第03話 ~期待の1年生、五十嵐風音はリング上で自慰をする~

「ケンヤ! ケンヤ! 大丈夫か!?」


「なんてこった、ケンヤ! 立ち上がれるか!?」


「ヘイ! 今すぐドクターを呼んで来い!」



 痛い。



 痛い。




 ――――――――――


 ――――――


 ―――


 ―



「朝か」



 アラームより先に小鳥の囀りが俺を目覚めさせた。

 カーテンを開けると、一気に眩しい光が押し寄せる。


 朝走らないのも、慣れてきたな。


 壁に貼られた1枚の写真。

 起きると、毎朝これが目に付くんだよなぁ。


 寝癖だらけの髪を掻き上げて、その写真を剥がす。



「米ジュニア選手権 バンタム級 チャンピオン」



 もう過去の栄光だ。

 写真に写る俺の目は、たしかに輝いていた。


 この自分はもういない。

 俺はその写真を、テキストが散らばった学習机の上に、裏返して投げ捨てた。






 HR前。



「あ、日直なのか」



 自分が当番の日だということはすっかり忘れていた。


 忘れていたというか、まったくそのことを意識していなかった。


 俺がそれに気づいたのは、黒板に書かれた「日直」の欄に名前が記されていたからだ。


 女子の日直が書いてくれたんだな。



「五十嵐……風音……」



 誰だっけ?



 入学して1週間と2日。

 まだ、仲良くなった数人の悪友の名前くらいしか覚えてない。


 クラスは男子が10人、女子が30人という割合のため、男子は案外すぐに結束した。


 男子が少ないと、どうしても女尊男卑な世界が構築されてしまう。


 故に俺や悪友は、あえて他校の女子と遊ぶことで発散していたのだ。

 つまり、今のところクラスの女子と殆ど関わりはないし、名前もほぼ知らない。



 五十嵐風音いがらし かざね



 うむ、わからないな。



「お前、大橋?」



 声と共に、右肩に重力を感じた。

 振り返ると、右肩には手が乗っかっていた。


 そして。



「朝の配布物、なんで取りに来ねーんだよ」


「……?」



 黒板の前で立ち尽くす俺の後ろには、金髪ショートカットの女が眉間に皺を寄せて立っていた。



「ウチ1人で取りに行ったんだから、帰りのHRの分はお前が行けよ」


「五十嵐……?」


「その通り、ウチが五十嵐風音。お前はサボリ魔の大橋拳弥だろ?」



 その荒々しい口調で詰め寄ってくる女が、五十嵐風音いがらし かざね


 日焼けした肌に、大きな瞳。背丈は160cmくらいであろう。

 ベージュのカーディガンを腰巻きにして、左耳にシルバーのリングピアスを2つぶら下げている。

 スカートと腰巻きカーディガンの隙間から覗く太ももは、なかなか肉付きが良い。


 なんだこの非行少女の特徴を全て具現化してみました、みたいな女は。



「俺が大橋、今日が当番だってことを忘れてたんだ……ごめん」


「頼むぜマジで!」



 胸をドン、と押される。



「おいおい、そんなに怒らなくても」


「やることはやれ!」


「わ、わかりました……」



 この女、怖い。

 相楽高校ってヤンキーが入れるレベルの高校ではないはずなんだが。


 いや、でもヤンキーだったら日直業務なんて普通やらないだろ。

 日直の名前書いてくれて、朝も業務やっておいてくれて。


 こいつ、実はめちゃくちゃ真面目なんじゃないか?


 なんせ眼力が凄まじい。

 キッと俺を睨みつけると、踵を返した。


 そして、また振り返る。

 今度は睨んでない。安心した。



「あ、そうだ……5限で使うプリントが大量にあるらしくて、昼休み職員室に取りに来てほしいって先生が言ってたぞ」


「おお、そうか……すまなかった、昼休みは俺が行くよ」


「よろしく!」


「お、おす」



 真面目やん。






 そして昼休み。



「大橋、すまない。ちょっとまだプリントが完成してなくてな」


「授業の時に自分で持っていくからやっぱ大丈夫だ」


「そうですか……では戻ります」


「ありがとうな」


「いえいえ」



 一瞬にして仕事が無くなった。

 売店でパンでも買って食うか。



「と、その前に」



 俺はある場所へと向かっていった。






「んぁっ……んっ……やば、イキそ……っ」


「あっ、あぁっ……んふぅ……そんな無理矢理されたらウチ…あ…っ」



 AVの世界に転移でもしたのだろうか?



 俺は今「相楽高校女子ボクシング部」のプラカードが張り付いた、重い鉄の扉を開けている。


 開けている途中だ。そう、半開きなんだ。

 俺は半開きのドアのノブを握りしめたまま、動けずにいた。


 このドアは支えてないと勝手に閉まる。そして大きな鈍い音が轟く。


 それは困る。何故なら。



「や、やだ……そんなに強くしないでっ……んっ、あはぁっ……」



「イ、イク……あ、んっ、イクイクイク……ッ!」



 ショートカットの金髪が、ピクン、と跳ねた。


 今朝、眉間に皺を寄せて俺に詰め寄っていた人と同一人物だろうか?



 例の五十嵐風音という女は、リング上にいた。



「…………」



 リングの真ん中にて、M字開脚で座り込んでいる。


 セーラー服のスカートは捲りあがっており、その奥に下着はない。

 ビクンビクンと体を小刻みに震わせて、そのままリングの上に寝転がった。



「はぁっ……はぁ……」



 小さく息を切らせながら、リング上に転がっていたパンツを手に取り、足に通していく。


 今朝とは別人のような、切なげな表情を浮かべて、溜息をついた。



 何が起きているのか。


 もう俺には1つしか答えは持ち合わせていなかった。



 この女は、リングのど真ん中で"オナニー"をしていた。



 この目で、はっきりとその姿を映し出した。



「………………」



 パンツを履くと、おもむろに立ち上がる。


 あ、まずい。目が合ってしまう。



 ――ガン。



「――ッ!?」

「やべっ……!?」


 練習場内に、鈍い音が響き渡った。

 少し動くつもりが、鉄扉に肘を強くぶつけてしまった。



「えっ……大橋ッ!?」


「まずい……」


「なあ、そこにいるのは大橋!?」



 咄嗟に鉄扉を閉めて隠れたが、俺の姿を認識してしまったらしい。


 降伏だ。


 ギギギ、と鈍い音が響き渡り、同時に俺が両手を上げる。



「俺だ……これは事故だ」


「おいてめぇ!見たのか!?なあ、見たのか!?」



 リング上からとてつもないスピードで、俺の目の前に走ってきた。

 今朝のように、また詰め寄られている。



「み、みたかもしれない……」


「嘘だろ!? なんでお前ここにいんだよ!?」



 狼狽し顔を真っ赤にしながら俺の胸ぐらを掴む。

 その指、お前さっきイジってた指だろうが。


 お互い、額には大量の汗が噴き出ていた。



「いや、昼休みの日直業務なくなったんだよ」


「はぁ!? だからってなんでボクシング部に来てんだよ!?」


「それはこっちのセリフだ、なんで五十嵐がここに」


「ウチはボクシング部に入部してんだよ! だからいるだろ!」



 じゃあなんでオナニーしてんだよ。

 1番のツッコミ所は言えない。



「だ、誰にも言わないからさ、気にすんな……」


「なんの励ましだよ!」



 てか、こいつボクシング部なのか。

 輪島さんが言っていた「新入生が1人」っていうのは五十嵐のことだったのかよ。



「あぁぁぁっ! 最悪だ! これだけはバレたくなかった……」


「いや、学校でやることがまずリスクだろ……」


「うるせぇな! そういう性癖なんだよ!」



 リングの真ん中でオナニーする性癖ってなんていう名称の性癖ですか?

 どんなファイトスタイルなんだよ、こいつ。



「くっ! 殺せ!」


「殺さねーよ……わかった、このことは忘れるよ。だから1つ聞かせてくれ」


「…………?」


「その男勝りな感じとは裏腹に、実は無理矢理犯されるタイプの妄想が好きなのか?」


「くっ! 殺せ!」


「殺さねーよ、そのキャラ今すぐやめろ」


「くそっ……で、どうして大橋は練習場にいるんだ?」


「ああ、輪島さんに用事があってな」


「部長か! なんで部長と知り合いなんだ?」


「まあ、色々あって昨日偶然知り合ってな。ここに来たらいるかなーと」



 輪島さんが、グローブに鼻を突っ込んで震えていた光景が脳内で再生される。

 あれ?この練習場なんか変な人しかいなくない?


 嫌な予感が脳内を支配しつつも、俺は言葉を続けた。


「昼休みはここで自主練してるって輪島さん本人から聞いたんだ」


「それは初耳だわ」


「五十嵐お前、それ知らないとまた大事故になるぞ」


「チクショウ! 有益な情報ありがとな!」


 今日は輪島さんは来ないってことか。

 まあ、わざわざまた会いに来る俺も謎だけど。


 何の使命感なんだろう。

 でもまた話をしなきゃ、と無意識に思ったんだよな。



「五十嵐、お前はボクシングやってたのか?」


「やってたよ、小っちゃい頃からフルコン空手やってて、中学でボクシングに転向した」


「なるほどね……格闘技漬けだな」


「割と本気でやってたんだ、大橋もボクサーなの?」


「経験者だけど、今はやってない」


「ふーん……まあいいけど……気が向いたらまたま練習場に来いよ。部長も歓迎だろーよ」



「ああ、気が向いたらな」



 腹減ったな。

 売店が終わってしまう。


「じゃあ俺は戻るわ、じゃあな」


 それだけ言い残すと、足早に練習場を去った。

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