そんな生活だったけど、今は2人を置いてボクシングだけに打ち込ませてもらってる」
「なのに……」
天井から水滴は落ちていないはずなのに。
水音がこだました。
「あたし、インハイの決勝負けちゃって……あたし、これでお金稼いで2人に恩返ししなきゃいけないのに……ッ!」
「八重樫……」
そうか。
こいつは、家族の人生まで賭けて、拳を握っているんだ。
負けたら終わり、本気でその気持ちでリングに上がってるんだ。
独り身で上京してきて、ボクシングだけにすべてを注いでるんだ。
「こんなに頑張ってるのに……これで夢叶わなかったら終わりだよ……ッ!」
「あの贅肉ギャルと判定になった時も……正直負けたかもと思った」
「あれはあたしの方がアマチュアルールの採点方式を知ってただけ……本当の実力なら分からない」
「不安なのよ……これで失敗したら、何のためにお父さんとお姉さんはあたしに夢を託したのか……」
「不安で、不安で……仕方ないのよ……ッ!」
八重樫の体は震えていた。
「ひゃっ……!?」
「あ、ごめん……」
そんな彼女を見て、俺は思わず後ろから抱き締めてしまった。
あんなに強い八重樫が、今は弱々しく映った。
俺の手を握る細長い指を、もう片方の手で上から包んだ。
今は、不安に怯える彼女を落ち着かせたい一心だった。
彼女を包み込んだまま、俺は言葉を続けた。
「夢が絶たれることは、たしかに怖いと思う」
「…………」
「人のために殴り合える八重樫を俺は尊敬するし、素直に応援する」
「大橋くん……ありがと」
「そこは、"大橋きゅん"じゃないんだな」
「う、うるさっ、いま余裕ないんだから、仕方ないじゃない……」
八重樫が少し振り向いてこちらを睨む。
目にはまだ涙が溜まっており、温かい湯舟のはずなのに唇は震えていた。
「でもさ、まだボクシングができる限りは、不安が取っ払えるまで練習できる」
「…………」
「夢が絶たれたら……なんて、夢が絶たれてから考えればいい」
「今は、全力で夢を追えばいい。不安にさせるために、お前に託したわけじゃないだろ? 父親たちも」
「そう……だね……」
「また、気が向いたら練習に来なよ。勿論俺はアイツらのために存在してるけど……」
「八重樫、お前も想いも俺は応援したい」
「――ッ!」
その刹那、八重樫は振り返し体を俺に向けた。
「お、おい」
そして、真正面から俺の首に手を回し、ぎゅっと、抱き着く。
柔らかい体の感触が、ダイレクトに俺の肌へ伝わってくる。
「ありがと」
「ど、どういたしまして……」
八重樫の口から、笑みがこぼれた。
今更、裸で何をやってるんだろう、と俺も笑みがこぼれてくる。
「あたしさぁ」
「ん?」
「結構、本気で大橋きゅんのこと好きかも」
「…………!?」
「今日、一緒に寝てもいい?」
この後、めちゃくちゃ爆睡した――。
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