第16話 旅立ち

 マリアンヌとラクシャータ。

 フュルフールとサロメ。


 二人の魔女と、二柱の悪魔の共同生活は半年ほど続き、そして、唐突に終わる日がやって来た。


「ただいま・・・」


「あ、おかえりなさい。ラクシャータさん」


「ん・・・」


 森から出て、町に生活用品を買い出しに行っていたラクシャータが帰ってきた。


 麻袋を両手で抱えたラクシャータの顔はなぜか曇っており、マリアンヌは首を傾げた。


「どうかしましたか? ラクシャータさん」


「んー・・・それがね、マリアンヌちゃん。ちょっと見て欲しいものがあるんだけど・・・」


「はい?」


 ラクシャータが差し出してきたのは、この近くの国で発行されている官報。つまりは新聞であった。

 質の悪い羊皮紙に描かれたそれを覗き込んで、マリアンヌは思わず声を上げた。


「『魔王軍の南進』・・・大変じゃないですか!」


 それは北に領地を持つ魔族が、人間国家に宣戦布告をしてきたというニュースであった。

 魔族と人間はずっと小競り合いが絶えなかったが、本格的な侵攻は二百年ぶりのことであった。


「その記事じゃないわ。下の、もっと小さな記事よ」


「え? こっちですか?」


 でかでかと乗せられていた一面記事に目を奪われて、下の小さな記事を見落としていた。

 かなり小さな文字で書かれた記事を目を凝らして読んでいき、マリアンヌは瞳を見開いた。


「・・・王子と聖女が結婚! 式は1週間後・・・!」


 バチン、とマリアンヌの背後で小さな雷が生じて火花を立てる。

 抑えきれない激情が噴き出して、小規模な魔法となって暴発したのだ。


「マリアンヌ・・・大丈夫か?」


 マリアンヌの背後にフュルフールが現れ、いたわし気に肩を抱く。

 マリアンヌの肩は小刻みに痙攣しており、爆発しそうになる感情を必死に堪えていた。


「マリアンヌちゃん・・・」


「ラクシャータさん・・・これまで、お世話になりました」


「・・・・・・」


「私は、これから王都に行こうと思います」


「そう・・・」


 迷いのない言葉に、ラクシャータは頷いた。

 顔には寂しげな表情がくっきりと刻まれているが、それでもマリアンヌを止めようとはしなかった。

 半年間、一緒に生活をしてきたラクシャータは、マリアンヌがどれだけ婚約者達への憎しみに焦がれ、苦しめられてきたかを知っている。

 それを生半可な思いで止めることなど、どうして出来るだろうか。


「・・・出発は明日にした方がいいわ。今日はもう、日が暮れるから」


 ラクシャータはマリアンヌを抱きしめて、小さな背中を優しく撫でる。

 それは実の娘か、あるいは妹にするような愛情に満ちた仕草だった。

 マリアンヌは失った家族への愛情を思い出して、瞳からポロポロと涙をこぼしてラクシャータの胸元を濡らすのであった。




 明くる日の朝。

 マリアンヌは森から出て、再び生まれ故郷であるロクサルト王国へと向かうことになった。


「ラクシャータさん。これまで本当にお世話になって、なんとお礼を言っていいのか・・・」


「いいのよ。マリアンヌちゃん。私だって楽しかったから」


 マリアンヌとラクシャータは再び抱擁を交わして、別れの挨拶をする。

 少し離れた場所では、顕現したフュルフールとサロメが言葉を交わしている。


『あの娘を守ってやってくれ。彼女が傷ついたら、ラクシャータが悲しむ』


「無論だ。誰の契約者だと思っている。何人たりとも、彼女には危害は加えさせん!」


『ふっ、上級悪魔に愚問であったな。息災で』


「ああ、そちらもな」


 トカゲが口にする言葉に肩をすくめて答えて、フュルフールはラクシャータの後ろ。すでに定位置となった場所へと移動する。

 ラクシャータは昨夜のうちにまとめておいた食料と水、簡単な生活用品が入ったカバンを手渡し、最後にポケットからとあるものを取り出した。


「はい、これを持っていくといいわ」


「これは・・・お面、ですか?」


 ラクシャータが取り出したのは銀細工の仮面であった。

 顔の上半分を隠すデザインの仮面からはわずかに魔力が漏れ出していて、何かの魔術がかけられていることが分かった。


「ロクサルト王国には貴女のことを知っている人も多いでしょう? 面倒ごとに巻き込まれないように認識疎外の魔法をかけたお面を作っておいたから、持って行ってちょうだい」


「ラクシャータさん・・・」


 マリアンヌは感極まったように涙ぐみ、手渡された仮面を両手で抱きしめた。


「ほらほら、泣かないの。これからもっと大変になるんだから」


「はい・・・」


 上級悪魔という力強い味方が付いているとはいえ、復讐を目的にするマリアンヌはイバラの道を進むことになるだろう。

 こんなところで立ち止まっていては、先が思いやられてしまう。


「正体を隠すのなら、偽名も考えておいた方がいいわね」


「そうですね・・・何がいいでしょうか」


 マリアンヌは頬に手を当てて、しばし考えこむ。

 そして、ふと思いついた名前を口にする。


「マーリン、というのはどうでしょう」


「マーリン・・・マリアンヌをもじっているわけね。ちょっと安直だけど、全然違う名前にすると咄嗟に呼ばれたときに反応できないから、いいんじゃないかしら?」


「はい・・・マーリン、私はマーリンです」


 胸の前でグッと手を握りしめ、マリアンヌ・・・マーリンは繰り返す。


「行ってらっしゃい。魔女マーリン。辛くなったらいつでも帰ってきていいからね? ここはもう、あなたの家なんですから」


「はい・・・行ってきます!」


 手を振って、マーリンは飛行の魔術を使って飛び上がる。

 背後に上級悪魔を従えて、森を飛び越えて南の方角へと飛んで行った。


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