31.「遺言を、義兄の」
「……なるほどな」
モニターの前にいた洋が、指で弾いてその画像を消した。それに倣うように、シュンシュンと別のモニターも消えて無くなる。
全てが消えたところでシンと、中央地下室に静寂が訪れた。
椅子に座りため息をつく洋を、朝季と凪、背広の男がじっと見つめる。
「いつから画策していた?」
『俺は冬那から又聞きしただけですけど……夕季さんの案、二年以上前からです』
洋の言葉に答えたのは茉理だった。
夕季という名前に朝季がぴくりと反応したが、声は発さなかった。
『他の案も出たんですけど、冬那が、夕季さんの意思を守りたいと』
「あぁ、冬那と白河夕季の関係には気付いていたよ。だから処分を伝えたんだが……なるほど、二年も経ってから、こう来るとは」
くくっと笑みを漏らした洋が、凪を見つめた。
びくっと肩が跳ねるが、凪は目を逸さなかった。
「まさか自分の娘が巻き込まれるとは、思ってもみなかった。凪、この街に来た目的は?」
「……傍観者を、やめたかったから」
「そうか……しばらく会わないうちに大きくなったな」
困ったように、いや呆れたように嘆息し、洋は居住まいを正した。
朝季に向き直り、その瞳を見つめる。
「君の勝ちだ、朝季くん」
「……俺じゃないです。俺たちの勝ち、です」
「そうだね。君は本当に、お兄さんそっくりだ。聡明で人望があって、他者に対して優しい」
「義兄です。血は繋がっていない」
「義理でも兄弟は兄弟だろう。君たちは真に家族だった。さて、朝季くん。これからどうしようか。偽りの戦場、
「……考えましょうか」
「考える?」
「人間だから、俺たちは。これから先の未来をどうするか、考えましょうか、一緒に」
目を見開く洋だが、しばらくしてくすくすと笑みを溢した。
口元に手を当てて上品に、閑雅な笑みを。
「難しい課題になるかもしれないねぇ」
「日本が、東京も田舎も関係ない、全ての人が当事者意識を持てば、一億人分の知恵が集まります」
「それは頼もしい……日本全てが傍観者をやめる日か、来るといいねぇ、そんな未来が」
再度一笑する洋に、朝季は張り詰めていた表情を崩した。
恨みはある、だってこの人がいなければ東京内戦は、夕季は死ななかったかもしれなくて。傍観者の町なんて存在しなかった。もっと早く……本当の意味で東京の人々が、楽しく笑って暮らせていたかもしれない。
だから夕季はずるいと、朝季は思った。
よく見れば目元が似ている、さらっとした綺麗な髪も、痩せ方の体格も、微笑んだ顔も。凪に……朝季が守りたいと思った少女に、よく似ている。
「だけどそれでも俺は、あなたを許せない」
洋に向けられる白い空気銃。
朝季から笑みは消えていた。洋は笑顔のまま、朝季を見上げる。
「夕季くんのことかい?」
「殺処分決定を行うのは軍長かもしれないけど、引き金をひいたのはあなたですよね? さっき話をしたと言っていたしなにより、凪がこの街に来たのが、夕季の案なので」
「凪と君を引き合わせて、私に対する憎悪を中和しようと……それで私のいる中央を目指したのか、彼は」
「馬鹿ですよね、夕季は……考えが、浅はか過ぎる。凪が凪じゃなかったら、どうしていたのか」
朝季の隣に立つ凪の瞳が揺れた。それは凪も思ったことだった、なぜ自分なんだろうと。ネームプレートの再生だって、まるで知っていて託したような……。
だけど記憶を辿っても、凪が東京に来た記憶も記録もない。
「そうだね、彼はここで私と対峙し、そして命を落とした」
ぎゅっと白銃を握りしめる朝季の手元、弾倉の中を凪はじっと見つめた。
綺麗な薄紫、ラベンダー色の空気弾の群れ。
「やめようと、殺さないと言ってくれていたら、夕季は死ななかった」
「それが君の、私を撃つ理由かい?」
「俺があなたを撃てば、夕季は浮かばれると思いますか?」
「それは私より、君がわかっているんじゃないか?」
「俺だけじゃない。あなたに銃口を突きつけている人間は他にもたくさんいる。今、俺が代表して、ここにいるだけです」
「そうだね。名前も知らない誰かを、たくさん殺したからね」
堪らず、背広の男が動いた。
しかし洋は手で彼を制止する。
「これは私の罪だ。君だけじゃないんだろう? ならばここで全ての意趣を受け止めよう。君のその、一発で」
洋は朗らかに銃口に向けて笑む。
目線も、手の位置も変えない朝季。
「撃ってくれ、それが君の願いならば。ここで全て、終わらせよう」
「……わかってないな」
ゆっくりと瞳を閉じる洋に、朝季は撃針を押した。
ガチン、と平常のそれからは考えられない、大きな音が響く。
「さようなら、洋さん」
朝季の声が耳に届くと同時、洋は思わず目を開けてしまった。
銃声、眼前に迫る弾丸。
「……みさき」
声を漏らした時、洋の鼻に空気弾がぶつかった。
華やかなラベンダーの香り。
「……は、ははっ」
洋は椅子から転げ落ちていた。乾いた笑声を押し殺して顔を上げると、白い空気銃を掲げた朝季の冷たい目線があった。
その名の通り、空気弾が出る空気銃。
景子はそれを敵に薬種を吸わせるために使っていた、麻酔や睡眠薬の類の。朝季や景子と親しくしていた凪は当然そのことを知っていたし、弾丸の色でそれがどの性質を持つかも理解していた。
「死ぬ、かと思った。本当に」
「死んでもおかしくなかったんだよ」
朝季の後ろに立つ、凪が言った。
「殺されてもおかしくなかった。朝季がそれをしなかっただけで、本当ならお父さんはここで死んでたんだよ」
凪の言葉に洋は前髪をかきあげる。
その仕草に目を向けたまま、朝季が「ごめん」といった。
「ごめん、凪。死んでたじゃない、死んだんだ。戦場を支配する、洋さんって人を今、殺した。夕季はあなたを殺そうとしましたか?」
「しなかったな。彼は、私に手を出そうとしなかった」
「でしょうね。なぜだかわかりますか?」
「……なぜだ?」
「無駄だからです。あなたを殺したところで、問題はなにも解決しない」
「だから君も、私を殺さなかったと?」
「……一つ、お願いがあるんですが」
「なんだい?」
「夕季の、最期の言葉を教えてください」
はっと顔を上げる洋と、朝季の目線がぶっかった。
「最期の、言葉?」
「俺は知らないから。俺が聞いたのは、『体調悪いのか? 早めに寝る?』って心配する夕季の声で、頭を撫でてくれようとしたのに、子どもじゃないからやめろって……逃げるように部屋に篭って、だから俺はなにも、サヨナラの言葉一つでさえもらってなくて。夕季は俺の全てだったから、家族も優しさも強さも全部、夕季がくれたから。最期まで全部知りたい。だから教えてください。夕季は最後、どんな言葉を残して人生を終えましたか?」
力が抜けたように腕を下ろす朝季。
洋は前髪に置いた手を強くにぎった。服は酷く乱れていたが、そんなことを気にする余地はなかった。
「怖いものだな、死は。思わず、妻の名前を呟いてしまったよ……彼も私と同じで、家族の名前を呟いていた」
「家族、ですか……」
洋の言葉を聞き、朝季が項垂れる。本当の、
わかっていたのに、当たり前なのに、悔しくて、朝季は唇を噛んだ。
「朝季、と。義弟の名前を呟いた。それが彼の最期の言葉だ」
「…………え?」
朝季が顔を上げると、洋と目線がぶつかった。
涙が溢れる洋の瞳と、酷く動揺する朝季のそれが、互いに見つめあう。
「君の名前を呼んでいたよ……彼は確かに、『朝季』と言っていた」
「……そう、ですか」
顔を伏せ泣き崩れる洋。
朝季はガクンと、その場に膝をついた。
「嘘だろ、最期の言葉が俺の名前って……だって夕季には本物の家族も、本当の弟だって……あれ?」
ポタッとなにかが床に溢れた。それを指でなぞり、手のひらを見つめる朝季。ボタボタと大量の水がこぼれ落ち、朝季の手を濡らした。
必死に拭うがキリがなく、涙が溢れては落ちた。
「夕季……ゆうき、ゆうき……っ、うぅ」
今度は声が泣き出した。
もうダメだ、仕方ないと、身体全体で悲鳴をあげて泣いた。
「大丈夫だよ、朝季」
泣きじゃくる朝季の背中をそっと、凪が撫でる。
ゆっくりと下から上に、下から上に、朝季の悲鳴を押し出す。
「この街で、夕季さんの家族は朝季だったんだよ。唯一の家族で、弟で。朝季は本当に、大切にされて育ったんだね」
「うん……うん」
身体を預けて泣く朝季の背中にそっと、凪は手を回す。
朝季の背中越しには、両手で顔を押さえて泣く父の姿があった。背後からは背広の男の鼻をすするような音。
かつての偉人は、
だけど今、この部屋で泣いていないのは凪だけだった。
大丈夫だよ、女性は強い。だから今度は『弱そうな人』じゃなくて『弱ってる人』を助ける、そんな力をください。
誰に訴えたかはわからないが、心の中で凪はそう呟いた。
「朝季にね、伝えなきゃいけない言葉があるの」
きゅっと背中を抱えると、朝季が顔を上げた。
目があって、互いに見つめあった。
まるであの日の、歩道橋の上のように。
「伝言をね、託されたの」
彼の義兄が、唯一の家族だった人が残した言葉を。
大切な存在だと思う、
守りたいと、そう願った彼に今、伝える。
「あのね、朝季––––」
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