Pictura philia

加賀美 龍彦

1. 

 一般的に3月は別れの季節であり、4月は出会いの季節である。しかし、出会いがなかった僕は誰との別れもなく新しい4月を迎えた。


 僕は教室へ入った瞬間に浴びるクラスメイトからの不躾な視線がずっと嫌いだった。誰の視線も浴びたくないので、早めに登校し、生徒用玄関に張り出される新しいクラスの振り分けを見て教室へ行く。黒板に書かれた“出席番号順に座って”という文字を確認して自分の席へ座る。どちらかと言えば窓側で一番前の席が僕に与えられている。肺が強くない僕は”チョークの粉を吸いそうで嫌だな”と思っていたら誰かが教室に入ってくる音がした。僕と同じく人に見られることが嫌いな人なのだろうかと考えていると、その音が隣の席へ移動していくのを感じた。気になって顔を見てみると今まで見たことがない子がいた。僕が覚えていないだけなのかもしれないので気にも留めなかった。

 しばらくすると二人しかいない教室にこのクラスの担当教員が多くのプリントを抱えて入ってくる。教員は僕の存在を認め、挨拶を交わしたあと、ホームルームで配るであろうプリントを教卓の上で整頓した。

そしてこう僕に告げた。


「檜ヶ谷、隣の席にいるのは今年転校してきた加藤だ。それでな、彼女は簡単に言えば声がでない病気を患っているから隣の席の檜ヶ谷が力になってやってくれ。」


 出席番号は普段五十音をもとにして振られるものだが、加藤という姓なのに僕の隣に座っているのは、そこが教員にとって気にかけやすい位置だからだろう。

 僕は頷いて返事をする。


「じゃあ、またあとで。」


そう言い残して教員は教室を去った。彼にはまだまだやるべきことがあるのだろう。新学期は生徒が浮足立つ反面、教師も準備に駆けずり回ることになる時期だ。挨拶をしようと右隣の彼女に目を向けると、同じことを考えていたのか目が合った。さて、どうやってコミュニケーションをとろうか。こちらが喋って相手が書いて伝えるのではその時差に彼女は申し訳なさを感じるかもしれない。

 ならいっそ筆談の形をとってみようと考える。僕はメモ帳のページを千切って


“はじめまして 檜ヶ谷 透といいます。 これからよろしくお願いします。”


と書いて彼女に渡した。文章を読んで意図を察した彼女はその下に


“はじめまして 加藤久美子です。私は声をだして話せないのでなにかとご迷惑をおかけするかもしれませんが、こちらこそこれからよろしくお願いします。”


と書き加えて僕に渡した。実際、授業中など席を立たない時の手助けは僕が請け負うことになるのだろう。しかし気を使わせてしまっただろうかと僕は思う。なのである種の期待を込めて彼女から受け取った紙へ冗談を書き加えて渡す。挨拶は終わったと思っていた彼女は不思議そうな顔をしてそれを受け取る。


“僕自身あまり加藤さんの役に立てないと思うしそんなに気にしなくても大丈夫だよ。無声映画のかたわらで勝手に喋っている弁士のようなものだと思ってもらってもいい。”


 これを見て彼女は少しの吐息とともに口角を上げた。それからまた書き加える。


“それ、とても重要な役割じゃないですか。”


 彼女から渡された文章を読んで僕はその意味を分かってくれたのだと安心した。互いに笑みを浮かべたまま会釈を交わし、この後の日常が始まっていく。これが加藤久美子との出会いとなった。

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