第26話 ~束の間の打ち上げ花火~

「祭りなんて、小学生ぶりだなぁ……」


 普段は静けさが支配しているであろう古い神社までの大きな参道には、今日だけは色鮮やかな屋台や浴衣が賑やかに揺れ動いていた。


 日中は地面からめらめらと熱気が湧き上がる蒸し暑さだったが、月が出てからは涼しい風が吹き始めていた。

 喧騒、甲高い笛の音、そして屋台から色黒い中年男の野太い声が響き渡る。


「兄ちゃん姉ちゃん! フランクフルトどうだい!?」


「今年もすごい人だね~」


 俺の隣を歩く輪島さんが、苦笑いを浮かべた。

 白が基調の、鮮やかな水色の花柄がアクセントの浴衣がよく似合っていた。


「人混み……つらい……」


 その後ろと、肩を落としたソフィがトボトボと歩く。

 黒い浴衣に、白い花柄がシンプルながらソフィの色白い肌とコントラストになっていた。


「フランクフルト、食いたくね?」

「わたくしはりんご飴なるものを食べてみたいですわ」


 その隣を歩くのは五十嵐と長谷川さん。

 五十嵐は薄いピンク色の浴衣に、濃いピンクとパープルの花が織り交ぜられている。前から思ってたけど、やっぱ可愛いのがお好きなのね。


 長谷川さんはネイビー基調の浴衣に、黄色の笹が描かれている。大きくカールした髪が浴衣に触れたり触れなかったり。


「五十嵐と長谷川さんは計量があるからダメ」

「まじかよ、今日くらいいいだろ~?」

「ダメと言ったらダメです」


「…………」


 あのインハイ予選から1週間。


 残り2週間ほどで、インハイ本選が始まる。

 その前に、俺たちはリフレッシュも兼ねて地元の祭りに遊びに行くことになった。


 提案したのは俺だ。

 俺自身、輪島さんを目の前で潰してしまった懺悔で、あれから一週間ずっと悶々としていた。


 幸い、痛みを訴えていた腕も大きな怪我はなく、顔の腫れも引いてきている。

 しかし、あの決勝で重い空気の流れたボクシング部に何とか新しい空気を吹き込みたかった。


 考えた俺は、地元の祭りが開催されることを知って全員に呼びかけたのだ。


 あれから、五十嵐は輪島さんに気を遣っているのかあまり目を合わせようとしない。


「お、射的あるじゃん! 行こうぜー!」

「射的、やったことありませんので興味ありますわ」

「射的……」


 五十嵐が走り出すと、後を追って長谷川さんとソフィも追いかけていく。


「おい、お前ら勝手に――」


 俺が止めようと声を出した時には、もう人混みの奥まで走っていってしまっていた。

 あいつら……無邪気かよ。


「はぁ……」

「…………」


 隣を見ると、輪島さんだけは後を追いかけず俺の隣を歩いていた。

 白い髪飾りが、そよ風でわずかに揺れた。


「輪島さん――」

「いいの」

「…………」


 何かを悟ったように、彼女は静かに笑った。


「私ね、正直あの時……風音ちゃんが憎かった」


 髪飾りと指で弄りながら、俺の目を見つめた。


「憧れた存在だったけど、あんなこと言われて……憧れとか全部消えて、ムカつく! ってね」

「はは……けどね、風音ちゃんは正しいことを言ってたし……あれがあの子の優しさなんだって」

「……きっと、平和ボケしてる私を本気で殴ることはできなかったんだと思う」


 俺はあえて無言でその言葉を聞き続ける。

 あの時の五十嵐の態度は、普段のふでぶてしい態度の比じゃなかった。


 あれが、わざとだろうなんてことは俺ですらすぐにわかった。

 最後に五十嵐が目に涙を溜めていたのを見れば、色々なことに察しが付いた。


「風音ちゃんは優しいよ。私が本気で戦えるように、ああやって煽ったんだよ」

「……相手に気を遣わせたのは、俺の責任でもあります」

「え……?」

「俺がもっと、輪島さんのメンタル面もカラダの面のサポートできるセコンドだったら……」


 輪島ひかりを、強いボクサーにする。

 あの日誓ったはずなのに。


「大橋くん……」

「俺も、絶対に成長します……俺は輪島さんに悪いことを――むぎゅ!?」


 突然、言葉の途中で頬をムギュっと掴まれる。

 口を塞がれて言葉が出なくなる。


「ばーか。なんでもなんでもは大橋くんに頼り切らないよー、私のが年上なんだからね?」

「…………!」


 頬を掴んだまま、いたずらな笑顔で俺の顔を覗き込んだ。

 その大きな丸い目が目の前に迫り、思わず顔が熱くなる。


「ちょ、輪島さん」

「ふふっ……半分冗談。でも、感謝してるよ」


 この人は……。

 たまに出す圧倒的年上感はなんなんだろう。

 さすがにズルいんじゃないでしょうか。


「私、あの時は悔しさで押し潰されそうだったけど、今は前向きに考えてるよ」

「だって、このメンバーと部活やってなかったら、決勝なんて行けなかったもん」

「輪島さん……」


 刹那、輪島さんの腕が、俺の右腕に絡みつく。


「えっ……!」

「大橋くんが、風音ちゃんとだけキスして、しかも試合にも負けたのは根に持つけどね」

「それは……!」


 また、いたずらっ子のような笑顔を浮かべて、俺の肩に頭を寄せた。

 今、めちゃくちゃ密着している。客観的に見たらアツアツのカップル状態だ。


「それはノーコメントとして……輪島さん」

「…………?」

「一緒に、強くなりましょう」

「うん……」


 髪飾りが肩に触れた。

 もう見えなくなった五十嵐たちの影を追って、俺たちは前に歩き続ける。


 少し歩くと、輪島さんは俺の腕から離れて歩き出す。

 少し、心地よさを感じている自分がいたかもしれない。




「うわー! 長谷川さんパンチは強いけど射的マジで下手だなー!」

「は、初めてですから仕方ありませんの!」


「はい、嬢ちゃんは子供向けの台ね」

「わたし、高校生なんだけど」

「えっ?」


 俺と輪島さんが射的の屋台にたどり着くと、3人は既に盛り上がっていた。


 五十嵐がいとも簡単に景品を打ち倒していく。

 見事すぎる。


「五十嵐、お前こういうの得意そうに見えてやっぱ得意なんだな」

「まーな、祭りは毎年行ってたからよ……おーい、お子ちゃまレーンは大丈夫か?」

「お子ちゃまレーンって呼ばないで……ねえオーハシ」

「ん?」

「これで、お尻打ったら気持ちよさそう?」

「なんで疑問形なんだよ。知らねーよ」


 その横では、長谷川さんが真剣な目つきでコルク銃を構えている。

 台に大きな乳が押し広がっていた。後ろを歩く若い男たちの目線を奪っていく。


「ですわ……ですわっ!」

「その新しい掛け声みたいの何なんですか」


 長谷川さん以外は飽きてきたのか、コルク銃を降ろして列から外れていく。


「もういいのか?」

「ああ、いいや。もう満足した」


 景品をいくつも抱える五十嵐が、満足げに歩いてきた。

 その横には、景品の小さな電動マッサージ機を片手に持つソフィがいた。


「なあチビ……それウチにくれない?」

「人からオナニー用のブツ貰おうとしないで」

「ち、ちげーよ! 別に興味あるとかじゃねーし! てめぇは一人でケツ叩いてオナっとけよ!」

「エセギャル逆切れ……もうただの癇癪ギャル」


 相変わらず2人は小突きあっていた。

 こいつら仲良いよね?


「…………」


 五十嵐が、俺の後ろに立っている輪島さんに向かって歩き出す。

 その顔は、不安げだった。


「風音ちゃん……」


 輪島さんが、五十嵐と目を合わせた。

 祭りの喧騒の中で、二人の間にはしばらくの静寂が走っていた。


「これ、あげます」

「…………?」


 景品を抱えた五十嵐が、その1つを、気まずそうに差し出した。


 輪島さんが日頃から可愛いと言って愛してやまない、子供向けアニメの熊のキャラクターのぬいぐるみだった。

 学校に持ってくるカバンにもこのキャラクターのキーホルダーが付いていたはずだ。


「え、でも……風音ちゃんが取ったんだよね?」

「いいんすよ……あの、部長……」


 もう1歩、五十嵐が前に踏み出して、輪島さんの胸元にぬいぐるみを押し付ける。

 顔を赤らめて、背けたまま切なげな表情で口を開いた。


「仲直り……したい……っす……」

「…………っ!」


 輪島さんの目が見開いた。

 俺も、思わず目を丸くして五十嵐を見つめた。


「ウチ……あの、その……勝負だからさ、本気でやりたくて」

「風音ちゃん……」

「でも、部長のことは、す、すきだから……」

「風音ちゃんッ!!」

「…………っ!?」


 刹那、ぬいぐるみと共に五十嵐を強く抱き締めた。

 背中が押しつぶされてしまうのではないか、というくらいに。


「うっ……ぐ……風音ちゃん、私……風音ちゃんに負けてよかった……!」

「部長……」


 唖然としたまま、抱き締められ続ける五十嵐。

 肩を輪島さんの涙で濡らしたまま、そっと、輪島さんの腰を掴んだ。


「情けないけど……やっぱり、風音ちゃんは私の憧れだよ……?」


 静かに微笑みながら、五十嵐が首を横に振る。


「ウチは憧れられるような人間じゃないっすよ……でも」


「それだけ言われちゃあ、部長のためにもインハイ絶対優勝しますよ」


 その2人を、俺は静かに見守っていた。

 気付くと、ソフィと長谷川さんも二人の会話をそっと聞いていた。


 拳を交えた者同士にしか、分からないことがあるらしい。

 本気で殴り合って、会話以上の何かを感じ取るときがある。熱気か、想いか、何なのかは形容できないけど。


「まもなく、花火の打ち上げを開始いたします」


 アナウンスが響き渡る。

 その声で、五十嵐と輪島さんは顔を上げ、互いに体から離れた。


 カラン、と下駄がコンクリートを引き摺った。


「花火、始まるみたいですよ」


 俺の声に、全員が頷いた――。





 口笛のような高い音が徐々にしぼんでいき、一瞬の静寂のあと、大きな破裂音と共に鮮やかな光を散らせる。

 黒い夜空に、眩い何色もの花が咲いていた。


 次々と火の柱が上昇していき、またパノラマの中を規則的に広がっていく。


「あそこのスペース空いてるぞ! いこーぜ!」


 射的の時のように、五十嵐が一目散に走り出す。


「ちょっと風音ちゃん、危ないよ~」

「エセギャル、本当にイノシシ」


 輪島さんは心配そうに、ソフィは呆れたようにその後に続いていった。

 長谷川さんもそれに続こうとしたその時。


「わっ……!」

「長谷川さん!?」


 足がもつれ、転倒しかける。

 バランスを崩し、片膝を地面に着いてしまう。


「大丈夫ですか……?」


 気付かずに走っていってしまう3人に置いて行かれ、俺は長谷川さんに駆け寄った。


「全然大丈夫ですわ……それより、場所よろしいのですか?」

「俺はそんな急いでないんで、ゆっくり行きましょう」


 俺は、長谷川さんに手を差し伸べた。

 しかし、そっぽを向かれてしまう。


「そ、そうやってまた思わせぶりな……」

「立てますか?」

「た、立てますわっ!」


 手を握ることなく、頬を紅潮させたままスッと立ち上がる。

 そして、俺の半歩前を歩き始めた。


「長谷川さん、おめでとうございます」

「わたくしが本選に行くなんて、自分でも思いませんでしたわ」


 この人が、本当にボクシングを好きなのかは分からない。

 理由だって、輪島さんに付いてきたからだ。


「まあ、わたくしはせいぜいボコボコにされないように頑張りますわ」

「長谷川さんは、ボクシングは好きですか?」

「…………」


 その表情は物憂げだった。


「分からない、ですわ」

「分からない……?」

「でも、わたくしを変えてくれたのも、ボクシングですわ。だから……」

「このボクシング部で、頑張ることに意味があるって……思ったんですの」

「…………」


 この人は、この場所が好きなんだ。

 恐らく、あのパンチを見るに天性のモノを持っている。


 努力すれば最強になれますよ!

 とは言えなかった。


 だって、押し付けるのは違う気がしたんだ。


「あと……ミスター拳弥が教えてくれたじゃないですか」

「…………?」

「たまには、わたくしだけを見て……と、望んでもいいって」

「はい……」


 長谷川さんが足を止める。

 その背後で、大きな火の柱が上空に突き進んでいた。


「わたくしが勝って、ミスター拳弥が抱き締め返してくれた時……」


 その火の赤い柱は、夜空の遥か向こうで消滅した。


「…………」


 小さな静寂。

 騒がしかった周囲が、何かを期待するように静まり返った。


「わたくし、ミスター拳弥にもっと抱き締められたいって……思いましたわ」


 その目は、吸い込まれそうになるほどに、凛としてわずかに揺らめいた。

 刹那、闇を写し出していた夜空から強い光が差す。


 ――1点から広がる眩く鮮やかな光が、空を覆うように大きな円を描いた。


「欲……かもしれませんわね」


「長谷川さん……」


「なんでもないですわ……さあ、みなのところへいきましょう!」

「……はい!」


「ところで、童貞様をご紹介していただけるお約束は……」

「え? 花火で聞こえないですね」

「このヤリチンが……」


 俺たちは、花火に上がる歓声の中を、潜り抜けてみんなのいる場所へ歩いていった――。





 ――束の間。


 戦いが終わって、また始まる。

 俺にとって、経験したことのないボクサーの夏が、佳境を迎えていた。



 花火が咲いた瞬間に散りゆくように、俺たちの休息もすぐに終わりを迎えた――。



  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る